第3話 幼馴染



 木の葉の擦れる音。


 頬を撫でる風。


 鳥のさえずりが響き渡り、閉じた瞳の奥でも木漏れ日を感じ取ることが出来る。


 ただひたすらに周囲へと意識を向け、まるで自らが自然の中に溶け込んで行くかのようなイメージで集中を続けていると……その時、自然のものとは違う異音が、微かに耳に届く。


 それは、ザクザクとこちらに近付く足音。


 二本足。

 警戒している様子はなく、人のものだろう。


 歩幅は小さく、大人じゃないことがわかる。


「……にぃ」


「ん、何だ、お前も来たのか」


 俺は目を瞑ったまま、そう言葉を放つ。


 半ばそうだろうと思っていたが、足音の正体は俺の妹だったらしい。


「……にぃ、またそれやってる」


「あぁ。こういうのは毎日やるのが肝心なんだ」


「……そんな、ヘンな座り方して」


「ほっとけ」


 妹が言う変な座り方というのは、正座のことだ。

 俺にとって一番集中出来るのが、この座り方なのである。


 ――現在行っているのは、魔力トレーニング・・・・・・・・である。


 イメージとしては、聖歌隊なんぞがやる、『腹式呼吸』のトレーニングに近い。


 限界まで自然に満ちる魔力を取り込み、そして体内から放出するのを繰り返し行うことで、少しずつだが自身の魔力総量と魔力吸収量を底上げすることが出来るのだ。


 それと同時に、右から左に、左から右に、上から下に、下から上に、体内に取り込んだ魔力をグルグルと循環させることで、この身体に馴染ませつつ魔力操作をも鍛える。


 前世でもこうして、暇があれば魔力トレーニングに勤しんでいた。

 最後の方は、そんなことをする時間も余裕もなくなっていたけどな。


 ――そう、魔力だ。


 この世界もまた、前世と同じく万物に魔力が宿っており、俺の体内にも漏れなく備わっている。

 ……と言っても、まだまだ微々たる量しか持っていないのだが。


 俺の意識が確立してから魔力トレーニングを毎日続けることにより、ようやく最近になって、並の魔法士相当の魔力を得ることが出来たくらいだ。


 子供としては破格の量であるだろうが……身体から溢れる程の魔力を湯水のように使いまくっていた前世と比べ、雀の涙程度しか使えないのは、結構悲しいものがある。


 それに、自身が人間になってよくわかったことだが、人間は魔族程魔力に対して適合していないのだ。

 

 魔族が『5』の魔力を使って『5』の魔法を顕現する時、人間は『8』の魔力を用いて『5』の魔法を顕現している、といった感じなのである。


 そのせいで、魔族の頃の感覚で魔法を発動しようとすると不発に終わることが多々あり、慣れるまで少々苦労した。


 ……けど、俺をぶっ殺した勇者は人間だったしなぁ。


 他種族より圧倒的に魔法に優れたエルフではなく、他種族より強靭な肉体を持ったドワーフでもなく、獣の特色を持ち様々な能力を獲得していた獣人族でもなく、一番中途半端というか、良く言って器用貧乏、悪く言って他種族に比べ身体的優位が全くない人間に、『力』を第一の信条とする魔族の頂点に立っていた俺が殺されたのだ。


 覚えている限りでは、魔力総量こそ俺の方が上だったものの、しかし俺と同程度に魔力に対して適合していたはずなので、もしかすると訓練次第ではどうにかなるのかもしれない。


 奴とは色んな戦場で何度も戦ったのだが……そうだな、とりあえずの目標として、初めて会った頃くらいの勇者を目指すとしよう。

 その頃はまだ、アイツも人外の領域に足を踏み入れた怪物ではなく、人間の中ではそこそこ強い程度の実力しか持っていなかったからな。


 一つ幸いなことは、どうも俺のこの肉体は、他の人間と比べると大分ポテンシャルが高いらしいということか。


 俺の両親が共に優秀な魔法士であったらしく、おかげで俺もまた人間の中だと魔力に対し高い適正を持っていることは、周囲を観察してよくわかっている。


 これに関しては、今生の両親に感謝だろう。


 と、一人魔力トレーニングを続けていると、「……むぅ」と呟く声に、しゃがむような布の擦れる音。


 チラリとだけ片目を開くと、俺が自分の世界に入り込んでいるためか、我が妹がちょっとだけむくれたような顔で近くに座り込み、退屈そうに土遊びを始めていた。


 俺は小さく苦笑すると、膝をパンパンと叩いて砂を落とし、立ち上がる。


「……さ、魔力トレーニング終わり。あぁ、やることが終わって、暇になっちまったぜ。だから、妹と何か楽しい遊びでも――」


「アリさんの観察ごっこ」


「お、おう、食い気味で来たな、我が妹よ……というか、それは遊びに入るのか?」


「……面白い」


 表情に差はないが、目に力を込めて、コクリと頷くリュニ。

 

 ……相変わらず、変な奴である。



   *   *   *



「行け! カイル! 頑張れ!」


「……カイル!」


「おぉ! ベスとトムが助けに来たぞ! いいぞ、やれ!」


「……! ゴルムも来た……!」


「……えっと、何してるの?」


「「アリ(さん)の観察ごっこ」」


「あぁ、うん……そう」


 と、そこで俺は背後に立つ人影の存在に気が付き、後ろを振り返る。


 そこにいたのは、呆れたように笑っている、一人の幼女。


「お、フィル。はよ」


「……おはよ」


「うん、おはよ、ユウヒ、リュニ」


 そう言って幼女は、ニコッと可愛らしく笑みを見せる。

 

 彼女は俺の幼馴染――フィルネリア=エルメールである。


 愛称は、フィル。


 月のような淡い銀色の髪に、一見すると少年にも見えるような、均整に整った中性的な相貌。

 髪と同じ、宝石のような銀色の瞳は大きく、どことなく優しげな印象を受ける。


 小柄な身体付きの八歳児の幼女であるが、その顔立ちを見るに、我が妹と同じく将来はきっと美人になることだろう。


 こっちは愛想がいいので、さぞ男にモテるようになるのではないだろうか。


 ただ、いつもは普通の幼女なのだが、時折こちらをからかういたずらっぽいところや、物事に対する鋭い観察眼を持っていたりするので、あんまり侮れない幼女でもあったりする。


 ――フィルのところとは、家族ぐるみの付き合いをしている。


 彼女の父親が、俺の親父の直属の部下である『騎士爵』であり、レイベーク地方の治安維持を一手に担っているのだが、何でも親父とは幼い頃からの仲であるらしく、すでに付き合いは二十年近いのだとか。


 俺も何度も会ったことがあるが、割とのほほんとしているウチの親父と違って、見るからに軍人然としたゴツい見た目のおっさんだ。

 俺自身、何度かその拳骨をいただいたことがあるので、彼の力の強さはこの身を以て知るところである。


 そうして親の世代の仲が良いので、自然と俺もフィルと幼馴染になった訳だ。

 感覚的には、もはやリュニと同じく妹のようなものである。タメだけどな。


「……それより、カイルとかベスとかって、誰?」


「アリ」


「え?」


「アリだ、アリ。コイツがカイルで、コイツがベス。……だったはず」


「……こっちがトムで、こっちがゴルム。のはず」


「そ、そう。ごめん、僕にはちょっとわかんないや」


「ダメだな、お前はまだまだアリの見極めがんが足りん」


「いや、別にいらないけど」


 あ、そうすか。

 まあ、俺らもテキトーに言っているだけなので、見分けなど全く付いていないのだが。


 多分、カイルと呼ばれたアリとか、五匹くらいいるんじゃないかな。


「それより、お前も遊びに来たのか?」


「……かんさつごっこ、いっしょにする?」


 森の中にある少し開けたこの場所は、人がほとんどやって来ないため、誰にも見られない魔法の訓練場所として使用していたのだが、妹とこの幼馴染にはとっくの昔にバレてしまっている。


 なので、俺が何かしらの訓練をしていると、よくコイツらもここにやって来るのだ。


「え、えっと、観察ごっこはいいかな……それだったら、おままごとしない?」


「……する。フィルはおかーさん役。リュニはむすめ役。にぃはペットのイヌ役」


「えっと……リュニさん? そこは普通に父親役じゃダメなんすかね?」


「……だめ。にぃはおとーさんって感じじゃない」


「フフ、いいんじゃない? イヌはかわいいもんね」


 ふるふると首を横に振るリュニに、ニコニコと笑みを浮かべるフィル。


「あー……わかったわかった。犬役な」


 対して俺は、彼女らに否と言えず、ただ苦笑を溢すのみである。

 彼女らがそう望んだ以上、俺にはもはや、拒否権は存在しないのだ。


 前世は世界を相手に戦争しまくった魔王であるにもかかわらず、幼女達に否と言えない今世。そこはかとなく悲しみがある。


 人生とは、不思議なものだ。


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