一人灯りのもとに本文を広げて、まだ足りない気がする自分の考察を論じることほど悩ましいことはない。ときどきサークルに顔を出して、同期たちと一緒にうめいた。各々の選択作品を掘り下げているため内容の共感はできないが、思考の交流をしつつ心情は深く共感し、互いに励まし合った。そうして十二月中旬には皆卒業論文から解放され、静かな年の暮れを迎えんとしていた。午前中からのんびり図書館にこもって、おなかが空いたらどこかに行ったり、財布を見ておうちに帰ったりする。

 午後の光差すのどかなリビングで、おなかを満たしてくれる何かを探した。消費期限ぎりぎりの食パンを拾い上げて、トースターに二枚。じりじりと焼いている時間は、おなかが空いているときほど長い。焦がさないように張り込みながら、はちみつにするかジャムにするか悩む。

 どっちも食べちゃおうよ、とせんぱいは言う。

 せんぱいが一緒にいたらぜったい食べ過ぎてしまうし、ぜんぶわけっこするだろう。おんなじ味をいくつか楽しんで、読んだ資料の話をして、今度一緒に遠くへ行きましょうと提案する。どこか静かで空気の澄んだところに行きたい、昔話があった土地を歩いてみたい、見たことのない風景を知りたい。どこに行きたいですか、せんぱい。

 チン、とトースターが音を立てて我に返った。

 バターを塗ったらそのままかじってしまった。これでもおいしい。もう少し食べたらはちみつをかけて、もう一枚にはジャムを乗せよう。テーブルにパンを置いて、ジャムのふたを開けようとする。非常に固かった。ふうとひと休みして、もうひと踏ん張り。あいた。

 机の上に乗せようとしたら、力が入っていなかったのだろう、うっかり落とした。あわてて下を見るときれいに転がっていて、離れたところでカランカランと回る音が響いた。届かない。

 かがんで、ふっとめんどくさくなった瞬間、わっと涙があふれた。急にぜんぶ嫌になって、ふたが落ちたことにもおなかが空いたことにも寒いことにも腹が立って、それよりもなによりも、せんぱいが何も言ってくれないことへの怒りが破裂した。

 さようなら、くらい言ってくれたらよかったのにと思うのは、どこかにいると信じているからだ。この世はさようならがないことだってある。

 大粒の水滴が増えていって、破裂したのは怒りではなく悲しみだったと気がついた。二つは紙一重になっている場合もある。でも泣いてしまったら、待ち合わせが終わってしまう気がする。泣きたくない。

 好きって一方的だ。そして、さみしい。

 私の好きな先輩はもう記憶が作る幻でしかない。

 おもしろい事典があったと図書館でひそひそ話しかけてきた。同じ講義を受けていることに気がついて声をかけたら、となりをあけてくれた。二人でおでかけしたときは、私だけが佐折せんぱいのことを見ていた。

 どうしたら、今もとなりにいてくれたのだろう。答えはないし考察する資料を新しく得ることもできない。思い出になってしまった事柄から問題ばかりが提示され続ける。答えを教えてくれる人はいない。結論を決めるのは私だ。私のために納得できる結論を用意して、さようならを決めなければならない。

 ジャムのふたを落とさなければよかった。落とさなければ、さみしいままでも平気だと信じていることができた。せんぱいの姿がどんどん遠くなって、気がつけばもう諦めがついていたと思える場所まで行かれたかもしれないのに。

 びしょびしょになった床から顔を上げる。パンは、冷めてしまっただろう。床を拭く、ふたを拾って洗う、ジャムを塗る。すん、と鼻が鳴る。風を通そうと窓を開けたら、頭の中も目もすうすうして、悲しかったんだなとやっと思えた。


 雪が舞って凍り付きそうなほど寒い日でも、大学図書館にひそひそこもる。のんびり本を読み漁る時間も、そろそろ終わる。

 窓の外の雪はやまない。帰りはうす明るい灰色の夕方だった。何か温かいものを飲んでいきたい気分。入ったことのない喫茶店にも私は一人で入ることができる。席に着くと机の上に、お水がひとつ、置かれた。

 最初にスイーツメニューをひらく。せんぱいは甘い食べものが好きだから、クリームたくさんのケーキとかフルーツサンドイッチとか、そういうものを選ぶんでしょう。いちごのフルーツタルトがあるけど、今の季節はチョコ版もあるみたい。一人では食べきれない。

 私は甘いものでも飲みものが好き。はちみつほうじ茶ラテとか、はじめて聞いたときはおいしいのか疑わしかったけど、なかなか甘ったるくて、もう一度飲んでみたくなる味をしていた。今日も飲んでみよう。

 ぬくぬくと文献を読んで、帰る気になったら外に出る。すぐ冷やされてしまわないよう、マフラーと手袋で防寒している。せんぱいはよく帽子もかぶっていた。本当にこの人は寒がりだった。

 ポケットの中の石を握って温める。冬の日、車があまり通らないような道では、手を合わせたこともある。素手だとなぜか避けられていたから、手袋のときだけの特別。でも、思い出した。ほの暗くキラキラした水族館に行ったときは、素手でも逃げないでくれた。ひんやりした、すべすべの手。遠くの夏。

 せんぱい、私、もうすぐ卒業です、とメッセージを送る。返信には期待していない。

 家に帰ってまた黙々と文献を読んだ。情報で頭の隙間を埋めることができる。

 随筆から論文まで読み漁るけど、論文なのに筆者が思ったり感じたりしたことまで書かれていることもあり、時々よくわからなくなる。論文は客観的に記述し感情は書かないものだと言われてきたけど、感情のない場所なんて文学研究にあるのだろうか。

 悩み過ぎたら物語本文に戻る。これだけは本物だ。そう信じるしかない。作者がいなくなっても、何度も刷られて手に取られて、様々な場所で静かに呼吸を続けている文章を繰り返し読む。

 雪の日は思考の底へ下り続けるにはちょうどよい。さみしさも楽しさも静かにしてくれるから。

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