二
途切れたままの関係を思っていても仕方がない。良い言葉で飾り立てた仮面を被り、真っ黒なスーツを着て激流を行ったり、資料を集めて図書館や資料館を歩き回ったり、四年生の忙しなさに身を任せてやり過ごす。ふとしたときに、返って来ないメッセージをじっと見つめる自分に気がつくことはある。
研究発表のあと、サークルとは関係ないのですが、と教授に相談したい旨を伝えると、少し時間を取ってくださった。
「佐折せんぱいが今どうしているのか、ご存知ないですか」
ううむ、と教授は頭をかいて「残念ながらお聞きしていません。それから、聞いていたとしても
卒業式前にあった最後の発表日以来、会っていないんです。卒業して、会いたいと言えなくて、お別れもしていないのに、もともといなかったみたいに、いや、いなくなってしまいました。消息を知ったら連絡しやすくなるかなと思いましたが、きっと、知ったところで私はなにもしなかったかもしれない……慌ただしく垂れ流される私の声を、教授は一通り黙って聞いてくださった。
卒業しない人もいますからね、と教授はつぶやいた。
「いつのまにか来なくなってしまったり、休学してそのままだったり、そういう学生は過去にもいましたし、私が学生の頃にもいました。今は何かしらの連絡先が生きていればすぐに発信も受信もできますけれど、私の手もとにはもう、彼が、友人がいたという痕跡さえありません」
訥々と語る教授はめずらしく自分の話をこぼした。
「ひとり大学に残って、ここにいれば、来なくなってしまった友人がひょっこり戻ってくるんじゃないか……という思いを捨てられないまま、もう何十年と経ってしまいましたね」
途方にくれるような話だけど、それでも教授は、私が見てきた教授としての日々と、私の見たことのない日々を重ねて過ごしてきたんだ。だれかがいなくなっても生きていくしかないし、生きていけるんだなと思った。
「物語は、人がいなくならないからいいですね。書かれているところには、確かにいるのですから」
それが教授の文学研究を続ける理由なのですか、と聞いたら、「理由のひとつかもしれません」とほほえんだ。
ほとんど諦めながらも待ち続ける、というのは、身の回りで尽くせる手がないから許されるのだろうか。しかし、許すか許さないかを決めるのは私自身だから、教授みたいに待つだけを選んでもいいのかもしれない。
あんまり遅くなってもいけないので、お礼を言って研究室をあとにした。春風に吹かれながら街灯のそばの夜桜を見て、おひさまの下の桜のほうが好きだと思った。ただ単にきれいだからというだけではなく、せんぱいと桜並木を歩きに行ったことも関係しているのだと思う。舞っても舞ってもなくならない花吹雪の中をせんぱいと歩いた。好きですよ、と言ったと思うけど、もう何度目かわからない告白とも言えない告白で、せんぱいはいつも「ありがとう」と応えた。せんぱいに好きと言ってもらったことはあったっけ。私だけこんなに好きだったのかな。
今年も桜がきれいですね、とメッセージを送ってみる。しばらく見つめて、鞄に入れた。
明日も図書館に行って、静かな環境で資料の読み込みをしないと。もうとっくにいなくなってしまった人の書いた物語を分解して、私の中で再構築していく。その作業を何度も繰り返して私だけの解釈を深めていったら、はたしてそれは最初に読んだ物語と同じものだろうか。
私が諦めきれないせんぱいは、もう何度も思い返しすぎて別人になっているのではないか。それならもう、会えなくてもいいのかもしれない。いただいたプレゼントたちと、スマホで見られるログと、手のひらにおさまる石、私にだけわかる痕跡がいくつかある。確かにいたのだと私は知っている。
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