第101話 彼の名はジーン その3
ビブリオス男爵領を見て回ることにする。
ここで地下世界を旅した疲れを癒やし、次なる町へと向かう予定なのだ。
目指すは賢者の塔を擁する、文化の都、セントロー王国が王都、オートローである。
今は、ツナダイン三世という文人気質の王が治めているらしくて、彼に気に入られると図書館の閲覧もできるのだそうだ。
これは楽しみだ。
「オートローはもともと、人間至上主義的な考えが強かった場所だ。だが、最近は私のような亜人も増えてきたな」
「男爵が国のために素晴らしい貢献をなさったからですわね」
執政官のアスタキシアが、ビブリオス男爵の言葉を補足する。
「貢献と言いますと」
「いや、大したことはしてな」
「素晴らしいことをなさったのですわ」
今度はアスタキシアがビブリオス男爵の言葉を遮った。
「まず、人を嫌うワイルドエルフと和睦して、人類未踏の地、スピーシ大森林を開拓されましたわ。そして地下世界レイアスを発見し、窮地にあったレイアスの地を救済。さらにその地の人々と友好関係となり、今度は国家転覆を狙った伯爵家の陰謀を砕き、公爵家の陰謀をはねのけ……」
「その公爵家はアスタキシア嬢の実家ではないか」
「だまらっしゃい」
執政官が男爵を黙らせる光景は初めて見るなあ。
公爵令嬢が嫁入りもせずに、事務官として仕事をしているというのは明らかにおかしいので、これは絶対にもともとは政略結婚のために送り込まれてきたとか、そういうやつだろう。
「それから、男爵は隣国との緊張関係に終止符を打ちましたわ。隣国が抱えていた人口問題を解決し、セントロー王国とシサイド王国の間に国交をもたらし、そして近隣を襲った蝗害……悪魔アバドンによる襲撃を跳ね除け、亜人の地位を確立しましたの」
「そりゃあ亜人の地位が上がるよ」
貢献なんて次元じゃない。
この男爵、セントロー王国の英雄じゃないか。
何をきょとんとした顔をしてるのだろう。
私は何かやってしまったのかね、なんて言っていい次元の事ではないぞこれは。
「ビブリオス男爵。あなたのお陰で、俺は王都オートローの図書館で本を読めそうです。なんか、あなたの活躍で国全体が平和的な感じになっていそうじゃないですか。これは閲覧の申請も通りますよ……ハッ」
俺は気付いた。
ここでビブリオス男爵と親しくなっておくことで、確実に図書館を閲覧できるのでは?
「センセエが何かたくらんでる顔をしてるです!」
クルミに発見されてしまった!
「バカな……。君は男爵夫人とお茶していたはずでは」
「してました! 赤ちゃんがナオさんのお腹を中からけってたですよ!」
「そうかそうか」
ビブリオス男爵が目を細めた。
実に嬉しそうだ。
「私とナオの関係もまた特殊なのだが、それは別にここで語ることでは無いだろう。この事が知れ渡ると、賢者の塔の良識の欠けた連中が調べにやって来そうだからな」
「ほう……」
なんだろう。
気になる。
だが、人のプライバシーを詮索するほど俺も無神経ではない。
聞かないでおこう。
「私の妻、ナオはもともとホムンクルスでね」
「自分で喋るんですか!」
思わず突っ込んでしまった。
この男爵、知識について色々語ってしまうタイプだな。
なんとなく共感を覚える。
「私のこの力で、彼女は人と同じ肉体を得た」
そう言って彼が手のひらを広げると、そこに光で作られた小さな建物が現れた。
「これは?」
「手乗り図書館だ。私の得てきた知識や、研究データが全て記録されている術式だよ。だが、時折私の知らない知識を吐き出す。それがナオに命を与えた……。ふむ、なぜだろう。普段人には話さないのだが、君には思わず話してしまった」
「ああ、俺もなんだか、男爵は他人という気がしないですね」
「君もか。私はこう……なかなか人から理解されづらい性質でね。だが、こうして君という知己を得たのは何かの縁だろう。これは私が書いた開拓記だ。物好きがこの本を書写して王国中に広めているようだが……ぜひ読んでくれたまえ」
「ありがとうございます……!」
俺は内心では飛び上がらんばかりの気持ちだった。
本だ!!
冒険者をしていると、本と触れ合う機会が本当に少なくて……。
ありがたいありがたい。
大切に読もう。
「センセエ! クルミもよみたいです!」
「クルミにはちょっと難しいんじゃないかな」
「クルミもむつかしい本とかよめるようになりたいです!」
「ほう!」
「ほう!」
俺とビブリオス男爵が声を揃えた。
アスタキシアが頭を抱える。
「男爵が二人になりましたわ……!!」
その後、本を読むのは夜のお楽しみにして、クルミと二人で男爵領を歩き回る。
とにかく畑が多い。
だが、この畑の種類が多いのが面白い。
見慣れた麦や野菜を育てている畑。
見たこともない植物を育てている畑。
「これは何を育てているんだい?」
俺が聞くと、働いていたオーガの農夫が振り返った。
「おう、旅人さんかい? こいつはね、男爵が森で見つけた野生の麦を育ててるんだ。疫病が来ても、こいつはそういうのに強いからね。その代わり、ちょいと実りは少ないんだ」
「なるほど。確かに色々な作物を栽培していれば、環境が変わったり病気が流行ったりしても一斉に枯れたりはしないな。ちょっと効率は悪いが……効率を犠牲にして安心を得ているのか」
「むむ? クルミ、この草しってるです! でも、こんなにおっきくならないですねえ」
「知っているのかクルミ」
これは意外。
ああ、いや。
もともと彼女は森の民だったな。
クルミの話では、森の中ではここまで大きく育たない種類の野生の麦らしい。
「これも、男爵が開発した土を使っててね。森の土をいったんゴーレムにしてから、崩すんだ。すると森の魔力? 精霊力? っていうのを吸って、栄養の豊富な土になる」
「なんと不思議な農法を……」
男爵領でしかできなさそうな農業だ。
ビブリオス男爵領、かなり面白いな。
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