第100話 彼の名はジーン その2
地竜の子ども、ディーン。
彼が男爵と夫人を、パパママと呼んで抱きつく光景は衝撃的である。
何しろ、亜竜ではない竜という存在を見たことがあるものなど、このゼフィロシア広しと言えどほとんどおるまい。
そして、竜が喋るとは。人を親だと思って慕うとは。
「まだまだ世界には、俺の経験したことがないものが溢れているんだねえ」
「おじちゃん外からきたの?」
「うん。俺は外の、遠く離れた国からやって来たんだ」
俺の目の前には、ディーンがいる。
うちのモフモフとジーンが話している間、彼とお喋りさせてもらっているのだ。
「ふうーん。ぼくは外に行ったことないなあ」
「そうかい。見たこと無いもの、聞いたこと無いものがたくさんあるよ。もし行くなら、男爵夫妻と一緒に行くといい。ああ、君のパパとママのことだ」
「うん!」
ディーンは頷くと、羽と尻尾をパタパタさせた。
羽の大きさは、体を支えるには明らかに小さい。
だが、謎の浮力が生まれてふわりと舞い上がる。
うーん、すごい。
「ママー! ぼく、外のせかいに行きたい!」
おっと、ディーンがナオ夫人のところに飛んでいってしまった。
「あらあら。でも、それはディーンの弟か妹が生まれたあとですよー」
「うん!」
「赤ちゃん生まれるですね! いいですねえー。触っていいです?」
「はいどうぞ」
向こうでは、ナオ夫人と談笑していたクルミが、お腹を触らせてもらっている。
生まれるのももうすぐではないだろうか。
「男爵、ご子息かご息女が誕生されたら、男爵領はちょっとしたお祭りですね」
「ああ。まったくだよ。だから、開拓地の皆も少し浮かれているのだ。私も、まさかナオとの間に子どもを設けられるとは思っていなかったからね。嬉しくもあり、大変興味深くもある」
ローズのお腹をいじっていた男爵が振り返った。
この隙に、ローズがちょろちょろっと逃げ出す。
「あっ」
『わふふ』
ブランが笑った。
そして、俺の横まで歩いてきて『わふわふ』言う。
内容的には、ビブリオス男爵領はとびきり変わったところだ、という話だった。
ただ、他の土地で感じたような争いの気配は全くない、とも。
この眼の前にいる、風変わりな男爵が見事に治めているのだろう。
多種多様な種族が歩き回るこの土地は、俺が見てきたどの国よりも平和だった。
「ジーンさんのお客さんかい?」
「ナオちゃん、またお腹大きくなったね! もうすぐだねえ」
「祭りの準備は進んでるぜ!」
「深き森の民から来ました。六百年間出産の介助をしているのでお任せくださいな」
最後には超ベテラン産婆さんらしきエルフまでやって来た。
本当にバラエティ豊かな人種がいる。
みんな仲がいいのは、この土地での生活に満足しているからだろうか。
そう言えば……人間が極端に少ない。
男爵も人間ではないだろう。
恐らくは、魔族との混血だ。
『わふ』
人間が来たよ、とブランが告げた。
俺が顔を上げると、人間の女性と大きな狼がこちらにやって来るところだった。
俺が注目したのは、狼の方だ。
背中に大きな翼が生えている。
「あれはなんだ……? あ、文献で見たことがある。悪魔マルコシアスに似ている……」
「いかにも。我が開拓地の知恵袋、マルコシアスだ」
「本当に悪魔なんですか!? 男爵は悪魔を従えてるんですね」
「悪魔ですの!?」
今まで大人しく、ニコニコしながらディーンを眺めていたアリサが目を光らせた。
お仕事モードだ。
トコトコっとやって来て、マルコシアスを前にしてハッとした。
「そ、そんな……! あんなモフモフとした狼さんが悪魔だなんて……。おお、神はなんて残酷なめぐり合わせをするのでしょうか……」
ヨヨヨヨヨ……と泣き崩れる。
「なんですかこの人!?」
女性が目を丸くしてる。
男爵に聞くと、彼女はこの土地の執政官を務めるアスタキシア。金色の髪を結い上げた女性で、全体的にアリサに雰囲気が似ている。
先代の執政官が、隣り合う貴族領の男爵に輿入れしたため、跡を継いだとのことである。
「聞いてくださいませ! わたくし、ラグナ新教の神官なのです! 悪魔と認定したものとは戦わねばならぬ運命! ですが、わたくしは無類のモフモフ好きなのです……! ああ、二つの心に引き裂かれるわたくし……!」
「あ、すんませんね……。こいつのことは無視してください」
カイルがへこへこしている。
おや?
彼がへらへらするのは珍しい。アスタキシアのことが好みなのかもしれないな。
「は、はあ。ああ、男爵! ロネス男爵からの手紙を持ってまいりましたわよ。本当に、転移の魔法が使えるようになって便利になりましたわねえ」
喋り方までアリサそっくりだ。
アスタキシアについていこうとしていた、悪魔マルコシアス。
俺達の前で、ぴたりと立ち止まった。
じーっと見つめ合う、ブランとドレとマルコシアス。
ローズはディーンと邂逅し、何やらわちゃわちゃ遊んでいる。
『ジーン、質問だ』
「君が私に質問するとは珍しいな……」
『あれらはなんだ』
「ふむ、その質問に答えるには、私が君に質問した方が早いだろう。君は質問されることで、全能なる知識に接触してその答えを端的に引き出す」
『ああ』
「ではマルコシアス、あの動物達は何物かね」
男爵が質問すると、マルコシアスの目がギラリと輝いた。
『その質問に答えよう。あれらは魔獣王だ』
とんでもない答えが返ってきた。
確か、マルコシアスは、質問に答えるという権能を持っている。
どんな質問にだって答えてしまうのだ。
「モフモフしていいですの……!?」
『!?』
だが、質問に答えるのは基本的に契約者のみ。
アリサににじり寄られたマルコシアスが、チラチラと男爵を見た。
「いいとも」
『そ、その質問に答えよう。構わない』
「やりましたわー!」
マルコシアスに飛びかかるアリサ。
『ぐわー』
マルコシアスがモフられてうめき声をあげた。
『迂闊にゃ』
ドレが鼻で笑った。
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