第142話 地下聖域5


 魔力の気配が残っていた横穴の一つへと足を踏み入れた俺たちは、小さな火球を頼りに奥へと向かっていた。


 人が二人並んで歩けるくらいの広さがある横穴は、広間と同じく、魔術によって無理矢理削り取ったかのような跡がある。


 広間を出る前に、担任とユイトにクラスメイトの避難誘導を任せてきた。今頃は地上へと逃げた彼らが、協会に事情を話しているはずだ。


「うう、なんだか冷たい風が吹き込んでない?」


 ブルっと身を震わせたイリーナに、リアもキョロキョロと辺りを見回して頷く。


「外の風が入り込んでるのかな」

「だろうな。議事堂から部外者がここへ入ることはできないだろうから、必然的に別の出入り口が存在することになる」


 感知のために放った魔力で、ここがかなり広い空間であることがわかった。そして、奥にもうひとつ広間のような場所があることも。


 囚われた人々は、そこに身を固めているようだ。


「お前らに一応言っておく。この件は、以前から俺が追っていた『ベルム・デウム』という反政府組織が絡んでいる。最近議員を攫っていると思われる組織だ。人数や戦力は不明。魔族を使役していることはわかっている」

「最近忙しそうにしていたのはその所為ね」

「ああ。アンドレイと夜間の情報収集に出ていた」

「登用するって話もその関係?」

「まあな。アンドレイは俺を政府に組み込むことで、魔術師の政治参加を促そうとしている。魔術師に選挙権を与え、政治に介入できるようにってな。まあ、俺はそんなことに興味はないし、今のままで十分だと考えているが」


 アンドレイのあのしつこさは厄介だ。ザルサスもどうやらアンドレイに賛成のようだし、本格的に俺に拒否権はないのかもしれない。


 だったら協会を抜けることも考えておくべきだ。これ以上面倒ごとに関わっていると、せっかく長らえた命もあっという間に終わってしまう。


 俺の目的はただひとつなのだから、それ以外はどうでもいい。


「その話は後だ。この先の空間にエナたちがいる」


 未熟な魔術師の魔力の気配がいくつかと、生きている人間の気配がある。


 どうやら本当にここがアジトのようだ。


「お前らは捕まった奴らの避難優先だ。俺は『ベルム・デウム』の奴らを捕まえる」

「わかった」

「うん!」


 横穴は所々に別の横穴があったりと、複雑に入り組んでいるようだった。だが魔力感知を常に行なっているから、迷うような道のりでもない。


 そうして俺たちがたどり着いたのは、円形の高く丸い天井のがらんとした広間だった。


 特に何か特別なものがあるわけでもない。強いて言えば、中央に一塊になった人間が十数人いるだけだ。その中に、ミコとエナ、それから他のクラスメイトも数人混じっている。


「ミコ!エナ!」

「イリーナっ!それにリアも!」


 俺たちに気付いた二人がこちらに視線を向けた。縛られたりしているわけでもないようだ。長らくこの場所に軟禁されていた議員たちは、よれたスーツのまま力ない表情でこちらを伺っている。


「安心してください!あたしたちは学院の学生です!助けに来ました!」


 瞬間的にイリーナとリアが駆け出そうとした。一刻も早く全員を助けようと考えたのだ。


 しかし、その間にぬるりと不気味に蠢く闇が広がり、瞬時に道を阻んだ。


「っ!」


 とっさに立ち止まった二人は、そのまま慌てて後ろへ数歩後ずさる。


「なに、これ!?」

「議員たちを攫っていたものの正体だ。液化能力を持つ魔族、とでも言っておく」

「液化って…」


 シエルの情報によると、この魔族は自身の体を液化させることができる。そして、液化した状態であれば、ほぼどんなものでも吸収することができる。


 ヌルヌルと地を這う黒い液体は、俺たちの前で人型をとった。顔や手足が徐々にはっきりと形を持つ。


「俺がそいつを倒す間、お前らは全力でエナたちを守れ」

「わかった!」


 イリーナとリアが迷わず駆け出す。俺は立ちはだかる魔族へ、〈火炎弾〉を叩き込んだ。最速で三発繰り出した炎の塊を、魔族がドロッととけて吸収する。


 その隙に、イリーナたちは囚われた人たちのそばへ駆け寄った。


「〈凪の風、嵐の防壁、打ち払え:空絶〉」


 リアが得意の魔術で防壁を築く。安定して全体を覆うことができるリアの魔力は、相変わらず変なブレもなく小綺麗なものだった。


 念のため外側にもう一つ〈空絶〉を発動させ、俺は改めて黒い魔族へと目を向ける。シエルは以前、こいつを焼き尽くしたと言っていたが、相手の魔力量を上回る力でもってして焼き尽くせば、今度こそ倒すことは可能だ。


 が、シエルとて同じことをしたに違いない。なのに、コイツは生きている。


 以前にも倒したはずの魔族が生きていたことかあった。魔力で死人を生き返らせることはできない、と今の時点では言われているが……


 魔族には何か方法があるのかもしれない。


 まあでも、考えるのはコイツを倒してからでもできる。


 俺はまた〈火炎弾〉を生み出し、魔族へと駆け出した。







「何よ、あれ…あんなのどうやって倒すのよ?」


 囚われていた人たちを取り囲み、〈空絶〉で守りを固めてすぐのことだ。


 レオが、その眩しさに思わず目を背けたくなるほどの威力を込めた〈火炎弾〉を生み出し、黒い魔族へと駆け出した。


 冷静に淡々と人型の魔族へとそれらをブチ込み、反撃を警戒して距離を取る。例えどんな敵が相手であっても、今の彼にとっては作業のようなものなのだろう。


 しかしその炎をも飲み込む魔族は、次々と放たれる魔術を避けることもなくただ吸収する。さらに、魔族の両腕がぬるりと体液を伸ばし、黒く冷徹な刃へと形を変えた。


 液体のように体を自由自在に操れるのであれば、その変化も許容範囲だが、実態の無さそうなはずの魔族の動きは俊敏だった。


「ッ!!」


 眼前に迫った刃を間一髪で体勢を低くして避けたレオが、左腕に〈雷刃〉を発動。下方から突き上げるように刃を振るう。そこに魔族のもう片方の刃がぶつかった。


 バチチッと激しいスパークか起こった。レオの〈雷刃〉から閃光が散り、難なく魔族の刃を受け止める。が、レオは即座に魔術を解除して後退する。


 それを見ていたイリーナたちだが、ミコが口を開いた。


「なんでそのまま切り込まなかったの?」

「あの黒いの、触れたものも吸収するみたい……レオの右腕と魔剣を奪ったのもその能力らしい」


 ついこの前のことだ。


 朝登校してきたレオは、涼しい顔で仕事中に右腕を失ったと説明した。顔色を変えることもなく、ただ事務的なその態度に、イリーナもリアもとてつもない違和感を覚えた。


 本人が問題ないと言うのだから、イリーナたちにはとやかく言う資格はない。それは弁えているつもりだった。


 もともと自分のことについては、他人よりも疎かにしてしまう人なのだ。優しいけれど、その優しさを少しでも自分自身にも向けてあげて欲しいと思ったことは、一度や二度ではない。


 魔力コントロールに感情は邪魔だ。常にそう言っていたレオだが、だけど誰より感情に忠実に、自由気ままに、みている方が呆れるような圧倒的な力で人を救ってきた。


 そんな彼にこの仕打ちとは、なんて残酷な話だろう。


 自己犠牲を厭わないのは元々の性分としても、それを何とも思わないのなら、そばで見ている自分たちはレオに何をしてあげられるのだろう。


 いや、はなから何かできるとは思っていない。まだ魔術師とも言えない学院生である自分に、歴代最強の魔術師であるレオの手助けができるなんて思わない。


 目の前で繰り広げられる攻防を見やりながら、イリーナはただ拳を握りしめた。


 それでも、痛い時、苦しい時にはそういった顔をしてくれないと。嬉しい時、楽しい時には笑ってくれないと。


 何を言っていいのかわからない。


「レオちん、いつもああして闘ってんのね」


 ふとエナがこぼした。エナもミコもクラスの中ではレオとよく話す方だが、戦闘を間近にみるのは初めてだ。


「あれが最強の魔術師ねぇ…ウチにはムリだわ」

「え?」

「あんな風に、ただ淡々と魔族と闘うなんてウチにはムリ。イリーナは怖くないの?こういうこと、初めてじゃないんだよね?」


 レオが魔族の剣戟を避けつつ、次から次に魔術を放つ。吸収されてしまうことがわかっているのに、レオは攻撃をやめようとはしない。きっとイリーナにはわからない意図があるのだろう。


 淡々と、表情ひとつ変えず、莫大な魔力を放ち続ける姿は、シエルのような魔族のそれと同じだ。


「怖いよ。あたしも、きっとレオも怖かったんだと思う」

「レオも…?」


 ふと思ったのだ。


 記憶のない幼いレオは、極寒の雪山で目覚め、誰よりも強い力があったために小さな村には馴染めなかった。


 唯一慕っていた姉のような人も、どうしようもない運命の所為で失った。


 人のいない荒野や、ドラゴンの棲む辺境の地でひたすら任務をこなし、魔族を倒すだけの日々。


 そうして得た地位は、誰にも知られることもなく、協会魔術師からはバカにされてきた。


 自身の過去を知って、きっと人を憎んだだろう。その手で人を手にかけて、たくさん苦しんだだろう。


 だからこそ、簡単に対価として感情を捨てたのだ。きっとレオにとって、感情があることが苦痛だったに違いない。死ぬことよりも辛かったのだろう。


 本当は気付いていた。


 学院に帰ってきた時から、前と変わらない態度でいることに安心していたけれど、本当は以前と同じではないことはわかっていた。


「誰でも怖いと思う。それが人として普通よ。レオもきっと怖かったんだよ」


 エナもミコも瞳を瞬いて首を傾げた。事情を知らない二人にとっては、イリーナが何を言っているのかはわからない。


 しかしリアだけは、悲しげな表情でイリーナを見た。〈空絶〉を維持し続けているリアの額には、薄っすらと汗が浮き出ている。


「お、おいっ!!はやくここから出してくれ!!」


 そこに、囚われていた議員の男が声を上げる。紺のストライプのスーツに身を包んだ、痩身で神経質そうな中年の男だ。


「ちょっとオッサン!助けてもらっといてうるさいんだよ!!」

「ミコ!仮にも議員よ!?」

「うるさぁい!この人ずっとガタガタ震えて、学院のガキならさっさとなんとかしろって喚いてたの!ムカつく!!」

「黙れ!お前ら魔力持ちは、国の税金で飯食ってんだ!納税している市民を助けるのが義務だろう!?」


 一応ミコの腕を掴んで押し留めていはいるが。


 イリーナは思わず言い返しそうになった。


 そうなのだ。


 魔力持ちに理解がない人は、今でも一定数いるのだ。


 今回の国家元首を決める選挙は、魔術師の権利改善を目指すアンドレイ議員ばかりに目がいっていたのだが、もうひとりの候補であるニコラス議員は、魔術師について触れていない。


 この男の言動から、少なくともニコラス陣営には魔術師否定派がいるということだ。


「も、もう少し我慢してください!!レオが…特級魔術師のレオがきっと助けてくれますから」


 そう言うことしかできない自分が、とんでもなく不甲斐ない。


「あれが例のガキか。フン、特級魔術師だなんだと言うが、本当に強いのか?」

「ッ!」


 腹の底がムカムカするほどの怒りが湧いてきた。ただここでリアの魔力に守られて、傍観するしかないこの男と、固有の能力があっても今ここでは足手纏いにしかならない自分は同じ立場なのだ。


 イリーナが唇を噛んで悔しさを飲み込んだその時。


「〜〜〜っ、テイ!!!!」

「ふぎゃあっ」


 議員の男が頭を抱えて突然倒れた。そのそばで、エナが手刀を構えてフンッと鼻を鳴らす。


「あーもう、黙ってらんねぇ!!オメエが想像してる百万倍特級ってのはスゲェのよ!!」

「エナ……見直したわ」

「ふふん!ウチだってやるときはやんのよ!んで、ほかに文句のある奴はいる?今なら優しく気絶させてあげるけど」


 今にも同調しようとしていた他の男たちは、しかし唇を引き結んで縮こまった。


「んじゃあおとなしくしててよね。アンタたちがウチらのことどう言おうが、この国を守ってきたのは、確かにレオちんなんだから……ウチはあんまり知らないけど」


 なんてね、とエナが笑う。


 全く状況にそぐわないけれど、イリーナもリアも釣られてすこし笑顔を浮かべた。


「ってことで、ウチらにはウチらに出来ることしよ」

「そうね。で、できることって?」


 そう問えば、エナはニコリと笑った。


「邪魔になんないように大人しくすること!!」


 それから、とミコが言う。


「リアと交代することね!!」


 リアの額の汗が、無視できないほどに溜まっている。


「さって。ウチが変わるわ!その次エナよろしくぅ」

「りょーかい!」


 いつもと変わらぬ二人に、イリーナもリアも少し気持ちが落ち着いたのを感じた。


 この暖かさは、感情があるからこそわかるものだ。同じ気持ちを感じとることができるから、人は人のそばにいるのだ。


 シエルはレオの感情を戻せると言った。


 その方法は、きっとひとつだ。


 誰でも最初はわからないのだ。誰が、何を考えているのかなんて。


 それを知るのは、お互いに話ができて心を通わせられたときだ。


 彼が失くしたと思い込んでいるものを甦らせるほどに、心に語りかける必要がある。


 気付いていてなにもしてあげられなかった。


 今更話を聞いてくれるだろうか?


 レオは話してくれるだろうか?


 この闘いが終わって、無事に地上へ戻れたなら、必ずちゃんと話をするのだ。


 イリーナはそう強く、心に誓った。

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