第140話 地下聖域3


 と、その時の話はまとまったのだけれど。


 強くなった雪を避けるように歩くレオの背中は、とても遠い。


 握りしめた袖口も、本当に彼を捕まえておけるのかと不安になる程頼りない。


 自身の身の安全のために、迷わず自ら斬り落としたという右腕は、本人は治せるから問題ないと言うが、普通の人間はそんなことしない。


 以前の彼ならば、同じ状況になったときにどうしていただろう。


 やっぱり簡単に斬り落とせる人間だったようにも思う。


 シエルは、感情は簡単に消してしまえるものではないと言っていた。かつての魔族がそうだったように、感情は、育てるものだとも言っていた。


 レオ自身が無くしてしまったと思っていても、以前の記憶があるレオならば、感情を思い出すことも、これから学習していくことも可能だというのが、シエルの意見だった。


 大切なのは、身近な人間が心を通わせること。


 シエルはその役目を、イリーナとリアに託した。


 手始めにと買い物に連れ出してみたが、ただ距離が遠くなったとしか思えない。


 ふとしたときに浮かべている、冷たく固い横顔が、もうダメなんじゃないかとさえ思わせる。


 でも諦めない。


 せっかく帰ってきてくれたレオを手放したくは無い。以前の口悪くだらし無い、女好きで金にうるさいレオに、戻って欲しい。どれだけブスやクソアマと呼ばれたっていい。


 今はどんな悪口も恋しい。


 そんな風に思う自分は、一体レオのことをどう思っているのだろう?と、イリーナは胸の内で自問し、答えは出てこなかった。







 数日経ち、再び議員が攫われるという事件が起き、フェリルの街は、選挙の慌ただしさよりも神隠しの恐怖に浮き足立っていた。


 あと何日かすれば歳があけ、さらにその一週間後に選挙があるのだが、このまま続行するべきか否か、世論は半々といったところだ。


「うう、寒い……」


 俺たちは今、学院で今年最後のイベントのため、国会前に集まっている。隣のイリーナが、学院の制服の裾を合わせてブルブル震えていた。


「わたしたちの故郷は、こんなに寒くならないもんね」


 イリーナたちの故郷であるバーレの街は南に位置していて、年中過ごしやすい気候だ。寒くはなっても雪が降ることはない。そんな街の出身だからか、イリーナだけじゃなくリアまで寒そうにしていた。


「ヴィレムスに比べりゃどうってことねぇよ」

「とか言ってブルブル震えてるじゃない」

「俺は寒いのは苦手なんだ」

「言ってることがぐちゃぐちゃよ……」


 呆れたように白いため息を吐いたイリーナを無視する。そこに、ちょうど担任がやって来た。


「おまたせしました。みなさん、心の準備はいいですか?私も学院生の頃、みなさんと同じように地下へ行ったんですが、気分が悪くなる仲間が多くて大変でした。あんなところ、好んで行きたいとは思いませんが、しかしこれは我々魔術師の歴史を知る上でとても重要なことで、」

「先生!!話が長い!!寒いんだからはやくしてくれよ!!」


 優等生のユイトが手を挙げて遮った。もはやこれも、毎度恒例のようになっている。


「すみません…それでは、行きましょうか」


 気不味そうに頬をかく担任に連れられて、俺たちはゾロゾロと国会へ足を踏み入れる。簡素なエントランスでは、選挙前ということもあって多くの議員が行き交っていた。


 その中に見知った顔を見つけた俺は、気付かぬふりをして視線を逸らす。が、遅かった。


「やあ、レオンハルト君!!」


 ゾロゾロ歩くクラスメイト達が何事かと足を止める。そこへ、あんまり会いたく無い相手、アンドレイが真っ直ぐこっちへやって来た。


「何かの行事かな?いやぁ、みんな若いね!いいね!この国の将来を担う学院のみんなに会えてとても光栄だよ!!」

「うるさい奴が来た」


 ボソリと呟けば、イリーナが俺の肩をどついた。


「うるさいって、アンタねぇ…仮にも次期国家元首候補よ?そんな口聞いていいわけないでしょ」

「俺は特級魔術師だからいいんだよ」


 イリーナの言う通り、いいわけないんだが連日のアンドレイのウザさに耐えている俺には許される、ということにしておく。


 何も知らないクラスメイト達は、アンドレイ議員だ!と盛り上がっているのがまた鬱陶しい。


「こんにちは、アンドレイ議員。私たちは今から地下の遺産を見にいくところなんですよ」


 担任がクラスを代表して答える。アンドレイはなるほどと呟いて、悲壮感たっぷりに眉尻を下げた。


「あそこはこの国の負の遺産だ。私が国家元首になったら、一般市民も立ち入れるようにするべきだとは思うんだがね」


 アンドレイは魔術師の権利にうるさい議員として、そう考えるのは当然かもしれない。


 だが公開したところで魔力を持たない者に、その悲惨な事実などひとつも伝わりはしないだろう。


「余計なことは考えるな。何度も言っているが、魔力持ちとそうでないヤツがムダに関わりを持つ必要はない」


 それよりも大事なのは、一刻も早くこの国の脅威となる魔族を倒してしまうことだ。さらに俺ほどとは言わないまでも、優秀な魔術師を育てることだ。魔術師を育てられるのは魔術師だけ。一般人がわざわざ首を突っ込む必要はない。


「そうかなぁ。僕と君はとことん考えが合わないようだ。でも僕は諦めないよ。新政府は顧問として君を登用する。これは決定事項なんだよ」


 アンドレイは白い歯を見せて爽やかに笑い、俺は舌打ちして視線を逸らす。


 クラスメイトたちは、ギョッとした顔で俺を見た。


「マジ?」

「レオちん、議員さんになるの?」


 ミコとエナが全員の疑問を口にする。


「ならねぇよ!!」


 とはいえ、着実に地を固められている感は否めない。


 少し前にイリーナが言っていた通り、このまま順当にいけば次の協会トップは俺だろう。ザルサスはそのつもりだから、俺とアンドレイを引き合わせた。その場にバリスが居合わせたことから、軍部も承知の上ということだろう。


 国民が選挙によってアンドレイを選んだ場合、つまりは魔術師の政治介入を認めるということになる。俺の知名度は申し分ない。


 政治というものは、当人の希望もなにもお構いなしに推し進められるものなのだ。


「んなことどうでもいいからさっさと行ってさっさと帰ろう」


 俺はアンドレイもクラスメイトも無視して先へと足を進めた。目指す場所への入り口は、議事堂右端の奥の部屋にある。


 アンドレイが苦笑いを溢し、俺たちを見送った。


 部屋へたどり着くと、担任が鍵を使って扉を開け、さらに奥の鉄の扉を開ける。両開きの厳しい扉は、ギギギと錆びた音を立てて開く。


 その先は地下への階段が続いている。暗くて先までは見通せない。


「練習だと思って、各自で灯り取り用の火球を出してください」


 担任の声に、それぞれが五級魔術の〈火炎〉を構築する。大小、火力も様々な火球が当たりを仄暗く照らし出す。


 俺も同じように火球を生み出した。


「では、足元に気を付けてついて来てください」


 カツンカツンと、足音が酷く反響する空間だった。階段も左右の壁も荒く削っただけの岩肌が剥き出しで、寒々としている。


「こんなところがあったなんて知らなかった」

「外とはまた違う寒さがあるね」


 目の前を歩くクラスメイトの女子たちが小声で話していた。どこか自然と声を顰めたくなる雰囲気だからだろう。


 しばらく歩くと、突き当たりにまた両開きの扉があった。そこは、ただの木の扉だ。


「どうして昔の魔術師たちはここに閉じ込められてたんだ?おれならこんな扉、魔術で簡単に開けられるのになぁ」


 男子のひとりが、木の扉を目の前にして言った。どこにでもあるような薄い板一枚だから、もちろん魔力持ちならば誰だって簡単に開けることができる。


「それを言うなら、上の扉だって開けられたろ。〈火炎弾〉で爆破してもいい、〈風刃〉でブチ破ってもいいんだから」


 別の男子が半笑いで言う。


「今の魔術師がそう考えるのは当然だよ。魔力には大きな力があるからね。だけどここに囚われていた魔術師たちは、誰も外に出ようとしなかったんだ」


 担任が木の扉を開けた。向こう側は、真っ直ぐ廊下が伸びていて、その左右は鉄格子が並んでいた。


「彼らは逃げられなかったんじゃない。逃げなかったんだ。みんなは、両親や兄弟姉妹、恋人や友達を人質にとられ、自分が従わなければその人たちを殺すと脅されたらどうする?」


 先程軽口を叩いたクラスメイトが息を呑んだ。


「私たちには大いなる力があるけれど、それでも人間なんだよ。大切な人を失いたくなかった彼らは、どれだけ辛い思いをしても逃げなかったんだ」


 この、寒々しい陰気な場所で、当時の魔術師たちは何を思ったのだろうか。


 今の俺ならば、他人などどうなってもいいと行動を起こすことができる。でも以前の自分ならどうした?


 きっと迷ったはずだ。全部を救おうとしたはずだ。


 その結果自分の命が犠牲になったとしても。


 自身の保身が大切なら、たとえ誰が犠牲になろうが関係ない。そう思える今の俺は確かにおかしい。


 まるで魔族だ。シエルの方がまだ人間ぽいところがある。


「レオ…今、何を考えてるの?」


 イリーナが俺の右袖を掴んでいた。悲しげな顔だった。


「なにも」

「そう……」


 何か言いたいんだと理解している。しかし聞いてやる義理もない。きっとイリーナも、さっきからこちらをチラチラと見ているリアも、俺の変化に気付いている。


 だけどどうでもいい。誤魔化すのが無理ならバレても問題ない。


 ああでも、少しだけ思うことはある。


 きっとまた悲しい思いをさせてしまう。感情を捨てたはずなのに、何故かとても罪悪感があった。過去の自分がそういう人間だったからだ。


 俺は散々クズだなんだと罵られてきたが、確かに誰かと心を通わせることができたんだ。


 そのことに、今になって気付いた。

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