第138話 地下聖域1
☆
学院の一年生である俺たちには、学年最後に大きなイベントがある。
冬季休暇の前に行われるそのイベントは、なんということはない、ただの探検だ。
探検といっても、別に何かお宝が眠っていて、探し出したヤツに賞金がでるとかそういう楽しいものではなく、ナターリアの歴史、ひいては、魔術師の歴史を学ぶためのもだ。
「レオは行ったことあるの?」
隣のイリーナが、買ったばかりのホットパイにハフハフと息を吹きかけながら言う。ホットパイは、フェリルで冬場に流行る、いわゆるファーストフードのひとつで、小麦の皮にシチューを包んで揚げたものだ。
この時期になると、どこの飲食店もこぞって手軽に食べられる温かいものを軒先で売るようになるのだが、猫舌のイリーナには熱すぎるようだ。
「ない」
「へぇ、珍しいね。あんたそういうの好きそうなのに」
「別に」
イリーナが不審な顔で俺を見た。大きな瞳が、ジーッとこっちを見ている。
「なんだよ?」
「最近のレオって、ちょっと、なんていうか元気ない?」
俺はイリーナの視線から顔を逸らして、小さく別にと呟く。
あの雨の日から二日、今日は休日で、イリーナが街へ買い物に行こうと言うのでついて来ていた。本当は外出届を出さなくてはならないが、最近ではみんな慣れて来たのかバレない程度に学院を抜け出している。
「そりゃ利き腕が無いんだから元気もなくなるっての」
答えて、中身のない右腕の袖をヒラヒラと振った。イリーナは途端に目をキョロキョロとさせて押し黙る。
気不味いなら話さなければいいのに、と思う俺は、きっと以前よりも冷たい人間だ。
イリーナが気を遣って誘ってくれたことはわかっている。なのに、俺の心は彼女の優しさに何も感じない。
「腕のこともだけど……帰って来てからのレオは、前とは違うよ。も、もちろんいっぱい嫌なことがあったのに、前みたいにしろって言う方がおかしいのかもしれないけどっ」
イリーナがはたして、どこまで知っているのかはわからない。俺が人を殺して、復讐をしようとしたことは知っているだろう。
でも、感情を捨てて命を長らえさせたことは知らないはずだ。
死ぬことが漠然とした未来のことではなく、予定されたすぐのことだと知って、俺は怖くなった。
命など、捨てるためにあるのだとさえ考えていたのに、いざ目の前に突きつけられると、恐怖と絶望感に思考が停止した。
まだ生きていたいと心から願った。そうして目の前に転がって来たチャンスに縋りついたのだが。
残ったのは、ひたすら以前の自分をトレースする空っぽの体だけだった。
後悔はしていない。魔術師に感情は邪魔だ。いちいち心を動かしていては、安定した魔力コントロールはできない。
だけど、こうして隣で心配してくれるイリーナに、かける言葉がわからない。一体どうして、こんなにも心配しているのかがわからない。
「前のアンタだったら、誘っても来てくれなかったけど、今日は付き合ってくれてありがと」
そう言って、眩しいくらいの笑顔を向けてくれるイリーナに、俺はどう反応するのが正解か、わからないのだ。
「イリーナは、地下へ行くのは初めてだろ?」
誤魔化すように話を変えた。イリーナが最初に話題にした、年末のイベントのことについてだ。
イリーナは一瞬大きな瞳をパチリと瞬いて訝しげな顔をしつつ答える。
「初めてよ。というか、学院に入るまでフェリルにそんな場所があるなんて知らなかったわ」
「そうか。この辺りでは結構有名な場所なんだが、好んで足を踏み入れる魔術師は少ない」
「へぇ…どうして?」
その場所というのは、フェリルの地下に広がる地下空間のことだ。
ナターリアが王政の頃、今の国会議事堂にあたる場所には大きな城があった。
王城というやつで、この国の命運はそこで全て決定されていたのだ。
「昔の王城の地下といえば、魔術師にとって残酷で悲惨な出来事があった場所なんだよ。家族に売られ、もしくは家族を人質にされて、捕らえられた魔力持ちは地下牢に監禁されていた」
「ひどい……」
歩いていると、また雪が薄っすらと降り出した。それだけで世界から色が消えたような印象を受ける。
人々は変わらない生活を送っているのに、俺だけが遠い世界から傍観しているような気分だった。
地下に閉じ込められた魔力持ちたちは、きっと今の俺のように、何も感じることを許されず、ただ灰色の地下牢を見つめていたのかもしれない。
「もともと迫害の対象だった彼らに、味方なんていなかった。力を使うことを強要され、得体の知れない能力を目の当たりにした国民は、さらに魔力持ちを恐れるようになった。俺たちは魔術の素晴らしさを知っているが、それも使う時代によってはただ恐怖の対象だったんだ」
国民は魔力持ちが強制的に従わせられていることを知らなかった。だから魔力持ちは人ではない、感情の無い化け物だとされた。
魔術を使うのに感情は確かに邪魔になる。例えそうするしかなかったとしても、確かに魔術師は化け物だ。
まるで今の自分を正当化しているみたいだ、と思った。俺は魔術師だから、感情なんて邪魔なだけで、だから俺の選択は正しい、と。
「そんなの、ひどいよね」
「ん?」
「だってあたしたちは、誰かを救ったり、笑顔にしたいから魔術を使うのに」
イリーナがシュンとして言う。まるで、俺に当てつけるように。
「レオも言ってたでしょう?『魔術は芸術だ』って。芸術は人を楽しませたり、喜ばせることができるじゃない。あたしはただ自分のために強くなりたかったけれど、レオと出会って変わった。魔力持ちでも、そうじゃなくても、あたしたちは同じ感情のある人間だから、人のためになれる魔術師でありたいってすごく思うの」
ドキリと心臓が動いた。イリーナの言葉が、重いタールのようにドロドロと体の中を這い回る。
『魔術は芸術』
そう言っていたアイリーンは、今のイリーナのように人のために魔術を使うことを誇りに思っていた。例え閉鎖的で魔術師に懐疑的なヴィレムスの村民に感謝されることがなくても、幾度も自然災害や魔獣の侵攻を食い止めて来た。
力を持って生まれた者が、他者にその力を使うことは義務だ。そして、互いに助け合うことで理解し合える。それはきっと、芸術と同じで、魔術にも誰かの心を動かすことができる。
そんなふうに言っていたアイリーンだが、死んだ今もヴィレムスではただの厄介な魔力持ちだったと言われている。
現実はそんなものだ。
同じ感情をもつ人間なんていない。ましてや、魔力持ちと、そうでない人間がわかりあえるなんて、俺は本気で思っていたのだろうか。
「イリーナはそのままでいい。魔術師の未来を担うのは間違いなくお前たちだ。次の特級魔術師はムリだが、この先の未来で、お前やユイトが特級になる可能性は十分にある」
「そう、かなぁ…?」
「間違いない。俺たちは固有の能力だけで特級になったんたじゃない。今特級が固有持ちばかりなのは単なる偶然だ」
過去には固有持ちではない特級魔術師も存在した。そして、現在において固有持ちの発現率は低下しているという研究データもある。
人間に魔族の血が混ざっているという仮説がある。時々人知を超えた力を持って生まれる人間がいるのは、人間にはもともと魔族の血が入っているといわれているからだが、世代を重ねるごとにその血は薄くなっている、とも言われている。
「今回のことで固有持ちが大勢死んだ。今もまだその空席を埋める人材はいない。イリーナは獣化の能力で、ユイトは純粋な魔術師としての能力で……12の席のどこかを埋めることになるだろう」
そして、俺やアイリーンが叶えられなかったことを成し遂げて欲しい。
真に人々を助けられる魔術師に。
この世の全ての人が、魔力による恩恵を受け、魔力持ちやそうでない人々が分かり合える世界を作って欲しい。
『金獅子の魔術師』は、そのための布石に過ぎない。強力な魔族をあらかた倒し、人間と共生できる、またはシエルに従う魔族のみを残す。ジェレシスを倒すのはもちろんだが、それは俺のかつて抱いていた願望に過ぎない。
それが今の俺の役割だ。そのために感情を捨てた。本来の寿命がくるまでに、粗方片付けることができると踏んで。
「やっぱりレオはどっかおかしいよ」
隣を歩いていたはずのイリーナが、いつのまにか足を止めて俯いていた。
「どうした?」
俺はできるだけ心配そうな顔を取り繕う。
「あたしやユイトが、もし仮に、本当に特級魔術師になれたとして……その時あたしたちの前を歩くのは、レオのはずよね?だって、歴代最強の魔術師がザルサス様の跡を継ぐのは当然でしょ?それなのに、どうして今にも消えてしまいそうな顔をしているの?」
誤魔化し切れないな。
俺は確信して、でもまた誤魔化すように言うのだ。
「ハハッ、お前、ザルサスが年寄りだからって気が早いだろ。あのタヌキジジイはそう簡単に引退しねぇよ」
「そういう話をしてるんじゃなくてっ、」
「あーはいはい。つか、お前欲しいもんがあんじゃねえの?さっさと買い物済ませて帰ろうぜ、寒い」
制服のポケットに手を突っ込んで、俺は粉雪の舞う道を歩き出す。
イリーナは、待ってよと言いつつ追いかけて来た。
隣に戻ってきたイリーナが、俺の右袖を左手で掴む。ギュッと、手が白くなるほど掴む。
俺は、握り返してやれる腕が今、無くてよかったなと、なんでか思った。
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