第134話 反政府組織5
☆
消えた人間は一週間で三人。
一人目の行方不明者は、アンドレイの政敵ニコラスの何人かいる秘書のひとりだった。姿を消す前日はニコラスと遅くまで事務所で仕事をしていたそうだ。
そのまま帰路についたが、翌朝仕事の時間が来ても事務所に顔を出さないことを不審に思ったほかの秘書が、家に連絡を入れたところ、前日から帰宅していないと言うことがわかった。
その後、魔術師協会に不審な魔術と、それによって男が飲み込まれたという情報が来ていることがわかり、身体的特徴や服装から消えたのはその秘書だということが判明した。
あとの二人も同じような状況で失踪した。捜索は続いているが、依然手掛かりなしである。
「〈映せ、万物の記憶、精霊の瞳、真なるものの知をもって晒せ:天眼〉」
俺は静かにはっきりとした口調で詠唱を唱えた。効果はすぐに俺の感覚器に返ってくる。
情報の量はさして多くも無い、失踪事件前後一週間の、この場所の全ての変化だ。
ちょっと前まで、俺は詠唱による魔術の発動ができなくなっていた。
人をたくさん殺したことが、重く深く心の中心を抉り、魔術の使用を妨げていた。
それを、「詠唱に嫌われてしまった」なんて非現実的なことを考えていたが、今の自分からすると不思議で仕方ない。
ただのストレスだ。魔術は感情を反映する。負い目や引け目を感じていた自分は、無意識下で詠唱に力を乗せることを拒否していた。
それだけの理由だった。
だから今はこうやって、詠唱によって効率よく魔術を使うことができる。
何も感じない。五感としての感覚はあれど、心の奥底は落ち着いている。魔力の流れを意識せずとも、楽に思い通りに力を発揮できることは、魔術師として気持ちが良い。
魔術師の一番の敵は自分自身だ、とよく言われるが、なるほどその通りだ。
三箇所目の解析を終えると、見上げた空はすっかり日も暮れていた。
アパートメントの密集するこの地区には、フェリルの端も、ナターリアの地方の町も変わらない夕食の匂いがした。
「何か、わかったかな?」
魔術の使えないアンドレイは、三度も待ち惚けを食らった形になるのだが、その目に爛々と好奇の色を湛えたままジッとこちらを見つめ続けていた。
「残念だが三箇所とも同じだ。ただ路地の暗がりを闇が覆い、人を飲み込んで消えた。それ以外の情報は何もない」
俺の能力でできる最大の精度をもった〈天眼〉になんの手掛かりも残さないのだから、相手の魔術師は相当腕がいい。
次の手はどうしたものか。
「よし、疲れただろう?今日はここまでにして、食事に行かないか?」
パンとひとつ手のひらを打ち鳴らし、アンドレイは言った。そのままくるりと踵を返す。俺の反応など気にせず、さっさと歩いて行ってしまう。
スーツの背中は意外に大きく、自信に満ち溢れているように見える。まあそれもそうか。これから、この大きな国をひとつ、背負おうとしているのだから。
半ば強引だったが、俺は特に何も考えずにアンドレイを追いかけた。
アンドレイの向かう方向は、煌びやかな歓楽街のある南でも、上品な高級店の集う北区でもなかった。
寂れて枯れ果てた雰囲気のある、フェリルの暗部、西区だった。
比較的経済格差の少ないフェリルの街にも、最下層と呼ばれる住人がいる。
何らかの理由により著しく貧しい者たちのことだ。
彼らはこの西区で、国の補助や非営利団体の補助を受けて生活している。
っても別にここだけ街の様子が明らかに違うわけじゃない。ゴミとか死体とかも落ちてないし、道はしっかり舗装整備されている。浮浪者や路上生活者がいるわけでもない。
そのあたりは体裁を整えるのが大好きな政治家と魔術師の街だから、初めてフェリルに足を踏み入れた者には、そこがいわゆるスラム街であることに気付かないだろう。
頑丈なレンガ造りの茶色い建物の中に、はたして何人の人間が押し込められているのだろうか。興味が無いので考えたこともない。
夜道であることや、アンドレイと行動を共にしていることなんかを考慮して、一応魔術的に警戒しながら歩いていると、前方に一際大きな建物が見えてきた。
四階建ての立派な屋敷だった。ところどころ修繕が必要な気はするが、その屋敷は他の建物に比べて煌々と灯が漏れていて、賑やかな子どもの笑い声がした(感覚を研ぎ澄ませていたので、室内の声も聞こえていた)。
「ここは?」
アンドレイと同じ速さで足を進めながら、屋敷の敷地へと入る。
「フェリルいち貧しい孤児院だよ」
「ほう」
なるほど、だから子どもの声が多いのか。
「飯に行くんじゃなかったのか?」
「そのつもりだよ。いいか、少年。美味いものは、何も飯屋だけにあるわけではない」
「あっそ」
ニタリとしたり顔をするアンドレイの意図が読めず…というか、別にどうでもいいとさえ思いながら、俺はその孤児院だという建物に入った。
屋敷の中は隅々まで掃除が行き届いていた。ザッと目に入る範囲には、埃一つ落ちていない。
あと賑やかな声が聞こえてくる。子ども特有の、高くて騒がしい声だ。それらは屋敷の奥、両開きの木製扉の向こうから漏れ出ていた。
アンドレイは無遠慮に足を進め、その扉を押しあける。
室内の喧騒が一瞬途切れ、向けられた視線、視線、視線。
「おじちゃん!!」
いくつも並んだ長テーブルのどこからか、少年の声がした。
「やあ、みんな久しぶりだね」
テーブルを囲む少年少女たちとアンドレイは顔見知りらしく、ニコニコ笑顔で手を振ったりしている。
「こんばんは、アンドレイさん」
と、背後から見窄らしい服装の女性が話しかけてきた。その人はブラウンの丈の長いワンピースにエプロン姿で、いかにもここの責任者といった格好だ。
「こんばんは。みんな元気そうだね」
「ええ。アンドレイさんのお陰で、最近はちゃんと食事ができているの。今日はみんなで作ったカボチャのスープがありますよ」
サリーと呼ばれた女が、嬉しそうな顔でアンドレイに言う。アンドレイはそれに頷いて、適当に空いているテーブルへつき、入り口で立ち尽くす俺を手招きした。
「食事にしよう。ここの料理は愛情たっぷりで美味いんだ」
「あんたの企んでることがわかったよ」
仕方なく俺もアンドレイと向かい合って腰を下ろす。
ここは多分、アンドレイが支援している施設だ。政治家や一部の魔術師は、慈善事業としてこういった施設や病院に寄付を行なっている。王政時代の名残だ。持てるものは持たざるものを支援するという、慈善活動のひとつだ。
魔術師協会でも、孤児や障害のある人に対して寄付金を募ったり、無償で依頼を受けたりすることがある(下級魔術師の仕事のひとつだ)。
そうやって人々の信頼を得て、協会のイメージアップを図っている。
やっていることは政治家と変わらないが、協会にはもうひとつ目的がある。
それは当然、魔力持ちがいた場合の対応だ。身寄りのない子どもが魔力持ちであることがわかれば、協会で引き取って養護し、いずれは立派な協会の犬にするのだ。
わりと手厚く生活の面倒を見てもらえるらしく、彼らは何の疑問も抱かず協会魔術師になる。
とまあ、余談はさておいて。
「こうして善人ぶっておけば、俺があんたに協力すると考えているんだろうが、今の俺にそんな情はないぜ」
前の自分なら、はたしてどうしただろうか。
基本的にクズな俺だったが、思い返してみるとそこそこ人間らしく感情の起伏があったように思う。魔術師としては、むしろ感情的ですらあった。
この世の全ての理不尽が嫌いで、〈封魔〉によって魔力を抑えられていてもなお、俺は俺にできる手段を持って抗ってきた。
魔術は万人のためにあれ。
持てるものは、持たざるものを助けなければならない。
そして、その力は芸術と同じで、人の心があるからこそ出来ることだった。
「別に君の情に訴えかけて力を借りようなんてことは考えていないさ。ただ、元々野良魔術師として学んできた君となら、この国の魔術師の未来を変えられると思うんだよ」
子どもたちの賑やかな食事風景の中でする話じゃない気もする。
「俺は今でも野良の気分のままなんだが、今の状況から言って、協会は俺がいなければ保てない」
「特級魔術師の抜けた穴を埋められているのは、君ひとりの力だけだと言っても過言ではないようだね」
その通りだ。広大なナターリア領を移動するには、〈転移〉発動に相当量の魔力を消費する。加えて都度魔術による問題解決を迫られ、任務から任務へと自由に動き回れる魔術師なんて、はっきりいって俺だけだ。
前代未聞の不祥事が発覚し、協会の運営や国との関わりを見直しつつ、毎日山ほどくる任務を処理するために、シェリースもザルサスも寝る間も惜しんで働いている。
現在協会が、以前と遜色なく運営されているのは、『金獅子の魔術師』という絶対的なブランド力があるからだ。
先のロイネの件は、シェリースの思惑が絡んでいたと俺は確信している。
俺の尽きかけていた肉体的な限界に気付いていたシェリースは、ロイネの固有を使って死を回避できるチャンスを提示した。
そうすることで、ナターリアの魔術師の未来を守った、つもりなのだろう。
実際その思惑は上手くいっているように思う。こんな状況になっても、協会を離れる魔術師はいなかったし、任務依頼数も以前と変わりない。
「仮にもし、俺があんたについたら、この国がどうなるかなんて分かりきっているだろ?国政に魔力が介入すれば、権力者たちの魔術師の取り合いが始まる。そのうち魔術で誰々を暗殺してこいだのなんだの、そういった不毛な戦いが始まる。そうならないためにも、俺たちは国の運営に口を出すべきじゃない」
付かず離れず、がちょうどいい筈だ。魔術師が関わっても良いのは、国に魔力的な問題が生じた時のみ。
魔族が攻めてきただとか、ドラゴンが出ただとか、そういうものに対してだけだ。
「君はそれで良いのかもしれない。が、実際現状に満足していない魔術師がいるのも事実だ」
「あー、反政府組織だとかなんとか言っている奴らのことか」
「そうだ。彼らは魔術師の権利が認められていないと主張し、長くこの国でテロ行為を行っている。ルイーゼが国家元首になった時にも爆発事件を起こしていた」
当時は魔族狩りに必死だったため、俺はその事件を知らない。協会に入ってフェリルに住むようになってから(当時は協会の寮か、ジジイの屋敷に住んでいた)も、俺の専門は魔族退治のほうで、魔術師関連の犯罪には疎い。
「だからといって、俺には関係のない話だ。今回だって、ザルサスの命令じゃなければ関わろうとも思わなかった」
「君は本当に頑固だな。まあ、そう簡単に手を貸してはくれないだろうとは思っていたけどね」
「あいにくだがマジで手を貸す気はない」
「そう言っていられるのは、今のうちだけかもしれないよ?」
確かに、アンドレイが国家元首の座を勝ち取った場合、今の体制は変わってしまうかもしれない。
不敵に笑みを浮かべるアンドレイの双眸は、獲物を狙う肉食獣のそれを連想させる。
魔族と対峙した時、奴らは残忍で容赦のない目をしていると思うことがあるが、恐ろしいのは人間も同じだ。
圧倒的な力を持たないからこそ、逆に予想もしないことをやってのけることがある。
「その時はその時だ。また、国家元首を変えなければならないかもな」
大きな矛盾だ、と思った。関わらないと言いながら、お前も殺してやろうか、と脅しているのと変わらないのだから。
アンドレイが小さく喉を鳴らす。
サリーが笑顔で料理を運んできてテーブルに並べた。意外にも、俺が普段食べている学院の食事と変わりなく、量も味付けも適度なものだった。
無言の食事が終わり、アンドレイが子どもたちに囲まれている横で、いくつか魔術を見せてやったり(金獅子だとわかって興奮した子どもにせがまれたからだ)と騒がしい時間を過ごし、夜も老けた頃解散となった。
学院宿舎へ帰ると、バリスが待ち構えていた。
「お前ホント俺のこと好きな」
と、冗談を言えば、バリスは道端のうんこでも踏んだかのような顔をする。
「やめろ、気持ち悪い。話があって来たんだ」
「えー?俺はもう眠いんだが」
「ガキめ。ホットミルクでも淹れてやろうか?」
「いらねぇよ、ゴリラのミルクなんて」
バリスの横を通り過ぎて、さっさと自室に引き上げようとする俺に、バリスは怒るどころか静かな声で言った。
「ロイネのことだが…お前、なんか隠してねぇ?」
足を止める。振り返ってバリスを見た。俺は、上手く笑えているはずだ。
「はあ?んなもんねぇよ。つか、俺のこと好きすぎてなんでも知りたがるのはよくないぞ!!そういうところがモテない原因なんだぞ!!」
「うるさいクズ!逆にお前なんか顔だけのクセに!!」
「顔が良ければ全て良しなんだよ、ゴリラくん」
テメェ!と息巻くバリスに、ニヤリと不敵な笑みを向けて、俺は〈転移〉で自室に逃げた。
大丈夫、いつも通りだった。
バリスとは大体こんな感じだった筈だ。
俺はこの先もこうして完璧に俺を演じて生きていく。
それでいいと選んだ筈なのに、どうしてか胸が痛かった。この痛さは知ってる。記憶として残っている。
おかしい。感情は捨てたはずなのに、なにも感じないことがこんなに苦しいとは思わなかった。
俺は本当に、感情を捨てたのだろうか?そもそも感情とはなんなのだろう?
考え出すと止まらないのは、魔術師の悪いクセだ。こう言う時は、さっさと寝てしまうのがいい。
そう思ってベッドにダイブしてみたはいいものの、結局朝方まで眠れなかった。
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