第129話 死者7


 それは白昼夢のようで、どこかおぼろげな感覚がした。


 目の前には今よりも幼い姿のロイネがいる。


 あたりを見渡せば、集落の人間たちがロイネを取り囲んでいて…それで、幼い彼女に言った。


『ロイネ、すごいじゃない』

『あなたには才能があるのね』

『ロイネはここの希望だ』


 これはロイネの記憶か。


 幼い彼女を狂わせた記憶。


『次はおれの願いを叶えてくれ』

『ロイネがいればここは安泰ね』


 ロイネの感情が少しだけ流れ込んでくる。


 嬉しい。必要とされている。居場所は、ちゃんとここにあった。


 幼いロイネの中には、まだ自身の力についての知識は無く、魔力を使うことの善悪もない。


『あの子のせいよ』


 ふと、住人たちの中に暗く陰鬱な声が混ざっていることに気付いた。


『あの子のせいで、◯◯は死んだのよ』

『あんな子ずっと部屋から出なければよかったのに』


 ああ、あれが母親か、と俺は納得した。


 ロイネが言っていたことを鑑みるに、自分の家に居場所の無かったロイネは、住人たちから必要とさたことで初めて自分という存在を、自分で認めることができたのだろう。


 どんどんエスカレートしていく願いをひとつひとつ叶えてやることで、ロイネは自分を保っていた。


 魔力に善悪はない。


 それを判断するのは、いつだって人間で。


 でもその人間が、はたしてちゃんと善悪がわかるのだろうか。


 ……そんなわけない。


 幼いロイネにも、わかるわけがなかった。







「レオ様あああっ!!」

「うわあっ!?」


 ゴチィンと硬いものにぶち当たった音が脳内に響いた。仰向けに倒れていた俺を覗き込んだピニョと、どうやら衝突したらしかった。目を固く瞑って、今し方体感した痛みをやり過ごす。


「イテェ…頭割れる…」

「あわわわっ、大丈夫です?」

「大丈夫じゃねぇよ!!」

「ふにゅう!?」


 ムカついてピニョの鼻を摘んでやった。っと、そんなことして遊んでいる場合じゃない。


「ロイネッ!」


 慌てて身体を起こし、周囲に視線を向ける。ピニョと、そのとなりに仏頂面のシエルがいた。背中の痛みはもう無い。シエルが治してくれたんだろう。


 あと、広場に溢れかえっていた住人たちの姿はなかった。まるで、最初から存在していなかったかのように、忽然と姿を消してしまったようだ。


 明るかった家々も、殆どが朽ち果てていて、どうやら俺の〈解術〉のせいで本来の姿を取り戻したようだった。


「レオ」


 か細い声で呼ばれ、ビクッとして振り返る。ロイネは、俺の背後に静かに立っていた。


「お前は…なんともないのか?」


 あまり考えたくはないが、集落の様子から察するに、ロイネはおそらく俺よりうんと歳上だろう。


「レオ、ありがとう。ボクには、こうしてみんなを開放する覚悟が、最後まで持てなかった」


 そう話し出したロイネの顔は、眠たげな様子はまったく無くて、むしろ穏やかに微笑んでいた。


「お前の気持ちもわからんことねぇよ…俺もクズだからな。できるだけ、自分が傷付かないようにと考えてしまう」

「アハハ、レオがそんなこと言うとは思わなかった」


 どういう意味だよ!?と問い返す前に、ロイネはまた謝った。


「ごめんなさい。この任務にレオを連れていくと言ったのはボクなんだ。ボクの魔力だけでは、そろそろここを維持できなくて、最初は本当にレオの魔力を奪ってしまおうと思ってた」

「途中で考えが変わったのか」

「ん。レオの魔力を奪った時、わかった。レオは、ボクと同じ後悔をしてる。それにレオのなすべきことと……残り時間について、知ってしまった」


 途端に目を背けたのは、俺だけじゃなかった。シエルもピニョも、まるで現実から目を逸らすかのように顔を背けた。


「だからレオを殺せなかった。背負っているものがあるのは、ボクだけじゃないと思えたの」


 固有持ちは、他の魔術師より抱えるものが大きいのはわかり切っている。誰にも理解されないまま、ずっとひとりきりで抱えていることも、俺は知ってる。


 もっと早くに、コイツと出会えていたなら、何か変わっていたかもしれない。なんて、考えてもどうにもならないが。


「ボクは、察しの通り遥か昔の人間。〈解術〉で、ボク自身の魔術も解けてしまったみたい」

「そっか。悪い」


 開放してやれるとしても、殺してしまったことに変わりはない。そんな思いが俺の中にはあった。でも、こうして最期にロイネが笑ってくれるのなら、それは魔術師として間違っていなかったということだ。


「いいよ。ボクはレオに感謝してる。ねぇ、最後に、ボクの固有でレオの願いを一つ叶えてあげる」


 スッと差し伸べられた白い小さな手。その向こうで、ロイネは悪魔のように可愛らしく笑う。それはまさしく、魔術師の顔だった。


「死を回避するためなら、レオは何を対価にできる?」


 ハッと息を飲んだのは、俺でもシエルでもなくピニョだ。


「レ、レオ様!ダメです!」


 ピニョが俺の背中に張り付いて、さらに言った。


「レオ様、命をイタズラに延ばすには、きっととても大きな対価が必要です!これ以上何かを失うのはダメです!!」


 悪いな、ピニョ。


 でも俺は、決めていたことがあるんだ。


 シエルも同じだろう。


 だから今、何も言わずにいる。


 全ての責任を果たす時まででいい。


 シエルとの約束を果たすまででいい。


 俺は、死にたくないんだ。


「ロイネなら…今まで生きながらえていたロイネなら、どんな対価が確実だと思う?」


 そうたずねると、ロイネはまた笑った。


 俺も多分、同じように笑っていたと思う。


「それは、」


 と、ロイネは俺の耳元で囁くように答えた。俺はその対価を受け入れ、ロイネの固有魔術が発動する。


 それが終わると同時に、まるで最初からそこにいなかったかのように、彼女は消えた。







「そうですか。ご苦労様です」


 協会本部、シェリースの仕事部屋。


 応接用の焦げ茶色のソファにふんぞり返ったレオが、任務の詳細報告を終えると、シェリースは特に感情を込めることなく言った。


 『死者』が闊歩すると言われていたロイネの故郷である集落は、彼の力によって長年の縛りから解き放たれ、あるべき姿へと戻った。


 それに伴って、協会は優秀な特級魔術師をまたひとり失うことになった。


「悪いな……結果的に、ロイネは死んだ」


 レオはそう言うが、まったく悪びれた様子はなかった。ロイネの損失は大きいが、どちらにしろ避けることのできない結果だった、と割り切っているようだった。


「いいえ、いいんですよ。避けられない結果だったのですから」

「シェリースはこうなることをわかってたんだな」

「まあ、予想はしていました」


 実はロイネは、シェリースよりも古参の特級魔術師だった。見た目はほんの子どものようになのに、そこには固有を持つ特級魔術師だからこその、悲しい理由があることを、シェリースは知っていた。


 そして、この任務の結果、レオが選ぶであろう選択も、予想していた。


「俺がいるかるさ、心配すんな」


 ポツリとレオが溢した言葉が、シェリースのとうに無くしたはずの感情を揺さぶる。


 これは罪悪感だ。


 自分がこの少年に選択を迫った。


 ロイネの能力を知ったレオは、必ずそうするだろうと、確信を持って。


「例えこの国最高峰の特級魔術師が何人減ろうが、俺がなんとかしてやるからさ」


 それだけ言うと、レオはソファから立ち上がってドアへと向かう。


 学院の制服姿の彼が、最後に振り返る。


「俺は、後悔してない。シェリースが気に病むことはなにもない」

「っ、レオ…」


 ニッと片方の口角を上げて笑う彼の目は、まったく笑っていなかった。ゾクリと背筋に冷たいものが走るほど、その瞳には何もなかった。


 レオは気付いているのだとわかった。選択を迫ったのは、自分であると気付いている。


 そんな焦燥感に駆られるシェリースだが、重苦しくなりつつある空気をブチ破ったのは、ほかでもないレオだった。


「あっ、ヤベェ!!シェリース、今何時!?」


 突然思い出したように言うレオに、シェリースは自身の執務机の置き時計に目をやる。


「……八時半少し過ぎた頃ですけど」

「ゲッ、遅刻だ!!」

「遅刻?」

「は?お前忘れた?俺今学院生なんだぜ、遅刻しちゃダメだろ」


 今まで不敵な顔で任務報告をしていたとは思えない変わりようだ、とシェリースはため息を吐き出した。


「……〈転移〉で向かえばいいのでは?」

「おお!その手があった!!んじゃまたな、シェリース」


 こちらがあいさつを返すより先に、レオは魔力残滓を残して〈転移〉を発動。瞬時にその姿が掻き消える。


 詠唱も円環構築もない、魔族と同じ能力で発動された魔術の残滓は、シェリースの仕事部屋に黄金の輝きを残し、それもしばらくして消えた。

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