第129話 死者7
☆
それは白昼夢のようで、どこかおぼろげな感覚がした。
目の前には今よりも幼い姿のロイネがいる。
あたりを見渡せば、集落の人間たちがロイネを取り囲んでいて…それで、幼い彼女に言った。
『ロイネ、すごいじゃない』
『あなたには才能があるのね』
『ロイネはここの希望だ』
これはロイネの記憶か。
幼い彼女を狂わせた記憶。
『次はおれの願いを叶えてくれ』
『ロイネがいればここは安泰ね』
ロイネの感情が少しだけ流れ込んでくる。
嬉しい。必要とされている。居場所は、ちゃんとここにあった。
幼いロイネの中には、まだ自身の力についての知識は無く、魔力を使うことの善悪もない。
『あの子のせいよ』
ふと、住人たちの中に暗く陰鬱な声が混ざっていることに気付いた。
『あの子のせいで、◯◯は死んだのよ』
『あんな子ずっと部屋から出なければよかったのに』
ああ、あれが母親か、と俺は納得した。
ロイネが言っていたことを鑑みるに、自分の家に居場所の無かったロイネは、住人たちから必要とさたことで初めて自分という存在を、自分で認めることができたのだろう。
どんどんエスカレートしていく願いをひとつひとつ叶えてやることで、ロイネは自分を保っていた。
魔力に善悪はない。
それを判断するのは、いつだって人間で。
でもその人間が、はたしてちゃんと善悪がわかるのだろうか。
……そんなわけない。
幼いロイネにも、わかるわけがなかった。
☆
「レオ様あああっ!!」
「うわあっ!?」
ゴチィンと硬いものにぶち当たった音が脳内に響いた。仰向けに倒れていた俺を覗き込んだピニョと、どうやら衝突したらしかった。目を固く瞑って、今し方体感した痛みをやり過ごす。
「イテェ…頭割れる…」
「あわわわっ、大丈夫です?」
「大丈夫じゃねぇよ!!」
「ふにゅう!?」
ムカついてピニョの鼻を摘んでやった。っと、そんなことして遊んでいる場合じゃない。
「ロイネッ!」
慌てて身体を起こし、周囲に視線を向ける。ピニョと、そのとなりに仏頂面のシエルがいた。背中の痛みはもう無い。シエルが治してくれたんだろう。
あと、広場に溢れかえっていた住人たちの姿はなかった。まるで、最初から存在していなかったかのように、忽然と姿を消してしまったようだ。
明るかった家々も、殆どが朽ち果てていて、どうやら俺の〈解術〉のせいで本来の姿を取り戻したようだった。
「レオ」
か細い声で呼ばれ、ビクッとして振り返る。ロイネは、俺の背後に静かに立っていた。
「お前は…なんともないのか?」
あまり考えたくはないが、集落の様子から察するに、ロイネはおそらく俺よりうんと歳上だろう。
「レオ、ありがとう。ボクには、こうしてみんなを開放する覚悟が、最後まで持てなかった」
そう話し出したロイネの顔は、眠たげな様子はまったく無くて、むしろ穏やかに微笑んでいた。
「お前の気持ちもわからんことねぇよ…俺もクズだからな。できるだけ、自分が傷付かないようにと考えてしまう」
「アハハ、レオがそんなこと言うとは思わなかった」
どういう意味だよ!?と問い返す前に、ロイネはまた謝った。
「ごめんなさい。この任務にレオを連れていくと言ったのはボクなんだ。ボクの魔力だけでは、そろそろここを維持できなくて、最初は本当にレオの魔力を奪ってしまおうと思ってた」
「途中で考えが変わったのか」
「ん。レオの魔力を奪った時、わかった。レオは、ボクと同じ後悔をしてる。それにレオのなすべきことと……残り時間について、知ってしまった」
途端に目を背けたのは、俺だけじゃなかった。シエルもピニョも、まるで現実から目を逸らすかのように顔を背けた。
「だからレオを殺せなかった。背負っているものがあるのは、ボクだけじゃないと思えたの」
固有持ちは、他の魔術師より抱えるものが大きいのはわかり切っている。誰にも理解されないまま、ずっとひとりきりで抱えていることも、俺は知ってる。
もっと早くに、コイツと出会えていたなら、何か変わっていたかもしれない。なんて、考えてもどうにもならないが。
「ボクは、察しの通り遥か昔の人間。〈解術〉で、ボク自身の魔術も解けてしまったみたい」
「そっか。悪い」
開放してやれるとしても、殺してしまったことに変わりはない。そんな思いが俺の中にはあった。でも、こうして最期にロイネが笑ってくれるのなら、それは魔術師として間違っていなかったということだ。
「いいよ。ボクはレオに感謝してる。ねぇ、最後に、ボクの固有でレオの願いを一つ叶えてあげる」
スッと差し伸べられた白い小さな手。その向こうで、ロイネは悪魔のように可愛らしく笑う。それはまさしく、魔術師の顔だった。
「死を回避するためなら、レオは何を対価にできる?」
ハッと息を飲んだのは、俺でもシエルでもなくピニョだ。
「レ、レオ様!ダメです!」
ピニョが俺の背中に張り付いて、さらに言った。
「レオ様、命をイタズラに延ばすには、きっととても大きな対価が必要です!これ以上何かを失うのはダメです!!」
悪いな、ピニョ。
でも俺は、ロイネの能力を知った時から決めていたことがあるんだ。
シエルも同じだろう。
だから今、何も言わずにいる。
全ての責任を果たす時まででいい。
シエルとの約束を果たすまででいい。
俺は、死にたくないんだ。
「ロイネなら…今まで生きながらえていたロイネなら、どんな対価が確実だと思う?」
そうたずねると、ロイネはまた笑った。
俺も多分、同じように笑っていたと思う。
「それは、」
と、ロイネは俺の耳元で囁くように答えた。俺はその対価を受け入れ、ロイネの固有魔術が発動する。
それが終わると同時に、まるで最初からそこにいなかったかのように、彼女は消えた。
★
「そうですか。ご苦労様です」
協会本部、シェリースの仕事部屋。
応接用の焦げ茶色のソファにふんぞり返ったレオが、任務の詳細報告を終えると、シェリースは特に感情を込めることなく言った。
『死者』が闊歩すると言われていたロイネの故郷である集落は、彼の力によって長年の縛りから解き放たれ、あるべき姿へと戻った。
それに伴って、協会は優秀な特級魔術師をまたひとり失うことになった。
「悪いな……結果的に、ロイネは死んだ」
レオはそう言うが、まったく悪びれた様子はなかった。ロイネの損失は大きいが、どちらにしろ避けることのできない結果だった、と割り切っているようだった。
「いいえ、いいんですよ。避けられない結果だったのですから」
「シェリースはこうなることをわかってたんだな」
「まあ、予想はしていました」
実はロイネは、シェリースよりも古参の特級魔術師だった。見た目はほんの子どものようになのに、そこには固有を持つ特級魔術師だからこその、悲しい理由があることを、シェリースは知っていた。
そして、この任務の結果、レオが選ぶであろう選択も、予想していた。
「俺がいるかるさ、心配すんな」
ポツリとレオが溢した言葉が、シェリースのとうに無くしたはずの感情を揺さぶる。
これは罪悪感だ。
自分がこの少年に選択を迫った。
ロイネの能力を知ったレオは、必ずそうするだろうと、確信を持って。
「例えこの国最高峰の特級魔術師が何人減ろうが、俺がなんとかしてやるからさ」
それだけ言うと、レオはソファから立ち上がってドアへと向かう。
学院の制服姿の彼が、最後に振り返る。
「俺は、後悔してない。シェリースが気に病むことはなにもない」
「っ、レオ…」
ニッと片方の口角を上げて笑う彼の目は、まったく笑っていなかった。ゾクリと背筋に冷たいものが走るほど、その瞳には何もなかった。
レオは気付いているのだとわかった。選択を迫ったのは、自分であると気付いている。
そんな焦燥感に駆られるシェリースだが、重苦しくなりつつある空気をブチ破ったのは、ほかでもないレオだった。
「あっ、ヤベェ!!シェリース、今何時!?」
突然思い出したように言うレオに、シェリースは自身の執務机の置き時計に目をやる。
「……八時半少し過ぎた頃ですけど」
「ゲッ、遅刻だ!!」
「遅刻?」
「は?お前忘れた?俺今学院生なんだぜ、遅刻しちゃダメだろ」
今まで不敵な顔で任務報告をしていたとは思えない変わりようだ、とシェリースはため息を吐き出した。
「……〈転移〉で向かえばいいのでは?」
「おお!その手があった!!んじゃまたな、シェリース」
こちらがあいさつを返すより先に、レオは魔力残滓を残して〈転移〉を発動。瞬時にその姿が掻き消える。
詠唱も円環構築もない、魔族と同じ能力で発動された魔術の残滓は、シェリースの仕事部屋に黄金の輝きを残し、それもしばらくして消えた。
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