第125話 死者3


 ボクには才能があった。


 何人かいる弟や妹には無い、魔力という才能があった。


 ボクが産まれ育った集落は、至って普通の、貧しくも裕福でもないところで、自分たちが食べていけるだけの作物を育て、たまに森で狩りをして、近くの川で魚を獲って生活していた。


 たまに何人かが近くの街へ行って、日雇いの仕事をしたりして、この村に足りないものを買ったりした。


 住人同士仲が良く、唯一の酒場ではよく宴会が催され、大人たちが酒を飲みながら騒ぐ横を、子どもたちが遊びに夢中で駆け回るような、ひとつの家族みたいな集落だった。


 その中で、ボクは引っ込み思案でなかなか同世代に溶け込めなかった。弟や妹たちは他の家の子たちや、大人に混ざって手伝いをするのも楽しそうだったけど、ボクにはそれができなかった。


 次第に家に引きこもるようになり、そんなボクを、両親は放って置いてくれた。


 いや、放って置いてくれたというより、興味を失った、と言う方が正しい。


 母親はボクより小さな弟や妹に世話を焼くので忙しく、父親は近くの街に出て働いていた。


 ボクのそばには、白い猫だけがいた。


 艶のある毛並み、晴れ渡った夏の空のような青い瞳の猫だった。いつから家で飼っていたのかは覚えていないけど、物心ついた頃には家族の一員だったことだけは覚えている。


 ボクが八歳くらいの頃だった。


 その、白い猫が死んだ。


 ある日突然居なくなったと思っていたら、近くの木立の根元で隠れるようにして冷たくなっていた。


 ボクはその猫の冷たく固くなった身体を抱き上げ、家に連れて帰った。外に出たのは、随分と久しぶりだった。


 ママ、猫が……


 そう言ったのは昼食時で、幼い弟や妹がテーブルや床、自分の口や手をベタベタにしてご飯を食べていた。


 食事中になんてもの見せるのよ


 母親の反応はそれだけで、ボクは外へ追い出された。その時に感じた感情は、悲しいとか、寂しいとか、確かそんなものだった。


 ボクは願った。


 ボクに興味のない家族。そのうち、いつもボクに意地悪ばかりする弟をあげます。


 だからボクの唯一の友達を、どうか返してください。


 冷たく固い猫の死体を、また動くようにしてください。


 その直後、家から悲鳴が聞こえた。


 母親の声だった。


 ボクは驚いて、抱きしめていた猫を落とした。


 猫は、スタッと静かな足音を立て、自らの足で立ち、ボクの足に擦り寄ってきた。








「弟は…突然意識を失って……街から医者を呼び寄せた頃には、手遅れだった」


 ロイネの涙は、超雨の後に溢れ出した川のようにぶわりと溢れ、唐突に止まった。


「それから……ボクが自分の能力に気付くのに、時間はかからなかった………何かを望むと、何かを犠牲にして叶ってしまう……弟の命が猫と引き換えになったように…………ボクの固有魔術は…ここの住人を…変えてしまった」


 その固有の能力は、ロイネの意思とは関係なくここの住人たちに知れ渡り利用されることになったそうだ。


 あるものは、妻の病気を治す代わりに自分の寿命を半分犠牲にすると言い、またあるものは、一匹の魚を肉の塊に変えてくれと言う。


 その願いも対価も様々で、現実的に叶いにくいことほど大きな対価が必要だった。


 人々に言われるがまま願いを叶えてきたロイネだが、そのうち願いの内容が変わる。


 ずっと健康でいたい。


 歳をとりたくない。


 若くて綺麗なままでいたい。


 家族とずっと一緒にいたい。


 このまま時が止まってしまえばいい。


 そんな願いを叶えるために支払う対価は、そのまま彼らに返っていった。


 健康でいたいからと気に入らない隣人の命を対価にした人がいた。


 歳をとりたくないからと、年老いた親の命を対価にした人がいた。


 若くて綺麗なままでいたいからと、自分の娘の命を対価にした人がいた。


 家族とずっと一緒にいたいからと、子どもの成長を奪った人がいた。


 そうして今の村になった。


 ここの住人たちは、誰よりも欲望に忠実で、人でなしばかりのようだ。


「はあ……なんだよ、それ……」


 思わず溢した言葉に、ロイネがビクビクと肩を震わせる。


「死者の都とかいうから、死人が徘徊しているのかと思っていたが……確かに、この集落は死んでいるのと同じだな」


 人が辿る本来の道を外れ、自身の欲望のままに身近な人の命を奪い、停滞したまま存在しているこの集落は、生きているとは言えない。


 ザルサスがここを閉ざし、生活の援助を行っていたのは、ロイネの固有を隠すためだけじゃなく、この異様な村を世間の目に触れさせないためでもあった、ってわけだ。


 なるほど、シェリースが「解放して」と言った意味がよくわかった。


「ごめんね…ボクのせいで……こんなところ、連れてきて……」

「それは任務だからな。気にするな」


 とは言え、気分の良いものでもない。


 きっとロイネは、チヤホヤされることに慣れていなくて、頼られることが嬉しかったんだ。だから、善悪も考えず、村のためにと力を使い続けた。


 彼女がいつも眠そうなのは、今もまだこの集落を維持するために常に魔力を供給しているからだろうか。


 この歪で禍々しい魔力は、彼女の感情を反映している。懺悔と後悔の滲んだもののようだ。


 任務だけを熟すのなら簡単だ。


 俺が持てる全ての魔力でもって、全力で〈解術〉すればいい。だからこそシェリースは俺をここに寄越した。


 でもそれでは、ロイネの心がもたないだろう。


 後悔も懺悔も、泣くほど抱えている。魔力を垂れ流しにしているのは、いくら特級魔術師といってもツラいはずだ。


 それをずっと続けるほどに、ロイネはこの集落が大切なのだ。


 どうしたものか。


 ロイネが自らこの魔術を解いてくれるのが一番良い方法ではある。


 でも今この魔術を解けば、集落の住人の命は無い。無理に理を外れているのだから、今すぐではなくとも必ず悲惨な姿で死を迎えるだろうと予想がつく。


「ロイネ…俺が無理矢理〈解術〉してもいい。でもお前が自分でケリをつけたいなら、俺は魔力だけ貸してやることもできる……どうする?」


 これは自分に対する問いでもあった。


 俺はいずれ、自分の過去と因縁、後悔と懺悔のためにジェレシスと決着をつけなくてはならない。


 でも俺は、まだ自分の力であいつを倒し、ケジメをつける覚悟はない。


 誰がなんと言おうと、ジェレシスは俺の家族のようなものだ。


 この集落を守りたいと考えるロイネの気持ちが、痛いほどわかってしまう。


「レオ……ごめん、なさい」


 その謝罪は、この場においてとても不自然だった。


 直後、フワリと身体が浮くような感覚があった。決して飲み過ぎた高い酒のせいじゃない。


 それは俺の存在を、根本から揺るがすような争い難い感覚だった。


 虚脱感と焦燥感が同時に身体を支配し、これはマズいと理解した時には遅かった。


 冷たい冬の海に、意図せずダイブした時のことが蘇る。


 手足の感覚が急速になくなり、立っていられなくなった俺はその場にドサリと膝をついた。


「っ…ロイネ、お前、何したかわかってんのかよ!?」


 身体が重い。目が霞んで、急にあたりから色彩の明度が落ちた気がした。


「本当に……ごめん、ね」


 謝るだけのロイネは、乾いた涙の筋を白い頬に残してはいるが、先ほどの気弱な雰囲気は全くない。むしろ、毅然とした顔つきで俺をただ見下ろしている。


「クソ!」


 身体に起きた変化は、ロイネの固有魔術のせいだ。このクソアマ、容赦なく俺に向けて魔術を使いやがった。


 ついこの前まで、俺には自分の魔力を自由に使うことができなかった。その時の無力感はまだハッキリと覚えている。この先も忘れることはないだろう。


 惨めだと思った。この俺が、血反吐を撒き散らさないと魔族の一人も倒せないなんて、そんなクソ惨めなことがあってたまるかと思っていた。


 ロイネが一体、何を対価にしたのかは知らない。きっととんでもなく大きなものに違いないことはわかる。


 特級に手を出したってことは、それ相応の覚悟があるのもわかる。


 そんなことはどうでもいい。


 ただ、それだけは勘弁してくれと、プライドも捨てて縋り付きたくなった。


「返せっ…俺の、」


 魔力を。


 存在意義を。


 生きていてもいいのだと、証明するための力を。


 奪わないでくれ。


 伸ばした手は何にも届くことはない。


 ロイネは俺の命を奪ったも同然だ。

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