第117話 クーデター3
☆
いい加減面倒になってきた。
私が始めたわけではないのに。
国家の抱える因習のツケを、自分が払わなければならないことが許せない。
ルイーゼは恐怖よりも、憤りを感じていた。自身の行いを悔い改めるなんて人間らしい心など持ち合わせてはいない。
国を支配する人間もまた、魔術師と同じくどこかハッキリと歪に、壊れた人間だった。ザルサスと受付の中年女性と軽く武装した警備兵の言い合いを後ろで眺めていた俺は、きっかり五分待ってから廊下を歩き出した。
五分は押し問答に付き合ったのだから、もう好きにさせてもらう。
「あっ、コラ!レオ!」
「ザルサス様っ!おやめください!!」
後ろで何か言う声が聞こえたが無視した。耳を貸していてはラチが開かない。
磨き上げられた白い床を、軽く跳ねるように歩を進める。
本来の魔力を取り戻した俺は、わかりやすく気分が良かった。
そして今に限って言えば、いつも恨みがましく俺を睨みつけているかつての仲間たちは、待ちわびた復讐の機会に暗く不気味な笑みを浮かべている。
でもそんな俺の耳に厳しく囁くアイリーンの声も確かに聞こえる。
『殺してはダメよ。レオは人殺しじゃない。自分の権利と戦う強い魔術師よ。罪を認めさせて、償わせるの』
その為なら、多少は痛めつけても問題ないだろうか。俺の抱いた憎しみや苦しみを、少しでも理解してもらえるだろうか。
いや、俺は一体何を考えているんだ?
ザルサスの言葉に心を入れ替えたんじゃなかったっけ?
まあいいや。
軽い足取りでたどり着いた執務室の前には、黒いスーツのガタイのいい男がいた。何度も顔を合わせているルイーゼのボディガードのひとりだ。唯一話ができる男で、俺はけっこう嫌いじゃない。
「ルイーゼ様を殺すつもりか?」
話せるといっても、名前も知らない男が険しい顔で言った。
「殺しはしない。土下座してくれるならありがたく鑑賞させてもらうが」
そうだ。俺は別に殺しに来たんじゃない。つい忘れてしまいそうだ。
「信用できない。全てを知って、復讐に来たんじゃないのか」
「復讐は命を奪うことだけじゃない。俺の師匠や姉弟子は明るい未来の為に戦えと言う」
俺は、一体何を言おうとしているのだろう?
目の前の男が怪訝な顔をした。俺の意図が読めず、対応に困っているようだった。
「でもさ、復讐に死はつきものだ」
違う。俺はもう、誰かを殺したいわけじゃない。
耳元で囁いていたアイリーンの声が消えていた。
「ルイーゼ様の元へは行かせられない」
「別にアンタに許可してもらわなくとも、俺は行きたいところに行きたい時に行く。この国に俺を止められる魔術師はいないんだぜ?」
男が身構え、魔術名のみで風の刃を纏わせた。円環構築は割と素早くて、国家元首のボディガードとして確かに優秀なんだとわかった。
まあ、俺の前では、遅すぎるんだけど。
男が円環を構築する僅かの間に、俺は逡巡した。〈解術〉で男の魔術を無効化して物理攻撃で殺した場合と、男の魔術を上回る魔力をぶつけて殺した場合で、あとから検分された時にどちらがより正当防衛として認められるかを、咄嗟に考えた。
結果として俺は、咄嗟に電撃を放った。そうしておけば、攻撃を受けて反射的にやり返したと処理されるはずだと確信したからだ。例え、男が黒焦げで炭化してしまっていたとしても。
ルイーゼの気配がする。
忘れはしない、なんなのかはわからない花の香水の匂いだ。ルイーゼはいつもその匂いがする。
執務室の重く閉ざされた扉を開け放つ。
正面の執務机に、まっすぐ俺を睨みつけるルイーゼがいた。国家元首として、逃げなかったことは評価してやってもいい。
「謝罪の言葉でも用意しているのなら、いいぜ、聞いてやるよ」
俺は笑顔を浮かべ、いつもみたくルイーゼの執務机の前に立った。一見冷静な表情をしているようだが、唇の端をキツく噛み締め、机の上で握った手は小刻みに震えている。
実に愉快な光景だ。
他人の命を弄び、自分は手を出さず命令を下し、高みの見物を決め込んでいた国家元首も、極度のプレッシャーを抑え込むのは難しいようだ。
「私の…私だけのせいじゃない…!」
震えた、だけど真の強い声でルイーゼはハッキリと言った。
「私はッ、歴代の国家元首に準って、業務を全うしただけよ!」
その瞬間、ああ、コイツは殺してもいいや、と思った。今の俺ならどんな惨たらしい殺し方もできる。生きながら焼き尽くしてやってもいい。周囲の酸素をなくし、窒息させてやってもいい。〈封魔〉のように身体の内側から切り刻んでやってもいい。
かつての仲間たちが、ルイーゼを取り囲んでいるのが見えた。みんなが言う。「迷うな」「殺せ」「復讐をとげろ」。
アイリーンの声は遠い。耳元で囁く声は何を言っているのかわからない。
「レオ!やめるのだ!!」
ザルサスが俺の背後で叫んだ。
「ジジイ…」
振り返ると血相を変えたザルサスがいて、俺はいつのまにか振り上げていた右手を下ろした。
ジジイの後ろから警備兵とルイーゼのボディガードが執務室へ雪崩のように駆け込んできて、俺とザルサスを取り囲んだ。
「ザルサス様!こ、これは立派な、クーデターですよっ!?」
警備兵は腰の長剣を構え、魔術の使えるボディガードたちは即座に詠唱破棄の魔術名のみで攻撃魔術を発動。円環構築で止め、いつでも攻撃ができるように構えた。
俺もザルサスも丸腰だが、ザルサスの強さは知られている。ボディガードたちは、俺のことも知っているから、魔力全開で殺傷力を高めた魔術を発動しようとしている。
「ワシらは決して、ルイーゼを殺したいわけじゃない!!罪を認め、投降してくれることを期待している!!」
「ルイーゼ様になんの罪があるというのですか!?」
何も知らない警備兵たちはただ戸惑っている。
ザルサスが答えようと口を開いた時だ。
ルイーゼが執務机の引き出しを開け、中から何かを取り出した。小瓶だ。俺の持っていたヤツとそっくりの。
俺は下ろした右手をまた振り上げた。
「っぎゃああああっ!!!!」
ルイーゼの叫び声。
ボトリと柔らかい絨毯の上に落ちたのは、小瓶を持ったルイーゼの右腕だ。
途端、周囲を取り囲んでいたボディガードたちの魔術が発動。それぞれの得意な攻撃魔術が一斉に放たれる。
俺はそれをすべて、電撃を放って相殺した。
彼らは俺を知っていた。
『金獅子の魔術師』であることを、知っていた。
でもそれだけだ。
俺の本当の力までは知らない。見たこともないだろう。
情報として知っているのと、実際に見て知っているのでは全く違う。
「生憎魔獣化して俺を倒そうとか考えたのかもしれないげどさ……ムリだぜ?お前が殺そうと躍起になっていたのは、『金獅子の魔術師』なんだからさ」
ルイーゼの目には憎しみがあった。その強い視線を正面から受け止めて、俺は笑った。
「もうひとつ言っておくと、お前を恨んでるのは俺だけじゃない」
その瞬間、ルイーゼの背後の窓ガラスがすべて砕け散り、室内へ突風と共に吹き込んだ。
「なっ!?」
驚きの声を上げ、身を庇う周囲の警備兵やボディガードたちを他所に、俺はその光景をしっかりと目に焼き付けた。飛び散ったガラス片が皮膚を切り裂くのも気にならなかった。
ルイーゼの背にジェレシスがいた。手にした長剣を、ルイーゼの背に深々と刺し、心臓を突き破って俺のすぐ前に赤く染まった切っ先があった。
ニヤリと不敵に笑ったジェレシスに、俺も同じように笑い返す。
「ルイーゼ様っ!!」
駆け寄ってくるボディガードたちに押し除けられる。
いつのまにか、ジェレシスは消えていた。血に濡れた長剣もそのままに、忽然と姿を消していた。
辺りには濃厚な血の匂いと、ジェレシスの残した魔力残滓、慌てふためく無様な人間だけが残った。
「レオ…なぜじゃ?お前は気付いていたのだろう?」
背後に立つザルサスが小さな声で言った。
「なぜ?俺がルイーゼを助ける義理は無い。むしろ、当然の報いじゃないか。俺が殺すのも、アイツが殺すのもさして変わりはないだろ」
執務室にバリスの率いる軍部の兵士が駆け込んできた。ルイーゼ側の人間共が次々と拘束されていく。
視線を落とす。俺の手は、跳ねたルイーゼの血で汚れていた。まるで俺が殺したみたいだと思った。
「ワシの言葉は、どうやらお前に届いていないようじゃのう……」
悲しげなザルサスの声音に、ドキリと心臓が跳ねた。
そうだ、俺は別に、ルイーゼを殺そうと思っていたわけではない筈だ。
なのに今さっきまで俺の頭の中には、確かに歓喜している自分がいた。心臓を刺し貫かれ、徐々に命が消えていくルイーゼの瞳を見ながら、俺は確かに笑っていた。
あれだけ人を手にかけることに躊躇いを感じていたのに。何度も吐いて、食事も睡眠も取れない程悩んでいたはずなのに。
ルイーゼの執務室へ辿り着いた瞬間から、俺は正気じゃなかった。
ザルサスの言葉に涙を流し、『金獅子の魔術師』として、アイリーンの望む行いをすべきだと理解している俺は確かに存在する。
でも反対に、この悲劇を生み出したヤツらを皆殺しにし、復讐を遂げることを望んでいる自分もいる。
……一体どっちが本当の自分自身なのか。
俺にはもう、正解がわからない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます