第115話 クーデター1


 これは夢だ。


 アイリーンの作った焦げ付いた目玉焼きの乗ったトーストが、目の前にあった。


 この時点でこれは夢だとわかった。


「レーオ!寝ぼけてないで早く食べなよ!朝ごはん冷めちゃうと美味しくないよ」

「いやいや、オメェのメシはいつもマズい、イタッ!?」

「お姉ちゃんに向かってなんてこというのよ!!」


 わざわざ靴を脱いで、硬い靴底で頭を叩かれる。


「まあ、別にムリして食べなさいとは言わないけどね……でも、今目を覚まさないと後悔するよ」

「後悔はもうしている。取り返しのつかないことを、沢山してしまった」


 施設の仲間を見殺しにし、何人かの人間を手にかけ、最後の仲間を裏切った。


「でもレオの仲間って死んだ人だけじゃないでしょ?」

「そうだけど……本当の俺は、どんなだったか、忘れてしまった」

「レオの悪いところは、目先のことしか見てないところね」


 確かに。俺はいつも、物事を深く考えず、目先のひとつにしか思考が及ばない。


「あたしの能力、覚えてるよね?」

「当たり前だ。俺は未だに、ねぇちゃんを超える固有持ちに会ったことないよ」

「そのあたしが言うのだから、これだけは信じて」


 俺はアイリーンの声に耳を傾けた。相変わらず、無邪気に顔いっぱいの笑顔を浮かべ、俺を真っ直ぐに見ている。


「レオが危険な存在だと判断したら、あたしはあの日、師匠に雪山へ行って欲しいなんて頼まなかったわ」

「え?」

「まさか、自分が偶然師匠に助けられたなんて本気で思ってる?」


 いや、確かに、ザルサスはあの極寒の雪山育ちだ。今思い返せば、あんな吹雪の中、雪山にいたことが不思議だ。


「あたしがね、頼んだの。雪山に現れる少年を助けてって。その少年は、この先の未来で、必ず世界に必要な人物だから、って」


 これは俺の夢だ。自分に都合よく改変される、ただの夢だ。


「やれやれ。レオはどうせ今、夢が脳内で構築されるプロセスを考えているんだろうけど…魔力は、あたしたちの思考を超えるのよ。レオも死ねばわかるわ」


 死ねばわかる、なんて、悲しい冗談だと思った。同時に、アイリーンらしい冗談でもあるなと思った。


「ともかく、レオはこんなところで足止めされている場合じゃない。今レオが感じている罪悪感は…そうね、あたしが病気で死んだときに感じていたものと同じよ」

「同じじゃないよ…少なくとも、施設の子どもは俺の言葉で死んだんだからな」

「違う。レオが言い出さなくても、他の誰かが結局同じことを言い出した。結果は同じ。誰が言い出しっぺになろうとも、最後に生き残るのはレオだった」


 そんなこと、どうしてわかるのか?


 ……なんてのは愚問だ。アイリーンには、最初から全てわかっていたんだ。


「全てを知ったところで、どうにもならないことはたくさんあるの。あたしの病気も同じ。レオは最期までそばにいてくれた。悲しい思いをさせてごめんね…でも、乗り越えてくれてありがとう」


 頬に熱いものが流れ落ちる感覚があった。霞んだ視界に、アイリーンの姿がボヤけてしまった。ずっと会いたかった。魔術の素晴らしさを教えてくれたのはアイリーンだった。


「俺はっ、もう、前に進めないっ!!」


 ふわりと、包み込むような花の香りがした。俺たちの故郷で、唯一咲く白い花の香りだった。


「進めるよ。あたしが死んだ時も、レオは感じなくてもいい罪悪感を感じていたけど、ちゃんとまた歩き出してくれたでしょ?」

「でも、」

「いつまでもお姉ちゃんに甘えないで」

「はあ?甘えてねぇし!」

「今まさに甘えてるでしょ?でも、だって、ってわがまま言ってさ」


 そう言われると何も言い返せない。


 俺はいつまでたっても、ねぇちゃんに甘えている。


「まだよ。レオはまだ、こっちに来てはダメ」

「なんで?」

「あなたにはまだやらなければならないことがある。手始めに、ナターリアの未来を変えて。魔力持ちが平和でいられる世界を、あなたが作るの」


 そんな大層なことが、俺にできるのだろうか。


「できるよ。だからあたしは、あの日レオを助けたんだから」


 耐えられそうにないんだ。ふとした時に、昔の仲間が目の前に現れる。それで、恨みのこもった目を俺に向けてくるんだ。


「その時は、あたしを思い出して。〈天の神、地の神、命の神、英知の神、我に勇気と力を与えよ〉って、唱えて。小さい頃みたいに、あたしを信じて」


 ねぇちゃん…俺は、早くねぇちゃんに会いたい。


「まだ、ダメ。もう少し、頑張って。そう遠くない未来で、また会えるから。それまでは、レオのそばで見守ってるから。レオはひとりじゃないよ。忘れないで」


 アイリーンの気配が薄れる。


 最後に、唇に熱く柔らかい感触があった。






「ん、?」


 嫌な予感がした。


 口の中に、艶かしく動く物体があった。


「ブッ!?」

「あ、起きた」


 思わず飛び起きて、そのまま逃げようと後退り、ベッドの反対側へ落っこちた。


「イテッ!」

「そんなに逃げないでよぉ。傷付いた」

「おまっ、お前!!」


 ペトロだ。


 そんでもって、俺の口に突っ込まれていたのは、もしかしなくてもペトロの舌だ。


「オエッ!キモッ!殺すぞテメェ!!」

「いゃあん、俺とお前の仲じゃん」

「死ね!!!!」


 本気で吐き気がした。キスくらいどうってことない生き方をしてきたが、それが男となんて…吐き気がする。


「つれないなぁ…まあでも、こっちは仕事なんだ。お前の深層心理に根強く植え付けられた、過去の記憶を探るっていう、嫌な仕事さ」

「だからって、」

「より深く繋がるほど情報は読みやすいって、レオも知ってるだろ」


 確かに、俺はペトロの固有について理解している。だからこそ、ペトロはその容姿を生かし、諜報員なんてことをやっているわけで。


 いやでも、いくら可愛い顔をしていても、男なんて勘弁して欲しい。


「夢…見たのか?」


 それにさっきまで見ていた夢の内容は、できれば知られたくなかった。


「悪い、見た」

「頼むから誰にも言わないでくれ…大事な姉との思い出や会話を、たとえ俺の夢の中のものだったとしても知られたくない」


 無様に弱音を吐く俺を、できれば、誰にも知られたくない。まあ、もう遅いけどさ。


「了解…それにさぁ、今のが夢だったとしても、アイリーンの言ったこと、軽々しく他人に話せる内容じゃなかったからなぁ…」


 それは多分、俺の死についてのことだろうとわかった。アイリーンは俺の寿命も把握していたのだろう。


 そう遠くない未来で、俺は死ぬ。


 アイリーンにまた会えるというのは、つまりはそういうことだ。


「『金獅子の魔術師』がいない未来は、どうなるんだろうな」

「さあ?俺に聞かれてもな……まあでも、残り少ない命だとしても、お前らが困らない程度になんとかしてやるさ」


 ペトロは呆れたように笑い、起き上がるのに手を貸してくれた。


「今はまだ考えるのはやめておこう。お前には今から、大仕事が待ってんだからな」

「たまには軽い仕事がしたいぜ」

「何言ってんのさ。少なくとも、特級魔術師になった時点で軽い仕事なんてないってわかってんだろ」

「ハハッ、間違いねぇ」


 軽口を叩き合いながら、俺はペトロと連れ立ってその部屋を出た。


 内装からわかってはいたが、そこはフェリルの北区にあるザルサスの住居だ。いくつかある客室のひとつで、学院生になってから来たのは初めてだった。


 柔らかい絨毯の敷かれた廊下を裸足で歩き、階下の客間へと向かう。


 魔力の気配がいくつかあり、予想した通り、そこにはザルサス、バリス、シエル、ダミアンがいた。あと、ピニョとヨエルもいたが、大きなソファに仲良く身を寄せ合って寝息を立てていた。


「レオ、もう体調は大丈夫?」


 俺が顔を出して一番に声をかけてきたのは、寝ているヨエルの隣に腰をかけているシエルだ。


「ん…大体は」


 答えながら、端っこの一人がけの肘おきのある椅子に座った。対角線上の端の椅子にはザルサスが腰掛けていて、ダミアンもバリスも壁際に突っ立っている。ペトロは、一瞬迷ってから俺の後ろに立った。


「レオ、今までのことは大体知っておる」


 ザルサスが重い口を開いた。その声音は、俺を責めているわけでも、気遣うわけでもなかった。


「知ってんなら俺を牢屋にでもブチ込むべきだろ?一応犯罪者なんだぜ」


 特級に手を出そうとし、何人かの人間を殺し、魔族と逃げ出したのだから、相応の刑罰が科せられるのは仕方ない。なのに、こんなところで匿っているとなると、ザルサス達にもトバッチリがいく。


「いや、ワシらはお前の正当性を認める。糾弾されるべきはこの国だ」

「ハッ!おもしれぇこと言うじゃん…ルイーゼに向かって、俺の方が正しいと主張するってのかよ?」

「そのつもりだ」


 敢えてニヤニヤして言ったが、すぐにそのニヤニヤを引っ込める。ザルサスだけじゃない。バリスもダミアンもガチなようだ。


 もともとジェレシスもそういう計画だったことを思い出す。但し、ジェレシスのやり方では、魔族だけではなく多くの魔術師を殺さなければならなかったが。


「証拠は揃えてある。お前のいた研究所の職員を何人か拘束している。ペトロが調べた情報とダミアンの研究データ、クラハトで見つけたファイル、それと、お前自身の証言があれば十分にルイーゼを失脚させることができる」

「お前がやった事も、魔族に強要されていたって事でなんとでもなる。なにせ、お前は『金獅子の魔術師』としてこの国に必要な存在だからな」


 いつになく真剣にバリスが言った。


 ザルサス達の言っていることは、確かに理にかなっていると思う。


 ジェレシスと共に罪を犯し続けることが重荷だった事も認める。


 平和に、穏便に、全てに型をつける方法を、みんなが俺のために考えて実行してくれたのもわかる。


 シエルなんて魔族なのに、ジェレシスにバレないようにコソコソして、人間と連んでいたんだろうと思うと笑えるけど、でも……


「俺の…このドス黒い感情はどうすればいいんだ?」


 じゃあそれでよろしく!と、簡単には言えない。だって俺は、最初こそジェレシスの言う責任を果たすつもりで手を貸していたが、復讐を続けることを決めたのは俺自身だ。


 かつての仲間と、生き残ってしまった自分の為に、俺たちをこんな目に合わせた人間も、魔族も、みんな殺してやろうと……それだけが、俺にできる償いだった。


「俺はジェレシスと復讐を果たす方が良かった……なんで邪魔すんのさ?やりたいならお前らが勝手にやれよ!俺は…俺は今まで通りで良かったんだっ!!」


 ただただ惨めだった。


 俺は、自分で何も決められず、やっと見つけた役目をも全うできないクズだ。


 挙句には誰彼構わず怒鳴り散らし、無様に泣いて、誰かに縋るクズだ。


「アイリーンが……お前を助けろと言った時、ワシは一度拒否した」


 バリスやダミアン、ペトロもシエルですら、ザルサスの顔を見た。その言葉の意図を汲み取ろうとしているようだ。


「ヴィレムスの雪山は厳しい。その日は吹雪だった。すでに降り積もった深い雪の中へ、ワシは危険を犯してまで入ろうと思わなかった。しかしな、アイリーンは、それなら自分が行くと言ってきかなかった。そこまでして、その少年を助けたいんだとわかった」


 そこでひとつため息を吐き出し、ザルサスは続けた。


「結果的に、その時助けた少年の才能に魅せられたワシは、師匠として、親として、少年の成長と次から次に成す偉業に正直鼻が高い思いをした。手のつけられないガキだったお前に、魔術の素晴らしさを教えたアイリーンのことを誇りに思った」


 俺の目を真っ直ぐ見つめて、ザルサスは急に笑い出した。


「お前はワシの誇りであり、同時にアイリーンの残した奇跡であり、血は繋がっていなくとも可愛い息子だ……そんなお前が、人の道を踏み外す様を見ていたいわけなかろうが……」


 いつのまにか、俺はみんなに見られているのも忘れて大粒の涙を流していた。涙に濡れた視界の先、ザルサスの後ろに、アイリーンの幻覚が見える程だった。


 不思議と、過去を思い出してから聞こえていた、かつての仲間の声は聞こえず、たださっき見た夢の中で、アイリーンが言った言葉だけが響いていた。


「ワシはもう少しはやくに、お前の過去について気を配るべきだった。本当にすまない」

「ジジイが謝ることじゃないだろ」

「いや、お前が抱えるものを考えると、この国に尽くすのは酷なことだっただろうと理解できる。ワシはお前やアイリーンを信頼していたつもりで、実際には追い詰めていたんだのう」


 罪悪感が消えたわけではなかった。


 ただそれ以上に、ザルサスの思いが他のことを押し流した。過去を突き付けたのがジェレシスなら、未来を与えてくれるのはアイリーンの言葉と、目の前でこんなクズな俺を助けようとしてくれる仲間だ。


 与えられた状況を深く考えもぜず、甘えていたのは俺の方なのかもしれない。


 もう話せもしない死んだ仲間の言葉より、今目の前にいる仲間を信じてもいいのかもしれない。


 国の思惑によって酷い目に遭わされた俺だからこそ、アイリーンの言う通り、俺がこの国を変えるべきだとさえ思い始めていた。


 ジェレシスの言う、責任を果たす方法はひとつじゃない。


「レオは昔から、目先のことしか考えてないアホだよね。あと、けっこう甘えん坊だ」

「あまっ、ちょ、んなことねぇよ!!」


 ニヤリと笑うシエルが、言わなくてもいいことを続けて言う。


「いつも僕が決めてあげないと動かないじゃん。それが今回は、あんなヤツの言うこと聞いちゃうからさ…」


 あんなヤツ、とは、多分ジェレシスのことだ。


「何お前?妬いてんの?バカじゃね?」

「うるさいよ…顔面ぐちゃぐちゃの君に言われたくない」


 俺は急いで、シャツの袖で涙を拭った。


「正直まだ、関わったヤツら全員殺してやりたいと思ってる…でも、お前らがそこまで言うんなら、いいぜ、俺がルイーゼを地獄に落としてやる」


 いつも俺の背中を押すのは、もう会えもしないアイリーンだ。


 もうすぐ会えるのなら、俺はこの僅かでも残った命をアイリーンの言葉のために使おう。


 全ての魔力持ちの未来のために、なんてクズな俺には荷が重すぎるが、かつての仲間の恨み言も、目の前に生きる仲間の望みも抱えてやろうと思えた。


 迷いは眼を曇らせる。


 感情は魔力コントロールに影響を及ぼす。


 初めて人を手にかけてから感じていた不調は、俺の迷いが感情に現れていたからだと気付いた。


「よし!俺はもう迷わねぇ……ルイーゼに土下座させてやる!」


 俺の言葉に、全員が呆れたような、それでいて嬉しそうな顔でニヤリと笑った。

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