第114話 魔族と魔術師8
☆
クラハトの入り口は、いたってなんの変哲もない荒野の真ん中に存在する。ナターリアの南の国境を出た先にある荒野だ。
もちろん普通の人間には、その存在を感知する事はできない。ただ荒野が存在するだけだ。
でも、入り方を知っている者がその手順を踏めば、その街は門を開く。別に本当に門があるわけではないけど。
「シエル、お前がやれ」
「えぇ?僕?」
「お前の血の方が確実だ」
「仕方ないな」
俺たちは荒野の真ん中に固まって、シエルが心底嫌な顔をしながら袖をまくって左腕を出し、反対の手で白い肌を切り裂くのを見ていた。
クラハトへ入るには、魔族の血が必要だ。それが条件であり、人間がその街に入るためには、かなり困難を極める条件でもある。
要するに、魔族の友達がいないと入れないのだ。
シエルの流した血が、乾いた地面を赤く染める。静かに目閉じ、ふと開けると、俺たちはすでにその街の中に立っていた。
荒れた大地の中に、決して人の目に触れることのないその街は、色とりどりの花が生茂る自然豊かなところだ。
「これは…すごいですね…」
そう呟いたのはダミアンだ。
「俺も初めてここに来た時、同じ事を思ったよ」
青く澄んだ空、咲き乱れる色とりどりの花、そこに泥を塗りたくったような、のっぺりした建物が立ち並び、街を歩く人々には笑顔が浮かんでいる。
まあ、半数以上が人の形に留まらない姿をしている点を除けば、至って普通の平和な街がそこにあった。
「ここは魔族と人間が唯一共存する街。もともとどちらの種族からも迫害され逃げてきた者たちが寄り集まってできたんだ」
「噂には聞いていましたが…想像以上に平和なところですね」
「そりゃそうだ。ここには魔族の連れがいないと人間は入れないし、ここから出ようと思う奴もそういない」
「不思議ですね」
研究者であるダミアンからすれば、さぞ不思議だらけで興味が湧くだろう。
だけど、ここには悲しい歴史がある。
人の形をなしていない魔族とは、要するに持って生まれた能力が劣っているということだ。シエルのように貴族に生まれるものの中にも、時々先祖返りと呼ばれる獣人型やわけのわからないヒレとかエラとか、鱗とかを持つものがいる。
そういう者は大抵子どものうちに殺されるか、捨てられるのだが、ここにはそういう経緯のものが集まっている。
もともと人間の街だったところに魔族のはみ出しものが共存するようになり、今ではこの街の住人の殆どが魔族と人間の混血らしい。
感知でわかる範囲で、コイツは魔族、コイツは人間と断定できる魔力は感じられない。ここでは、魔族や人間という区別は存在しないのだ。
色々興味深い逸話のあるの街なのだが、一番有名なものに、最初に魔術師を名乗ったのがクラハトの混血である、という話がある。
その混血が各地に広がり、魔力持ちを産むようになった。だから時々魔族のように固有魔術を持って生まれる事がある、などと言われている。
真偽はわかっていない。でももしそれが本当なら、人間の中には、すでに魔族の血が混ざっていることになるから、この話を毛嫌いする者もいる。
ちなみにここを覆っている結界は、その最初の魔術師が街を守るためにエンチャントをかけたと言われている。魔力の無い人間が、魔族と分かり合えるならば入れるという、随分と皮肉の効いた条件設定だ。
「んで、なんでここに来たんだよ?」
街の中心へ向かう小道を歩きながら、ジェレシスに聞いた。昨夜のダメージで、気絶するように寝ていた俺だけが目的を聞いていない。
「オレを治した組織のアジトがここにある。今もまだあるのかは知らんが」
「なるほどな。外界から隔絶されてるから、拠点にするなら丁度いい街だ」
しばらく歩くと人通りが増えた。俺たちを見て怪訝な顔をする者も増えてきた。普段滅多に外から人が来ることがないから当然の反応だ。
さらに街の奥へと進み、田畑が広がる一帯へ向かう。街とはいえ、ここの広さは並じゃない。ちっさい森まであるのだから、街とはなんぞや?という気分になる。
その森の側に、一軒の家があった。街の他の家とそうかわらない、泥を塗り固めくり抜いたみたいな家だ。
「ずいぶんみすぼらしい隠れ家だな」
俺が皮肉っぽくそういうと、ジェレシスがバカにしたように笑う。
「仮にも国家の威信をかけた研究だったんだぞ。これが全部なわけねぇだろ」
確かに。ってことは、また地下にでも研究所がひろがっているんだろう。
と、予想した通り、ジェレシスはその家の中へ入ると、勝手知ったる我が家のように、迷わず床板を数枚剥ぎ取って、現れた地下への扉を引き開けた。
「カビ臭ぇ」
ひとり立っているのがやっとの階段を、縦に並んで地下へ降りると、湿気の多い環境のせいでかなり異臭がした。
ジェレシスが拳大の火の玉を出した。
俺より酷い顔をしたシエルが、ブツブツと文句を言っている。どうせ風呂に入りたいだとか、着替えたいだとかそういうことだと思う。
地下は、パーシーの森の施設と同じく、パネルを継ぎ接ぎしたような壁と床だった。ただ、あまり広くはないようで、俺たちは一塊になってジェレシスの後を追う。
ピニョが俺の服の裾をギュッと握りしめていた。
カツカツと靴音を響かせ、進んだ先の半壊のドアを抜ける。一際強い異臭がして、俺たちは無意識にその異臭のもとを探した。部屋の中に散らばる書類や、試験管や薬品の瓶、倒れたいくつかの椅子と、その中に。
「死体…」
呟いたのはダミアンだ。
「またずいぶん嫌な死体だな」
「湿気のせいで腐敗が酷い」
「死んでから結構たっているな」
俺とシエルとダミアンは、多分同じことを思った。近寄りたくないなぁ、と。遠目に翅のある虫が飛んでいるのがわかる。
「チッ、お前らなぁ…」
ジェレシスが呆れて言った。それから、その腐敗した死体へと近付く。
俺たちはそれぞれ、別の棚や机を物色した。俺はあんまり動きまわりたくなくて、その辺の椅子を起こして座り、書類の束に目を通した。
内容はジェレシスの観察記録であったり(今日は何食べたとか、どんな話をしたとか)取り留めのないものが多い。研究職は、なんでも記録に残すのが大変だなあとか思った。
何冊目かのファイルに手を伸ばし、中身をペラペラとめくる。
気になる単語があった。
「人間の魔獣化について…?」
思わず漏れた声に、近くにいたシエル(手をポケットに入れたままウロウロしていた)が近付いて来た。
「最近の流行っていうとあれだけど、貴族たちの中には人型の魔獣を操っているヤツらが増えているね」
「趣味の悪い魔族だよな、ホント」
「でも理にかなった形状だと思うよ。僕らだって、たまに先祖返りが生まれるけど、結局は人型優位だし。人間を魔獣として操れるのなら、武装させて兵隊を作ったりできるからね」
まあ、僕は狼が好きなんだけど、とどうでもいいことを言うシエルは放って置いて、俺はその資料に目を通した。
それで、わかった。
「ダミアン」
「なんです?」
呼びかけると、ダミアンはすぐにやってきた。
「俺たちが定期的に投与されていたあの液体ってさ、俺が今飲んでるヤツと同じか?」
言いつつ、ポケットに常備してある小瓶を取り出す。何度となく助けられてはいるが、未だにその成分を知ろうと思わない。なんだか恐ろしいから。
ダミアンは怪訝な顔をして答えた。
「……レオンハルトさんの身体に合わせていますが似たようなものです」
「魔力反発を減少させる効果があるんだよな?」
「まあ、大まかにはそうです。なにか気になることでも?」
思考を巡らせ言葉を探す。
「もし、この街の成り立ちが本当なら、この世のほとんど全ての人間には魔力があるということになるよな?」
「急にどうしたの?」
シエルが首を傾げ、ダミアンは続きを促すように押し黙った。
「例えばだけどさ、俺やジェレシスみたいな混血を作り出す過程で、強すぎる魔力と脆弱な肉体の反発を防ぐための薬を生み出したとして、それを普通の人間が摂取した場合どうなるんだ?」
あの施設で、俺たちが投与されていた薬が、魔力をスムーズに馴染ませるためのもの、または魔力の循環を良くするものであるのは間違いない。そのおかげで、あの施設にいた子どもはみんな、詠唱も円環もなく魔術が使えた。人間の肉体でありながら、魔族と同じことができた。
それを生身の、普通の人間に投与したとしたら。
そして、人間にはもともと魔力が備わっていて、その力に大小はあれど、誰しもうちに秘めているとしたら。
「暴走するでしょうね」
「なんで?」
「あなた達があの薬を投与され続けて平気だったのは、そのための遺伝子操作によって産まれた存在だからです」
「平気じゃなかったけどな!めちゃくちゃ体調不良になったし!」
「それは…すみません」
こっちとしては、散々吐いたことを覚えている。
「でも、それで済むということが奇跡だったんです。普通の魔力持ちや、ただの人が摂取した場合、急激な魔力の循環に身体が耐えられないでしょう」
「レオはもしかして、それが人型の魔獣だって言いたいわけ?」
シエルがニヤリとして言った。それに、あっ!と、ダミアンの顔色が変わる。
「さあ?憶測にすぎないけど」
「いや、あながち間違いじゃないかもしれません……この研究自体、もともとは魔族と人間の争いの上に立ち上げられたプロジェクトだったわけですし、人間より圧倒的に数の少ない魔族からすれば、人間自体を操って戦うというのは効率的です」
「この研究所が捨てられたのは、魔族にとって有益な薬を手に入れることができたから、か」
「それは有り得る話ですね」
しばらくの沈黙。多分、それぞれ何か思うことがあるんだろう。ダミアンの歪んだ表情には、自責の念が読み取れる。シエルは……ようわからんかった。
「じゃあオレたちの今後の標的は決まりだな」
重い沈黙を破ったのは、ニヤニヤと笑うジェレシスだ。
「ゲスいこと考えている貴族をぶっ殺しに行く」
当然だとばかりにジェレシスは言った。
俺もそれに賛成だった。元凶がどうであれ、その薬は、俺たちが作り出したも同然だと思ったからだ。
でも、そこでダミアンとシエルが声を上げた。
「いや、この事実を公表すれば、私たちの正当性を世の中に広めることができます」
「僕もダミアンに賛成。ナターリアは言い逃れできないと思うよ。それに、今魔族に向かって行って、レオが保つと思う?確実に死ぬよ」
ここに来て、それは明確な対立だった。
「ちょ、ちょい待てよ。これは俺たちの問題なんだ。シエルもダミアンも、手伝ってくれるのはありがたいけど…」
「レオは黙りなよ。本当に死にたいの?」
死んでもいいさ、なんて、言えるわけない。ダミアンもシエルも、嫌ってほど真剣だった。
「レオ様…ピニョもシエルに賛成です…レオ様に死んで欲しくないです……」
挙句に、俺の手を握りしめたピニョが、潤んだ瞳を向けてくる。必死に泣くまいと唇を噛み締めている。
俺はどうすればいい?
途端に息苦しさを感じた。空気の悪い地下だからだ、と自分に言い聞かせ、いうべき言葉を探す。
でも、時間が経てばたつほど、俺はどうするべきかわからなくなった。
「なあレオ、お前はわかってるよな?お前のしなきゃなんねぇこと」
「それは…」
わかってる。
十分すぎるほどわかってるつもりだ。だってほら、今だって、仲間だったみんなが俺を睨みつけているから。
恨めしい顔で、お前はまた裏切るのかと、俺を睨みつけている。
参ったなぁ。
どちらにしても、俺は誰かを裏切るしかないじゃないか。
「レオンハルト、戻って来い」
その声は突然で、俺はビクッと肩が震えたのを自覚した。
視線を向けるのが怖かった。
「お前ら…いつからそのつもりだったんだ?」
「今日だよ。つい、さっきね…まあ、それなりに準備はさせてもらったけど」
シエルがニヤリと不敵に笑う。
「レオンハルト」
再度の呼びかけに、俺は意を決して顔を上げた。
ザルサスが部屋の入り口にいた。バリスとペトロも一緒だ。
「なん、で…?」
「僕が呼んだ。ここに来る前に、先に〈転移〉で連れてきておいたんだ。そろそろ君が限界だから」
いつから?とか、どうやって?とか、色々疑問は浮かんだ。
そのどれもを、口にする前に、ジェレシスの不気味な笑い声が地下空間に響いた。
「アッハッハ!!そうかよ…レオ、オレはお前を、あの時助けなければ良かったんだ…いつだって殺せるチャンスはあった。でもオレは、過去の記憶を思い出したお前は裏切りはしないと鷹を括っていたようだ。オレも思い出したぜ…お前は、いつだって、薄情なヤツだったってな」
「ま、待てよ…俺は別に」
助けて欲しいとは、誰にだって頼んでない。
なのに、起こってしまったことはどうしようもなく、そんなどうしようもない現実に、俺はいつも争うことも、立ち向かうこともせずに流されてきた。
ジェレシスはこれまで以上に憎悪のこもった目を向けていた。
「次は殺す。オレはお前を、絶対に許さない」
特級魔術師が四人もいるのだから、それは最善の選択だったと理解している。でも、ジェレシスは俺の話を一切聞かず、〈転移〉を発動して瞬時にその場から消えた。
「ジェレシス…」
あの時と同じだ。
無意識に伸ばした手は、結局誰にも届かない。
息苦しかった。
それは多分、ここが地下空間で、密閉されて空気の通りが悪いからだ。
その密閉された空間は、俺の心の中と似ている。
裏切りと後悔。懺悔と憎悪。
それらを解放するための空気穴は消えた。自分の知らないところで、ギュッと押し固められて出口を失った。
俺の心の空間は、周りの人達の優しさや思いやりで塗り固められている。
「うまくいきましたね」
「もちろん。僕に抜かりはないよ。ザルサスさえ呼べば、ジェレシスは逃げ出すと思っていたけど、本当にあっさり消えたね」
「全く、お前らは危ねぇこと考えやがるぜ…急に現れて、今日ならレオを助け出せるとかなんとか、もう少し作戦を立ててからだな…」
「ジェレシスはいつも事前に行く場所を言ったりしなかったからね」
「今日は本当にたまたまだったんです。それと、偶然とはいえ、ナターリアに突きつけられる資料も発見できましたし」
「人質にしてる元研究員の証言だけじゃ足りないかもしれないと思っていたから良かった」
そんなシエルやバリスたちの会話を、俺は聞いていなかった。いや、聞いてはいたが、理解が及ばない。
「レオンハルト」
いつのまにか、目の前にザルサスがいた。
「よく耐えたな」
何を言っているのか、わからない。
耐えなければならないのは、これからだ。
「や、やめっ」
「レオ?」
目の前が暗くなる。
その闇は、そのまま俺の心の空間だった。
密閉された空間には、俺と、ジェレシス、あと失った仲間の姿があった。
『裏切り者』
『結局、楽な方を選ぶのね』
『お前も死ねばよかったのに』
思わず耳を塞ぐ。でも、それは俺の内側から響いてくる。
消えない。
復讐を、責任を果たせなかった俺には、その声を消すことができない。
「やめろ!!」
プツンと何かが切れた。
身体から力が抜けると同時に、何も考えられなくなった。
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