第111話 魔族と魔術師5
☆
ローレンスは北部の小さな町だ。ヴィレムスの山の麓にあり、秋口に入ってすぐだが、既に肌寒い風が吹いている。
ヴィレムスに住んでいたときに来たことがある。大概のことを山で済ませられるといっても、町へ出ないと手に入らないものもあり、俺はザルサスとアイリーンと年に何度かここへ来て、薪や干し肉なんかを売っていた。時には魔術を使って物を直したりもしたっけ。
それで稼いだ金で、必要な物を買って山へ帰る。それだけの小さなお出掛けだが、俺もアイリーンも楽しみにしていたのを覚えている。
「あの人、だよね」
シエルがグラスに入った赤ワインを飲みながら視線を向けた先には、キビキビとフロアを回りながら客の注文を受けたり、料理や飲み物を運ぶ女がいた。
俺たちがいるのは、寒い地方の町によくある感じの安酒場だ。厳しい寒さを乗り切る為に、北部にはこういった店がけっこうある。
酒の据えた匂いが染み込んだ小屋に、ぎゅうぎゅうに置かれた椅子とテーブル。オレンジの温かい灯りと、嗅ぐだけでヨダレが出そうな食事の匂い。
どれも懐かしいが、同時に記憶を取り戻す前のバカみたいに無邪気な自分の姿も思い出してしまう。何もかも無かったことにしたガキの俺は、アイリーンとくだらない話をしながら食事をして、酔っぱらったザルサスを揶揄って遊んでいた。
今はそんな思い出すら罪深いような気がする。
「レオ…聞いてる?」
「ん、ああ。悪い……」
一度頭を振って空っぽにして、シエルの視線の先を見た。
出来るだけ目立たないようにと、角のテーブル席を選んだ俺たちの近くを、その女が忙しなく通り過ぎた。
「あの人で間違いない」
十年経って歳取ったなあ、と思えるくらいには、俺はその人の事を覚えていた。目尻や口元のシワが深く、歳の割に老けて見える。
「そろそろ閉店の時間だけど、レオは何もいらないの?」
「お前な…その図太い神経にはこの俺でもビックリ仰天するぜ」
「だってダミアンの隠れ家には酒がない。美味い物もない。楽しめる時に楽しんだ方がいい」
言うや否や、シエルは山羊のチーズを摘みながら赤ワインを飲む。
お前は魔族だろ?と思うが、言ってもムダだ。
「お前ほどグルメな魔族も珍しい」
「だって僕お坊ちゃんだからね。食事は腹を満たすだけじゃなくて、楽しむものだって知ってる。君と違って教養があるから」
「空気が読めねぇだけだろ」
付き合いは長いが、ここまで四六時中一緒だったことはない。そんでもって、ここまでウザいと思ったこともない。
「そろそろ出ようか」
「おう」
シエルが片手を上げると、違う女がやってきて会計を済ませる。笑顔でさりげなくチップを渡す様は、とても魔族には見えない。
「馴染みすぎだろ」
「教養があるんだって」
「ウゼェ」
店を出ると、俺たちは深夜の静かな路地裏へと身を隠す。狙っている女の家は、ここから数メートル離れた小さな小屋だ。魔術師として稼いでいた割に、質素な生活をしているなと思った。
いつもの如くこみ上げてくる吐き気を堪える。手が震えているのは、寒いからだけじゃない。それでも、最初よりはマシになった。
マシになっていい感覚なのかは、この際考えないことにしている。
しばらくすると、今回の標的である女が店から出てきた。同僚の女と並んで、何か楽し気に話しながらこちらへ向かって歩いてくる。
「やっぱり家に帰ったところを狙う方がいいね」
「そうだな」
シエルが俺の袖を摘み、〈転移〉を発動。向かったのは女の家の前で、俺たちはまた、家の横の暗がりに身を隠す。
ザッザッと土塊を踏む音が徐々に近付いてくる。同僚とは別れたようで、足音はひとつだ。
「玄関に入ったところに押し入るなんて、俺たちはまるで強盗だな」
「命を取っちゃう強盗ってことか」
「……笑えねぇよ」
自分で言っておいてなんだが、本当に笑えない。
女が家の前に立った。
俺たちはサッと地を蹴って駆け出す。
女がドアを開けた瞬間、背後から忍び寄って腕を後ろで拘束した。シエルが後ろ手にドアを閉める。
「きゃ、誰!?」
「俺の質問に答えてくれ」
女を壁に押し付けてそう言う。今回は情報収集も兼ねているから、殺す前に他の研究者の居場所を聞き出す必要があった。
居場所を知らなくとも、何か他に情報が得られればジェレシスも満足するだろう。
「あんたの関わっていた研究…あの施設にいた他の魔術師の居場所を知らないか?」
そう言った瞬間、女は身体の力を抜いた。それから、ふうっと息を吐く。
「あなた、レオンハルト……でしょう?」
「っ!?」
思わず手を離して後ずさる。シエルが俺の後ろで、小さく舌打ちをこぼした。
「やっぱりね。大きくなったわね」
振り返った女が、冷めた目をして俺を見ていた。酒場で見た明るい笑顔ではなく、まるでまな板の上の魚でも見るような目だった。要するに、生物の命を何とも思わない研究者の目だ。
「かつての関係者が死んでるのは、あなたの仕業ね。まあ、そうなんじゃないかとは思っていたけれど」
「わかってんならさっさと情報を渡せ」
急に名前を呼ばれて俺は動揺していた。女はそれをわかっていて、余裕の笑みを浮かべる。
「知らないわよ。十年も前のことだもの。それに、わたしはあんたたちの保育士みたいなものだったのよ?毎日毎日子どもの面倒ばかり見ていたわたしが、一体なにを知ってるって言うのよ?」
女は腕を組んで壁に背を預け、横柄な態度で続ける。
「あの施設が閉鎖されて、わたしはホッとしたのよ。もうガキの面倒を見なくて済むってね。あんたたちがなんも知らずにウザいくらい無邪気に力を使うのを、魔術師として嫉妬しなかったとでも思ってんの?特にあんたよ。ガキのくせに、特殊魔術をまるで息をするのと同じように使いこなして。腹立たしいのに、こっちは仕事だから我慢してたのよ」
知らなかった。この女が、そんなことを考えていたなんて。
雷系統の魔術を極めようと思ったのは、一人の女研究者が褒めてくれたからだった。
それが、こんな奴だったなんて、俺は全く思いもしなかった。
「わかったなら帰ってよ。話すことなんてなんにもないし、あんたが『金獅子の魔術師』とか言われてんのも腹が立つのよ……他人から与えられた力なのにチヤホヤされてさぁ」
心が冷えていくのがわかった。今なら俺は、この女を罪悪感もなく殺せる。
ドス黒い感情とともに魔力が勝手に湧き出してくる。それは今までになく歪で禍々しく、俺の感情をそっくりそのまま映したみたいだった。
それと共に身体を蝕む〈封魔〉の呪いが、必死で俺を止めようとしているように感じた。
「レオ、やっていいよ」
「いいわけないでしょ!?帰ってよ!!」
シエルが気遣うように言う。珍しく優し気な声だ。女の言葉は完全に無視した。
周りの空気が、細かな電気の粒子を帯びてバチバチと弾ける。このままこの女を感電死させてやろうかと、脳内で女の死に様を想像する。
目の前の女は、ヤバイ雰囲気を感じ取ったのか身を硬らせ、恐怖の浮かんだ瞳を俺に向けていた。
でも、それが現実になる前に異変が起きた。
「誰か来る」
時刻はとっくに深夜零時を回っているはずだ。だが、その気配は真っ直ぐにここへ向かっていた。
「魔術師が四人だ。レオと僕なら勝てるが、あまり目立ちたくはない」
さっさとしろって事か。
「わかった。すぐに終わらせる」
女がヒッと息を飲む。俺は片手を掲げて、イメージを現実にしようと力を解放……する前に、一際スピードの早かった魔術師が玄関へたどり着いた。
バタンと開けられるドア。そして、叫ぶ声は聞き覚えのあるものだった。
「なにやってんのよ!レオ!!」
「イ、イリーナ?」
驚いて振り返る。そこには、獣化したイリーナがいて、泣きそうな怒った顔で俺を睨みつけていた。
「あんたどうしちゃったのよ?戻ってきてよ!」
なんで?とか、逃げなければとか、色々な感情が渦巻いた。それが隙を作ってしまい、女は咄嗟に身を翻して逃げていく。裏口へ向かったようだった。
シエルがまた舌打ちをして、女を追いかけて行った。
「イリーナ…どうしてここにいる?」
「あんたを探してたのよ。ザルサス様が、あたしたちに頼んできたの。弟子を連れ戻してくれって。あたしたちもレオを探していたから、色々話を聞いちゃって驚いたけど……でも、ただあんたに帰ってきて欲しくて」
イリーナの言葉はいまいち要領を得ないが、どうやらジジィの差し金らしい。それと、俺の過去の話も、どうやってか知らんが把握しているようだ。
「そっか…まあ、知ってんなら話は早いな。俺はしばらく戻れない」
フェリルに戻る時は、ルイーゼを始末する時だ。いつになるのかはわからないが。
「お前も知ってると思うけど、俺は今犯罪者なんだぜ。んな状況でのこのこ帰ったら、確実に死刑だろ」
「でもちゃんと理由があるんでしょ?」
理由は明白だ。こんなこと、俺がやりたくてやってるとでも思ってんのか?
「お前らには悪いけど、今更辞めるって選択肢はないんだ。俺はクズだから、簡単に今までの繋がりだって捨てられるんだぜ」
余計なこと言ったな、と思った。だが、一度言ってしまった言葉を取り消すことはできない。
「だったらおれとの師弟関係も解消か?」
追いついてきたユイトが、静かな声で言った。その後ろには、リアとペトロの姿もあった。
「悪いが、そうしてもらえると助かる」
「ほんとお前ってクズだよな」
「その通りだよ」
一応、内心では申し訳ないと思っていた。だって俺は、自分の過去も知らずに生きていたんだから。知っていたらまず弟子を取ろうなんて偉そうなマネはしなかった。そもそも、魔術師にすらなろうとも思わなかっただろう。
「でもな、そんなクズなお前でも、帰って来いって思ってる奴がいるんだよ」
ユイトは感情を見せない声音で言った。魔術師として、冷静な態度でいられることは良いことだ。やっぱりユイトには才能がある。
「んじゃあ力尽くで連れて帰れば?手足引き千切って内臓でも引き摺り出しゃ、さすがの俺も抵抗できねぇ」
逆にそれくらいしてもらわなければ、俺がジェレシスの元を離れる言い訳にはならない。まあ、シエルが飛んでくる前にという期限付きではあるが。
「わかった…もともとおれはそのつもりで来た。そうやって言い訳して、自分は悪くないってことにしないと選べねぇんだもんな、レオは」
「さすが俺の弟子。ようわかってんじゃん」
ユイトは本気だ。その証拠に、ユイトの魔力は激くはあるが粗さはない。逆にイリーナの魔力には、感情の波が激しく反映されている。イリーナもユイトを見習えよと思う。
不思議だったのはリアの魔力だ。こうしてみんなと敵対してみるとわかったのだが、リアはあまり魔力コントロールに感情が乗らないタイプのようだ。
単に落ち着いているといえばそうなのだが、そういうタイプは、躊躇いなく冷静に判断を下す事ができる。戦場において指揮官に多いタイプだ。
まあでも、コイツら程度が俺に勝てるわけもないんだが。
なんせ俺は、人工的に最強であるように作られた魔術師なんだから。
俺は魔力を込めて指を鳴らした。その瞬間、バチチと雷光が空気中を走り抜け、真っ直ぐユイトへ向かっていく。
ユイトはそれを長剣で難なく防ぎ、より一層真剣な顔で構えた。その横に、イリーナが俊敏な跳躍で着地する。
「マ、マジでやりあうつもりか?本気か?俺はやめた方がいいと思うよ!?」
ペトロが数歩後ずさって言う。コイツは戦闘はからっきしで、ほっといても問題ない。
家の前の通りで向かい合う。夜中の静寂が、息を殺して俺たちの戦いを見守っているようだった。
「〈業火でもって、焼き払え:炎撃〉」
ユイトが火の球を放つと同時に駆け出す。俺はその場に立ったまま、眼前に見えない防壁を築いて三人の出方を見ていた。
火球は俺の防壁に当たって消えた。その後を、ユイトの長剣が迫ってくる。その数秒先にリアの〈解術〉の矢が俺の防壁を崩した。
なかなかにいい連携だと思った。そうなると、火球を避けた俺はユイトの剣を受けるか避けるしかない。で、そこにイリーナが、〈風刃〉を纏わせた短剣を構えて突っ込んでくるという作戦だろう。
「悪いが、やっぱりお前らは俺に勝てない」
ユイトの長剣が目前に迫ると同時に、俺は魔力を解放した。詠唱も円環もない、魔族と同じように魔力そのものを属性変換させる。網目上に走った電撃が、ユイト、イリーナ、リア、ペトロに直撃した。
「ウガッ!!!!」
「きゃあっ!!!!」
近くにいたユイトとイリーナが悲鳴を上げる。
それでも、二人とも地に膝をつくこともなく、再び向かってきた。
「〈空を裂き、風の刃となれ:風撃〉!!」
「うるあああっ!!」
イリーナの魔術を数センチ単位で読んで避け、間合いを詰めたユイトの長剣の腹を蹴り飛ばす。体勢を崩しながらも、ユイトが足払いをかけてきたのを飛んで躱して、左側から突き出されたイリーナの短剣を、手首を打って弾く。
二人が近接的な攻撃を続けると、途端にリアの出番がなくなるわけで。
惜しいなぁ、なんて思ってしまった。
コイツらのこれからを、俺は見てやれないんだなと、少しの後悔が頭をよぎった。
だけどそれは、過去の仲間にも言える事だ。彼らだって未来があったわけだが、俺はそれを壊してしてしまった。
俺は十分、第二の人生を楽しんだと思う。
後悔は死ぬ前にすればいい。後先は考えない。いつもそうしてきただろう?
「さて、そろそろシエルが戻ってきそうなんだが、まだ続けるか?」
思考を中断して問う。色々考えている間にも、二人の攻撃は続いていたが、どれも特筆すべきこともなかった。
ハアハアと息を切らせたユイトとイリーナは、諦めるどころか目をギラつかせている。
「レオが帰ってきてくれるならやめるわ」
「おれも」
本当いい根性してやがるぜ。
「俺は今すぐやめた方がいいと思う!!ほら、もうみんなボロボロじゃん!」
「オメェはちょっとは手伝ってやれよ!!特級魔術師だろ!?」
「ムリムリムリムリ!特級だからレオの敵にはなりたかねぇんだよ!!」
ペトロは相変わらずだ…やれやれ。
「んじゃあそろそろ終わりにしてやる」
俺がそういうと、全員が身構えた。
正直俺も限界だった。魔力の直接属性変換は〈封魔〉をこれでもかと刺激する。それに最近まともに休息も食事もとれていない。
これが最後と判断し、確実に全員の意識を刈り取る為に魔力を調節。電撃を放とうと指を鳴らす、寸前の事だった。
「〈風龍の咆哮、炎龍の息吹、地を洗いて清めよ:風炎双破〉!!」
ユイトが息を切らせて放ったのは、炎を纏った風の砲撃だった。まごう事なき二級魔術だ。いつのまにそんな高度な詠唱を覚えたのか知らないが、それは俺の予想を上回る威力を持って襲ってきた。
「っ!!」
咄嗟に電撃を放って、間髪入れずに魔力を押し固めた防壁を築く。ギリギリだ。ユイトの魔術が、俺の防壁にぶち当たって左右に割れた。
「ゲホッ、ゴホッ…はぁ、はぁ」
ビチャビチャと血を吐き散らし、膝から力が抜ける。なんとか防いだが、これ以上動けそうにない。
辺りに視線を向けると、ユイトとイリーナが地面に倒れたまま動かない。呼吸はあるから、電撃をまともに食らって気絶しているようだ。
が、リアとペトロの姿が無い。
マズい。もし今攻撃をくらえば、確実にヤバい。そう判断して、俺は何も考えずにまた防壁を築く。身体が悲鳴をあげているが、気にしている余裕はない。
「へっへー!かかったなクソガキ!!」
ペトロの声がした。右からだ。そっちに視線を向ける。リアの〈解術〉で、俺の電撃のダメージを受けなかったようだ。
「〈解術〉!!」
「なっ!?」
無詠唱で俺の防壁を壊したのは、左から来たリアだった。ボロボロすぎて気配を追う事も、とっさに逃げることも出来なかった。
「お前の頭ん中、俺に見せてみろよっ!」
「やめ、」
ペトロの手が迫る。その掌が俺の額に触れる。
ほんの数秒だったと思う。それで、ペトロには十分だった。
ペトロの魔力が、俺の頭の中を洗いざらい覗き見ていく。最低の気分だ。ケツの穴を見られるのとどっこいどっこいの気分。まあ、他人にそんなとこ見られたことはないけど。
「レオ!!」
シエルの声がした。
「やっべ」
ペトロは慌てて手を離し、リアの手を引いて後方へ退避。俺はペトロの魔力の余韻で意識が朦朧としていた。
「君は特級魔術師のひとりだよね?」
「そーだよ。魔族のあんたは…シエルか。なるほど、随分長くレオと親しくしているわけだ」
「……レオに何したの?」
「それは秘密。本人に聴けば?って、ちょっと話せそうになさそうだけど」
シエルは俺の横に立つと、軽くため息を吐き出した。
「帰るよ」
返事をしようにも、声も出なければ指一本動かない。気を抜くと倒れそうだ。
「今日の所は許してあげる。次は殺すから」
「魔族怖っ!!」
ペトロは心底ゾッとした顔で叫んだ。
俺の腕を掴んで、シエルは〈転移〉を発動した。
リアの悲しい瞳に見送られながら、俺たちはその場を去った。
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