第109話 魔族と魔術師3


 レオが魔族と逃走してから、約一週間が経った。


 ザルサスは魔術師協会の自室の椅子に深く腰掛け、疲れたように息を吐き出した。


 内心穏やかでいられないが、協会のトップとして公平な判断を求められる。


 まったくバカな弟子を持ったものだ、とザルサスは目眩すら覚える気分だった。


 最初にその報告を受けた時、ザルサスは耳を疑った。魔族と逃げたというのはまだわかる。なぜなら以前からレオは魔族と手を組んでいるのではないかと疑っていたからだ。


 協会に入る前からフラッと何処かへ行っては、魔獣や魔族を倒していた。それは協会魔術師となっても変わらない。


 その過程で、魔族と手を組む何かがあったのだろう。レオはそれくらいの事は躊躇いなくするだろうし、アイリーンの遺したいくつかの言葉の中に、それをほのめかすものもあった。


 ルイーゼがレオを切り捨てようとしているのは、今回の件からも明白だ。だがその理由がわからない。


 強すぎる力を持つレオを、勝手に敵と認識しているのか。


 しかしザルサスは思う。レオは特に権力が欲しいなどと思う人間ではないし、もし彼が本当に権力を求めて動いていたなら、この国はとっくにレオのものになっている。


 それだけの力があるのだ。


 幸いなことに、レオはそんな人間ではない。幾ばくかの金と自由さえ与えておけば、それで満足してくれる。基本的に魔力さえなければただのクズなのだ。


 疑うべきはレオではなくルイーゼの方だというのがザルサスの考えなのだが、国家元首に向かってそんな事を言える人間が、はたしてこの国に何人いるだろうか。


 そもそもの始まりは、ルイーゼがレオに〈封魔〉で力を封じて、協会をクビにしろと言ったことだ。それからあからさまに不穏な動きが始まった。


 魔族だけではなく、特級魔術師までもレオの命を狙いだした。ルイーゼの命令ならば仕方もないが、そのせいで二人も優秀な部下を失った。


 春先に魔族側に新勢力が誕生したことも関係しているのかもしれない。


 まだ大きな動きはないが、タイミング的に都合が良すぎる。


 そうなると考えられるのは、この国のトップであるルイーゼ自身が魔族と繋がっているということだ。


「全く、えらいことになってしまったのう」


 魔族はもちろんレオに恨みを抱いているだろう。たったひとりの魔術師に、どれほどの同胞を殺されたのか考えるだけで察しがつく。


 もう一度、ザルサスが深いため息をついたときだった。


 扉をノックする音が部屋に響いた。ザルサスは居住まいを正し、扉の外の人物へ向かって「入れ」と言う。


 ガチャリとドアノブを破壊しそうな勢いで回し部屋へ入って来たのは、慌てて走って来たのだろう、呼吸も荒く怖い顔をしたバリスだった。


「ザルサス様!!」

「どうしたのじゃ?」


 怪訝な顔をするザルサスに、バリスは呼吸を整えながら近寄ると、おおよそ信じられないことを言った。


「サルファ郊外に住む元協会魔術師が殺されたと報告がありました。夜中に何者かが侵入し、争ったのち殺されたと……」

「魔族の仕業か?」


 引退したとはいえ、魔術師を襲う者の大半は魔族だ。それほどに恨みを抱いたのか、または力をもとめてそういうことをする魔族は多い。


「いえ、それが……オレもまだ確認中なんですが」


 視線を泳がせ、言おうか言うまいかと悩むバリス。


 妙に勿体ぶるバリスに、ザルサスはだんだんと腹が立ってくる思いだった。


「さっさと言え。何をそんなに躊躇っておる?」

「ザルサス様…どうも、現地の解析斑が言うには、その元魔術師を殺したのは、金髪に蒼い眼をした少年と黒い髪の魔族の少年のようでして……」

「……参ったのう」


 魔力残滓や解析魔術を使えば、犯人が誰であるかは明白だ。それをわかっているはずなのに。


「レオ、ですかね…」

「そうじゃろうのう」


 人一倍優秀で、その上努力も惜しまない立派な魔術師だ。少々のクズっぷりは誤差の範囲内だろうと思って面倒を見てきた。可愛げも何もない少年だが、約十年の情はある。弟子としてだけではなく、歳は離れているが、バカ息子だと人に自慢できるくらいの情だ。


「クソッ!なにやってんだよアイツ!」


 感情を露わにして叫ぶバリスが羨ましい。そう思うのは、自身がそれが許されない立場にいるからだ。


「わしの知る限り、あやつが人を手にかけたことはい。余程の事があったようじゃの……」


 他人の前では強気に振る舞っているが、一部の、例えば実の姉のように慕っていたアイリーンの前では、時折弱音を吐く普通の子どもだったことを知っているザルサスにとって、レオの心情は容易に想像ができる。


 どんな理由があるにせよ、きっと心の中では泣き叫んでいるだろう。


「この間ことも、オレは納得していない。どう考えても先に手を出したのはネイシーだった。なのに、なんでレオが…まるで犯罪者みたいに扱われないといけないんですか」


 バリスはしっかりと、己が見たままを協会に伝えた。この春から幾度となく特級魔術師が裏切り行為をしていることも含め包み隠さず話したのだが、現在ほとんどの魔術師が知っている情報は、元協会魔術師が特級魔術師を、戦闘に紛れて殺そうとしたという、事実とかけ離れたものだった。


 バリス自身魔族との戦闘中だったとはいえ、見間違えるはずもない。だが、ネイシーの側にいたパトリックが、彼女を擁護するような事を言い出し、結局バリスの意見は少しも聞いてはもらえなかった。


「あやつが魔族と逃げおった事が、裏目に出ておるのう」

「でもレオはあのとき逃げなければ、どっちにしろ殺されていたんですよ!?」


 その行為自体の重みというよりも、特級魔術師に攻撃をしようとしたこと自体の罪が重い。魔術師の階級制度はそれほどに重く、下手をすれば特級の望む刑が執行される。特級が死刑と言えば、その通りになるのだ。


「わかっておる。わしとてルイーゼに直接抗議した。だが、どうも鼻であしらわれておるようでのう。あやつめ、何か大きな秘密でもかかえておるようじゃ」


 自身が協会の魔術師である以上、ハッキリ言って手詰まりだった。それはバリスも同じだ。正規の魔術師として国に認められているが、裏を返せば協会魔術師はルイーゼに逆らえない。


「あのー、失礼します……」


 暗い雰囲気が漂う中、部屋の扉が薄く開いて、恐る恐ると言った声がした。


「お前はいつもノックも無しに扉を開けおって」

「ああ、忘れてました」


 呆れるザルサスの元へやってきたのは、全く反省する様子もないペトロだった。もちろんザルサスもバリスも、魔力の気配でペトロが来たことには気付いていた。


「なんの用じゃ?」


 白磁の肌が艶かしいまるで人形のように美しい男を前に、ザルサスは三度目の溜息をはいた。


 ペトロはレオとまた違った奔放な性格をしており、ガキであるレオよりもさらに扱いが難しい魔術師だ。


「俺もその話、参加してもいいっすか」

「なんのことじゃ?」


 ザルサスが惚けたように聞くと、ペトロはニヤリと笑った。


「結構苦労したんすよー」


 そう言って、ペトロが手に持っていた黒い石をザルサスの執務机の上に置いた。人工的に楕円に加工された石は、特殊な技術によって魔力を流す事で情報を記録できるものだ。


 その石に、ペトロが魔力を流し込むと、石のまわりに円環が浮かぶ。円環の上に、まるでスクリーンに映したように文字が浮かび上がった。


「これは?」

「レオの秘密」

「は?」


 ペトロのニヤニヤ笑いが、まるでふざけているようで、バリスはドスの効いた声を上げる。


「嫌だなあ、ふざけてるわけじゃないのに。バリスはもうちょい、人に優しくなった方がいいよ?短気は損気だよ?」

「うっせぇな!!余計なお世話だ!!」


 などとやりとりをしている二人を他所に、浮かび上がる文字を目で追っていたザルサスが、軽く呻き声を上げた。


「なんてことだ……」


 呟くと同時に、その額を片手で覆う。


「衝撃的っしょ?俺もびっくりしましたよぉ」

「一体なんの話だ?」

「脳筋バリスにもわかりやすく説明するとな、約三十年前に、パーシーの森にとある研究施設ができたんだ。国が莫大な費用を投じてね」


 ペトロは集めた情報の全てを、ザルサスとバリスに話して聞かせた。


 それはジェレシスがレオに語って聞かせたものとほとんど同じであった。


 違いがあったのは、未だにその研究を続ける組織が存在するということと、ジェレシスのことについての情報がなかった点だ。


 一通りの説明を終えると、一息つくペトロの前で、バリスが青い顔をしていた。


「そんなこと…許されるわけないだろ!!」

「だよねぇ。俺もそう思う。魔族と国家元首が繋がってるってだけでもナターリア崩壊に繋がるのに、さらに、人工的に魔族と魔力持ちを作り出してたなんてなぁ」

「下手したら国内の問題だけでは済まない」


 人間の尊厳を弄ぶような行いを、世界が許すわけがないのだ。隣国には、未だ人権を得られないような扱いを受ける魔力持ちもいる。ナターリアは率先して魔術師の権利を認めた国家であるが、この件は、魔術師の立場も危うくするであろうことがわかる。


「十年前にその施設が閉鎖されたというのは……」


 ザルサスが険しい顔で顎を撫でながら言う。


「なんでも、そこで造り出した子どもたちが逃げたらしいんすよ。生き残ったのはレオ一人」

「そうか…あやつが思い出せんのもうなずけるのう」


 バリスもペトロも、レオがザルサスの養子であることは知っている。書類上そうなっているし、別に隠していることでもないからだ。


 だがその経緯を詳しくは知らない。


「ザルサス様がレオを拾ったのも十年前と聞いていますが」

「そうじゃ。わしの故郷、ヴィレムスの極寒の雪山に、突然現れおったんじゃ」


 もちろんザルサスは、偶然雪山に入ったわけではない。むしろ厳しい冬の山育ちであるため、進んで荒れる雪山に入ろうとは思わない。


 ではなぜレオを見つけたのか。


 答えは簡単。アイリーンの〈全知〉の力だ。どうしてもその日、雪山に行って欲しいと言われた。


 『世界の為に、男の子を助けてあげて』


 どういう意味かも考えなかった。それくらいにアイリーンの固有魔術を信頼していた。今となっては、しっかりと話を聞いておくべきだったが、その後のレオのヤンチャ(この頃はクズではなくヤンチャで大目に見ていた)に振り回され、いつしか忘れてしまったのだ。


 アイリーンの命が、あんなにも呆気ないものだとも思っていなかった。


「当時のレオはそれまでの記憶もなく、無口で突然キレるようなガキでの。余程ツライ目にあったんだろうと、思ってはいたのだが」


 これでは余りにも哀れだ。


「何がきっかけだったかはわからんが、国は多分、その研究を闇に葬りたいんだろうな。だから、執拗にレオの命を狙い出した」


 バリスが代表するように言った。


 魔族を狩る為に利用され、自分たちの保身の為に消される。まるでオモチャだ。産み出した命を、一体なんだと思っているんだと、憤りがザルサスの頭を支配する。


「その、失くしていた記憶を思い出したんだとしたらさ、バリスならどうする?」

「そうだな……命を狙われ続けるなら、俺は真実を公表する。悪いのは国だ。それを認めさせてやる」

「うっわ、お堅い頭してるね。さっすが軍部のトップ、マジメだけど不可能だ」


 それはバリスも思った。ただ訴えるだけで、国が認めるとは思えない。先の特級魔術師暗殺未遂の件も、国が都合よく改変して虚偽を広めているのだ。


「テメェ!……じゃあペトロならどうすんだよ?」


 額に青筋を浮き上がらせながら、グッと怒りを堪えて問う。


「生き残りはひとりって言ったじゃん。残りの子どもはどうなったと思う?」


 出来れば想像したくはない。が、ペトロが暗に言っていることはきっと事実だ。


「俺なら、全部思い出して真実を知ったら……こんな研究に関わった人間も魔族も、皆殺しにしてやろうって思うね」


 ペトロはフウッとひとつ溜息を吐いた。


「俺はバリスよりクズで、レオの思考に近いと思うんだよね。クズな俺たちは、バリスみたいに正当性を主張してもムダなことは良く知っている。まわりがダメなら自分を正当化するんだ。これは復讐。悪いのはあんたらで、自分は悪くない。だから殺されても文句はないよね?ってさ」


 ザルサスはペトロの意見に頷いた。十年面倒を見てきたのだ。レオのやりそうなことはよくわかる。


「わしもペトロの意見に近いと思うのう。そうなると、昨夜殺された元魔術師は、当時の研究に関わっていたということになるのう」

「そうやって考えていけば、ある程度レオの行動は読めると思う……ダミアンも向こうについたみたいだしね」


 ザルサスもバリスも、は?という顔をした。


「あれ、言ってなかったっけ?」

「なにをじゃ?」

「ダミアンはもともと、その施設に勤務していたんだよ。最近はレオに付きっきりで、なんか企んでんなぁとは思っていたけど、ついてっちゃったみたい」


 確かにこの数日、ダミアンは協会にも顔を出していない。彼の研究所にも姿を見せていないようだった。一応協会のトップとして、ザルサスには監督責任があるのだが、もとより特級魔術師は自分勝手な人間が多い。


 正直把握しきれないと、諦めてもいた。どうせ目を光らせていても、今回のようにいつのまにか国家に操られていたりするのだ。それなら一層、身近な者の安全を考えた方がいいとさえ思っている。


「やっぱあいつらっ!!怪しいとは思っていたんだが…クソ!!」

「そうなるとやはり、レオは全て思い出したと判断した方が良いの」


 室内に重苦しい空気が充満する。


 少なくとも、ここにいる三人は思うのだ。


 レオが今後何をしても責める権利は無い。


 国はそれ程のことをした。


 責めはしない。だが、彼の心が壊れる前に、なんとかならないものか。


 ザルサスは協会のトップだ。国の方針には逆らえない。それはバリスもペトロも同じだ。


 だったら自分に何ができるのか?


 ただ傍観していられるほど、レオは他人ではない。優秀で、だけど憎たらしいが放っては置けない。弟子なのだ。


「わしはたった一人の弟子の為に、嫌なジジィになる必要があるのう」

「ザルサス様…?」


 決断は早い方がいい。心を鬼にして、他人を巻き込んででもたった一人の弟子をなんとしても救いたい。


 そんな思いから、ザルサスは決断を下す。


 それを聞いたバリスは少し躊躇ったが、ペトロはなるほど、と言って頷いた。


 ペトロとバリスが部屋を後にすると、ザルサスはまた、深く大きな溜息を吐き出した。

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