第107話 魔族と魔術師1


 シエルが俺の額から手を離し、その手を俺のシャツの端で拭った。


「おい!!んてことすんだよ!?」

「だって気持ち悪かったから」

「ブッ殺すぞテメェ!!」


 というか、俺も結構気持ち悪かった。


 ダミアンの隠れ家に身を寄せてすぐ、シエルは俺の目玉をもとに戻してくれたのだが、ゼリーみたいな質感なのに割と硬い目ん玉を触るのは、お互いにちょっと気が引けた。


「でもちゃんと治ったでしょ。文句を言われる筋合いはないよ」


 確かにそうだ。でもちょっと傷付いた。


「なるほど、そうやって今まで怪我を治してきたんですね」


 その様子を見ていたダミアンが、険しい目をして言った。


「そ。だから俺は今まで生きてこれたってわけ」

「で、ゴッソリと寿命を削っていると」

「……その通りだ」


 ダミアンの隠れ家は、サリファから程近い、パーシーの森の端にひっそりと立つログハウスだった。東部拠点からはかなり距離が離れている。そのため、見つかる心配は無さそうだが、逆にこっちは魔族が多く潜んでいる。


 そのログハウスは、最低限の生活物資とラボのみで、お世辞にも快適とは言い難いものだった。


 まあ、隠れ家って言ってんだから、そんなものなんだろうけど。


 でもお貴族育ちで、だだっ広い城に召使いを雇って何不自由なく生活していたクソおぼっちゃまのシエルは、とっくに我慢の限界を迎えている。


「僕が悪いみたいに言うけど、これは合意の上に成り立つ契約なんだ」

「なにもあなたを責めたわけではないんですが……」

「ダミアン、相手にしない方がいい。コイツは高級ソファにお紅茶が無いからご機嫌ナナメなんだよ」


 一見、俺やジェレシスが粗野で短気、口が悪いと思われるが、この中で一番面倒なのはシエルだ。


 爽やかな常識人を装っているが、その内面は神経質で繊細。思い通りにならないとすぐキレるし、他人から指図されるとあからさまに機嫌を悪くする。


 どうにも扱い難い魔族なのだ。


「黙れ!」

「痛っ!?」


 木製の椅子に座る俺の足の甲を、思いっきり踏みつけたシエルが、フン、と鼻を鳴らしてログハウスを出て行った。


「やれやれ」


 バタンと閉められたドアを見遣ってため息を吐く。


 ダミアンは苦笑いでその様子を見ていたが、シエルが出て行くと表情を改めた。


「レオンハルトさん。先に話しておきたいことがあるんですが」

「ん?」


 治ったばかりの左目は、まだ少し霞んで見えるが、それでもダミアンが苦い表情をしているのはわかる。


 俺にとって、絶対に良くない話なんだろうな。


「君の身体のことなんですが……」

「なに?もしかして、あと数年で寿命とか言うわけ?冗談だとしても笑えないぜ」


 俺の言葉に、ダミアンは動きを止めた。呼吸まで忘れてしまったのかと思った。


 先にそう言っておけば、深刻にならずに済むかもと思ったんだが、どうやらそれが返ってダミアンを落ち込ませてしまったようだった。


「わかっていたんですね」

「んー、まあ、な。最近は〈封魔〉の所為で余計な怪我も多かったし」


 ザルサスは俺が魔族に怪我を治してもらっていると知らずに〈封魔〉をかけた。本来の細胞分裂回数を前借りする形で怪我を治しているわけだから、〈封魔〉はそこに、さらに負荷をかけていることになる。


 そして俺は、それをわかっていても、魔術を使う事を躊躇わなかった。


 悪いのはザルサスじゃなくて、俺自身だ。あとほんの少し命が残っている間に、かつての仲間の復讐が出来るのだから、死んだとしても未練はない。


「『クラウフェルト製薬』の残したデータを見たんです」


 ダミアンの言葉に、俺は左の目を掌で覆う。眼帯をしなくても良くなってホッとした。


「君の検査データを見ました。血中の白血球数が極端に減少していました。一部内蔵の機能低下も見られます。このままでは、」

「まあ難しい事はいいじゃん。今生きてりゃ、それで」


 全部終わるまでは、保って見せるからさ。どうせ作られた入れ物に過ぎないんだ。どうなっても文句は言わない。


「もし、最後までやり遂げても生きていたらどうするのです?」


 その時は、俺が作られた本来の目的に忠実に、だ。


「ジェレシスと戦って、望み通り魔族と魔術師のどちらが強いか見せてやるよ。証人はお前な。俺が負けたら、今度はあいつの望み通り大人しく喰われてやる。後の事は知らねぇ」


 無責任なのかもしれない。でも、最初に俺たちを作った人間こそ無責任だ。逃げ出せば殺し、要らなくなったら切り捨てる。


 俺の存在も、所詮はその程度なんだ。


「ジェレシスさんには勝てないと…言う事ですか」

「どうだろうな。なにも知らず、ただ魔族を倒せばいいと思っていた頃の俺も、ジェレシスには勝てたのかどうかわからん」


 事実を知って、人間にも魔族と同じくらい恨みを抱いた俺に、ジェレシスを本気で倒そうなんて思えない……かもしれない。


「んま!この話はここまでにしようぜ!直近でやんなきゃなんねぇ事を先に考えないとな!」


 陰気な顔のダミアンは、まだなんか言いたそうだ。


 そういや、あの地下施設でダミアンは、俺の力は作られたものだけじゃないとかなんとか言っていたが、あれは何のことだったんだろう?


 今聴いてみるか、と口を開きかけた、が、そんな暇は無かった。


「レオ様あああああっ!!」

「おわぁああっ!?」


 うわあんと泣きながら、駆け込んできたピニョが、物凄い勢いで飛びついてきた。あまりの勢いに、椅子ごと後ろへ倒れる。後頭部を強打した……


「イッテェなクソが!」


 目の前で星がキラキラした。


「レオ様っ、ヨエルがイジメるですうううう」


 シクシクと俺の胸に顔を埋めて泣くピニョ。重い。


「ヨエル?お前ら珍しく仲良く食糧調達に行ったんじゃなかったのかよ?」

「仲良くないです!!」

「オブッ!?」


 ピニョが叫びながら拳で俺の胸板を叩いた。心臓がびっくりしたじゃねぇかこのクソガキ!!


「ピニョ?どうして逃げるの?」

「ハヒィいいい!?レオ様!奴が追ってきましたです!!」

「いや、追ってきたもなにも、ここが今の俺たちの家なんだが」


 俺たちがサルファの診療所にいるあいだに、シエルは無事にヨエルを救出した。


 その経緯としては、ちょっとした冒険があったようだが、興味がないので割愛する。


「ピニョ?ほら見て、とても可愛いでしょう?……芋虫」

「いひゃあああああ!!!!」

「ブハッ、ちょっ、顔面に手を置くな!ピニョ!?」


 芋虫は可愛くない!それとピニョは俺の口と鼻を塞いで窒息させる気らしい。


 ヨエルが普段感情の乏しい顔に、珍しく微笑みを浮かべて近寄ってくる。その手には、茶色いウネウネした芋虫が乗っていて、さすがの俺もちょっと引いた。


「もう無理ですううう」


 ボフンと、白い煙を出してピニョが本来の銀龍の姿へ戻り、そのままパタパタと羽ばたいて天井の張りにへばりついた。


「可愛いのに」

「可愛くねぇ!」


 兄のシエルは、狼の姿をした魔獣を操っている。なかなかにカッコいいと思うのだが、妹のヨエルは虫を魔獣にする。


 世の中には色々な魔獣がいるが、ヨエルがダントツで気色悪い。


「いいからしまってくれ!」

「……」


 しゅんとした顔で虫をゴスロリ調のワンピースのポケットに入れる。


 ダミアンが見て見ぬ振りをして、視線を逸らしたのを俺は見た。


 そんなハプニング?はあれど、俺たちはこれからこの国に対してケンカを売るわけで。


 俺が狩りをして捕まえたウサギをダミアンがこんがり焼いて、非常時用の豆の缶詰と一緒に質素な夕食を食べていた時だった。


「今後のことだが」


 情報収集に出ていたジェレシスが、意気揚々と戻ってきて(途中でシエルを捕まえて、一緒に帰ってきた)、テーブルに並ぶ料理ともなんとも言えないものを見て首を傾げた。


「人間は大変だな。定期的に食事をしないといけない」

「そう言うお前だって、ガキの頃はちゃんと食ってたろ」


 特殊な空間で育った俺たちは、魔族には食事が必要ないことも、魔力持ちを喰って力を自分のものにできることも知らなかった。


 この国の子どもならだれでも知っている常識なのに。環境とは怖いものだ。


「全く旨くもなんともなかったがな」

「それは単に君の教養の問題じゃないかな?僕は産地にこだわって紅茶を仕入れている」

「うーわ、ウゼッ」

「んな事どうでもいいだろ。んで、俺はまず何をしたらいいんだよ?」


 このままじゃ話が進まないぜ。


「そうだな、まず、当時の研究者が何人か見つかった。お前はそいつらを殺せ」


 ジェレシスの言葉に、隣に座っていたピニョが俺の手をそっと握った。


 ピニョの危惧している事はよくわかる。


 俺は人間を殺した事がない。


「シエルはレオの援護に回ってくれ。死なれちゃ困るからな」

「了解」

「俺は魔族の方を探し出して殺す。あの研究に関わった魔族は、間違いなく貴族の誰かだ」


 ジェレシスは気付いていない。俺が内心でビビっていることに。ピニョを刺された時とは訳が違う。感情に任せ、報復行為をするのと、計画的に誰かを殺すのでは違うと思いたい。


 結果的に俺の手は血で汚れ、後悔もするわけだが。


「待ってください!」

「なんだ?」


 ダミアンが一声叫び、テーブルに手をついて立ち上がった。


「フェリルでレオンハルトさんが特級に手をかけようとしたのを、止めたのはあなたですよね?なのに、なぜ殺せというんです?」


 あの時ジェレシスは、『戻れなくなる』と言って俺を止めた。矛盾しているのでは?とダミアンは考えたらしい。


「俺はな、特級魔術師としてのコイツを倒したいんだ。全てが終わった後にな。特級を殺されでもしたら、コイツはマジでナターリアにはいられなくなる」

「しかし、」

「もういい、ダミアン。ジェレシスの言っていることは、俺にもわかる。ジェレシスは、ルイーゼを殺した後のナターリアで、俺が本当の意味で最強の魔術師になれと言っているんだ」


 ダミアンはハッとして押し黙った。


「まあそういうことだ。俺たちは魔族と人間がもたらした悲劇のヒーローとしてこの国の頂点に立つ。んで、その上で魔族と魔術師、どちらが強いか証明する」


 ジェレシスは、非人道的な研究を行なっていたとして国を弾圧し、トップを挿げ替えるつもりなのだ。


 俺たちが今からやろうとしている事は、大切な仲間のための弔い合戦として公表する。


 歴代最強の『金獅子の魔術師』の正体がこんなガキで、しかも辛く悲しい過去を背負ってかつての敵を倒す。


 魔術師や魔族と直接関係ない人間が大多数を占めるこの国で、それは多くの同情を得ることができるだろう。


「特級を手にかけていたら、アイツらの裏切りを知らない国民の同情を得るのは難しくなる」

「今国が血眼になってレオを探しているのも、知られたくない事情があると国民に印象付けるいい材料になる」


 暗殺云々のことは、事実がわかれば誰も気にしなくなるだろう。


「そんな……それでいいんですか、レオンハルトさん」


 ダミアンは本当に俺を心配しているようだ。口調や表情でそれがよくわかる。


 どう言えばいいのかと、言葉を探していると、先にジェレシスが口を開いた。


「もちろん文句は無いよな?」


 そう言うジェレシスの後ろに、あの頃の仲間の影が重なる。全員、恨めしい顔で俺を見ているのがわかった。


 『おれたちの仇を取ってくれるよな?』


 『お前が言い出したんだから』


 『もう逃げないでくれよ』


 もちろんそんな声が実際に聞こえているわけでは無い。俺の後悔と恐怖が生み出した幻覚に過ぎない。


 氷のナイフで、心臓を突き刺されているようだが、俺には抵抗する術はない。


「あるわけねぇだろ。俺はお前に従う」


 口に出すたびにそれが鎖となって縛るのを、ジェレシスはよくわかっているんだ。


 ニヤリと笑うジェレシス。面白くないと言いたげなシエル。ダミアンの顔を見ることは、俺にはできそうにない。

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