第106話 パーシーの森7


 地下の施設から出たあと、ジェレシスたちはダミアンの隠れ家へ向かった。


 俺はひとり残り、引き続きピニョの回復を待つことになった。


 サルファの街へ戻ってきたのは夜中だった。


 暗い診療所を、足音を立てないようにして歩き、二階のピニョの元へ向かう。


 ピニョは、相変わらずスゥスゥと寝息をたてていた。側の丸椅子に座って、少し血色の良くなった顔を見つめる。


「はー、ごめんな、ピニョ。俺はどうやら、学院には戻れそうにないや」


 乗り気ではなかったとは言え、楽しくなかったかと言うと、正直嘘になる。


 ずっと魔術師として、大人に混ざってきたからか、同じ年のクラスメイトとの生活が自然で、新鮮で、戻れるのならそうしたい。


 ピニョはイリーナやリアをとても気に入っていた。ドラゴンとはいっても、ピニョにも交友関係はあるし、それを俺の都合でダメにしてしまうのは後ろめたかった。


 だが、それよりもなにより、今まで忘れていた仲間たちの事が頭を過ぎる。


 俺はなんて薄情な奴なんだろう。


 償っても償いきれない罪の重さに、今更ながら押し潰されそうだった。


「レオ、様…?」


 絞り出すような声が辛うじて聞こえた。


「ピニョ?」


 ハッとして顔を見れば、不思議そうな表情のピニョと目が合う。


「レオ様、どうしたんです?」

「ハハハ、久々に目が醒めたのに、お前は俺の心配ばっかだな」

「むぅ。いつも心配ばっかりかけるレオ様が悪いんです」


 プクッと頬を膨らますピニョ。よかった、いつものピニョだ。


「身体は?どっか痛いとこないか?」


 そう問えば、ピニョは大きな瞳をパチクリとして、マジマジと俺を見た。


「レオ様が…ピニョの心配をしてくださるなんて信じられないです…まだ夢の中なのでしょうか」

「お前な!俺だって人並みに他人の心配もするさ!」


 失礼な奴だなと、ピニョの頬を片手でムギュッとしてやった。


「ぷう!?……ん、レオ様…何かありましたです?」

「え?」

「手が震えてますです」


 そう言われて初めて気付いた。確かに、俺の手は小刻みに震えている。


「いや…」

「大丈夫ですよ、レオ様。ピニョはレオ様の味方です。ずーっとお側にいますです」


 ピニョの目は真っ直ぐで、あまりにも優しく見つめるから。


 こんな幼い子の前で、不本意ではあるんだが。


 勝手に溢れてきた涙を止めることなんてできなかった。


「もう。レオ様はいつも、ひとりで全部抱えてしまいますです。何のためにピニョがいると思ってるんです?」

「っ、ごめん……」

「今日はピニョが、レオ様をよしよしする番ですね」


 おいでおいでと、手を伸ばすピニョに、甘えてしまう自分が恥ずかしい。


 俺は椅子に座ったまま、ピニョの横でベッドに突っ伏して泣いた。めちゃくちゃガキみたいだった。ピニョはそんな俺の頭を、ずっと撫でてくれて、気が付けばそのままぐっすり寝てしまっていた。


 泣いても何も変わらない。それは良くわかっている。


 でも、この時ばかりは、ピニョの優しさに心が少し軽くなった。






 翌日はどんよりとした曇り空だった。


 目が覚めたとき、俺はピニョのベッドに突っ伏していて、ピニョは俺の頭に手を置いたまま、可愛らしい寝息を立てていた。


 椅子に座ったままだったから、身体の疲れが取れたわけではないが、それでも昨日よりも幾分か気分が良かった。


 ピニョの手をそっと退けて、ひとつ伸びをしてからリビングへ向かう。


「おはよう、良く眠れたかな…といっても、あんな体勢だったわけだけども」

「見てたんなら起こしてくれよ」

「はは、悪いね。ピニョちゃんが起こさないでって言ったから、そのままにしてしまった」


 ピニョのヤツ、気を遣ったつもりなんだろうが、本当にお節介だ。


 まあ、そのお節介の世話になっているのだ、俺に文句を言う権利はない。


 ディエゴは優雅に朝のコーヒーを飲んでいたが、俺がテーブルにつくと、読んでいた新聞を置いてキッチンへ向かった。


「コーヒーでも飲むかい?」

「ん」


 芳ばしい豆の匂いと、湯が沸く音を聞きながら、何となくディエゴが読んでいた新聞に目を向ける。代わり映えのしない国政と、政治家なんかの有名人のスキャンダルが細かい字で書かれている。


 一面ではないので、写真もなにもない素っ気ない活字を追っていると、隅っこの小さな枠に、良く聞き知った名前があるのに気付いた。


「おまたせしたね……ああ、すまない。悪気があったわけじゃないんだが……」


 ディエゴが戻ってきて、俺の視線の先を見て眉を顰めた。


「国に言わないのか」

「うーん、君の事だと気付いてないってことで」


 困ったように頬をかきながら、おっさんは新聞を畳んだ。


 その記事は、紛れもなく俺の手配書の写しだった。


 写真までは掲載されていないが、髪の色や眼の色、年齢、性別なんかが事細かに記されていた。あと、特級魔術師を暗殺しようとして失敗し、逃走したとまで書かれていた。


「匿っていたとバレたらあんたもヤバいぜ。脅されたとでも言って、通報した方がいい」


 押し掛けたのは事実だ。ここまで良くしてもらったのだから、それくらいの保険はかけてもいい。


「医療は人を選んではいけないんだよ、レオくん。そこに怪我をしている人がいたら、私は誰だって助けたい。例えばそれが、世間で犯罪者として追われている少年でもね」


 ディエゴはそう言ってニコリと笑った。


「……ありがとな、おっさん」

「いいさ。何があったのかは知らないし、聞かないが…それほどの魔力を持っていると大変だね」


 おっさんが思っている以上に俺は大変な目に合っている自覚があるが、昨日ピニョの前でガキみたいに泣いたからか、真実を知った直後よりも落ち着いていられた。


「まあでも、これ以上迷惑はかけられない。ピニョが目を覚ましたら、俺はここを出るよ」

「そうか」


 ディエゴは優しげな目元のシワをより一層深めて、残ったコーヒーを飲み干すと、診療所へと向かっていった。


 優しい人間というのは、さりげなく近くにいるもので、俺の周りには確かにそういった存在がいた。


 ザルサスやバリス、学院のクラスメイトもそうで、でも俺はこれから、その人たちを裏切る行為をすることになる。


 生きている人間に対する想いよりも、死んでしまった人間に対する責任と後悔の方が大きい。なによりこの作り物の力の所為で、レリシアは巻き込まれて死んだ。


 逃げれば逃げるだけ、誰かが俺の所為で命を落とすのなら、俺はその元凶を必ず見つけ出して殺す。


 魔族も人間も関係ない。


 どうせ俺の身体も、そう長くは保たないだろうから。


「レオ様…おはようございますです」


 気が付けばピニョがリビングの入り口に立って、まだ眠そうな目を擦っていた。


 数日意識が無かったとはいえ、さすがドラゴンだ。一度目を覚ましてからの回復力は凄まじい。


「ピニョ、そろそろここを出る」

「はいです」

「お前は俺のそばにいてくれるんだよな?」


 覚悟を決めても、心の弱さを完全に隠すことは難しい。特に、ピニョにはどうしてもバレてしまう。なら最初から、ピニョにだけは全て曝け出してもいいだろう。


「もちろんです、レオ様。最後のその時まで、ピニョは何があっても隣にいますです」


 屈託のない笑顔は、それだけで力になる。


 この日から、『金獅子の魔術師』は、誰もが憧れる最強の魔術師ではなく、ただ己のために力を使う大罪人となった。

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