第104話 パーシーの森5


「うおおおおっ、腹があああああっ」


 どこからともなく……というか俺たちから程近い茂みの中から、ジゼルの雄叫びが聞こえた。


「ごおおおおおっ、腹があああああっ」


 一回でダメだったようで、二回目の雄叫びが、鬱蒼とした木々の合間に響き渡る。


「隊長!!」

「どうされましたァッ!?」


 巡回中の兵士数人が気付き、慌てて茂みの近くまで行って……はたと立ち止まる。


「隊長?」

「あの、覗いてはだめ、ですよね?」


 腹が、と叫びながら茂みの中にいるのだから、そりゃあ誰でも遠慮する。


「昼食にいいいいい、当たったみたいだ……」

「隊長おおおお!!」

「すぐに衛生兵を呼んできますうううう!!」


 兵士のひとりが慌てて野営地へと走り出し、残りの数人はオロオロと茂みを眺めている。


「あのおっさん頭大丈夫か……」

「ちょっとばかしヤバいかもしれん……」


 その様子を見ていた俺とジェレシスは、多分お互いになんとも言えない顔をしていた。


 ジゼルの提案は見ての通りで、ちょうど昼食時だったこともあって、こういうアレな感じになったのだが。


 見事に巡回の兵士の気をひいている。


 その間に、俺たちは茂みから出て出来るだけ物音を立てず、気配を消しながら城へ向かった。


「〈時の影、内なる望みを叶え、刹那の夢に囚われよ:夢幻〉」


 走りながら唱える。効果範囲を城の中に限定し、最小限の魔力消費で抑える。


 進行方向から、感知魔術の魔力の波動が押し寄せて来るのがわかったが、俺の幻覚魔術が作用すると同時に、その波動も消滅した。


 ギリギリだったが上手くいったようだ。俺たちに気付いたとしても、暫くは都合のいい夢でも見てくれるだろう。


 効果時間も長めに設定しておいたから、帰りは感知魔術に引っかからずに〈転移〉で移動できる。


 城の中へ入ると、さっそく入り口横の壁際に立ち尽くす魔術師に出会った。


 俺の〈夢幻〉が、一体どんな夢をそいつに見せているのかまではわからないが、虚な眼は俺たちを映すことはなかった。


 ジェレシスは城の一階、中央に立つと、真下の鉄の床を指差した。


「レオ、仕事だ」

「今度はなんだよ…」


 なんか俺の仕事量多くないか?そう思っているのは俺だけか?


「ここの床を抜いてくれ」

「自分でやれよ」


 〈夢幻〉の所為で軽く不整脈を起こしていた俺は、一度立ち止まって身体を落ち着ける。


 城といってもそんなに大きくはないが、その範囲でもこの状態である。一般兵まで魔術を作用させなくて良かった。


「バカでかい爆発音を轟かせてもいいなら俺がやるが?」

「へいへい……もうテメェには逆らわねぇよ」

「最初からそうしとけ」


 ウゼェ。


「〈黒雷〉」


 右手に出現した黒い刃の長剣で、言われた通りに床を斬った。魔力を流し本来の力を発揮する〈黒雷〉は、熱したナイフでバターを切るように、鉄の床に突き刺さる。


「下が空洞になってんな」

「だから言ったろ?ここが入り口なんだよ」


 四角く斬り込みを入れると、ジェレシスがそれを踏み抜く。ガラァンと少し大きな音を立てて、鉄板がその下の空間へ落ちた。


 覗き込むと、砂埃の中に薄いグレーのプレートを貼り合わせたような壁と床が見えた。


「入り口ってなあ、ドアとか付いてるやつのこと言うんだぜ」

「んなことわかってんだよ!この施設の本当の入り口は、残念だが崩壊していて使えない。俺たちが逃げ出してすぐ閉鎖され、そのまま放置されていたんだ」


 ふーん、と返事を返している間に、ジェレシスが穴から飛び降りる。スタッと身軽に着地すると、砂埃に顔を顰めた。


 続いて俺も穴に飛び込んだ。高さは大体2メートル半ほどで、窓が無く暗い所為か息苦しさを感じる。


 難なく着地して、体勢を整えようと膝に力を入れた時だった。


「うおっ?」

「おい!」


 さっきから魔力を使いまくっている所為か、身体に影響が出たようでフラッとよろける。前のめりに倒れる俺を、ジェレシスの腕が支えた。


「ワリ、ちょい限界」

「チッ」


 ものすごい顔で睨まれても、こればかりは仕方ない。フェリルで戦ったダメージも抜けきっていないんだからな。


「ヴィレムスでの威勢はどこいったんだ?」

「あれはドーピングしてたんだよ!って、お前見てたんかよ!?」


 全然気付かなかったぜ。


 憤慨する俺を置いて、ジェレシスはさっさと通路を歩いていく。


 少しは休ませろよと思うが、そんな俺の心の声なんか届くはずもない。


 精一杯の力を振り絞り、念のため破壊した城の床を〈刻逆〉で元に戻しておく。


 もし途中で誰かが城に入ったとしても、こうしておけば気付かれない。


 ジェレシスの後を追って行くと、扉がいくつも並ぶ区画に入った。ジェレシスが灯りがわりに出した拳大の火の玉が、その扉をひとつひとつ照らして行く。


 扉には小さなガラスの窓が付いていて、中の様子が見えるようになっていた。その窓を覗いて、俺はまたひとつ思い出す。


「ここ……俺の部屋だ」


 思わず立ち止まって、ドアノブに手をかける。ガチャっと重い金属音がして、扉は簡単に開いた。


 小さな部屋だ。ベッドとトイレしかない。どれも同じ作りの部屋が並んでいるが、それでもそこが自室だったとわかったのは、壁一面に詠唱文が刻まれていたからだ。


「だいぶイカれてるな」


 背後でジェレシスが言った。


「暇だったんだよ。だから、その日に知った詠唱文を魔力で刻んでた」


 詠唱も円環も必要としない魔力持ちとして、その力のある文字に興味を持っていた。


「そういや、みんな詠唱せずに魔力を操っていたな……」


 俺が自分の固有魔術だと思っていた力は、この施設の子どもにとっては普通の能力だった。もちろん半数は魔族の子どもだったから、できて当たり前だったんだが、人間の子どももいたのに、変だなと思った。


「それがこの施設の目的のひとつでもあった」

「目的…ねぇ」


 俺たちはまた、暗い通路を歩き出す。


 進むたびに過去のどこかの場面かわからない、懐かしい風景が脳裏に映し出され、気分が悪くなった。


 自分でかけた〈夢幻〉に、自分もかかってしまったみたいだ。キャッキャとはしゃぎながら通路を走る妙にリアルな少年少女とすれ違う度に、俺は胃のむかつきを必死になって堪えた。


 俺が死なせてしまったんだ。


 少なくとも、この施設にいる間は、こんなにも笑顔でいられたのに。


 自分の弱さを実感する。突きつけられた真実に、精神面が処理しきれないみたいだ。


「う、おえぇ」


 堪えきれなくなって思わず吐いた。でもなんも食ってないから何も出ない。


「……はぁ。お前はそれで、俺に慰めて欲しいのか」

「うるさい…」


 ジェレシスは立ち止まりはしたが、呆れたようにそれだけ言った。


「言っておくが、辛いのは魔族である俺も同じだ。あの時お前に賛同せずとも、否定もしなかったからな」

「魔族のお前にも感情があるんだな」


 ドガっと、鈍い音と共に、背中を壁に強かに打ち付けた。ジェレシスがキレて俺の頬を力一杯殴ったからだが。


「当たり前だろ!!!!俺たちだって生きてんだからな!!それに、俺はガキの頃とは言えお前ら人間とマジで兄弟みたいに育ったんだぜ!?」


 今のは完全に俺が悪い。


「……ごめん」


 ジェレシスは何も言わず、また通路を歩き出した。


 自分の弱さを、自分で見つめ直すのは難しい。


 成長の過程には振り返ることが重要だとはわかっている。


 例えば料理をしていて、思った味にならなかった時、いったいどこで何を間違えたのかを振り返るのは簡単だ。


 出来上がったマズい飯を食うのは自分で、次はもう少し丁寧にレシピを確認しようとか、なんならもう同じ料理は作らない。上手くできないのだったら違うものを作る。それが失敗から得た学びのひとつだ。


 自分の発言の所為で誰かが死んだ。


 そんな現実を冷静に振り返り、ならば次はこうしようなんて簡単に考えるなんて無理だ。取り返しのつかない失敗から何かを学べるほど俺は強くない。


 さらには俺のこの先の人生にも、俺の所為で死ぬ人間が必ずいる。学院のクラスメイトかもしれない。協会で関わった魔術師かもしれない。


 或いは、『金獅子の魔術師』を信じている誰かかもしれない。


 弱い俺は、他人に八つ当たりをするか、何も考えずにハメを外すか、そうやって気を紛らわし、現実から逃避するしか、楽になれる方法を知らない。


 だからクズって言われんのも、仕方のないことだ。


「おい!」


 急にジェレシスが叫んだ。声音に怒りが滲んでいる。


「逃げんなよ。これは紛れもなく、お前が壊した世界なんだからな」

「……わかってんよ」


 ジェレシスは俺の思考をお見通しらしい。


「ほら、懐かしい部屋があるぜ」


 通路の先は突き当たりとなっていて、左に行けば俺たちが普段生活していた広い部屋がある。右はさらに少し奥まった所に、ひとつだけ白い部屋がある。


「今なら全力で抵抗しただろうな」

「ああ、そうだな」


 苦々しく言うジェレシスに同意する。


 その部屋は、ダミアンの研究所にある実験室に似ていた。


 その白い部屋の中央には、手術台に似たベッドがひとつある。


 俺たちはここへ連れてこられると、白衣を着た無表情の大人に羽交締めにされ、ベッドに固定された。


「俺たちがなんでこんな空間に閉じ込められていたか、その理由がこの実験だった」


 ジェレシスがベッドの淵に手を触れる。背中越しだから、その表情を見ることはできない。


「三十年ほど前、当時のナターリア国家元首と魔族の代表の間で、ある賭けをしたそうだ」

「賭け?」

「そうだ。その賭けは、“魔族と魔術師どちらが強いか?”という、バカバカしい疑問から始まった」


 人類の歴史の中には、常に魔族との戦いがあった。ナターリア国でも、王政から君主制民主主義をとる激動の時代にあっても、魔族との戦いは続いていた。


 魔族は圧倒的な魔力で人間を追い詰めはしたが、人間は詠唱という技術を磨き、今に至るまで国を守って来た。


 どちらが強いのか、という疑問に未だ答えはない。


「疑問は答えを出す為に提示される。人間も魔族も、その答えを出す為に勝負をした。勝った方はこの国を支配できる。長い争いが、ひとつ終わる」

「その答えを出すための実験室だったってわけか」


 なんとなく、答えが読めた気がした。


「そういうことだ。ヤツらが考えたのは、この小さな世界で最強の魔族と最強の魔術師を人工的に造り出し、戦わせるという方法だ」


 ジェレシスが徐に振り返った。灰色の瞳が、一体なにを見ているのかわからない。


「世界各地の優秀な魔力持ちの特徴と、強力な魔族の特徴を掛け合わせて産まれたのが俺たちだ。俺の身体は魔族でありながら人間の要素を持ち、お前の身体もまた魔族の要素を持つ。その結果、お前は人間にはあり得ないくらいの魔力を持っている」


 規格外と言われていた。魔族に匹敵する魔力だとも言われていた。


 そりゃあ、人工的に造ったんだったら、強くて当たり前なわけだ。


「ハハ……俺はアホだな……ずっと…才能はあっても努力して来たから俺は最強なんだって思ってた……」


 違うじゃん。


 何もねぇじゃん。


「忘れたまま、自分の才能と努力で特級魔術師になったと思ってたのにな……偉そうに、誰かに何かを教えたり、誰かを救ったり、何もねぇ人形が、調子乗ってんじゃねぇよって話だよなぁ」


 事実を知っているヤツらからすれば、記憶のない俺は都合の良い存在だっただろう。


 与えた力で思い通りに魔族を倒す俺を、さぞ愉快な気分で見ていただろう。


 自分たちの研究の成果が証明されて満足しただろう。


 そして、要らなくなったら簡単に切り捨てようとしている。


「そうだな。お前はただの作り物の魔術師だ。初めから親もない。唯一家族のように育った仲間を、余計な一言で殺した……お前がこれからやるべき事は、わかってるよな」


 ジェレシスの望みはわかってる。


 過去に未練はあれど、未来に希望は無い。


「俺は、」


 と、答えようとした時だった。


「待ってください、レオンハルトさん!!」


 ハッとして振り返る。全く気配に気付いてなかった。


「ダミアン…?」


 部屋の入り口へ駆け込んできたダミアンは、ハアハアと肩で呼吸をしながら、真っ直ぐに俺を見た。


「レオンハルトさん、君の才能は作られたものだけじゃない。僕は特級のひとりだ、信用できないかもしれない。でも、一度僕の話を聞いてください!!」

「勝手なことしないでって言ったのに」


 必死に言葉を重ねるダミアンの後ろに、シエルの姿が見えた。


「チッ、邪魔すんじゃねぇよ」

「僕に言ってるの?ダミアンを拉致って来いって言ったのはジェレシスなのに?」


 シエルがジェレシスを睨み付ける。


「ちょ、ちょっと待てよ、なんでダミアンがここに?」


 混乱にさらに混乱を重ね、俺の頭はパンク寸前だ。


「レオは覚えてないかもしれんが、この人間は実験室にいたんだぜ」

「それで、今もまた君を実験の対象にしてる」


 魔族の二人が言った。


「それは……そう、ですが。でも僕は敵じゃない。むしろレオンハルトさんには、この戦いに勝って欲しいと思っているんです!」


 ダミアンは必死だった。それは十分伝わってくる。


 でも、話の内容によっては、俺はダミアンも許せないかもしれない。


「わ、わかった。とりあえず話は聞く。いいよな?」


 ジェレシスに問うと、渋々ながらも頷いてくれた。

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