第103話 パーシーの森4



 夜が明け、朝日が少しずつ鬱蒼とした木々の合間から、苔むした地面を照らす。


 青葉の匂いが立ち込め、森が目を覚ますのを、俺は大きな岩に背を預けながら眺めていた。


 精神的ショックによって意識を失っていた間に、ジェレシスはどこかへ行ってしまった。


 魔力感知をしようにも、魔力コントロールがブレブレで何もできなかった。感情が魔力コントロールに大きな影響を及ぼすことはわかっている。散々イリーナを嗜めもした。


 それでも、俺の頭の中はずっとごちゃごちゃで、いつものような凪いだ海のように静かにはならない。


 多くの人間を救うために磨いてきた技術も、アイリーンとの勝負のために集めた知識も、あの日の犠牲の上に成り立っていた。忘れ去ったまま過ぎた年月がとても罪深いもののように思う。


 救いはといえば、その今まで積み上げてきた圧倒的な力で、仲間たちの復讐を果たすことができるところか。


 〈封魔〉の影響を無視して最大規模の魔術を使えば、フェリルくらいなら消し飛ばすことができる。


 ……なるほど。


 俺がそうしないように。もしくは、一度で終わるように〈封魔〉をかけたのか。


 ルイーゼは知っていたってことか。ならザルサスはどこまで知っているのか?


 俺を拾ったあの雪山に、偶然居合わせたなんて事があるか?


 考え出したらキリが無い。全てが敵のような気さえしてくる。事実を知っていながら傍観していた者たちからすれば、忘れていたとはいえ過去を無かった事にして国のために尽くす俺はさぞ滑稽だっただろう。


 都合よく任務を与え、ライセンスを改竄して邪魔な魔族を排除させる。都合のいい道化だ。


 気が付けば俺は、静かな森の中でひとり笑っていた。


 いつもそうだ。どうにもならない時や、辛い時にこそ俺は笑う。


 それが何故かわかった。


 認めたくないからだ。辛さを、悲しさを、惨めな自分を。かつて仲間を見捨てた俺が、死んだ仲間以上に悲惨なことなんて無いだろうと…生きてるんだから弱音を吐くなと、自身に言い聞かせているのだ。


「うわキモッ!お前なに笑ってんの…?」


 木々の間から、戻ってきたジェレシスが言った。心底不気味なものでも見たように、眉間に深いシワを刻んでいる。


「うるさい。笑うしか無いだろ…こんな話、脚本を書いた奴はとんだドSだ」

「これが作り話ならな。だがお前は実際仲間を死なせ、自分だけ生き延びた」


 まったく、ジェレシスは良い性格をしてるぜ。


「そう言うお前はなんで生きてる?俺はお前も死んだと思った」


 実際、最後に見たジェレシスの身体は、端的に言って真っ二つだった。デローンと垂れ下がった腸なんかの臓器が鮮明に脳裏に蘇るくらいだ。


「また忘れたのか?俺は魔族だぜ」

「魔族だからって、なんでもかんでも治るわけじゃないだろ」


 人間にとって致命傷となる怪我であっても、生命力と回復力の強い魔族は死なない。だけど、それにだって限度がある。


「まあそうだ。結論になるが、俺の身体を治した連中が、あの施設を運営していた組織なんだが……実際に見たほうがはやい」

「ちょ、はあ?全く意味がわからん」

「いいからついて来い」


 顎で促され、俺は仕方なく立ち上がる。


 ここで立ち止まっていてもどうにもならない。帰る場所も無くなってしまった。


 だったらもう、ジェレシスについていくしかないわけだ。


「お前が奪った魔族の城あるだろ」


 歩きながらジェレシスが言う。


「東部の拠点のことか?」

「ああ。なぜあの城を人間が奪ったか知ってるか?」


 与えられた任務について、深く考えた事もなかった。協会魔術師なんて黙って任務こなしてりゃいいやと思っていたし、パーシーの森を超えた先には多くの魔族が住んでいることがわかっていたから、その為の拠点にしたいんだろうと、勝手に解釈して納得していた。


 これは俺の悪い癖だ。面倒だからと、物事を深く考えない。


「その言い方、魔族を抑えるための拠点にしたかったということ意外に理由があるんだな」


 ジェレシスは、やれやれとため息を吐いた。


「お前の悪いところは、いつも自己完結してしまうところだ。バカみたいな力でゴリ押しできてしまうからといって、思考しないのは愚かだ」


 お前は俺のお兄ちゃんか?とツッコミたくなるが、そういや施設にいた頃は、本当に兄のように思っていたことを思い出して恥ずかしくなる。


「い、今はそんな話どうでもいいだろ!!」

「はいはい。で、その城の位置なんだが、あの下に俺たちの故郷がある」

「はあ?」


 城を建てた魔族を殺した時も、ついこの間奪還した時にも、俺はちゃんと魔力で異常がないか確認した。


 隠し部屋や隠し通路があればわかるはずだ。


「どうせお前は、ちゃんと探したと思っているんだろ。自分より強い奴がいないって環境は、傲慢な人間を育てるようだな」

「あのさ、ちょいちょい俺をイジメるのやめてくれない?ただでさえクッソ落ち込んでんのに」

「ずっと黙っていた俺の憂さ晴らしにも付き合えよ」

「…………それは、マジで悪いと思ってる」


 他人にヘラヘラ謝んのも、逆に絶対に謝らないのも得意だが、こればかりは本当に申し訳ないと思っている。


「全部終わったらお前が土下座しろよ」

「それはイヤだ」


 ジェレシスが鼻を鳴らして笑った。


「まあいい。んなことより、お前の魔力でも見つからない理由として、まずお前はこの森に気に入られ過ぎている。昨日からずっと、お前の周りに森の魔力が漂っているのに、気付いてないわけないよな」


 そう、ジェレシスが言うように、俺の周りには常に森の魔力が渦巻いていた。心地よさを感じるのはそのせいだが、昨日は明確な拒絶を感じた。


 記憶を取り戻すと、今度は森全体が悲しい魔力で覆われているのを感じる。


 あの拒絶は、俺に記憶を思い出して欲しくなかったからだったとわかる。


「パーシーはお前がお好みらしい。まったく、人の身に余る魔力を持つと、人外からも寵愛を受けるってマジなんだなと思うよ」


 魔術師の間では有名な話だ。魔力のオーラが強いと、ドラゴンなんかの魔力に依存して生きる生物に気に入られる事があり、それは魔術師にとって幸運なことだと言われている。


 逆に魔族に目をつけられるという難点もある。そういう人間を喰えば、確実に良質な魔力を取り込めるからだ。


「森は全部知っている。お前の身に起こったことを、悲しみ哀れんでいる。思い出す事がお前にとって辛い事だとわかっているから、隠したんだ」

「……そりゃ、気を遣ってもらってありがたいね」


 ありがた迷惑だ、とは、思っても言わない。


 そんな事を話しているうちに、木々の向こうに鋼鉄の城がチラチラと見えてきた。


 同時に、ナターリアの兵士たちの気配と、食事の用意でもしているのか、なんだかわからんいい匂いが漂ってきた。


 思わず腹の虫が鳴き出しそうになる。


 こんな最低の気分でも、人間である以上欲求には逆らえない。


「さて、こっからが問題だ」


 城へ入るには、ナターリアの兵士をなんとかしなければならない。それは俺にもわかる。


「ここの連中に気付かれないように城へ入るのは骨が折れる」


 ジェレシスが面倒そうに言った。


「確かにな…まさかのこのこ出て行くわけにもいかねぇよな」


 ジェレシスは魔族だし、俺はお尋ね者だ。


「いっそ全員気絶させるか」

「ちなみにどうやって?」


 俺が顔を顰めて問うと、ジェレシスはニカっと笑った。


「走って行ってブン殴る。もしくは広範囲の電撃で……」

「あーはいはいそれは論外だわ。お前に聞いた俺がバカだった」


 魔族の力でブン殴られたら死ぬだろ。それに電撃は、ヘタすれば心停止を引き起こす。気絶じゃ済まないかもしれない。


「仕方ないだろ。俺は繊細な魔力コントロールなんてできねぇんだから。お前と違って」


 確かに俺の方が細かい技術は得意だった。でも、


「幻術でもなんでも、出来ないことはないが…俺に死ねって言ってんの?」


 ナターリアでは、一つの拠点に常駐する兵士の数は約150人。そのうち、10人程度は魔力持ちである事が多い。


 特に今は、フェリル襲撃の直後だから、どこもかしこも防衛に力を入れていると考えられる。


 そんな人数を相手に大規模魔術を使ったら、〈封魔〉の痛みにのたうちまわるどころか俺が心停止しそうだ。


「やれとは言ってない。ただまあ、レオがやらないなら、俺が電撃で、」

「はいはいはいはい、もうわかったからちょっと静かにしてくれ」


 しゃあない。


 俺は覚悟を決めて、森の中を城へ向かって歩き出した。


 なんにせよ、もう少し近付く必要がある。距離が離れていると魔力を無駄に消費するからだ。


 城では魔力による索敵を随時行なっている。感知の得意な魔術師がいるのだろう。当然っちゃ当然だが。


 俺や魔族がやるような、莫大な魔力を持っているもの特有の第六感的な感覚把握ではなく、体系化された感知魔術による魔力の波動が時たま放たれている。


 その波動がギリギリ届かないところまで近付いた俺とジェレシスは、木立の間の茂みに身を隠した。


「んじゃ、死んだらちゃんと埋めてくれよ」


 半ば冗談とも言えないことを言うと、ジェレシスは親指を立てて同意をしめした。


 ちゃんと埋めてやる、なのか、やっていいぞ、なのか判断が難しい。


 昨日からずっと俺を苛んでいる、精神的なショックをなんとか抑え込み、心の中を空っぽにするように努める。今は何も考えてはいけない。


「〈時の影、〉」


 と、目を閉じ、意識を集中させて、対象に強い幻覚作用を及ぼす幻術系魔術の詠唱を始めようとした時だった。


 巡回の兵士だろうか。すぐ近くを一般兵が数人通り過ぎた。俺たちには全く気づいていない。その兵士の中に、聞き知った声があった。


 すかさず詠唱を中断。一文のみだったから、少しの魔力消費で済んだ。


「どうした?」


 目を開けると、ジェレシスが怖い顔で俺を見ていた。


「いい事を思いついた」

「?」


 首を傾げるジェレシスを無視して、俺はまた違う詠唱を行う。


「〈映せ、移せ、我の声を:転心〉」


 意識が半分抜け落ち、ひゅっと空中を飛ぶような気持ちの悪い感覚がして、そこにたどり着いた。


 出来るだけ脅かさないように、そっと声をかける。


(ジゼル、レオだ。わかる?)


 途端にびくりと視界が跳ねる。どうやらちゃんと聞こえているようだ。


(何も言うなよ。俺の声は、ジゼルにしか聞こえていない。怪しまれないように頼みたい)

(お、おお、わかった)


 ジゼルの焦りや驚きなんかの感情が伝わってくる。


 〈転心〉は、簡単に言うと意識の共有だ。任意の相手に乗り移るというか、心で会話ができるようになる便利な魔術だ。それだけではなく、各感覚の共有もできる。


 ただし、使用する相手を選ぶ必要がある。乗り移るわけだから、相手の心がある程度読めてしまう。決して男女間で使うものではない。


 あとちゃんと一方通行にしておかないと、こっちの心の声まで相手に伝わってしまう。


(悪いが、頼みがあるんだ。なんとか理由をつけてこっちに来てくれないかな)

(わかった……待ってろ)


 俺はジゼルに、位置情報を視覚的に共有して、魔力を引っ込めた。同時に意識の半分が自分の身体へ帰還する。


「ずいぶんと器用なもんだな」


 ふう、と一息つくと、ジェレシスが感心したように言った。


「これくらいは簡単だ」


 〈転心〉のリスクは他にもあって、あまり強い意識をぶつけると、相手の身体を乗っ取ってしまう。それに、魔術発動中は自分の身体を動かす事が出来ない。


 魔力コントロールと、安全管理が両立して初めてできる魔術だ。


「で、誰に話しかけたんだ?」

「拠点奪還の時に知り合った兵士だ。大隊長をしているおっさんで、少し仲良くなった」


 仲良くなったと言っても、あれ以来交流は無い。ここにも俺の手配書が回っているだろうから、魔術師にチクられないとも限らない。


 でもジゼルは、俺が魔族と繋がっていることを知っているが、今に至るまで誰かにそれを話した様子はなかった。もし話ていたなら、俺はとっくに捕まっているか、ナターリアを飛び出している。だからある程度信用できると判断していいだろう。


 もしダメだったら、当初の予定通り全員にしばらく幻覚でも見てもらおう。


 ジゼルは思ったよりも早くやって来た。


「金獅子!!!!」

「ぶぎゅっ!?」


 やって来るなり、ジゼルは極太の両腕と、鋼のような胸板で俺を押しつぶそうという勢いで抱きしめた。


「心配してたんだぜ!!金獅子が国を裏切ったって手配書が回って来てよ…おれはウソだとわかったが、周りはそうもいかねぇ」

「わかったからはなせぇぇええ!!!!」


 ジゼルはパッと俺を解放した。一瞬お花畑が見えた気がした。


「一体何があったんだ?」


 一応辺りの気配を探ってから、俺は小さな声である程度説明する。


 国の陰謀で命を狙われていること、魔術師は全員敵だということ、魔族に手を貸してもらって逃げたことなど、まあ、若干盛りつつでも控えめに説明しておいた。


「そりゃあまた、大変な事になってんなぁ……子どものくせに一丁前に犯罪者扱いされてよ」

「犯罪者ってのはちょっと気分が悪いが」


 でも否定はしない。


 俺の記憶が本当で、それに国が関わっているのなら、俺は間違いなくこの不幸を産んだ人間を殺す。


 今度は土下座なんて生易しいもので許すつもりなんてない。


「んでぇ?おれを呼んだってことは、なんかあんだろ?」


 ジゼルはチラチラとジェレシスに視線をやりながら言った。


「フハハ、そんなに怯えんなよ人間。魔力のないヤツを取って食ったりはしない」

「いやでもほら、やっぱりおっかねぇよ」


 近くにいるのが魔族とわかった上で、会話ができるのだから、ジゼルの肝はそうとう座っているようだ。


「俺の腕は喰ったけどな」

「マジで執念いなお前」


 という、どうでもいいやりとりは置いといて。


「ジゼル、俺たちは城の中へ入りたいんだが。出来るだけ目立たず行動したい。なんとかならない?」

「んーん。城は魔術師たちが住居にしていて、おれら一般兵は中に入らない。外の巡回さえ躱せば、城自体はガランとしたもんだ」


 ついでにジゼルは愚痴を零した。やっぱり魔術師たちは魔力を持たない一般兵を下に見ていて、その溝は日が経つにつれて深まるばかりなんだと。


「金獅子がおれたちにしてくれた事がどれだけ特別か、日々噛み締めて仕事してるんだ」

「んなたいそうな」


 ただのエンチャントだし、今や俺は犯罪者なわけだし。


「いや、金獅子の魔術は物に変化を与えるだけじゃなくて、おれたちの心にも変化をもたらすって知ったんだ。どんなスゲェ魔術師でも、金獅子には敵わねえ」


 ジゼルの言葉が。その輝くような表情が。


 雪山のクレバスに落っこちたみたいな、冷たく凍った俺の心にちゃんと届いた。


「あー、思い出話もいいが、目的を忘れんじゃねえよ、レオ」


 おっと、そうだった。


「そうだな……城の中は魔術師だけなら、当初の予定通り幻術でもかけるとして。巡回の兵士をどうするか」


 顎を撫でながら言うと、ジゼルが右の拳で分厚い胸板を叩いた。


「問題ないぜ!おれに任せておけ!」


 で、ジゼルが思いついた作戦を、俺もジェレシスも、微妙な気分で受け入れた。

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