第101話 パーシーの森2



 次に目が覚めたのは、まだ早朝の爽やかな空気が残る時間帯だった。動き出す前の街の静けさの中に、夏の暑さをはらんだ風が緩く流れているのを、少し開けられた窓から感じる。


 柔らかくも硬くも無いベッドに手をついて身体を起こす。


 ずっと感じていた左腕の違和感は無くなっていてた。至る所にあった軽い傷も全部、最初からなかったみたいに綺麗に治っている。


 ピニョやシエルのように、自身の魔力任せに「元に戻れ!」という治癒より、人体の構造を理解したうえで使う医療系魔術の方が、患者にも魔術師にも負担が少なく綺麗に治す事ができる。


 理屈はわかるのだが、普段シエル任せにしていた事もあって、俺はあまり医療系魔術を習得していない。これを機に手を出してみようかな、なんて思う。


 便利なシエルに頼ってばかりではダメだ。今回はそれを痛感した。停滞は破滅を産む。誰かがやってくれるからと、努力しないのは悪だ。


 それにピニョが目を覚ますまでは、特にすることも無い。


 ベッドを出て適当に着替えを探す。ディエゴしか住んでいない割に、しっかり整理整頓され、掃除も行き届いているから、ディエゴにはそういう女がいるんだなと思いながら着替えを探し、見つけた白いシャツを着た。


 幸い下はちゃんと履いていた。ディエゴがどうやって着替えさせたかは、あまり考えたくは無い。


 身嗜みを整え終わる頃、階下で診療が始まったのか、徐々に人の話し声が聞こえるようになった。


 〈封魔〉のアザは少し引いていて、なんとかシャツの中に収まる程度だ。これなら奇異な視線を向けられることも無いだろうと思い、俺は階下へ足を向けた。


 階段を降りると待合室がある。四列ある長椅子はほとんど埋まっていて、開け放たれた出入り口にも溢れる勢いだった。


 その殆どが年寄りと子どもを連れた母親で、サルファの生活水準の最低ラインから少し上の身なりをした人間ばかりだ。


 なんの不調を抱えているのかもわからない年寄り達が、ぺちゃくちゃとそこら中でおしゃべりをしている。診療所というよりも、井戸端会議に近い。


「ママ、痛いよう…」


 そんな中、俺の近くに座っていた子どもが小さな声で言ったのが聞こえた。七、八歳くらいの女の子だった。栗色のウェーブのかかったショートカットが母親とそっくり。


「もうすこしだから、我慢してね」


 母親が宥めるように言う。その顔は心配と焦燥が混じっている。


「どうした?」


 なんとなく、他の患者より切羽詰まってそうだったからという理由で声をかけた。が、それがかえって警戒させてしまったようで、ものすごく怪訝な顔をされた。


 それでも、母親は話してくれた。


「それが、今朝家の階段から落ちてしまって…どんどん腫れがひどくなって…」


 見ると、少女の左の腕、上腕と肘関節のあたりが酷い紫色に腫れ上がっている。


 うぇえ、痛そう。


「ゴホン」


 俺が顔を歪めたのを、母親は見逃さなかった。咳払いとともに睨みつけられて、俺はすぐに顔を元に戻した。いつものイケメンに。


「大丈夫、大したことないただの骨折……じゃなくて、痛いの我慢してエライなぁ…あはは」


 こういう時なんて言って良いかわからん俺は、人間として破綻しているだろう。


「治るの?」


 女の子が心配そうに聞いてくる。


「そりゃ治るさ。その辺のババアやジジイに比べたらあっという間にな」


 慰めるつもりで言ったのだが、今度はそれを聞いた年寄り共に睨まれた。


 ダメだこりゃ。俺は喋らない方がいいらしい。


「ちょっと見せてみ?俺はちゃんとした医療系魔術は使えないが、痛みをとるくらいならできる」


 え?と怪訝な顔をする母親に睨まれながら、俺は女の子の腕に手をかざした。それにしても酷い色だ。よく泣かないでいられるなぁ、と感心する。


「〈女神の祈り、天使の囁き、身に降りし厄を払い、この者に安らぎを与えよ〉」


 昔、アイリーンが教えてくれた。凍った地面で滑って転んだ俺に、「魔術の腕は良いのに、時々鈍臭いよね」と笑って、擦りむいた膝の痛みを取ってくれた。その時にこのエンチャントをかけた。


 ただの気休めで、根本的な治療ではない。


 でも痛みがマシになれば、それが希望になる。


 エンチャントの効果は、白く輝く光の粒子を生み出して少女の腕を包んだ。気休めだから、もちろん見た目に大きな変化があるわけでもない。それでも、女の子は驚いた顔で言った。


「すごいっ!痛くなくなったよ、ママ!!」

「ほんとに!?」

「おい!動かすなよ!?あくまで痛みを誤魔化しただけで、治ったわけじゃねぇんだから」


 そういうと、女の子はピタリと動きを止めた。咄嗟に怪我をした腕を庇う。


「やれやれ。いいからジッとして、おっさんの診察を受けろよ?」

「うん!ありがとう!」


 母親がペコペコと頭を下げるのをいなして、魔術を使った反動で震える指先を隠しながらなんとなく周りを見る。


 静かだな、と思ったからだ。さっきまで喧しかった待合室が、シーンとしていたのだ。


「お兄さん、次はワシの腰痛を…」


 近くにいたジジイが厚かましいことこのうえない発言をした。


 それがきっかけで、俺はそのあと数時間、待合室で延々とエンチャントする羽目になった……








「お疲れ様。きみは偉大な看護師になれるよ」


 診療時間が終わり、待合室の長椅子に大の字で座る俺に、ディエゴがやって来て言った。


「冗談でもやめてくれ!!」

「アッハハ!それほど腕のいいエンチャントを、私は産まれて初めて見たよ。どうかな、ここで働かないか?」

「それこそ冗談だろ。俺はエンチャント魔術師じゃなくて、普通に魔術師なんだ」


 それにいつまでもここにいるわけにもいかない。


「言ってみただけだよ」


 ディエゴは軽く笑って、首を回しながら階段へ足を向ける。


 それと同時に、建物の外で馴染みの魔力を感じ取った。いよいよお呼び出しってわけだ。


「おっさん、ちょいと出かけてくる」

「おう、気を付けてな」


 おっさんは後ろ手にヒラヒラと手を振った。


 診療所を出ると、出入り口の横の壁に背中をつけて立つジェレシスがいた。


 長い金髪は後ろで一括りにされ、本来灰色の眼は俺と同じ蒼いものに変わっている。


「お前まで俺の真似しやがって」

「悪いが、間近でちゃんと見た事があるのはお前の眼だけだからな」


 そう言って、ジェレシスが何かを投げてよこす。チャプンと波打つ液体の中に浮かぶ、俺の眼玉だ。


「フェリルに行ったのか」

「ああ。それを取り戻すのに苦労した。お前の宿舎も学院も協会も、スッゲェ厳戒態勢だったぜ」


 それは想定内だった。


 俺は多分、魔族との戦闘のゴタゴタに紛れて、特急魔術師を殺そうとした裏切り者という事になっているだろうから。


 挙句に魔族と逃走し、現在も逃げ続けている。


 この街にも、いつ手配書が回ってくるかわからない。


「いいさ。とりあえずフェリルを襲った魔族は死んだし、魔獣も追い払ったんだろ?」

「あのバリスとかいう筋肉男が活躍したらしい」


 バリス……さぞ混乱している事だろう。


「それで、ジェレシス」


 こいつがここへやってきたということは、もちろん目的は一つだろう。


 だけどその前に、俺はどうしてもコイツに言っておきたいことがある。


「俺に土下座して謝ることがあるんじゃないか?」

「は?」


 話の流れをぶった切る俺の発言に、ジェレシスは器用に片方の眉を吊り上げた。


「俺は執念深いんだ。お前が俺の腕を引き千切って齧ったこと忘れたとは言わせねぇ」


 しばらくの間があった。ジェレシスの表情が、次第にキョトンとしたものに変わる。


「……お前相変わらずマジで根にもつよな」

「相変わらず?」


 そのずいぶんと親しみのこもった言い方に引っ掛かりを覚える。


 まるで昔からの知り合いみたいだ。


 俺の疑問に答える事なく、ジェレシスは言った。


「俺の話を聞いて、それでもまだ謝れってんなら土下座でもなんでもしてやる」

「勿体ぶってないでさっさと言えよな。この間からずっと気になってんだけど」


 戦場から連れ出された後、ピニョの怪我もあってろくに話をしているヒマもなかった。


 魔族に俺と手を組んでいることがバレたシエルは、数日監禁されていたと聞いた。


 ジェレシスが助け出し、あの戦場へやってきたところまでは理解したが、そもそもなぜジェレシスが俺たちに手を貸してくれるのかはわからない。


「まあまあ、そう急かすなよ……懐かしい思い出話でもしながら、久々に森を探検しよう」


 何言ってんの?と俺は顔を顰める。本気で意味がわからないし、助けてくれたとはいえ何を考えているのかさっぱりで、信用ならない。


「心配せずとも今は手出ししない。弱ぇお前なんか喰っても面白くないしな!」

「あっ、ちょさわんな!おい!人の話を聞けよ!!」


 ジェレシスが俺の腕を掴み、ニヤニヤ笑いながら〈転移〉を発動。視界がボヤけ、クリーム色の診療所が消える。


 次の瞬間には断崖絶壁の淵で、サルファの街を見下ろす、広大な森の前に立っていた。


 昔々、魔術師が固有魔術を暴走させて出来たと言われる、魔力が充満するパーシーの森だ。

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