第99話 フェリル防衛戦14


 〈転移〉であっけなく地下牢を脱したシエルが最初に見たのは、ピニョが力なく崩折れるのをレオが抱きとめる光景だった。


「ピニョ!!」


 それは今までシエルが聞いたこともない、レオの悲痛な声だった。戦場の喧騒の中、それは嫌にはっきりと耳に届く。


「レオ、様…ご無事で、なにより……です」

「うるせぇ!下僕のクセに何やってんだよっ!?」


 コフッと小さく、可愛らしい唇の端を血が伝う。


「ピニョは…レオ様さえ無事なら、それでいいです」

「やめろ!んな冗談面白くねぇ!!」


 地面に寝かせ、傷を抑えるレオの手が見る間に真っ赤に染まる。


 駆け寄ったシエルは、そのレオの手を振り払って代わりに自分の手を傷口に乗せた。魔力を使い、いつもそうしているように傷を再生しようと試みる。


 まだ投与された薬の影響で、うまく魔力を注ぐことができないが、満身創痍のレオがやるよりも幾分かマシだろう。


「シエル…?」

「ごめん、遅くなった」


 一瞬驚いた顔をしたレオだが、すぐにその視線はピニョを射し貫いた女へと向けられる。


 それくらいの信頼関係は築いてきた。口に出さなくとも、任せたというレオの意思は汲み取れる。


「ネイシー…どういうつもりだ?」


 問う声はとても冷たく、魔族を相手にしている時の方が余程感情豊かだとシエルは思った。


「悪いわね…こんなこと、あたしもしたくはないんだけど」

「その割に悪気はなさそうだが」


 肩を竦めてひとつ息を吐き出し、ネイシーは言った。


「そうね。与えられた任務は、たとえどんなものでも冷静に確実にこなすことがあたしたちの仕事だもの」

「そうか…なら、今回の任務は相手が悪かったようだな」


 ふらりと立ち上がったレオは、アンデットみたくボロボロの姿だったが、迸った魔力は苛烈で凶悪なものだった。


 ネイシーが一瞬怯むのが、シエルの目の端に映った。魔術師や魔族の戦いにおいて、少しの怯みが魔術発動の遅延に繋がる。その少しの遅延が命取りとなる。


「〈静謐の棺、眠るは獅子の鼓動、目覚めるは双黒の刃、血の誓いの元、その力を示せ〉」


 レオが唱えたのは、魔剣の力を引き出すものだった。シエルは元々の持ち主である。レオが今込めた魔力で、それがどの程度の威力を発揮するかがわかる。


 巻き込むつもりか、と不安になった。それほどの魔力を感じたのだ。〈封魔〉による苦痛も感じないほどの怒りを、全て込めたかのようだった。


 もう一人の魔術師が、女魔術師を庇うように手を伸ばし、レオに向けて魔術を発動する。重力操作の魔術だ。レオを押しつぶすつもりらしい。


 しかし、すでにレオが展開していた魔力が強力すぎて重力操作の魔術に干渉し、不発に終わった。


「ネイシー!」


 二人が咄嗟に後退する。レオが憎しみを込め、最後の詠唱を唱えようと口を開く。


「〈紫電、〉っ、うぁが…!?」

「やめろ」


 レオの背中を蹴り飛ばし、倒れた背を踏んで地に縫いとめたのは、シエルを〈転移〉させたジェレシスだった。


「離せ!」

「黙れって。つか落ち着け!」

「うるさいっ!!」


 ドカッと、鈍い音がしてレオが背を丸めて咽せる。ジェレシスは相変わらず粗野で横暴だ。なにも蹴ることはないのに、とシエルは思った。


「ゲホッ…お前!なんなんだよ?なんでいるんだよ?」

「お前を助けてやろうと思ってたんだが、あんまりうるさいと気絶させるぞ」


 レオが素直に口を閉じる。


「いいか?今あの特級どもを殺したら、お前の居場所は本当になくなっちまう。それが嫌なら俺についてこい」

「はあ?」


 ワケがわからん、とその表情が語っているが、ジェレシスはそれを無視して魔術師二人に向き直る。


「お前たちの大事な金獅子は俺が預かってやる。そのくだらねぇ任務を出したヤツに伝えろよ」


 なんだよ離せよと言うレオの腕を掴んで引き摺るようにし、シエルのもとへやってきたジェレシスがまたも〈転移〉を発動。


 シエルを含めた四人の姿が、一瞬で掻き消える。


 それを、アウリーン家の魔族を倒したバリスが呆然と見送った。






 少年の言葉通り、その日子どもたちは逃げ出した。


 外の世界へ。


 待ち受けている過酷な運命を知らずに。


 飛び出した先は外の世界という名の地獄だった。


 現実を知ることは残酷なことだ。


 外には安全なんてひとつもなかった。


 深い森の中で食糧も水もなく、雨風どころか寒さを凌げることもできない。


 施設の中ではたくさんのことを学んだが、それらは森の中で何一つ使えなかった。


 昼夜を問わず追ってが忍び寄り、ひとりまたひとりと倒れていく。


 飢えは容赦なく、幼いものから死んでいく。


 気付けば少年と自分の二人だけになっていた。あとの仲間は死んだか逸れたかわからなかった。


 少年にも自分にも魔力はそれなりにあった。だが、それらを活用するほどの賢さも技術もなかった。


 最後の日、少年が大人たちに捕まった。


 すでに動くこともままならない自分は、それでも最後の力を振り絞って大人たちに抵抗した。


 その時、全ての責任を少年に押し付けた。


 決して助けたつもりはない。お前の所為で仲間が死んだ。それを忘れはしない。


 だが、この先も生き残ることができるとしたら、この少年だけだと思った。


 誰よりも強い魔力をもっているからだ。


 精一杯の魔力を込め、少年に手を伸ばす。


 どこか遠くへ。この森とは別の場所へ。


 施設の大人たちの手が届かないところへ。


 最後に見た少年は、蒼い眼に涙をいっぱいに溜めて、なにかを叫んだ。

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