第91話 フェリル防衛戦⑦
☆
翌日、フェリルの街に警戒態勢をとる旨の発表があった。
ルイーゼの顔がデカデカと映し出された紙面が配られ、そこには現在フェリルに危機が迫っているやらなんやら書かれている。
危険が迫っているとは言え、街はまだ穏やかだった。
「すぐそこまで危険が迫っていると言うのに、街の人たちは危機意識が低過ぎます」
「隊長、声を抑えてください……」
イルヴァ隊に入れられた俺は、朝も早くから街の巡回に駆り出されていた。
国民に事実を伝えるのは大切な事だが、それが混乱を招くこともある。俺たち端っこの部隊は、その予兆がないか、もし既に不穏な動きがあれば治めるというのが当面の仕事だ。
隊長のイルヴァが、街の人がいつも通りに仕事に向かったり、子どもが学校に行ったりを見るたびに、「危機意識がっ!!」と言う。
要するに退屈な仕事なのだ。
「ふああ、ねむ…」
学院へ行くよりも早くに起こされた俺は眠い。めちゃくちゃ眠い。
「レオンハルト・シュトラウス!いい加減にしてください!!さっきからダラシのない顔で欠伸ばかりして、恥ずかしいとは思わないんですか!?」
苛ついたイルヴァの標的が街の人から俺に変わった。
「欠伸は生理現象だ。脳に酸素が足りてないんだって隊長は知らないんですか」
「ムググクッ、そんなことを言っているのではないです!!」
やれやれ、怒りっぽい女は嫌いだ。
と、近くをすれ違った女子が数人、こっちをチラチラ見ているのに気付いた。中等学校の可愛らしいブレザーを着ているが、最近の女子は実際の年齢よりも大人びて見える。
女子に対するサービス精神の塊のような俺は、百戦錬磨の笑顔で手を振ってやった。
すると向こうも、嬉しそうにブンブン手を振り返してくれる。
凡庸な野外戦闘服を着て、相変わらず不格好な眼帯を付けていても、俺はモテてしまうのだ。悪いな、世間の男ども。
「シュトラウス!!女の子に良い顔するのは辞めて仕事に集中してください!!!!」
「隊長…もう何を言ってもムダですよ……」
「隊長の見ていないところで、さっきからずっとあの調子なんで……」
ブチ切れるイルヴァと、それを諫める隊員たち。
ちなみに隊員は四人いて、全員いかにも軍人という、鍛えられた身体の男たちだ。
イルヴァとは昨日少しだけ顔を合わせたが、他の四人は今朝初めて会った。
イルヴァ隊は全部で25人いるそうで、それを5つに分割して街の巡回にあたっている。俺はその中の、隊長自身がいるグループに入れられた。
昨日、ブリーフィングに参加したメンバーは、イルヴァのように隊長と呼ばれる人間ばかりだったそうで、その中でもこのイルヴァ隊は唯一魔術師のいない隊なんだそうだ。
「いいですか!?わたし達は、人々の為に誠心誠意尽くすことが仕事です!!チャラチャラしたいだけなら今すぐ帰ってください!!」
怒るたびにポニーテールの赤い髪がぴょんぴょん跳ねる。
「はい隊長ー。了解しましたー」
「語尾を伸ばさない!!」
「はい」
俺は肩を竦めながら言われた通りに返事をしておいた。
女が怒っている時は黙って様子を伺う。これが結構重要で、そのお陰でイルヴァは、ふうっと一息ついて怒りを鎮めてくれた。
「あなたはまだ学院生ですが、将来軍部に所属したいということで、バリス上官直々に仕事を見せてやってくれと頼まれたため仕方なくひきうけているのです。バリス上官の好意に相応しい態度をとりなさい」
ん?
「待って…俺そんな理由でこんな事になってんの?」
俺がいつ、将来軍部に入りたいって言った?寝言でもそんな事言わない自信がある。
「……?上官からそう聞いていますが」
ますます意味がわからない。
イルヴァ隊に元々魔術師がひとりもいないから、俺にこの話が回ってきたのだと思っていた。
協会も手一杯だろうし、その点俺なら学院生とは言え一応元特級魔術師として経験がある。
取って付けたような理由。こうなると、俺を軍部に入れたのは、人手不足だからというわけではなさそうだ。
そもそも街にもし魔獣が入ってきたら、という理由なら、別にイルヴァ隊に入れる必要もない。最初から単独で行動してもいい。いや、その方が効率がいいはずだ。
隊に入れて行動を共にするということは、隊長の指示に従う必要がある……そういや、イルヴァの下として動けと、やたら強調していたことを思い出す。
……まあいい。バリスとザルサスが何を考えているのかは知らんが、あえて何も聞かずに言うことを聞いておいてやるか。
近くに魔族が迫っていると知りながら、学院で授業を受けるのもイヤだしな。
「さて、仕事に戻りましょう。気を引き締めてください」
「「「「はい!!」」」」
イルヴァの気合の入った言葉に、隊員たちがキレよく声を揃える。
俺もちっちゃい声で返事しておいた。
街はいつも通りだ。
いつも通り、街の住人の生活は止まることなく、世間話をしながら歩く人々の何人かが、「魔族が攻めてきたんだって?」「怖いよなあ」と言う程度だ。
いつも通りではないのは、街のそこかしこに軍人がいる事だろうか。
軍人の厳しい顔こそが、街をいつもの様子と違うものにしようとしているみたいだとすら思う。
イルヴァ隊は任された区画内で一番の人通りがある繁華街へと向かった。
以前ピニョとデートしたところだ。
普段、学院と協会本部とダミアンの研究所にしか行かないから、ピニョとのデートもすでに懐かしい。
店先にここぞとばかりに防災グッズを置いている店が何軒かあるが、魔族襲撃に便乗して儲けようという人間は、浅ましいくもあるが割と現実的で好ましい。
もっとも、わずかの非常食と水と簡易トイレで魔族の襲撃を凌げるとは思えないが。
「ねぇねぇ、軍のお姉ちゃん。魔族って本当にいるの?」
イルヴァ隊の巡回を止めたのは、まだ初等学校に入る前の小さな男の子だった。
男ばかりのとっつきにくそうな軍人の中でも、女性なら話しかけやすいと思ったのだろう。
その、話しかけられた張本人のイルヴァは、突然の少年の襲撃に戸惑った。
「ど、どうしたのかな?」
「だからね、魔族って本当にいるの?」
「あ、ああ、魔族ね、魔族…」
イルヴァはどうやら、子どもが苦手なようだ。困ったように苦笑いを浮かべながら隊員たちに視線を向ける。
「隊長、ちゃんと答えてあげてください」
「でもでも、ど、どう言えばいいのです?」
「それはその…隊長に任せます」
「えっ!?」
見ていてため息が出る思いだった。俺よりも十年は長く生きているだろう大の大人たちが、単純な子どもの質問にどう答えていいのか迷う。
子どもが苦手な人間は、その純粋さにどう対応していいのかわからないから苦手意識を持つ。大人になると心が不純物だらけになって、純粋な子どもと接することが難しくなる……というのは、俺の考えだ。
だから俺は子どもは苦手じゃない。
なぜなら俺はまだ、心が純粋だからだ。
……クズが何を言ってんだって?
わかってないな。俺は自分に正直に生きているからクズと言われてるんだぜ?誰よりも純粋な人間だと思ってる。本気で。
「魔族はいるぜ。それもそこら中にな」
少年の問いに答えてやった。
「ちょ、怖がらせるような事言わないでください!」
イルヴァが俺を睨む。
「怖がらせるつもりはない。そいつの真剣な問いに、こっちも真剣に答えたまでだ」
「そういう事ではなくてですね…もう少し言葉を選ぶなり、」
「お兄ちゃんは魔族を見たことがあるの?」
怒るイルヴァを、少年が遮った。少年の目は、まっすぐ俺を見ていた。もうイルヴァとか他の隊員とかどうでも良さそうだった。
子どもは正直な生き物で、真剣に相手にしてくれない大人を信用しない。
俺は改めて、少年の前に片膝を着いて視線を合わせた。俺と同じような青い目をしているが、残念ながら魔力持ちではなさそうだ。
「あるぜ。俺は魔術師だからな。魔族も魔獣も、それなにり相手にしてきた」
「怖くなかった?」
正直な話、魔族も魔獣も今となっては怖くはない。でもそう答えるのは違う気がして……そういや俺が初めて魔獣を倒したのは、この少年より少し大きくなった頃だなと思い出した。
「最初は怖かったな。初めて魔獣を見たのは、お前よりちょっと大きくなった頃だったからな」
「へぇ。もうすぐここにも、魔族とか魔獣がくるんでしょ?ボクたち死んじゃうの?」
なるほど、少年の一番の疑問はこれだったんだな。
幼いながらも親を不安にさせたくなくて、でも自分も不安だからと誰かに聞きたかったのだ。
死んじゃうの?と、まだ死ぬという事もよくわかってないのに。ただ漠然とした怖い事だと思っているのだろう。
「大丈夫だ。お前知ってるか?この国にはバカみたいに強い魔術師がいるんだぜ」
そう言うと、少年は顔全体をくしゃっとして笑った。
「知ってるよ!『金獅子の魔術師』でしょ?」
ちょっと発音が怪しいが、俺はこんなガキにまで知られているらしい。
「当たりだ。そいつはめちゃくちゃ強くてな、今まで魔族に負けたことがない」
「ホントに?」
「ああ」
実際は何度も死にかけているが、まあ、負けたわけじゃないからいいよな?これは正義のウソだ。
「今回もその魔術師がこの街を守る。お前も、お前の両親もな」
少年はニッコリと微笑んだ。が、それはまた暗い影に閉ざされる。
「でもどうやって?魔術師も強いけど、魔族も強いんでしょ?」
そう来たか。
少年の周りには、魔術を使う人間がいないらしい。
「よし、俺が特別に良いものを見せてやろう」
キョトンとする少年。イルヴァ隊の隊員たちも興味深げに俺たちのやりとりを見ている。
イルヴァだけが眉間にシワを寄せているが、まあいいや。
「〈静謐の棺、眠るは獅子の鼓動、目覚めるは双黒の刃、血の誓いの元、我が命に応じよ:黒雷〉」
パチチと、小さく弾ける雷光を纏った黒い刀身が現れる。
「レオンハルト!!何を考えているんです!?」
イルヴァが怒鳴った。俺が魔剣でガキを殺すとでも思ったのか?失礼な奴だな。
「落ち着いてください隊長!」
「魔剣だ…カッケェ」
隊員の中に純粋な奴がいる。こいつとは仲良くなれそうだ。少年と同じ顔をしている。
「うわあ!カッコいい!」
「これは〈黒雷〉っていってな。俺の相棒なんだが、見ての通り不思議な剣なんだ。お前も知ってる金獅子も、こういうスゲェ武器とか持ってるんだぜ」
そう、まさにコレだ。
「触ってもいい?」
「もちろん」
俺は少年にグリップを差し出した。少年のひょろっとした短い腕では重い剣を持つことができないから、後ろに回って支えてやる。
「ありがと、お兄ちゃん!!」
しばらく魔剣を触って、満足したように少年が笑った。
「ちょっとは気が晴れたか?」
「うん!」
最初の不安げな様子はもうない。うまく気をそらせることができたようだ。
「こんな武器を持ってるんだから、お前が心配せずとも魔族はここまで攻めてこない。金獅子がちゃんと倒してくれるさ」
「そうだね!ありがと、お兄ちゃん!」
再度そう言って、少年はスキップするみたいに駆けて行った。その先には、ちょうど店から出てきた母親らしき人がいて、少年はその女性の手を取って歩き出す。
途中で一度振り返り、大きく手を振ってくれたから、俺もそれに答えて手を振る。
少年の姿が見えなくなると、俺は〈黒雷〉を〈転移〉させて、学院宿舎の俺の部屋へ戻す。
これくらいの魔術なら封魔も大人しいもんだ。
「悪戯にウソを教えるのは良くないと思います」
感情のこもらない声で言ったのはイルヴァだ。
「ウソって?」
と、惚けたように俺は首を傾げてみせる。イルヴァの言う通り、俺は少年にウソをついた。
「今回の魔族の襲撃に、『金獅子の魔術師』は参加していません」
昨日のブリーフィングでも、実は一悶着あったのだ。金獅子が参加しないのはなぜだ?と。金獅子がクビになったことは公表されていない。人々の混乱を防ぐためだが、それが完全に裏目に出てしまったのだ。
「それがなんだ?問題でもあるのか」
「いいえ。でもウソをつきました。少年は最強の魔術師が魔族を倒してくれると信じたでしょう。実際は、こんなに国が大変な時に、姿すら現さない魔術師だとは知らずに」
俺の気も知らないで、と思わなくもないが言いたい事もわかる。
「ここの人たちがどうしてこんなに落ち着いているのかわかりますか?」
イルヴァが周囲を見回した。つられるように俺も視線を動かす。
街はいつも通りだ。
仕事をする人、買い物を楽しむ人、子どもを連れた母親、仲睦まじく歩く男女。
昨日と今日の違いなど、間違い探しみたいなものだ。
「みんな根拠もなしに信じているからです。『金獅子の魔術師』を。人々の危機意識を低下させているのは、圧倒的に強すぎるひとりの魔術師の所為なんです」
一瞬心臓が止まりそうだった。今までそんな事を考えたことがなかった。
俺は自分の強さだけを求め、出来る限りの努力を重ね、その結果特級魔術師になることができた。
シエルとの契約を忠実に守って、邪魔な魔族をたくさん殺した。大方思い通りにやって来れたが、そんな俺が、周囲にどんな影響を与えているのかなど考えた事もなかった。
『金獅子の魔術師』の名を語る人々はいつも笑顔だ。国内最強。規格外の能力を持っている。魔族も簡単に倒せる。
だからこの国は平和でいられる。
でも確かに、イルヴァの言う通り裏を返せば、俺の存在は人々の恐怖心や危機感を低下させるものだ。
もし前線のバリスたちが魔族に倒されたら?
魔獣の大群がフェリルを襲ったら?
純粋に俺を信じていた者たちは、今度は俺を恨みながら死んでいくのか?
「わたしたちの仕事は、人々の混乱を未然に防ぐことです。根拠もなく安心させることではありません」
何も反論出来なかった。イルヴァの言うことは正しい。そう気付いてしまった。
「そうだな…俺が悪い。今度から気をつけるよ」
「是非そうしてください」
行きましょう、とイルヴァが他の隊員に声をかける。また、いつも通りの街を巡回する。
その後について歩きながら、俺の頭の中ではずっと、最悪の想像が巡っていた。
崩壊するフェリルの街で、魔獣に喰われる人間がみんな俺に恨み言を言う。
『なんで闘ってくれなかったの?』
『守ってくれるって言ったのに』
『最強の魔術師じゃなかったの?』
信じていたのに、大丈夫だって言ったのにと、死んでいく人間をどうしても想像してしまう。
誰かを守れない俺は、ただ単に人々に根拠のない安心感を与えるだけの俺は、一体なんのために存在しているのか。
考えだすとキリがないが、一つ言えるのは、このままフェリルの中で事態の終息を待つだけではダメだと言うことだ。
俺はやっぱり、誰かの期待のために闘わなければならない。
少なくとも前線で死ねば、その後のことは見なくて済む。
それは逃げと同じかもしれないが、俺は残念ながらクズなんだ。フェリルの人々に恨まれるよりは、先に死んだ方がマシだとさえ思った。
恨まれるのがこんなにも怖いと思うのはなんでなんだろうと、自分に少し違和感を感じたが……まあ、人間だれでもそうだよな、と無理矢理納得しておくことにした。
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