第85話 フェリル防衛戦①
★
『大きくなったら何になりたい?』
突然、そう聞かれた時は驚いた。
白く狭い無機質な部屋。
中央で天井ばかり見ているのは、たんに上しか見られないからだ。
中央に備え付けられた硬く狭い、ベッドというには簡素な台に、頭と手足を拘束されていたからだが、産まれてこの方、それがおかしい事だとは思っていなかった。
声をかけてきたのは白衣の男だった。
全員白衣を着ているが、話しかけられたことでその人間を始めて認識した。
まだ若そうだ。
『君もいずれ大きくなって、何かにならないといけないでしょう?と言っても、まだ五歳の君には思いつかないかな?』
大きくなったら。
大きく、なれるまで生きていられるのか?
『難しいことを聞いてすまないね。また話をしてくれるとありがたいんだけど』
申し訳なさを前面に押し出したような顔で、若い男は笑った。
そこからしばらくの記憶はあまりない。
その白い部屋に入ると、いつもそうだった。
ただただ時間が過ぎる事だけを願った。
苦痛の時間。
閉ざされた世界で、同じような境遇の子どもばかり。
崩壊は、あっという間だった。
★
惰性のように過ごした夏休みが終わり、授業が再開して一週間が経った。
相変わらず暑い日が続いているが、授業に限っては空調が効いた室内だからまだ良い。
それに俺は、卒業と共に特級魔術師に戻れるから、大して焦る必要もなく、それ以前に、学院程度の授業内容など遠の昔に終わっているわけで。
したがってそれまで通り、窓の外を見て時間を潰していた。
「いつも通り、レオくんが退屈してるみたいだから、少し違う話をしようか」
担任の先生が苦笑いを浮かべながら言った。
別に気を遣ってもらう必要は無いんだが、この先生は時たまそうやって俺を授業に参加させようとする。
「みんなは、魔力があることに気付いたのはいつかな?先生は確か三歳の誕生日だったかな。両親が大きなホールケーキに蝋燭をさして、火をつけてくれたんだけど、全部いっきに消せなくてね。悔しくて悔しくて、消えろって念じたんだよ。そしたらちゃんと、残りの火も消えたんだ。三歳なんて他の記憶はないのに、それだけは今でもしっかり覚えているんだよ」
相変わらず先生の話は長かったが、フフッと笑う先生につられて、クラスメイトたちも近くの友人とその感動的な瞬間について語り合う。
「あたしは初等学校に入る前だったなぁ。ママもパパもビックリしちゃって、誕生日以上にお祝いされたわ」
「覚えてるよ。イリのウンザリした顔、とても面白かったの!」
「リアだって似たようなものでしょ。同じような時期だったから、お互いの家族とパーティーをしたのよね」
懐かしいね、と、イリーナとリアが楽しげに笑う。
「おれはそこまでじゃなかったな。喜んではもらえていたとは思うけど」
逆にユイトは苦笑いだった。それもそうだ。夏休み初めのゴタゴタを思うと、ユイトにとってあまり良い話題では無い。
だが大概の魔術師は、産まれて初めての魔力を使用した感覚を生涯忘れることはないという。
魔術師にとっての黄金期だと揶揄されるくらい、最初の数回だけ、魔力持ちは詠唱無しで魔力を操る事ができると言われている。
幼い子どもの、未熟な脳構造のせいだと言う奴もいれば、初めて賭けをした時のルーキーズラックのようなものだと言う奴もいる。
どちらにしろ、成長して無駄なことを考えるようになると、純粋な魔力は使用不可能になる。
回転数とか、天井とか考えだすと勝てなくなるのと同じだ。
それでも魔力持ちは魔術師を目指す。
最初の大当たりを覚えているから。
「レオは?いつからそんな感じなのよ?」
当然、その話題は俺にも向けられる。
「俺か。俺は……」
窓の外では、広場で火炎系魔術を練習しているクラスの授業風景が見える。
三級魔術の〈火炎弾〉を上手く発動させている奴もいるから、多分上級生の授業だ。
それでも、俺からすると頼りなく、駆けつけて本物を見せてやりたくなる。
おっとそうだった。
今は俺がいつから魔力使えたかって話だった。
気が付けば、クラスメイト全員が俺の発言を待っていた。
最初に話を始めた先生や、これまで俺の一級魔術を見てきたクラスメイトが何を考えているのかはわかる。
成績も良い、魔術も不得意なところがない。そんな人間が、いったいどうやって自身の才能に気付いたか。
興味が無いわけがない。
「期待しているところ悪いが、」
と、幸いそこで授業終了のチャイムが鳴った。
「では、午前の授業はここまでです。みんなお疲れ様」
先生はあっさりそう言って、教室から出て行った。それに伴って、クラスメイトたちも仕方なく諦めたような顔で昼食のために教室を出ていく。
興味があると言っても、空腹には勝てない。結局その程度の話題なのだ。
ただ、イリーナたちに限ってはその限りではない。
いつも通り食堂で昼食を摂っている時。
イリーナが思い出したように言った。
「ねぇ、そう言えばレオはザルサス様の養子なんだよね」
「ああ。協会に登録する時に、一応紙面上そういうことにしてある」
12歳の俺の身元を保証するためだ。6歳から世話になっていた……いや、俺が世話してやっていたから、特に関係性が変わるわけでもなく、必要だったからそうした。
師弟関係で成り立つ野良魔術師にとっては、本当の親がいるいないに関わらず、さほど珍しい事でもない。
「ザルサス様と暮らす前は…どうしてたの?」
その問いに、リアもユイトも食事の手を止めた。
そんなに興味津々とされたところで、別に何も面白い話なんてないのに。
「ヴィレムスの真冬の雪山でザルサスに会うまでの記憶は、残念ながらないんだ」
どう形容していいのか、とりあえず空気が凍った。凍るような寒さには対策が取れるが、凍った空気はどうにもならないな、などとしょうもないことを考えていると、イリーナがまた言った。
「産まれた場所とか、両親の顔もわからないってことよね?」
「そうなるな」
そりゃ俺も人間なのだから、どこかで誰かが俺を産んだわけだ。当然親もいるだろう。生き死には別としても。
親の顔を知らないことや、産まれて凡そ6年の記憶が無いことで苦労を感じたこともない。
「じゃあ、魔力があるのはいつ知ったの?」
本題はそれだと言わんばかりのイリーナに、俺はただ、肩を竦めて答えるしかない。
「さあ。無い記憶を思い出すなんてできないだろ」
この返答以外に何も語ることはないわけで。
微妙な空気を残したまま、昼食の時間は過ぎて行った。
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