第84話 真夏の夜、月の下で④


「レオ様、そういえばこの部屋……さっきの女の人のものみたいです」


 パタパタと飛び回っていたピニョが、部屋の中央に置かれたベッドのサイドテーブルの前で止まった。


「見てください。この写真、あの人ですよ!」


 言われて見ると、確かに長い黒髪の色白の女が写っていた。柔和な表情で笑い、片腕を隣に立つ男に絡めている。


 一眼で、この二人の関係性がわかるような写真だった。


「魔力残滓から、結構年月がたってるのはわかるけど、これを念写した魔術師はかなり優秀な奴だったようだな」


 俺たち魔術師の写真は、専用の紙に魔力を流すことで任意の画像を念写する。


 だからそれを行った魔術師の魔力の残滓が残るが、その残滓が強いほど質の良い魔力を込めた証拠になる。


 余程この写真を、色褪せさせたくなかったみたいだ。


「この男の人が魔力を流したんですか」


 ピニョが言う男は、女性が半身を預けている相手だ。


 協会のものに似た、漆黒のローブを纏っている。


「王政時代の魔術師のローブだな。協会のはもう少し丈が短い」

「言われてみれば、協会の魔術師が着ているものに似てるな…あんまし見たことないけど」

「んなダセェローブ、今時誰も着ねぇよ。今はライセンスカードがあるからってのも理由のひとつだが」


 昔は正規の魔術師である証としてローブを着ていたらしい。ライセンスカードの普及とともに消えつつある因習だ。こんなダサくて動きにくいローブなんて絶対に着たくない。


 そうなると、だ。


 考えられるのは、この魔術師が何かしらの魔術をつかっているのだろうが。


「王政の頃って、もう150年ほど前だよな……」


 ユイトがポツリと言った。


 そうなのだ。


 この魔術師は、とっくに死んでるって事になるわけだ。


「ともかく、ジッとしているのもアレだしエナたちを探そう」


 男どもは最悪どうなってもいいけど、女子は助けなければならない。


「そうだな」

「〈転移〉で…と思ったが、魔力の干渉が強すぎて無理だな」


 空間を支配する魔力が、同じ空間魔術を阻害しそうだ。


「仕方ねぇ。ピニョ、お前が先頭な。その次がユイト」

「なんでだよ!?」


 ピニョがお目々をぱっちりして俺を見た。ユイトは不信感もあらわに叫ぶ。


「いやだって、俺あの女に狙われてんだよ?あの顔で迫られてんだよ?ユイトは女ならなんでも許せる?ムリだよな?多少顔は見るよな?」

「そんなこと言ってる場合かよ!?」


 言ってる場合だよ!!


「ともかく!俺は先頭だけは嫌だ」


 絶対に!!


「チッ、わかった!でもピニョちゃんもおれの後ろな。女の子を危険な目には合わせられない」

「ユイト様……」


 何カッコつけてんの?ロリコンか?


 ピニョまでキラキラウルウルした目をユイトに向けている。


「よし!行くぞ!」


 ユイトの一言で、俺たちは最大限警戒しながら部屋のドアを開けた。ちょっとだけ。


 その隙間から廊下を確認。


「女は…いないな」

「今のうちに一階に戻って、ミコたちが消えた方へ行ってみるか」


 そろりそろりと部屋を出て廊下を進む。出来るだけ気配と音を消したいが、散らばったガラス片のせいで、どうしても足音が響いてしまう。


 お互いの足音にビクつきながら、やっとの思いで階段までたどり着いた。


 またギシギシ言わせながら階段を降り、広間へと戻って来た。


 ミコたちが消えたのは、玄関を入って右側の通路だ。


 そっちには、豪華な調度品があられもない姿で並ぶ客間があった。


 この屋敷の主人の趣味なのか、至る所に花瓶が飾られているが、枯れた花すらもう朽ちて消えてしまったようで、ひび割れた花瓶が返って不気味さを増長している。


「ミコ、エナ」


 小声で呼びかけながら進む。窓から見える月は天高く、もう夜中だと知らしめてくる。


「ユイト!レオちん!」


 俺たちの声に気付いた女子たちが返事を返した。


 そこは、納戸のような狭い部屋で、木のドアを開けると隅っこに身を寄せ合う姿が見えた。


「無事か?」

「うん。つか、レオちんビビりすぎじゃね?」

「俺は興味ない!とか言ってなかったっけ?」

「幽霊に興味はない!!この現象は全部魔術だからいいんだよ!!」


 自分でも何がいいのかよくわからんが、ともかく俺は幽霊には興味ないが、それが魔術によるものならなんだって知りたい。


「ふーん」

「ふーんってなんだよ!?」


 別に、とギャル二人はニヤニヤした。非常に不快な表情だ。


「後はゼノンとエリアスだな」


 あくまでも冷静にユイトが言った。


「もういいだろ、あの二人は」


 と言いつつ、俺はこの魔術について考えていた。


 これは魔術による現象なのだから、当然魔力を供給している奴がいるわけで。


 その一番の容疑者はすでに100年以上前に死んでる。


 でも魔力だけを残すのなら難しい話じゃない。写真や魔道具なんかがいい例で、あれはその道具自体に魔力をエンチャントする技術だ。当然、本人が死んでも効果は残り続ける。


 エンチャントには魔力を込めておくための物が必要だ。


 そうなると、その物がどこかにあるはずだ。それさえ見つければ、簡単に〈解術〉ができる。


「ねぇ、レオちん」


 ミコが申し訳なさそうに、小さな声で俺を呼んだ。考え事をしている時に話しかけられるのは好きじゃない。


「なんだよ?」

「後ろ……」


 二回目のそれを、俺は冗談だと思った。だから、


「は?お前タチ悪いぞ。一回目に俺がビビったからって調子乗ってんじゃねぇよ」


 イライラに任せてそう言った。ムカついたから。


「レオ…冗談じゃない。後ろに女が……」

「ユイトまでそんなこと言うのかよ!!クソ、お前らマジで許さねぇ」


 と言いつつ、一応振り返った。


 木製の開け放たれた扉のすぐそこに、本当に女がいた。


「うわあああっ」

「きゃああああっ」


 俺が叫ぶと、そこにいた女子どもが悲鳴を上げる。


 我先にと納戸の奥へと殺到。


「レオちん何とかしてよ!!!!」

「ムリムリムリムリ!!うわっ!?」


 ドーンと背中を押された。ギャル許さねぇ!!


 バランスを崩し、酔っぱらった時みたいな千鳥足でつんのめった。


「あああああ」


 倒れ込んだ先に女がいる。避けられない。


「レオ!!」


 ユイトが叫んだ声と、俺が女に衝突したのは同時だった。世界がスローモーションに見えたほどだ。


 空をかく俺の両手が、女に触れる。女は血管の浮いた青白い腕を伸ばし、倒れる俺を受け止める。


 これが飲み屋のねーちゃんなら大歓迎だが、相手は血走った目をした不気味な女だ。


 あー死んだ、と思った。


 が、触れた手に伝わる感触は、暖かく柔らかかった。


「ずっと、会いたかったの」


 女がそう言った。


 頭の中に、女の感情が流れてくる。


 会えない期間が寂しい。でも、その寂しい期間を過ごすことが幸せだとか、会えないからその分会えた時が嬉しいとか。


 前回はこれをしたから、次に会う時はあれをしよう。そうやって考える時間が愛しい。思い出すことが辛くて、でも自然と気分が高揚するとか。


 女はいつも待っていた。


 その魔術師の男が来るのを、ただひたすらに待っていた。


 病弱な女は、魔術師という気苦労の多い夫を持つことを周囲に止められていた。


 だから月に一度。満月の日には必ず会うと約束した。


 俺は男だからか、それとも、こんなにも誰かに恋焦がれたことが無いからか。


 女の複雑でまったくもって正反対な感情はよくわからない。


 最期の日も、女は待っていた。


 朝早くに起きてから日が暮れ、月が天高く登るその時まで。


 満月が見下ろしている。揺れるカーテン。柔く吹き込む夏風が心地良い。室内は月明かりだけで十分明るい。


 ピアノの音が風に乗って、行き場のない女の感情や、その他のいろいろなものをのせて部屋を満たす。


 男は来ない。もう月は天高く昇っている。


 そこで、俺を満たしていた女の感情は、唐突に消えた。


「うわっ」


 気が付けば、俺は両手を前に伸ばしたままつんのめった状態で。


 そのまま、おっとっと!と、廊下の壁に激突した。


「イッテェ……」

「レオ!?大丈夫か?」


 ユイトが慌てて駆け寄って来た。


「レオが触れた瞬間、女が消えた」


 ユイトも女子たちも、いつのまにか人間の姿になっていたピニョも、辺りをキョロキョロと見回して、女がどこからかまた襲ってこないかと、怯えた目をしていた。


「今日って満月だっけ?」

「は?そうだけど、どうした?」

「わかった」


 色々条件が重なってしまったようだ。


「あの女は幽霊じゃないって言ったよな」


 そう言うと、興味を持った女子たちも納戸から出てきた。こう言う時でも好奇心旺盛なのだから、魔術師って奇特な生き物だ。


「さっき言ってたよね。どういうこと?」

「まず、この洋館には魔術的な結界が張られていて、中の人間はそこに囚われて出れなくなる。もちろん普段は大丈夫だが、そこがポイントだ」


 他にも度胸試しに入った奴は大勢いるはずだ。毎回こんな結界に閉じ込められたんじゃ、とっくに協会に連絡が来て、誰か魔術師が対応したはず。


「俺たちが来て魔術が発動したのは、今日が満月で、女が死んだ日だからだ」


 みんなが、え?と俺を見た。まあそれもそうだ。俺しかあの女の記憶に触れていないから。


「俺が触れた時、魔力の残滓が流れてきた。女は身体が弱く、魔術師の嫁になれなかったけど、相手の魔術師とは月に一度満月の日にだけ会っていた」


 俺にはやっぱり理解できないが、月一の邂逅は女にとって生きる糧だったようだ。一途なのは好ましいが、俺には真似できそうにないし、月一で必ず会わなければならないって割と苦痛だ。


「だがこの日は女の元に相手は来なかった。元々死期が近かったのかは知らんが、女は最期に男にあえなかったようだ」

「何それチョー純愛じゃん」

「涙出そうなんだけど」


 ヤベェと言う女ども。やっぱり俺にはよくわからん。ユイトは、俺とはまた違う表情をしているけど、何を考えてるのかはわからなかった。


「んで、こっからは予測なんだが。多分その相手の魔術師がなんかやったんだ。その魔術が、今日という日と、俺の魔力に反応した」


 結果エンチャントされた魔術が発動した。


「でもなんでレオの魔力に?」


 当然の疑問だ。ただ、もっと勉強しろと言いたい。


「そりゃ俺の魔力と、その魔術師の魔力の性質が似てるからだろ。特殊の系統が似てるとか、クセが似てるとか」


 もしくはそいつも俺と同じ固有魔術をもっていたか。


 ちなみに俺の場合、特殊魔術を均等に扱うから、似ているというよりも含んでるの方が正しい。


 女が俺を追いかけ回すのも、多分そのせいだ。


「ここまで大規模なエンチャント魔術が使えるんだから、並の魔術師では反応しなかったってだけは明らかだ」

「微妙にエラそう」

「当たり前だ!」


 だって歴代最強って言われてんだからな!!


 まあそんなことはどうでもいい。


「エンチャントされた物ってなんだろう」


 顎に手を添えて考えているユイトには悪いが、それもすでに心当たりがある。


「ピアノだ。二階の左側奥の部屋に朽ちかけたピアノがある。女の記憶に何度も出てくるってことは、多分あれは二人にとって思い入れがあるんだろう」


 わかってしまうと実に単純な事だ。後はあのピアノに〈解術〉をかければいい。


「そういうわけだから、さっさと行って終わらせよう」


 ひとつだけ、どうしてもわからない事がある。


 まあでもそれは、ピアノに触れればわかるだろう。


 ピアノの部屋にたどり着いた。短い道中は、幸い何も起こらなかった。


 最初にここへ入った時はただの廃墟だと思ったが、女の記憶を見たからか、それほど酷い部屋だとは思わなかった。


「本当にピアノがあったんだね」


 少し恐怖が引いて、女子四人とも部屋を興味深そうに見回している。


「このピアノ、もう音は鳴らないね」


 メイエルが言った。ピアノを見る目が、懐かしいものに向けるそれだった。


「メイちゃん弾けるの?」

「うん。家にあるの。学院に入っちゃったから、しばらく触ってないけどね」


 そんな会話を聞きながら、早速とピアノに手を置いた。


 やっぱり強い魔力を感じ取る事ができた。エンチャントされた道具で間違いない。


「〈数多の呪、想像の術、塵と成りて消滅せよ:解術〉」


 元々の魔術を探るように、自分の魔力を流す。


 嫌な気分だった。


 余程男の魔術師の想いが強かったのか、あの女が死んだことを受け入れられず、勢いでエンチャントを行ったみたいだ。


 俺にそんな気は全くないのだが、まるで二人の間に割って入るような、そんな気分の悪さを感じる。俺は大概クズだが、さすがにそこまではしない。


 〈解術〉を進めると、だいたいわかった。


 男はその日、とにかく大変だった。王政末期、魔術師達は王家に使えるか、新体制を築くかで揉めに揉めていた。力のあるこの男は、そのまさに渦中にいたらしく、だから間に合わなかった。


 生きていればそういう事もある。月に一度とはいえ、そのうっかりがたまたまぶち当たった。


 でもこの二人にとって、そのたまに起こる事が、とてつもなく不運な出来事になってしまったようだった。


 男がやっとの思いで訪れた時には、女はすでに死んでいた。


 その気持ちは、残念だがとてもよく知っている。


 俺も同じだ。


 それに気付くと、あの女が少しアイリーンに似ていた事が恨めしい。


 ただ、俺とこの魔術師が違ったのは、その哀しみに任せてくだらない魔術を使わなかったことだ。


 男は女の遺体を側に、ピアノにエンチャントをかけた。


 これからは離れない。ずっとこの屋敷で共に、と。


 魔術は大概不可思議な現象で、魔力を持たない人間からすれば理解不能だ。


 そんでもって時に俺たち魔術師にも、そんな摩訶不思議現象が起きる。


 人に魂というものがあり、死ぬと身体から抜けて空へと向かうのなら、この男がやったエンチャントは完璧過ぎたようだ。


 ま、俺はそんなもの、信じてはいないがな。


「終わった。さっさと帰ろう」


 ピアノから手を離す。埃っぽい。早く帰ってシャワーでも浴びたい気分だ。


「え、意外とあっさりしてんね」

「あっさりもなにも、魔術なんて案外あっさりしてんだよ。あんまなんも考えてない方が、なんでも上手くできるんだ」


 つまんなーい、などと言うバカなギャルはさて置き。


 というかさっきまでビビってたクセに立ち直りはえぇ。


「レオ、体調は……」

「ウゲッ、またキモいこといってんじゃねぇよ!!問題ない!!」


 ユイトは俺の弟子じゃなくて親になりたいのかな?


「ほらもう帰ろうって。なんなら〈転移〉で運んでやろうか?ひとり金貨一枚でいいぜ」

「別に歩けるしぃ」

「マジ詐欺なんすけどぉ」


 女子四人がさっさと歩いて行ってしまう。


 俺とユイトもその後に続く。


 ピニョが俺の右手を握った。


「レオ様、ピニョはレオ様が死ぬ時も側にいますです」

「ドラゴン特有の皮肉か何かか?」

「はひっ?」

「そりゃドラゴンは人間の10倍も20倍も長く生きるからな。いつかは俺の方が先に死ぬが、別にお前の目の前で死ぬ気はないさ」


 ピニョは多分、俺の感情に敏感に反応した。本人は気付いていないが、動物特有の感覚で、たまにこうやって自然に気を遣ってくれる。


 厄介な幼女だ。


 でも悪い気はしない。不思議だ。


 洋館の外へ出ると、すぐ脇の植え込みにゼノンとエリアスが大の字で倒れていた。


「こんなとこにいたの」

「なにやってんのよもぉ」


 おい起きろ!!と抓られる二人は、すぐに目を覚ました。


「あれ……ここどこ?」

「うるさいよ」

「置いて帰るよ、もう」


 罵られる理由がわからないようで、首を傾げつつ割としっかりした足取りで帰路に着く。


 見上げた空に浮かんだ満月が、静かな住宅街を煌々と照らしている。


 振り返った洋館にも同じ光が降り注ぎ、時が止まったような、幻想的な絵画みたいだった。


 なんとなく、ピアノがあった部屋に視線を向ける。


 白いサマードレスの、黒い髪の女が見えた。軽く手を振る姿は、若い女が好いた男を見送るかのようで。


 俺はクズらしく、すぐに視線をそらせて無視した。

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