第81話 真夏の夜、月の下で①


 フェリルは古くから、政治経済の中心都市として多くの人が集まる大きな街である。


 ナターリア国が王政を捨て、君主制民主主義国となった際にも、フェリルは変わらずこの国の中心として栄えていた。


 そんな歴史のある、人が常に集まる都市であるフェリルには、それと同じくらいの噂話も存在する。


 王政崩壊時に、その時の君主を血祭りにした長剣だとか。


 王政反対を唱え、惨殺された貴族の墓であるとか。


 国政が変わった事によって一時的に不況となり、自殺者が増えたと言われる建造物であるとか。


 ただの噂話だった。夏になれば誰かが言い出し、少しのスリルを味わって、冬になればまた記憶の片隅に追いやられてしまうような、そんな噂話だ。


 この夏も例年と同じように。


 学生の夏休みと共に、それらの噂話が復活する。


 若者の度胸試しの場として、語られる。


 ……ただ、この年のそれは、少しだけ違った。








 朝、学院宿舎の共同の洗面台で、俺は鏡を見ていた。


 勘違いされると困るが、別に自分の顔に見惚れていたわけではない。


 俺の顔は見慣れているし、敢えて見なくともイケメンなのは十分過ぎるほどわかっている。


 という、冗談はさておき。


 見ていたのは慣れない眼帯の結び目だ。


 白い医療用のそれは、なかなかフィットさせるのは難しい。


 片眼が見えない事はどうでもいい。けど、眼帯をするのは初めてだ。


 協会をクビになる前は、いつでもシエルが側にいた。大抵の怪我はそれで治してしまえるが、フェリルの外に出るのも難しい今、なかなかに面倒な状況となっている。


 ちなみに俺の左の眼球は、ユイトの〈炎撃〉に晒されたにも関わらず、入っていた容器が耐熱性だったから無事だ。


 今はダミアンの研究所で保管されている。


 無理矢理神経を繋ぎ、酷使した眼球に問題がないか調べるためと聞いている。


 そんなんどうでもいいから早く返してくれよと思う。


 あともう面倒だから眼帯しなくてもいいかな?短気だからキレそう。


「あ…レオ、おはよう…?」


 そこへちょうどユイトがやって来た。あいさつついでに怪訝な顔をしている。


「何やってんだ?」

「見たらわかるだろこのポンコツ野郎!!」


 やべぇ八つ当たりしちゃった。


 ユイトはピタリと動きを止めると、物凄い顔をしかめた。それからすぐにハッとして、今度は物凄い悲壮感のある顔をした。


「……おれがやる」


 と言って手を伸ばし、眼帯の紐を掴んでしっかり結んだ。


「ごめん」


 背後でボソっと呟く声。


 無性に腹が立って、振り返り様に腹パンを喰らわしてやる。


「ゴフッ!な、何すんだよ!?」

「いちいち謝んな!!気にすんなって言ってんだろハゲ!!」


 ウンザリだ。


 『クラウフェルト製薬』での事があって、もう三日も経つのに、いつまでもいつまでも謝られると気が滅入る。


「シエルに言えば元に戻せるんだからいい加減メソメソすんのヤメロ」

「……わかってるけど」

「弟子クビにするぞ」


 そう言うと、大抵ユイトは黙る。やれやれ。


「今日は〈転移〉教えてやるから、覚悟しとけよ」

「えっ!?マジか!やった!」


 途端に眩しいくらいキラキラした眼をする。ユイトは弟子になってすぐに〈転移〉を教えろと言った。


 俺としてもかなり魔力を消費する〈転移〉は、今の状態で連発はできないから、ユイトができるようになってくれるとありがたい。


 それに空間系魔術は、一級に分類されている中でも比較的簡単だ。魔力を多く消費するが、イメージ力に左右されがちな氷結系や雷系や、固有魔術に近い才能が必要な封印系よりも、人間にもともと備わっている空間認知力さえあれば簡単なのだ。


 そういうわけで、俺は朝食後にいつもの地下空間で、〈転移〉を教えることになった。







「えーっと……」


 と、俺は思わず首を傾げた。


 いつもの学院地下空間。魔術的な結界が張り巡らされた、体育館みたいな広いそこに、俺はユイトとやってきたわけだが。


「レオちーん!!」

「お久じゃん!!元気してたぁ?」


 アクセサリーをジャラジャラ鳴らしながら手を振ったのは、クラスメイトのギャル二人だ。


「てか眼帯とかしちゃってどしたの?」

「カッコつけてんの?レオちんってそっち系?」


 パタパタと走り寄り、俺の顔面を無神経にガン見するミコとエナ。


 だけじゃなかった。


 夏休み期間も学院に残っている、または、帰省から戻ってきたクラスメイトが何人か集まっていた。


「うるさい!そっち系ってどっち系だよ!?」

「我が左眼に宿りし闇の力よ!とか言っちゃう系」

「言わねぇよ!!」

「だよねぇ」


 バカにしてんのかこのギャル共!!んでなにそのポーズ?完璧じゃん。


「つかお前らここで何してんの?」


 聞いてみると、集まっていたクラスメイトが答える。


「自主練しようと思って、バリス教官にここを借りたんだ」

「外は暑いし、ここならどんな魔術を使っても大丈夫だから」


 なるほど。


「んじゃ、頑張れよ」


 俺たちには関係ない。幸いここは広いから、お互い邪魔になる事はないだろ。


 そう判断して、俺とユイトはクラスメイトたちから少し離れた端っこに移動した。


 早速ユイトの指導開始だ。


 師匠らしく、弟子を鍛えてやる。


 ユイトはやる気満々で、熱心さがめちゃくちゃ伝わってくる。


「空間系の魔術は、いかに物体を空間的に捉えるかがら重要だ。あとは、自分がどこに行きたいか、なにを移動させたいかを明確にする」


 この辺の説明は、面倒なので文章表記を省略する。


「てわけで、目に見えているものの移動は比較的簡単だ。例えば……」


 なんか移動させやすいものないかな、と辺りを見回す。


 視界に入ったクラスメイトたちが、チラチラとこっちを見ている。目が合った。


 ニッコリ笑う、ミコとエナ。


 それからスッと近づいて来ると、予想通り面倒なことを言い出した。


「レオちん」

「なんだよ?邪魔すんなよ」

「うちらにも教えてよぉ」


 ほらな、言うと思った。


「嫌だ!お前らに教えるメリットが無い!」

「えー、でもみんなで頑張った方が楽しいじゃん」

「そだよ?協調性って知ってる?」


 微妙にイラッとする顔で、ミコとエナが詰め寄って来る。


「おれは別にいいけど…」


 ユイトが余計なことを言った。良くも悪くも、ユイトは人が良い。ひとつのケーキを、隠れて食べるんじゃなくて、人数分に切り分けて配るタイプだ。


「ほら、ユイトも良いって言ってんじゃん」

「久々にレオちんの講義だね!」


 こうなるともう止まらない。


 ギャル二人が他のクラスメイトを手招きすると、嬉しそうに全員駆け寄ってきた。


 それを見ながら、俺は白目を剥きそうだった。


「それで、何の話してたの?」


 全員が集まる。俺を入れて8人。半分は女子。合コンみたいで悪くないなと思った。まあ、顔面偏差値は悔しながら、ミコとエナがダントツだ。


「空間系魔術だ。ユイトに〈転移〉を教えるところだった」


 そう言うと、全員がさっきのユイトみたく眼を輝かせた。


 気持ちはわからんでもない。


 協会に入った新人魔術師は、学院で習わない〈転移〉を一番に練習する傾向にある。


 春から夏にかけての時期は、金を取って教える上級魔術師もいる。なかなかに儲かるらしい。


 それくらい、魔術師にとって〈転移〉は憧れの魔術なのだ。


「レオちんは〈転移〉できるんだよねぇ?」


 エナが小首を傾げて聞いてくる。


「当たり前だ。できないものを教えるなんて無責任な事はしない」


 魔術師として、それは当然のモラルだ。


「見たい!」


 嫌だと言いたいところだが、教える側として、ちゃんと見せてやるのも誠意だなとふと考えた。


 詠唱と円環構築、発動までのイメージを掴む為にも、視覚的に捉えておくのも大事だ。


「わかった。一回だけな」


 まだ完全回復していないし、一回短距離が限界だ。


 クラスメイトたちがコクコクと頷く。ユイトだけは心配げだった。


「〈天の理、地の理、我らを阻むものなし:転移〉」


 魔力コントロールに少し遅延があった。そのせいで、詠唱と円環構築にほんの僅かタイムラグができる。


 『クラウフェルト製薬』の開発したバカバカしい薬の影響か。


 発動自体に影響はないが、まったく、イヤんなるぜ。


「おお!!すごーい!!」


 五メートル程離れた場所に〈転移〉した俺を見て、クラスメイトたちは歓声を上げた。


 この程度でキャーキャー言えるのだから、まだまだ可愛らしいもんだ。


「うちらもできるようになる?」

「さあな。努力次第じゃね」


 と、答えはしたが、正直この中で使いこなせるようになるのは2、3人だ。


 短距離なら問題無いだろうが、自由自在にとなると魔力量が圧倒的に足りない。


「とりあえずお前らはまず、物体の移動からやれ」

「物体の移動?〈転移〉となにが違うんだ?」


 ユイトがクラスメイトたちを代表して声を上げる。


「例えば、」


 もう魔剣でいいか、と〈黒雷〉の名を呼べば、いつもの如く真っ黒い刃を持つ長剣が俺の手に現れた。クラスメイトたちがギョッとするのも構わず、それをその辺へ投げる。


 カランと音を立てて、魔剣が転がった。


「〈天の理、地の理、呼び声に応じよ:瞬転〉」


 わかりやすいように敢えてゆっくりやってやるが、唱えると、円環が〈黒雷〉の真下にできる。その円環が消えると同時に、〈黒雷〉は俺の手の中に現れる。


「〈転移〉の逆か?」


 なるほど、とユイトが言う。


 厳密には完全に逆というわけでは無いが、概ねそんな感じなので、頷いて答える。


「この〈瞬転〉で、物を移動する感覚を掴む。物を運ぶという魔術にどれだけの魔力が必要か、どれくらいの物をどこまで動かせるか把握できる」


 これを怠り、いきなり〈転移〉で遠出しようとする奴がたまにいるが、大抵失敗に終わる。


 距離と重量が上がれば、魔力必要量も上がる。魔術発動の失敗で、変なとこにポーンと放り出されるか、途中キャンセルでゴッソリ魔力を消費するのがオチだ。


 だからまずは物で試すのだが、悪徳魔術師はそんなこと教えない。俺が割と真面目に教えようと思っている証拠だ。


「質問っ!!」

「なんだ?」


 ミコが片手を挙げてかるく振った。


「レオちんのその真っ黒剣も空間系魔術で移動させたのぉ?」

「これは、というより、魔剣は契約の効果で名を呼べば手元に現れる。空間系と言えばそうだが…」


 そういえば、シエルは〈黒炎〉を異空間に作った収納で持ち歩いていることを思い出した。


 魔族は圧倒的に魔力量が多いし、人間のように魔術をつかうのに無駄なプロセスを用いない分自由度が高い。異空間に物を入れておいて、好きな時に取り出せるのは確かに便利だ。


 原理的には、異空間に隙間を作り、その中を自分の魔力で満たせば保たれる筈だ。まあ、詳しくはシエルに聞くとして。


 俺も封魔が解けたらやってみようかな。いつになるやら、だが。


「レオちん?大丈夫?」


 気付いたらミコが俺の頬を突きながら首を傾げていた。


 魔術に関して考え事をしだすと、周りが見えなくなるのは俺の悪い癖だ。


「大丈夫だから突っつくのはヤメロ」


 そんなわけで、俺の監督のもと、クラスメイトたちは〈瞬転〉の練習を始めた。


 適当に身につけていた物を(ギャルはアクセサリーだった。他は制服のネクタイだとか、髪留めとか)なんとか動かそうとする。


 初めて触れる魔術は、大概何度も失敗する。


 詠唱と円環構築に不備があったり、必要魔力量が把握できず発動しない。


 それでも二時間もすると、何人か少しできるようになった。


 ユイトはもちろんだが、意外なことにミコがその才能を発揮して、10メートルくらいなら問題なく発動するようになった。


 あとはメイエルという女子が、ユイトとミコに及ばないまでも上手く発動している。男子は全員ダメダメだ。


 昼頃までノンストップで練習したクラスメイトたちは、空調の効いた地下にいるにも関わらず汗だくで、魔力を大量消費したことによる手指振戦が目立つようになった。


 魔術の上達には、健全な生活が不可欠だ。休息と活動のバランスが重要であると、アイリーンは言っていた。


 俺に対する当て付けのように。


「そろそろ休憩にして、昼食でも行くか」


 俺がそう言うと、みんな疲れた顔で異議を唱えるやつもおらず、俺たちは連れ立って学院の食堂へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る