第80話 初めてのアルバイト⑩
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そこは協会の医務室だった。
ちょうど昼食前の協会は、魔術師たちが任務に行っている時間帯であり、わりと静かである。
そんな中、一際静かなのが医務室なのだが、今日に限ってはあまり静かとは言えない。
「お前はとことんトラブルを呼び寄せるバカな弟子だのう」
床頭台の横の簡易的なロッカーから白いシャツを取り出して、億劫そうに腕を通すレオに向かって、ベッド横の来客用の丸椅子にふんぞり返って座るザルサスが言った。
本日、実に30回目のお小言である。
「あーもううるさい!!」
聞き流していたレオが、ついに怒った。
「うるさく言わんと、お前はいつまでも聞く耳を持たん」
「聞いてる!ちゃんと、聞いてるから!!」
医務室にあるまじき大声で言い返すレオの頭は、白い清潔な包帯がグルグル巻きになっている。その包帯が隠す左眼がどうなっているかを思い出し、ユイトは居た堪れない気分で俯いた。
白いシャツの下、禍々しい黒いアザが、さらにユイトの気分を落ち込ませる。
「身体はもう平気か?」
小言を言いつつも、ザルサスはしっかりレオを気遣ってもいて、険しい顔でそう訊ねる。
「問題ない。魔力もちゃんと感じる」
「なら良いが……本当にお前はいつまで経ってもわしに迷惑をかけおって」
「とか言ってジジイはわりと世話焼きだよな」
ニヤリと笑うレオに、ザルサスがやれやれとため息を吐く。
「ユイトの両親はどうなったんだ?」
ふと、着替えを終えたレオがユイトに視線を向けた。
あれから二日経ち、『クラウフェルト製薬』は休業状態となっている。
事後処理にまわったザルサスが、会社内の研究施設や社員を砂の粒まで調べた。
社内の風潮として、魔力に頼らない体制を取っていた事は問題ではない。しかし、そこから何人かの社員がさらに『魔力持ちを治療する』というとんでもない研究をしていた。
その研究が実験段階に入った事で、魔力持ちである学院生をアルバイトと称して招き、実験を行った。
研究を行っていたメンバーの中に、ユイトの両親も入っていて、だからユイトはアルバイトに誘われた。
レオが最初の被害にあったのは全くの偶然で、アルバイトに来てから『金獅子の魔術師』だと気付いたマースの提案だったそうだ。
ユイトが地下へと足を踏み入れ、レオを救出する際に放った〈炎撃〉により、研究資料の大半が燃えつき、そこへ飛び込んでいったマースは重症をおったが生きている。
マース含め研究に関与した社員は協会に身柄を拘束され、今もまだ厳しい取り調べが行われているとかいないとか。
当然、ユイトの両親も拘束されているが、一度顔を合わせた際には、全く反省の色も見せず、ユイトの顔を見るなり「何てことしてくれたんだ!」と、怒鳴り散らした。
会社は今後、協会に管理され営業を再開する予定である。医薬品事業国内最大企業であるから、倒産に追い込むわけにもいかないという、国の判断だった。
「レオ、察してやれ。ユイトは今、親を失ったも同然じゃ」
なかなか答えられないでいるユイトに変わり、ザルサスが哀愁を漂わせて言った。
「残念だが、俺にもできない事が三つある。同情と共感と思いやりだ」
「偉そうにバカな事をいうんじゃない」
フン、と鼻で笑うレオの頭を、ザルサスがパーンと叩いた。
レオが怒り出す前に、ザルサスが続ける。
「ところで、お前に言われた通りに処理したが、わしに言うことはないかの?」
先程とは打って変わって、ザルサスは得意げにニヤリと笑う。変わりにレオが、ウゲッと、カエルが潰れたような声を出した。
「……ジジイに言うことなんてないぜ」
「そうか、それは残念じゃ……せっかくお前が、『クラウフェルトの休業は、魔族襲撃の所為だって事にして、今回の件は伏せて欲しい』と言って来たから、お前の気持ちを組んで世間様に隠し事をしてやったのにのう」
「あっ!!ジジイ!!言うなって言っただろクソッ!!」
その言葉に、ユイトはハッとして顔を上げた。
この二日、ユイトは両親がやったことのシワ寄せが自分にも来ると内心ビクビクしていた。
魔術師を批判する非人道的研究に、両親が関わっていたのだ。ユイトはもはや、魔術師になるどころか学院にもいられないかもしれないと考えていた。
実際に友人であるレオに大怪我を負わせた事に、少なからず関わっていることもある。
仕方ないと、諦めてもいた。
だが、二日経った今も、そんな研究の話など報道されていないのだ。
世間はただ、『クラウフェルト製薬』に魔族が押し入ったとだけ報道している。その所為で休業状態なのだと。
何故だろうと、ずっと不思議に思っていたのだが……
「レオのおかげだったんだな」
ユイトがポツリと溢すと、レオはバツが悪い顔で頭をかいた。
「チッ、ジジイが余計なこと言うから、俺がめっちゃいい奴みたいになったじゃないか」
「お前のクズさはこんなんで帳消しにはならんのう」
クソジジイ!といきりたつレオを制し、ザルサスがユイトに向けた視線は真剣そのもので。
思わずその、老齢な深みのある瞳に見入ってしまう。
「これをきいても、お主は魔術師を諦めるか?」
その一言が、ユイトのそれまでの様々な葛藤を思い起こさせる。
レオを救出した後、後悔に押しつぶされそうになる自分に、弟子にしてやると言ったレオ。
嬉しくないわけがなかった。
だが、こんなことになってしまったのに、自分はその申し出を受けてもいいのだろうか?
両親の事は、どうなる?
研究が世間に知られれば、魔術師になるなんて不可能なんじゃないか?
結局両親の望んだ通り、魔術師は諦めるしかないのかもしれない。
それがとても悔しくて、悲しくて。
絶望感とは、こう言う気持ちのことなんだと思った。
だから今まで、レオに返事を返せないでいた。
「おれは…諦めたくない」
傷付いて辛い思いをしたのはレオの方だ。それなのに、ここまで心を砕いてくれる友人に、応えないわけにはいかない。
道を示してくれる。
諦めるなと行動で示してくれる。
ならば自分は、全力で応えなければならない。
「レオの弟子にしてください」
今まで悩んでいたものが、少し薄くなった気がした。もちろん悩みの根源が消えたわけではない。それはこの先も、自分が向かい合っていかなければならないものだ。
それでも迷いは消えた。
歴代最強の魔術師と言われる彼に。クズだと言われているのに、本当の所はどうなのか掴み所のない彼に。
一生ついていこうと思った。
「いいぜ。俺がお前を、ちゃんと魔術師にしてやる。それも、めちゃくちゃ強ぇ魔術師にな」
深く頭を下げていたユイトが顔を上げると、ニヤリと不敵に笑うレオの、自信に満ちた蒼い瞳がそこにあった。
「わしも賛成じゃ。正直、研究の件は世間に隠せても魔術師たちの間でどう噂されるか予想できん。ならこの阿呆の名声でもなんでも使った方が良い」
ザルサスが難しい顔で言う。
それはユイトにも理解できた。『金獅子の魔術師』の弟子という肩書は、ある程度他を黙らせるには十分だ。
「でもおれは、レオの弟子だと言われ続ける気はない」
「そりゃお前の頑張り次第だろ。俺もいつまでも不出来な弟子を持ったと言われたくない」
笑顔で言い合う二人を見るザルサスの目は暖かい。
「そろそろわしは仕事に戻ろうかの」
そう言って、ザルサスが椅子から立ち上がる。
「さっさと帰れよ」
「言われんでもそうするわい!」
全く口の減らんガキめ、と言って、ザルサスは医務室を出て行った。
「ありがとな、レオ」
改めて礼を言うユイトに、レオは軽く肩を竦めた。
「気にするな。これでも一応、ユイトの才能を見込んで言ってる。どうしようもない奴を弟子にはしない」
それから、とレオは続けた。
「お前の親のことだが、許してやれとは言わない。だが、見捨てるなよ」
「え?」
意外だった。
周りを一切気にしないレオが、見捨てるなと言うなどとは思っていなかった。
訝し気に眉根を寄せるユイトだが、レオは至って真剣な顔で続ける。
「許せるか許せないかは、見捨ててしまったら判断できないだろ。お前の親はやり方は間違っていたかもしれんが、お前のことが大事だったってことに変わりはない。そんな親にちゃんと育ててもらったから、お前はいい奴なんだよ」
レオがユイトに弟子になれと言い出した時、ザルサスとの関係を聞いていた。
本当の親の顔を知らないレオに、ザルサスがどれほど目をかけ、大切に面倒を見ていたのかがわかった瞬間だった。
「それに俺をアルバイトに誘った時にさ、両親の結婚記念日がどうとか言ってたろ?なんだかんだ優しいお前は、親を見捨てるなんてできないんだ。俺はそれでいいと思う。これから時間かけて、最適な距離感を見つけりゃいいんだ」
珍しく照れ臭そうに笑うレオに、ユイトもなんだか気恥ずかしくなる。
「わかったよ……レオがいい奴って事が」
「はあ?頭おかしいだろ。俺はクズだから協会クビになったんだぜ。ほら、弟子として帰りに焼きそばパン買えよ」
「意味わかんねぇ」
「弟子は師匠の身の回りの世話もすんだよ!とりあえず焼きそばパンからスタートな」
フンッと偉そうにするレオが、ユイトにはカッコよくて優しい、幼い頃から憧れていた魔術師に見えた。
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