第78話 初めてのアルバイト⑧


 ハッとして顔を上げる。


 いつのまにか気を失っていた。


 頭の痛みは少し引いていた。変わらずもやもやしたままではあるが。


 いや、もやもやしてんじゃなくて、寝てる間にガチで魔力が消えたんじゃないよな?


 と、焦ってモニターを確認する。


 良かった……変化ないや。


「起きましたか。体調はどうです?」


 マースがふざけてんのか?と聞き返したくなるようなことを言う。お前こそ頭大丈夫かよ?と。


「頭が痛いだけだ……どうやら、あんたのその薬、失敗してるみたいだな」

「みたいですね。それとも、あなたがおかしいのか、どっちでしょう」


 そう答えながら、マースは何やら手元に集中している。赤黒い液体の入った試験管を眺めたり、忙しそうだ。


「ま、俺はこれでも金獅子なんて呼ばれてんだぜ。そんな俺の魔力が、そう簡単に消せるなんて思い上がりもいいところだ」

「だと思って、今度は濃度を変えてみました」


 おっと、調子に乗った天罰か?


「まあ落ち着いて話し合おう。もし俺が魔術師じゃ無くなったら、今後誰が魔族から国を守るんだ?」


 あの極太の注射器を取り出し、こっちへ近付いてくるマースの動きが一瞬止まる。でもそれは、ほんの一瞬で、あまり効果はなかった。


「他にも特級魔術師の方はいます。我々は何も、魔術師全員を治療しようとは思っていませんから」

「だから、特級が束になったって敵わない魔族がいるんだって」


 ジェレシスなんかいい例だ。あいつは多分、俺も死ぬ気でやりあわなければ勝てない。


 一瞬相対しただけだが、あの魔力の量と質はヤバかった。


「そうですか。でも、それはそれで、その時に考えればいいだけの話です。我々はただ、魔力持ちを治療して、周りの家族や友人を救いたいだけなので」


 何を言っても無駄そう。


「それでは、二回目の挑戦といきましょうか」


 凶悪な針を持ったマースが迫り、俺の首輪を引っ張る。気道が閉塞し、一瞬息が詰まる。


 そういうマニアックなプレイも嫌いじゃないが、やられる側になったのは初めてだ。不快。次からはちょっと加減しよう。生きていたらの話だが。


 なんて考えていると、またもあの痛みが走る。少し慣れてきた気さえした。


 が、身体を突き抜けた痛みは前回の比じゃなかった。


「うがぁっ、クソっ、なん、だよ!?」


 頭痛だけじゃない。その痛みは全身をくまなく襲ってくる。


 拘束された手足が痙攣する。まるで死ぬ前の魚みたいだなと思った。


 エゲツない叫び声を上げているのが、自分だと信じられない。


「あああっ!?いっ、うぐああああぁぁ」


 想像でしかないが、感覚的に俺の本来の魔力が注射器を通して侵入した薬品を異物と認識した。全霊でもって排除しようと暴れるドラゴンみたいだった。


 その強烈な魔力に反応して、封魔が俺の身体を侵食していく。物凄いスピードで。


 いつも隣にいる親友が、突然暴れ出して強力なトバッチリをくらっている。それが今の俺の身体だ。


「君っ、その痣は、」


 マースがあまりにも暴れる俺を見て、一歩引いて何か言った。


 けど俺は全然聞こえていなかった。自分の魔力を抑えたいが、抑えてしまうと今度は消えてしまいそうで怖い。封魔がそんな俺の葛藤を嘲笑うように、血管の血を沸騰させ、心臓を不規則に動かし、肺胞を押し潰そうとしている。


「ガハッ、ゴフ」


 ビチャビチャと血液を吐き散らした、その時だった。


「マース!!大変だ!!」


 必死に痛みに耐える俺の耳にも、そのおっさんの声は聞こえた。イケスかないユイトのお父上だった。表情まで確認する余裕はないけど、声から察するにかなりヤバイらしい。


「何があった?」


 それが、と言って、ユイトの父親が唾を飲んだ。


「魔族がこの会社を襲っている!!」


 魔族?


「なっ、なぜ!?ここはフェリルの中なのに!!」

「わからない。だが、我々も逃げた方がいい。今協会に連絡しているところだが、ここも協会に見つかったらマズいだろう」

「いや、存在しない地下四階だからその心配はないだろう」


 地下、四階?


 そんなの間取り図には無かったが。


「しかし、その子は元協会の魔術師なんだろう!そんなのが見つかったら本当にマズい」

「今いいところなんだ。このまま観察を続けたい。それに、この子は普通の人間じゃない。魔族の、」


 なんの話だ?と気にはなったが、声も上手く出せない俺はただ這いつくばっているしか出来ない。


 そこへ、今度は別の声が割り込んだ。


 冷静なようでいて、意外と騒がしいそれは、ユイトだった。


「レオ!!!!」


 壁と同化している白いドアを押し開け、転がるように入ってきたユイトが、深刻な声で話す大人二人を無視してそのまま俺の側へと駆け寄ってくる。


「っ、アザが広がってる!レオ、もう少し頑張れよ!今、シエルが、」


 シエル?


「ま、な?なんで、シエル、が?」


 やっとの思い出絞り出した声を、ユイトはちゃんと聞き取ってくれた。


「それは後で説明する。今は逃げよう!」

「……ん」


 ユイトが俺の拘束具を見て舌打ちする。で、ちょっとだけ悩ましい顔をしてから目を瞑った。


「〈真空、一閃の刃、顕現せよ:風刃〉」


 ユイトの詠唱が風の刃を形成。イリーナの勢い任せの荒くれた物ではなく、繊細でいて均等な、真面目な風の刃だった。


「切っちゃったらごめん」

「ハッ、じょうだ、ん…キツい、ぜ」


 ユイトはそう言うが、なんだかんだ自信に溢れた顔をしているから、俺は思わず笑ってしまう。


 ガシャンと鉄の枷が外れる。手足と、趣味の悪い首輪も全部。


「ユイト!!なんで邪魔をするんだ!?」


 その様子を見ていたユイトの父親が、まるで信じられない物でも見たような顔で言う。


 自分の息子が、自身の後ろ暗い企ての渦中に飛び込んできたのだ。そりゃそんな顔にもなる。


「もうあんたたちと話すことなんてないよ」


 そう言ったユイトの声は冷たかった。信じていたものを信じられない。そう、声が完全に拒絶していた。


「ユイト!早く逃げなさい。その子は私たちが、」

「無理矢理魔力を消して、それが治療だなんてバカなこと言わないよな?」

「っ!?」


 俺は辛うじて右目しか見えなかったが、見上げたユイトの表情はとても見ていられるものじゃなかった。


 俺はそんな顔をさせたくてユイトに指導していたんじゃない。


 ユイトには才能があった。俺が育ててもいいと思えるくらいに。


 それが、余計なことだったのかもしれない。


 少なくともユイトの両親にとって、俺の存在は邪魔だったんだ。


 傲慢で自分勝手な俺は、クズだと罵られても気にもしない。そうやって生きてきた。


 普通の人が…それが魔術師だろうがそうじゃなかろうが…体験する人生を、俺は知らない。


 本当の両親も、産まれた環境も、何を食べてどこで寝て、どんな遊びをして来たかも知らない。


 そんな俺が、ただ他人より多くの魔力を持っている元特級魔術師だというだけで、他人の人生に関わるべきじゃなかったんだ。


 自由になった手足が、痛みでビクビクと震える。


 その手をユイトの手に触れて、俺は渾身の力を振り絞った。


「ユイト…ムリすんなよ?今なら、全部見なかったことにしても、いいんだぜ」


 俺はズルイな。見なかったことになんか、できるわけないのにさ。


「レオ?」


 戸惑ったようなユイトの表情に、俺はまた見せかけだけの笑顔を返す。


「お前さ、どう頑張ったって、金獅子には…なれないぜ」


 だからわがまま言ってないで、親と和解して円満に済む方を選べよ。適当にあしらって、やりたいことやれよ。俺を理由に、親とケンカしてんじゃねえよ。


「そんな事わかってんだよ!!!!」


 と、ユイトが振り上げた手が、俺の頬を打った。


 ビックリし過ぎて、俺は一瞬全身の痛みを忘れた。床に転がったまま、ユイトの顔を見上げた。


「おれはもう魔術師になるって決めてる!金獅子とか関係ない!そんで、おれの大事な友達を傷付けるやつは、たとえそれが親だって許さない!!」


 ユイトは真剣だった。


 ひとりの男の真剣な言葉を、俺はちゃんと、聞いておかなければと思った。


「ユイト、何を言っている?早く逃げなさい!」


 俺でもユイトの覚悟がわかったのに、父親はあくまで父親のままだった。その言葉の重さが伝わらないのは、ユイトの父親がユイト自身を見ていないからだ。


「〈業火でもって、焼き払え炎撃〉」


 突然叫ぶように詠唱し、かざした左手の円環から〈炎撃〉が放たれる。その先には、マース…ではなく、その後ろの器具や資料、モニターが並ぶ台があった。


 本来の〈炎撃〉には、大した火力もないが、ユイトの怒りが篭るそれは勢いよくその台の上のものを燃やし出す。


「ああっ!!!!」


 マースが悲痛な声を上げた。


「私のっ、研究が!?」


 そう言って信じられない事に、燃え上がる炎に腕を突っ込む。


「なんて…ことを…」


 狂気としか思えない執念だった。でもユイトの父親は、あくまでも燃やした張本人のユイトを睨み付けている。


「自分が何をしたか、わかってるのか!?」

「それは父さんだって同じだろ!!魔術師とか、そうじゃないとかの前に、ひとりの人間をなんだと思ってるんだよ!?」

「ッ、それは…」


 ユイトの父親が俺の姿を見た。意図せず目に入ったという感じだったが、その瞬間少しだけ顔を歪めた。


 ユイトの言葉を、少し噛み締めていたのかもしれない。


 俺がそれを確かめる術はなく、ほんの一瞬だったから確信はない。


「歩ける?」

「…ん」


 差し出された手を取ってなんとか立ち上がる。ムリとか言ってユイトに背負われるのもシャクだ、とか、くだらないことを考えられる程には元気だった。


 そのまま半ば引き摺られるようにして、俺はその部屋を出た。


 ユイトの父親は、床に膝をついて固い表情のまま、俺たちがすぐ横を通っても動かなかった。






 レオを救出する直前。


 〈転移〉で『クラウフェルト製薬』の正面にやってきたユイトとシエルの前に、筋骨隆々な警備員がふた立ちはだかった。


 アルバイトであるユイトにとっては、すでに顔馴染みであるが、すでに夜も遅く、そんな時間に〈転移〉で現れたユイトとシエルを警戒している。


「こんな時間にどうした?」


 警備のひとりが声を上げる。ユイトはなんて言おうと考える。しかし、隣に立つシエルが面倒そうな顔で、指を一度パチンと鳴らした。


「あ、」


 ユイトが何か言う前に、警備員二人がその場に倒れる。胸郭の動きから、死んでしまったわけではないことにホッとした。


「この会社はバカなのかな。警備員に魔術師を雇わないなんて」


 涼しい顔のシエルが、一体何をしたのかはわからなかったが、敵にはしたくないなと改めて思うユイトだ。


「ここの人たちは、魔術師とかそういうのが受け入れられないんだ」

「へぇ。人間って変な生き物だよね。それがないととっくに魔族に国を取られているだろうに」


 シエルが特に興味もなさそうに言う。


「その、指を鳴らして魔術を使うのって、どうやってんの?」

「特に意味はない。あえて言うのなら、タイミング調整だよ。君たち人間の魔術師は、詠唱円環構築を行い、魔術名を唱えるまで魔力を溜め、一気に放出するでしょう?これはいわば魔術名の代わりだ」


 わかったような、わからないような。ともかく、レオの固有魔術が、魔族レベルのものであることだけは想像できた。


「そんな事より、レオの居場所だけど……地下四階にいるみたいだね」


 シエルが鋭い視線を向ける。その先に多分、レオがいるのだろう。


「建物に侵入するのは簡単だ。幸い建物の中にいる人間の数も多くはない」


 建物の正面入り口横で、身を潜めているとシエルが言った。


 しかし、もし侵入した事がバレるとレオの救出どころではなくなる。最悪、証拠を隠滅して逃げられてしまうかもしれない。


「地下、か。確か社員証が無ければ入れない」

「……じゃあこうしよう」


 シエルがニッコリと微笑んだ。悪い予感しかしなかった。


「僕が建物を襲撃する。ついでに、その地下への扉を破壊する。その間に君はレオを助けにいく。完璧だ」


 一体どこに完璧な要素があったのか?


「待って待って、襲撃?マジで?」

「うん。魔族が襲ってきた事にすれば、協会が出てくる。この会社の悪巧みも必然的に公になる」


 なるほど確かに、とユイトは思わず頷いてしまう。同時に、だんだん規格外なレオや魔族なんかのとんでもパワーに驚かなくなってきている自分に呆れる。


「少し、急いだほうがいいかもしれない」


 ふと真剣な表情のシエルがそう呟く。


 ユイトにはわからない感覚で、レオの危機を察知しているのだろうとわかった。


「よし、大丈夫!行ける!」


 真面目なユイトが、精一杯の気合を入れて呟く。自分自身を奮い立たせるためだが、その様子を見てシエルが軽く笑った。


「君がなんでレオと仲がいいのか不思議だよ」

「生憎おれも不思議でならないんだ…強いて言えば、あいつの使う魔術に憧れたっていうか、なんか目が離せないんだ」


 最初はただの興味だった。同い年で、どうしてあんなにも綺麗な魔術が使えるのか、と。


 しかしその内面は最悪で、こんな奴がなんでと嫉妬もした。元特級と聞いて萎縮もした。だが、それ以上にレオの言葉や生き様に、こんな魔術師になりたいと思わせる何かがあった。


 それはたとえ、両親を失望させることになっても、ユイトに自分自身という思いを強く植え付けた。


「わかるよ。僕もそう。君とは気が合いそうだね……あの猫娘よりは」

「猫娘?」


 それがイリーナのことを言っているのはすぐにわかった。


 そういえば、夏休み前は三人でレオの故郷へ行き、一悶着あったらしいと思い出す。


 再びニコリと笑うシエルが、次の瞬間には暗く冷たい印象に変わる。


 それが元々の魔族である彼なんだと気付いた時には、ユイトの指先が小刻みに震えていた。


 純粋な恐怖だ。魔族を目の前にしたとき、人が自然と感じるものだ。


 どれだけ言葉を交わしたところで、やはりシエルは魔族であり、その前ではユイトなど虫ケラもいいところだ。


「さて……僕の大事なモノ、返してもらうよ」


 そう言った声は、背筋を凍らせるには十分だった。


 シエルが片手を上げる。その瞬間、目の前の建物が破裂した。


 ユイトは思わず両腕で顔を庇う。破裂したと思うような光景だったが、実際はガラスが内側に弾け飛んだ。


 建物の中でけたたましい警報音が鳴り響く。


 シエルは颯爽と歩き出す。迷わず地下へと続く扉目指して進む。


 衝撃とガラスが割れる破壊音に驚き、残っていた従業員がバタバタと走ってくる。シエルの姿を認め、怪訝な顔をする者が多い中、いち早く気付いた誰かが叫んだ。


「ま、魔族だ!!!!」

「っ!?誰か、協会に連絡を!!」


 すでに就業時間を終えている社内は、光源が出来るだけ抑えられていて薄暗い。それでも残っていた従業員はそれなりにいたようで、瞬く間にパニックとなった。


 そんな騒がしい人間など知らん顔のシエルは、適当に目についた扉や観葉植物なんかを破壊しながら進み、目的のドアを爆破した。


 外で待機していたユイトは、実際目にしたわけではないが一際大きな破壊音がしたためにそう判断し、間髪入れずに走り出す。


 一週間通ったとは言え、地下へ向かうドアがある廊下へ来たのは初めてだ。


 ユイトは全力で走った。途中、シエルがまたロビーを破壊した激しい音がしたが、それも構わずに地下へと続く階段へと辿り着く。


 研究施設である地下は静かだった。階段を三階分駆け下りるころには、地上の騒ぎはまったく聞こえなくなった。


「ん?待てよ…地下って確か、三階しかないんじゃ」


 途中でそれを思い出した。バイト初日に、地下は三階までしかないと聞いたはずだ。それを裏付けるように、階段はそこで行き止まりだ。


「どこだ?」


 地下三階のフロアをうろうろと歩き、それらしいものがないか探す。


 ここで探知系の魔術でも使えれば早いのだが、ユイトにはまだその技術もない。


 周りにはガラス張りの部屋がいくつか並び、そこから中の様子が見える。研究施設らしく、部屋の中には整然と機械類が並んでいた。無駄のないフォルムのそれらは、見慣れないユイトからすれば急に動き出しそうで少し怖い。


「クソ、どこだよ…」


 小さく毒づく。手詰まりだ。戻ってシエルを呼んでこようかとも考えたが、急げと言っていたことを思い出す。


 またあの階段を地上まで昇る時間が惜しい。


 そう考えていると、廊下の奥から足音がした。


 ユイトとは逆の方向から、男が一人やってくる。カツカツと響く革靴の音が、男の焦りを現しているようだった。


 廊下の角に隠れながらその男をよく見ると、それは見間違いもしない、ユイトの父親だった。


 思わず声を出しそうになり、なんとか堪える。


 母親の話から、父親も関わっているんだろうとは思っていた。だが、思っていたのと、実際にそこに父親がいるのを見るのとでは、ショックの度合いが違う。


 父親は、慣れたような手つきで何もない白い壁を軽く押す。すると、今まで何もなかった壁がわずかに動いた。シュッと空気が抜ける音とともに、壁が上へ吸い込まれていき、暗い空間がぽっかりと現れた。


 そこへ迷わず足を踏み入れた父親の革靴の音が遠ざかる。


 壁はまた、シュッと言って上から降りてくると、壁と一体化してしまう。


「あそこ、だよな、多分」


 行くしかない。迷っている暇はない。


 ユイトは廊下を駆け、先ほど見た通りの壁を軽く押す。


 暗い穴が現れ、その先にさらに下へと向かう階段があった。


 飛び込むように中へ入る。


 その先に何があるのかはわからない。確実なのは、父親が友達に酷いことをしているということだけだ。


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