第77話 初めてのアルバイト⑦


 学院宿舎へ帰宅したユイトは、早速レオの部屋へ向かった。


 もちろん文句を言うためだ。


 勝手に早退して、あとの仕事を全部一人でやる羽目になったこの鬱憤を、少しでもはやく発散させたかった。


 何が体調不良だ!と、ノックもせずにレオの部屋へ押し入る。


「おいコラクズ野郎!!」


 が、部屋にいたのはレオではなかった。


 入学から五ヶ月ほど経っているのに、レオの部屋は相変わらず何もない。ユイトもあまり物を増やさないタイプだが、他のクラスメイトの部屋なんかはよくわからないアイドルのポスターや、ボードゲームが転がっている。


 まるで誰も住んでいないかのような部屋は、もちろんピニョが掃除をしているが、それ以上に本当に物がなかった。


 そんな月明かりがそっと入り込む何もない薄暗い部屋に乗り込んだユイトは、瞬時に口を閉じた。


 失礼しましたと言わんばかりに、もう一度ドアを閉めようとすらした。


 が、閉める前に突然強い風が吹いてきて、ドアが勝手に開いて、ユイトは思わず転がり込んでしまう。


「逃げないでくれよ」


 部屋にいたその人物が、肩を竦めて言う。


「いや…そりゃ逃げようとするだろ…」

「なんで?」


 なんで、と言われても。


「なんでって、魔族がいたら誰だって逃げるぞ」


 そう言って呆れるユイトの前にいたのは、魔族でありながら魔術師であるレオと手を組んでいるというシエルだった。


「失礼だ。僕の事何も知らないくせに」


 シエルの言葉に、ユイトは内心でギクリとした。


 それは確か、昼間に自分が母親に言ったことと同じで、言われた方はこんな気分になるのかと実感した。


「ごめん……」


 素直に謝る。相手が魔族だとか、関係ないなと思った。


「何をそんなに思いつめてる?」

「え?」


 シエルは部屋の奥の窓の側に立っていて、そこからユイトとは少し距離がある。


 それでもシエルにバレるくらいに、顔に出ていたのだろうか。最近のゴタゴタによる疲労とか、そういったものが。


 ましてあまり面識の無い相手に、心配されるほどに。


「レオの事?さっきなんだか怒っていたようだけど」

「あっ!!」


 それで思い出した。自分がなぜレオの部屋に来たかを。魔族がいた事に驚いて、しかもその魔族がわりと人間ぽい感覚で話しかけてくるからすっかり失念していた。


「レオのやつ、どこいったんだ?」

「……場所はわかる。ずっと同じ場所にいる」


 は?と、首を傾げるユイトに、シエルは続けた。


「今日はたまたま寄ったんだけど、帰ってくるまで待ってようと思っていたんだ。ほら、僕はあまり出歩かない方がいいからね」


 ユイトには明かしていないが、それはいつもの定期連絡のためだった。と言っても、特に新しい情報もないから帰って来るまで待っていようとしていたのだ。


 レオの魔力は確かにフェリルに止まっているから、対して心配もせずに時間を潰していた。


 そこに帰宅したユイトがやってきたというわけだった。


「おかしい。レオは昼前に帰宅したって聞いたのに」

「どういうこと?」


 シエルが首を傾げる。


「おれたち、夏休みの間バイトしてるんだ。おれが無理に誘って、付き合ってくれてるだけなんだけど」


 真剣な顔で説明するユイトだが、ふとシエルを見ると、貴族的な整った顔で少年の様に無邪気に笑っているのがわかった。


「ま、待ってよ…あのレオがバイトしてるの?」

「そう。確かに笑えるよな」

「とても面白いよ。僕も働いているレオを見てみたい」

「それは無理だよ…あんた魔族だろ」


 それにレオは真面目に働いてないし。と、心の中で付け加えておく。


「ともかく、そのバイト先で、今日の昼前からレオがいなくて。どうも体調が悪いとかで早退したみたいなんだ……それも嘘だったみたいだけどな」


 てっきり部屋で寝てると思っていた。ついでに明日からもう行かないとか言われるとも思っていた。


「レオの事だから心配はいらないと思うけど…別に命の危険があるわけでもなさそうだし」

「…?なんでわかるんだよ?」


 レオ曰く、シエルは死にかけた時にやって来るという。一体どんな仕組みなんだと気になった。


「僕らは血の契約で魔術的に繋がっている。擬似兄弟みたいなもので、お互いにピンチの時はわかるんだ」

「へぇ」


 魔族と擬似でも兄弟になるなど、ユイトには信じられない思いだった。が、そういう事を平気でするのがレオだ。


「しかし、何があったんだろう。またなんかトラブルにでも巻き込まれているんじゃないかな」

「トラブルか……あ!!」


 急に大声を上げたユイトに、シエルがギョッとした顔を向ける。


「そういえば、母さんの態度が変だった」


 昼前に話した時、母親は明らかに挙動不審だった。


 最近のゴタゴタのことがあるから、無意識に両親のことを考えないようにしていたことを反省する。


「君の母親が関係してるの?」


 打って変わって真剣な表情でシエルが聞いてくる。


「バイト先が両親の勤めてる会社なんだ。レオが早退したってのも、おれの母親に聞いたんだが……」


 もしかして何か関わっているのだろうか?


 あの母親が?


 常に真面目で曲がったことを許さないような人だ。父親も同様で、だからこそ魔術師になりたいというユイトの夢を、普通じゃないと言って認めてはくれない。


「確かめに行こうか」

「え?」


 と、ユイトが聞き返す前に、シエルがユイトの腕を掴む。さすが魔族で、その素早い動きに反応すらできなかった。


「さて、君の家はどこかな」


 フッと景色が変わる。次に見えたのは、夏の星空と、眼下に広がるフェリルの明るい街並みだった。


「うわああああっ!?たっ、高いのはマジでムリ!!!!」


 空中に浮いた状態で、まるでその場に地面でもあるかのよつに立つシエル。その足に思わずしがみつくユイトは、超が付くほどの高所恐怖症である。


「大丈夫だって。僕に触れている間は落ちないから」


 シエルは神経質そうに頬をピクピクさせた。


「うううう、ウソっ、信じらんねぇ」

「はあ。君はレオとは違う面倒臭さがあるよ」

「ヒィィイっ」

「叫んでないで、君の家はどこ?」

「あ、あっち!!」


 限界まで目を細め、かろうじて実家の場所を指し示す。


 そうして何度か〈転移〉を繰り返し、二人はユイトの実家へとたどり着いた。


 ユイト実家は、すでに両親が帰宅しているのか明かりがついていた。


「僕はここで待つよ。問題が起きたら呼んでくれ」

「わかった」


 心なしかげっそりした表情のユイトが、一週間ぶりに実家の玄関扉を開ける。


「母さん?」


 リビングダイニングへ入ると、キッチンに立っていた母親が驚いて振り返った。


「ユイト!?どうしたの、急に来て」


 明らかに動揺していた。まるで、イタズラが見つかった子どものようだった。必死でそのイタズラを見つからないように隠している。


「来ると思っていなかったから、夕飯用意していないわ」


 ソワソワとキッチンをうろつく母親に、ユイトは容赦のない疑惑の目を向ける。


「母さん、レオ、早退したって言ったよな?」

「っ、そうよ。人事の人が、」

「ウソつかないでよ。なんか隠してんの?」


 その言葉と厳しい態度に、母親は青い顔で動きを止めた。


 そして、はぁ、とひとつため息を溢す。


「隠してるわけではないの。全部あなたのためでもあるのよ。だから、ちゃんと説明するつもりだったの。全部上手く行ってからね」

「全部、上手く?なんの話だよ!?」


 勢いよく詰め寄るユイトに、しかし母親の眼差しは一切揺るがない。先程までの動揺も、話してしまうと決めたからか完全に消え失せていた。


「あなたの為だってことはわかって欲しいの。あの魔術師の子で上手くいけば、あなたも普通の人間になれるわ」


 何を言っているんだ?何を言われている?


 理解が追いつかない。普通の人間になれる?


 普通ってなんだ?魔力の無い人のことを言っているのか?


 様々な疑問が浮かんでは消えていく。


 そして、一番気になったのは、


「レオになにをしたんだよ!?」


 今まで、分かり合えないとはいえ実の親に向かって、これほど大きな声で怒鳴ったことがあっただろうか。


 いつだって真面目な両親のそばで、その勤勉さや実直な姿を見て、真似して、いつか立派な大人になりたいと思ってきた。


 それはユイトの本心であり、たとえ魔術師という道を選んだとしても変わることはないと思ってきた。


 なのに、この時ばかりは、許せないと思った。


 息子の為と言えば何をしてもいいとでも思っているのだろうか?


 それで喜ぶとでも?


 結局両親にとっての優先事項は、息子の夢を応援することではなく、何をしてでも普通の人間にする事だった。そしてそれが、本当に幸せな道だと思っている。


「何をそんなに怒っているの?あの子だって、本当は普通の人生を歩みたいはずよ。魔術師なんてやめて良かったと思える時が来るのよ!私たちの成果の第一号になれるのだから」

「もういい!!母さんはおれたちを何もわかってない!理解しようともしない!そんなあんたに、話すことなんてない!!」


 悲しみと怒りは、どちらが先にきて、どちらが先に消えるのだろう。


 それはいつになるのだろう。


 涙が溢れるのは悲しいからか、それても怒りからか。


 ユイトは振り返らない。


 「待って」と伸ばされた母親の手を無視して駆け出す。この家には、きっと理想が塗り固められている。


 ユイトはその理想を。両親が描いた勝手な理想を、ついには理解することが出来なかった。


 分かり合えないのは、自分も同じ。


 両親の事を理解できなかったのだから、自分自身も理解してもらえないのは当然だ。


 玄関を飛び出したユイトに、もう迷いは無かった。ただ深い悲しみと怒りのみが、ユイトの身体と心を支配していた。


「シエル、行こう。レオが危ないかもしれない」

「わかった。あの建物だよね?」


 シエルが指をさす先には、夜の闇に浮かぶように建つ、『クラウフェルト製薬』が見えた。


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