第76話 初めてのアルバイト⑥


 『クラウフェルト製薬』は、ナターリア国内最大の製薬会社であり、また、その献身的なまでの企業理念で医薬品の研究開発を率先して行う、極めて優良な企業であるとして政府からも信用を得ている。


 しかし、全ての人が安心して使用できる医薬品を、と考える反面、企業内部では魔術批判が根本に存在する極めて偏った思想を持っていた。


 政府にも気付かれないようにすすめられたその研究の内容は、『魔力持ちの判別と治療』。


 魔力は非遺伝的要素において突発的に発生する障害のひとつであり、産まれつき手足の指が多い子どもと同じように、不要な器官であるとして治療する。


 その判別方法が確立すれば、産まれた瞬間から治療を行い、魔力を自覚する前に消してしまえるというのが、『クラウフェルト製薬』の裏の取り組みであった。


 裏で、というのは、協会を運営している最高機関が政府であり、それは国が魔術師を職業として認めている証拠である。


 そんな魔術師を正面から否定するような研究を、表立って行うわけにはいかないからだ。


 研究は理論上一応は実現可能な段階へと入っている。


 が、実験してみない事には世の中へ出すことはできない。


 医薬品は、厳しい臨床試験をいくつもパスしなければ認められない。


 さてどうするか。


 社内で関係者間の話し合いが行われた。そこでわかったのは、学院生の息子がいる社員がいて、その社員は息子を普通の人として生活させたいと考えている。


 ではまずその社員の息子を治療してあげよう。16歳ならばまだ若い。十分やり直しが効く年齢だ。


 ちょうど学院は夏休みにはいる。アルバイトは良い口実になる。


 そうした社内会議の結果として、ユイトとレオがアルバイトとして雇われることになった。


 この研究を主導していたマースは、さてどうやって実験まで進めるかと思案し、そうしながら学院生の身元を確認する。


 そこでおかしな事に気付いた。


 レオという学院生について、一応素性を詳しく調べた結果、元々協会で魔術師として働いていたというのだ。


 それも若干12歳にして協会へ入り、四年でクビになったという。階級は不明。しかしどうも何かを隠している節がある。


 気になったマースは、外部の手を借りてさらに詳しく調べた。


 するとどうだ。レオという学院生は、あの『金獅子の魔術師』であるとことがわかった。


 情報は完全に秘匿することは不可能だ。いくら協会があの手この手で秘匿していたとしても、人の口に戸は立てられない。


 マースは、これはチャンスだと思った。


 聞くところによると、特級程の魔術師には、魔力がオーラのように目に見えているという。


 嘘か本当かはわからない。しかし、それが本当なら魔力持ちを判別することができるかもしれない。


 一石二鳥だと考えたマースは、なんの躊躇いもなく計画を実行した。


 レオが出入りしているオフィスの女性社員を使い、地下の資料室へ行くように伝える。基本的に魔術師嫌いの多い社内だ。その女性社員も快く協力してくれた。


 資料室には事前にマースが潜んでおり、研究の段階で作り出した、魔術の使用を制限できる薬を持ってレオが来るのを待つ。


 本当に効果がある薬だとは、言い切れなかった。なぜなら使用するのはこれが初めてだったからだ。


 さらに相手は、まだ子どもだといえ元特級魔術師だ。冷静さを問われる研究者であるマースでも、この時ばかりは緊張した。


 客観的に見て、魔術を否定するあまり、特級魔術師の能力を甘くみていたと言われても言い訳できない状況だったが、普段魔力だけを警戒していたレオは、マースと同じく周りを甘くみていた。


 警戒すべきは魔力を持った敵であると、それは完全な油断だった。


 計画通りレオを捕らえたマースは、これまた計画通りに実験を始める。

 

 ここで重要なことは。


 マースは別に、魔術師に強い恨みがあるとか、悲しい過去があるだとか、そう言ったことは一切ない。


 それは純粋な好奇心と義務感。


 社会や、企業に貢献したいという人間としての欲求。


 そして一番は、研究者としての好奇心。


 ただそれだけの為に、レオの身柄を拘束し、眼球を抉り、理論上でしか成功が認められていない薬の実験台として利用する。


 純粋なる好奇心は、時に人を人たらしめる倫理観すら見えなくする。


 研究者も魔術師も、病的な好奇心を制御することができないという意味では、似たような生き物である。






 社員たちが昼食休憩に入ったタイミングで、ユイトは仕事場であるオフィスを出た。


 先程からレオの姿が見えない。


 それ自体は珍しい事ではない。何故ならレオは、しょっちゅう抜け出してはどこかで女性社員と油を売っているからだ。


 しかも、毎回相手の女性が違う。酷い時には他フロアの女性社員とも楽しげに談笑している。


 そのやる気を、少しくらいバイトの方にも回して欲しいと思わないこともない。


 まあでも、もう数ヶ月の付き合いだ。


 それでこそレオだよな、と諦めがついてきた感は否めない。


 だがしかし、給湯室で別れてから二時間近く経っている。レオがそこまでサボりグセのある奴だとは思いたくはない。思いたくはないが実際信用ならないので、ユイトは昼食休憩に入ると同時に社内を探すことにした。


 仕事場である五階から順に下の階へ回る。しまったドアは、極力ノックして確かめるが開ける勇気は無い。


 もしかして最中だったらどうしようと気が気ではなかった。友達のそういう現場を目撃など、できればしたくはない。


 まさか仕事場でそんなことないよな?と思うが、常識が通じないのがレオの厄介なところだ。そしてそのレオに誘われたら、多分常識のある大人の女性でも逆らえない。


 ユイトにはよくわからないが、レオにはそういう魅力がある。控えめに言ってイケメン死ねと思う。


 そんな思春期の妄想を脳内に繰り広げては消し去りを繰り返しながら、ユイトは社内を歩き回った。


 社員が集まる一際賑やかな食堂へ顔を出した時、ちょうど昼食にやってきた母親と遭遇した。


「ユイト?どうしたの、そんなに慌てて」


 母親はユイトを見るなり嬉しそうに声をかけた。自身の職場で息子に会える母親の、小さな喜びがそこに見える。


「母さん……」


 対してユイトの反応は微妙だった。


 あの夕食でのことを、ユイトは決して忘れることはできない。


 どんな考え方があったていい。人はみんなそれぞれ違うことを考えているし、同じ思いや反対の意見があることは当然だ。


 でもそれを、親子であっても押し付けていいとは思わない。


 特に大切な友人の前では。


 ユイトの堅い表情に、母親は軽くため息を吐く。


「この前のこと、まだ怒ってるのよね」

「当たり前だろ。特に母さんたちは、レオの事を何も知らないのに」


 そう言うユイト自身、レオの事などほとんど知らない。或いはイリーナなら。「あんなやつ嫌い」といいながらも、いつも側に居るイリーナならもっと沢山知っているのかもしれない。


 だからと言って、レオがユイトの事を信用していないわけではないはずだ。確証はないけれど、こうして一緒にアルバイトをしてくれる程度には、信用してくれているはずである。


「ついね、カッとしちゃったことは謝るわ……でも、母さんたちの意見は変わらない。あなたにはあんな失礼な子と付き合うのは辞めて、普通にして欲しいのよ」

「母さんの言う普通って、おれにとっては魔術のある生活のことなんだよ。そんで、レオはそんなおれの友達であり、先輩でもあるんだ。あんなに素晴らしい魔術を使う人を、全部否定する母さんたちとは、おれは分かり合えない」


 酷い息子でごめん。


 と、内心では申し訳なく思う。


 実の両親なのだから、心から嫌いにはなれない。


 心から嫌いになれるほうが楽なのかもしれないとすら思う。


 悲しみをたたえた母親の表情を見るのも、本当はとても辛い。


「母さん、この話はまたにしよう。何度でも言うけど、おれはこの人生を諦めるつもりはないから」

「……いいわ、また話しましょう」


 それでも笑顔を見せる母親に、ユイトは尋ねる。


「そうだ、おれ今レオを捜してるんだった。母さん見てない?」


 途端に、不自然な程母親の視線が泳いだ。


 いくらユイトでも、その反応は見逃せない。


「あの子なら、体調が悪いみたいで早退したそうよ。人事の人が言っていたわ」


 スッと視線をそらせて、ユイトの顔を見ようとしない。


「じゃあ、母さんは行くわね」


 そう言って逃げるように母親はユイトの前から去っていった。


 怪しい。でも、どこを捜してもレオの姿はない。アルバイトの身分では入れないようなところにいるはずもないから、母親の言う通り帰ってしまったのかもしれない。


 何せレオには常識とかそういう一般的な概念がみられないから。やりそう、とさえ思う。


 それに午前中にいくつも魔術を使っていたし、体調不良は納得できる。ほらみろ、おれの忠告を無視するからだと、ユイトは少し苛々した。


 帰ったら文句でも言ってやろう。


 ユイトはため息を溢し、それ以上は捜すのも無駄かと判断した。







 聞こえるのは苦しそうな息遣いと、鎖がカチャカチャと騒がしくなる音だけだ。


 それは俺が立てている音なんだが、そんな事気にならない。


 とりあえず頭が痛い。ハンマーか何か、硬い鈍器で殴られ、開いた穴からゴツゴツした焼いた石を沢山投げ込まれたような痛みだ。


「ぅ、ぁぁ……」


 たまに一際激しい痛みが波のように襲ってくる。その度に脂汗が出てベタベタするし、のたうちまわって気を紛らわせたいのに、その度に首が引っ張られる苦しさと戦わなければならない。


 本当に魔力が消えるのか。


 魔力持ちの脳には、魔術を使うための特別な器官があると言われている。あの薬は本当に効果があって、だから今こんなにも頭が痛いんじゃないかと考えてゾッとした。


 頭痛以外には、抉られた目は確かに痛いが、それよりも気持ちが悪い。何時間たったかは知りようがないが何度か吐いた。その度にマースが俺の体勢を変えて、吐いたもので窒息しないようにした。


 まあ、朝から何も食ってないから胃液しか出ないが。


 俺を見る俺の目ん玉が映すモニターの映像を、気晴らしに眺める。それくらいしかやることがないからだ。幸いなことに、そこに映る俺の魔力はさっきから変化が無い。


 相変わらず魔術は使えそうにないが。


「……不思議ですね。変化が無いとは思いませんでした」


 顎に手を添えてマースが言う。


「ハハ…俺、もしかして…人間じゃ、ないの、かもな」


 冗談でも言っていないと頭が破裂しそうだ。


 が、マースはそれをわりとガチで信じた。


「そういえば、あなたはどこで産まれたんです?そういった情報が何一つなかったんですが…本当に人間ですか?」


 それについてはいずれ話そうと思っていたが、端的に言うと、だ。


「そうだよ!…っ、悪いけど、産まれた経緯は、俺も知らない」

「知らない?」


 俺の一番古い記憶は、ザルサスに拾われる直前の雪深いヴィレムスの山中だ。


 あの時なぜあんなところにいたのかは自分でもよくわからない。凍えるような吹雪の中、偶然やってきたザルサスに拾われた。危うく凍傷になるところだった。


「……そうですか」


 マースは以前にも増して、眉間に深いシワを刻んでダンマリを決め込んだ。


 それから俺はまた、やってきた痛みにひたすら耐える。


 時間経過と共に、体力的な限界が来た。何度目かの痛みの波が去ったあと、俺は眠るように気絶した。

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