第74話 初めてのアルバイト④


「あれ、今日なんか雰囲気違うな……髪切った?」

「え、わかる?」

「当然じゃん。俺ずっとキミのこと見てたんだぜ。そのせいで仕事が出来ないんだから、ミスってたらキミのせいだ」

「ヤダ、そんなに見つめて…仕事中よ」

「大丈夫大丈夫、ちょっとくらいサボったって誰も気にしない」

「はいはいはいはい、おれは気にするしお前はこっちでトイレ掃除な」


 オフィスの隅の壁際で、キザったらしいセリフを吐くレオの襟首を掴んで、ユイトはそのまま廊下へ引き摺り出す。


 相手の女性は、顔を赤くして小さく手を振り、口パクで「頑張って」と言ったのがユイトにもわかった。


「なんだよぉ、俺の邪魔ばっかりすんじゃねぇよ」

「お前はおれのバイトの邪魔してんだよ!!」


 アルバイトを始めて一週間が経った。


 ユイトは一日目こそ緊張していたが、二日三日と経つうちに徐々に慣れていき、現在ではそれなりに周りを見て雑用を熟せるまでになった。


 もともと自頭と容量の良いユイトにとって、アルバイトも慣れてしまうと大した苦にはならない。


 そうして周りが見えるようになると……


 気になるのはレオの行動だ。


 最初こそ真剣に任された仕事と向き合っていた。


 コイツ、こんな真面目な顔するのか?と、ユイトはとても驚いてもいた。


 が、それも最初の二、三日で、ユイトと同じく慣れてくると、作業の合間にチラチラとよそ見をする様になった。


 四日目には作業しながら女性社員に軽く手を振ったり振られたり。五日目からは完全に手を止めて、すれ違うたびに雑談。


 一週間も経てば、アルバイトはそっちのけで、完全にナンパする方にシフトしてしまっていた。


「つかこの俺にトイレ掃除させるなんて正気か?」

「正気もクソもないって。おれら今バイト中!!」


 クソが、と呟きながら、レオはちゃんと廊下の奥のトイレへと向かう。


「ちゃんとやれよ!?」

「うるせぇ!!」


 整った顔に似合わない粗雑な怒鳴り声が廊下に響く。


「はぁあああ」


 深いため息をこぼして、ユイトは給湯室へと向かう。時刻は午前10時で、そろそろ一息つきたいだろうとコーヒーを淹れる。それも雑用のひとつだが、手渡す時に社員から「ありがとう」と言われるのは、なんだか嬉しいと思い始めている。


 ヤカンに水を入れて火にかける。豆を選びながら、ふと思い出すのは両親の事だ。


 ここが両親の仕事場だからというのもあるが、あの日の夕食で、両親が言った言葉がずっと頭をグルグルとしている。


 学院に行く事を許してくれたのだから、てっきり魔術師になる事を許してくれたのだと思っていた。


 それがどうだ?


 関係のないレオまで巻き込んで、しかもレオの育ての親を馬鹿にし、歴代最強の魔術師本人に魔術を否定するような事を言ってしまった。


 さらにその後、自分もレオに酷い事を言っているのだから救えない。


 レオは怒らなかった。短気で怒りっぽいところがあるから、ボコボコにされると思ったが、そんなことは一切なく。


 ただ淡々と、受け入れろと言った。


 捨てる事ができないのなら、確かに現状を受け入れて、自分の道をいくしかない。たとえ死ぬまで親に恨まれようとも。


 レオはそうやって受け入れて来たのだろうか。


 そもそも『金獅子の魔術師』が、どうにもならないと思った事があるのだろうか?


 あるとしたらそれは、自分なんかが想像もできないような大変な事だったに違いない。


 人より多くのことができるレオが、手も足も出ない事態は、自分が想像する全てのことよりもきっと辛かった筈だ。


 そう言うと、レオは多分怒る。


『他人の不幸と自分のそれを比べるな』とか言って。


 クズだなんだと言われているが、レオは真っ直ぐで良いやつだ。時と場合と言い方さえ変えれば、敵を作ることも減るだろうに、とユイトは思う。


 その証拠に、何度かアルバイト中に会いに来た両親が、レオの事を嫌っていた。


 体面や礼儀を重んじる真面目な両親が、レオを名指しであんな失礼な事を言う人間と仲良くするのはやめなさいと言っていた。


 失礼はどっちだよ、と、はっきり言えない自分も自分だ。


 などと考えて、また自分自身にため息が出る思いだった。


「終わった」


 のっそりした空気を醸し出していると、レオが不機嫌な顔で給湯室へ顔を覗かせる。


「終わった?やけに早くないか?」


 まだお湯すら沸いていないんだが、と眉根を寄せるユイトに、レオはフンと鼻を鳴らした。


「やりたくない事は極力魔術で済ますことにしている」

「は?」

「昨日ユイトが掃除した時までトイレを遡らせればいいんだ。それなら俺は手を触れずに掃除ができる」


 確かに、トイレ掃除は順番に行なっているが。


「まさか〈刻逆〉で…?」


 ニヤリと不敵に笑って、レオは指を一つ鳴らす。パチンと乾いた音がした途端、ヤカンが激しく湯気を出し、蓋がガタガタと暴れた。


「あっ!?な、何したんだよ!?」

「これは俺の小さな反抗だ」


 ユイトは顔を顰めたまま、また始まったと思った。


 強い魔術師は、得てして変人が多いと言われている。天才と変人は紙一重と言うが、これほど正鵠をいた言葉はないだろう。


 特級魔術師は総じてクセが強い。レオもまたその一人で、時にユイトには理解できないような事を平気で曰うのだ。


「お前の両親のよな魔術師否定派のこの会社内で、魔術によって仕事をするだろ?ここの社員たちは、今まさに入ったトイレや、淹れられたコーヒーに魔術が関わっているなんて思いもしない。奴らは知らず、魔力の恩恵に授かる。ザマァみろってな」

「ごめん、言ってることがちょっとよくわからない……」


 小さく呟いたユイトの言葉など聞いてもいない。


 というか、気になるのは今起きた現象の方だ。


「どうやって湯を沸騰させたんだ?」


 火を切りながら聞く。


「それは機密情報だ」


 ああなるほど、とユイトは理解した。


 どんな方法かはわからないが、それは多分特級魔術師としての守秘義務にあたるのだろう。特級魔術師の機密と言えば、一番に連想されるのは固有魔術だ。


 しかしレオは今、魔力を制限されていると聞いている。


「大丈夫なのか、そんなにバンバン魔術使って」


 そう尋ねれば、レオは今度は嫌らしい不敵な笑みではなく、子どものような無邪気な笑みを浮かべた。


「あー、最近調子がいいんだよ。そりゃ忌々しい封魔の影響が完全に無いわけじゃないが……」

「無いわけじゃないならやらない方がいいんじゃ」

「お前も心配性かよ」


 も、ということは、他にも誰かが同じ心配をしたようだが、それでも使い続けているのだから、何を言っても無駄なのだろう。


 確かに、ユイトも突然魔術を使うなと言われて、それができるかと言われれば自信はない。寧ろ無理だろうとさえ思う。


「程々にしとけよ」


 結局そう言うしか、ユイトに出来ることはない。


「わかってんよ」


 それだけ言うと、レオは給湯室を出て行った。


 魔力を持つものにそれを使うなと言うことがどれだけ酷かを、レオはよくわかっているだろう。


 魔術を否定し、一般人として生きる事を望む両親が、ユイトにとっての封魔のようなものだった。







 ちょっと調子に乗ったのは認める。


 湯を沸かすくらい放って置けばいいのだが、やっぱり魔術を使えるって楽しいよな、なんて改めて思う。


 それは多分、封魔の影響を抑える薬が効いていることもあるが、一番はユイトの両親やこの会社の雰囲気のせいだ。


 どこもかしこも、魔術的な技術をまったく使っていないこの建物にいるからか、違和感がすごい。


 敢えて魔力を練っていないと気分が悪くなる気さえして来る。


 いつもそこにある事が当たり前なのに、突然なくなると戸惑う。トイレットペーパーが急に切れた時みたいな。米炊こうとしたら無い、みたいな。なんでもいいがそんな感じ。


「レオくーん」


 給湯室から出てオフィスに戻る途中で、中から出てきた女性社員と鉢合わせた。


 初日から目をつけていたうちの一人で、簡素で代わり映えのしないスーツだが、メイクやヘアスタイルに気を抜かないところが高評価の、少し子どもっぽいのが可愛い女だ。


 キャピキャピしているのは……まあちょっとやり過ぎ感があるが、顔はいいので許容範囲内。


「レオくん、ちょっと頼んでもいい?」


 その女が、上目遣いでキラキラした眼を向けてそう言う。長いまつ毛はそういう魔術なんじゃね?と思うくらいだ。


 男ならみんなそうだと思うが、可愛い女に頼み事をされるのは嫌じゃ無い。


 寧ろ大歓迎だ。トイレ掃除なんかより余程。


「なんだ?」

「あのね、地下の資料室にとってきて欲しいものがあるんだけど」

「地下?」


 地下は立ち入り禁止と聞いてる。初日にマースがそう言っていた。


 重要な研究を行なっているからだとか、なんとか。


「バイトだから入れないって言われてる?」

「ああ」

「じゃああたしの社員証かしたげるね!」


 はあ?と思った。


 たかがバイトに、大事な社員証を貸す奴がいるか?


 協会ライセンスだって他人に貸すのは規約違反だ。


 ……いや、ジャスとリリルには貸してたな、そういや。階級が空欄の俺のライセンスカードだったが、残高は多かったからだ。


 少し悩んだ。


 面倒な事は基本したく無いが、それは可愛い女の頼み事ってことで相殺されている。


 社員証がどうとかも、ルールに囚われない俺は気にしない。


 それに、国内切っての製薬会社の地下研究所に興味がないわけでもないし、協会の医務室で俺がよくお世話になる医療用の鎮痛剤とか、あわよくば猫糞できないかなぁなんて思った。


 言っておくが、クズの思考なんてこんなもんだ。


「いいぜ」


 そう答えると、女はニッコリととびきりの笑顔を見せる。


「ありがとう!!じゃあこれ、あたしの社員証ね。無くさないでよ?」

「当たり前だ。急いだほうがいい?」


 可愛らしいピンクの花柄のカードケースを受け取り、一応確認のために聞いた。


 任された仕事はちゃんとやる。一応。


「んーん、大丈夫。時間ある時でいいよ」

「わかった」


 ……まただ。


 言葉にうまくは表せないが、やっぱり少し違和感がある。


 相手が例えばシエルやバリスとかだったら、この違和感を重くみただろう。だけど、相手は可愛い女で、さらに俺は調子に乗るくらいには魔術を使っても体調を崩す事はなく。


 極め付けは、魔力の一切感じられないこの建物の中で、魔術師である(元だが)俺に、敵うものなんて無いと思っていたことだ。


 だから俺は気付かなかった。


 こんなの、特級でバリバリ任務こなしてた時には無かったミスだった。

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