第73話 初めてのアルバイト③


 死ぬ思いで一日目を乗り切った俺とユイトは、ぐったりしながら更衣室へとたどり着いた。


 頼まれた仕事は資料整理から会議室のセッティング、お茶汲みとかトイレ掃除とかまあそれは様々で。


 魔術しかやってこなかった俺は、変な頭を使って疲れた。固有魔術で終わらせれば簡単なのに、普通の人は全部手作業でやってるんだと改めてアホらしくなった。


 時間を気にする余裕もなくて、ガラス越しに見えた外は、すでに茜色の夕陽が眩しかった。


「疲れたああああ」

「うるせぇ……」


 一般人の皆さんがオフィスで戦ってるのはよくわかった……


「これなら雪山で魔獣の群れと闘う方がマシだ……」

「ようわからん比較するなよ……」


 さっさと帰ろうと、制服の上着を持って更衣室を出る。


「腹減った」


 ユイトが呟く。そうすると、俺もなんだか腹が減ったような気がしてくるから不思議だ。


 疲労で話をする余裕もなく、ひたすら歩いて正門を目指す。明日もかと思うと、今すぐ〈転移〉で逃げ出したくなった。


「二人ともお疲れ様」


 今にも逃げようと考えていたところに、年配の女性が声をかけて来た。やけに親しげだなと思いながらそっちを見ると、ショートカットが似合うスーツのおばさんがいた。


「母さんっ!?」

「久しぶりね、ユイト」


 なるほど。ユイトの母親か。


 優等生の血筋は、この親から受け継いだのかというくらい、真面目そうな雰囲気がユイトに似ている。


「あなたがアルバイト引き受けてくれてよかったわ」

「どうしてもって言ったのは母さんだろ」


 そういや、ユイトの両親が働いていると言っていた。


 俺をこんな過酷な場所に放り込んだ元凶がこの女かと思うと、なんだかとてもイラッとする。


「んじゃ、俺は先に帰るからな」


 そう言ってさっさと先を急ぐ。が、そんな俺を呼び止めたのはユイトじゃなくて母親の方だった。


「君も一緒に夕飯でも食べない?うち、すぐそこなのよ」


 間髪入れずに断ろうと口を開いた。そんな俺の視界に、両掌を合わせてペコペコするユイトの姿が目に入った、


『お願い!一緒に来て!!』と、全身で表現していることがわかる。


 正直面倒くさい。


 でもまあ、ここまで来たんならどこまでいっても一緒か、なんて、クズなりに友達思いなことも考えた。


「はぁ、まあいいが」

「よかったわ!私、お料理が趣味で沢山作りすぎちゃうのよ。来てくれるとありがたいわ」


 真面目そうな母親だが、笑うと少し若く見える。


 さすがの俺も、同級生の母親は守備外であると言っておく。


 ユイトの家は住宅街の中、結構な存在感のある大きさだった。優等生らしく、家まで金持ちらしい。


 両親が大企業で働いているのだから当然か。


「忙しくてあまり綺麗ではないんだけど、どうぞくつろいでね」


 母親が照れたように言って案内してくれたリビングで、高そうなふかふかのソファに座る。


「金持ってるな」

「そんなことないよ。逆にレオの実家はどんな感じなんだ?」


 んー。実家ではないが、まあ、


「一軒家のロフト付きログハウスみたいな?」


 とか答えながら、ヴィレムスのババアの小屋を思い浮かべる。ザルサスが産まれた年に建てたらしい築うん十年のボロ屋だ。


「めっちゃオシャレじゃん」


 ものは言いようだな。


 ユイトの家は、控えめに言っても金持ちのそれだった。イリーナの実家ほど大きくはないが、三人家族にしては十分だ。


 リビングはどでかいソファが鎮座していて、フローリングの床は傷一つ無い。控えめなベージュのラグと、白い壁の色が調和している。備え付けの暖炉は本物ではなかった。オシャレな暖房器具で、その上にようわからんトロフィーとかが飾ってある。


 大きな窓のお陰で広く見えるし、観葉植物がいい感じに置かれているのが、なんかこう、金持ち感がある。


 ダイニングキッチンは広々としていて、とにかく物が無い。うまく収納しているようだ。


 ……育ちが悪いと言われるのはシャクだが、オンボロ小屋育ちで、寝る場所さえ有れば納得でき、任務では平気で野宿するような俺には、この家の上手い表現方法が思いつかない。


 精一杯の頑張りは認めてくれるとありがたいぜ。


 ただ、ものすごく気になったのは、この家には魔力を原動力として動く物が何一つ無いということだ。


 電気類は全部自家発電で利用しているらしい。


 今時、魔力を利用している家は珍しく無い。たとえ魔力持ちがいなくとも、家を建てるときに円環を刻み、人の出入りや音で反応する便利な機能を取り付ける人間は多い。


 俺も以前は、なんでも魔力に頼っていた。電気がなくても明るくできるし、火がなくとも料理はできる。固有魔術抜きにしても、魔術は生活の一部だ。


 それが一切無い家に来たのは、ここが初めてかもしれない。


「もう少し待っててね」


 ユイトの母親がキッチンから声をかけてくる。


 室内にカレーの良い匂いが広がり始め、ユイトのお腹が鳴った。


「ただいま」


 そこへ、玄関が開く音がして、同じく真面目そうなスーツのおっさんが入ってきた。


「ユイトもいるのか?」

「父さん、久しぶり」


 ユイトの父親は、ユイトを見るなり笑顔を見せ、それから俺を見て驚いた顔をした。


「アルバイトに来てくれた友達かな?」

「そう。レオっていうんだ」


 ユイトがそう言って、俺はちっさく会釈する。父親はニコリと微笑んで、右手を差し出して来た。


「あえて嬉しいよ。アルバイトの件もありがとう」

「いや、良い経験になる」


 握った手は柔らかく、近接武器も扱う俺の手とは大違いだと思った。


「ゆっくりしていってくれ」

「ん」


 ところで俺は敬語を使わないが、ルイーゼにすら使わないんだから許してくれ。


「さて、夕食にしましょ。今日はもしかしたらユイトに会えるかもと思って、あなたの好きなカレーにしたのよ」


 ダイニングテーブルに皿を並べながら、ユイトの母親が言って、俺たちはテーブルについた。


「帰るたびにカレーだと飽きるよ」

「そんなこと言って、いつもお代わりしてくれるでしょう?」


 家族団欒って感じだ。そう思うと急に気不味くなってくる。


 食事が始まると、ユイト親子は他愛のない話を続け、俺はそれをなんとはなしに聞いていた。ときたま意見を求められると答える程度で、和やかな食事の風景に、俺はただの異物でしかないな、と考えていた。


「ところで、レオ君はどうして学院に?」


 食事もなくなりかけた頃に、向かいに座るユイトの父親が笑顔で聞いて来た。


「育ての親が、学院で常識を学んでこいと言ったから仕方なくだ」

「ほう。それまでは、何かしていたのかな?」


 階級さえ明かさなければ、別に隠すことでもないと思い、俺は正直に答えた。


「12歳から協会の魔術師として働いていた」


 だが、これがマズかった。完全に起爆スイッチを押してしまった。


「12歳!?そんな子どもが、どうして危険な職業を?」


 母親が血相を変えて叫んだ。あまりの迫力に、俺は正直ビビった。


 これが魔術師同士の会話だったら、未熟な野良が背伸びしやがってとか、特級にコネでもあるのかとか、ごく少数だが、実力があるんだなとかいう話で落ち着く。


 俺たちは完全実力主義だから、年齢も性別もあまり気にしない。早くに任務に出て死ねば、それはそれでライバルが減ったと喜ぶ奴すらいる。


 でもこのユイトの両親は、魔術師であることの意味をひとつも理解してはいないようだった。


「俺には実力があって、誰にも負けない自信もあったし、それくらいの知識も当然身につけている。だから、魔力を持つものとして協会魔術師になる事は当たり前だった」


 野良としてやっていくのもいいが、それには限界がある。多くのものにとって、学院に入ってそのまま協会魔術師になるのが、魔術師としてもっとも才能を生かし、新しいことを探究できる道だ。


「他になにか、やりたい事もあったでしょう?魔力を持っているからって、必ずしも魔術師になる必要はないし、普通のお仕事もやりがいがあるわ」

「俺のやりたいことが、まさに魔術師という職業だ。その他の道なんて考えたこともない」


 絶句、という感じだった。


「あなたの育ての親という方は、きっと見識の狭い方だったのね」

「まったく、魔術師というのはどうしてこう一辺倒な人が多いんだ」


 ふう。


 そろそろ面倒くさいんだが。


「いい加減にしろよ」


 と、言ったのはユイトだ。決して俺じゃない。


 ユイトが持っていたスプーンを放り投げる。カチャンと金属と陶器がぶつかる音がした。ふと見た横顔は、親に叱られた理由のわからない子どもそのものだった。


「おれたちは、魔術師になりたいからなるんだ。魔力があったからとか、そういうんじゃないって何度も何度も言ってるのに!!自分で選んでるってことが、どうして父さんたちにはわからないんだよ!?」


 そう叫んで、ユイトは椅子を倒して立ち上がった。それから、玄関を飛び出していったのが音でわかった。


「あの子…どうかしてしまったのよ……」


 母親の頬を涙が一筋流れる。


「すまないね。ユイトがあんな態度で驚いただろう。学院ではしっかりやっていると聞いているけど、しばらく前から少し変わってしまったんだよ」


 父親が、盛大にため息を吐いた。


「ユイトは学院でも真面目で、勉強熱心な学生だ。あんたたちがどう思おうと、良い魔術師になれる」


 元特級としても、ユイトはかなり実力があると断言できる。俺が放課後指導しているのだから尚更だ。


「良い魔術師、ね。それはユイトも喜ぶだろう。あの子は、少し前から『金獅子の魔術師』に憧れているから」

「それよ!ユイトが変わってしまったのは、その魔術師を追いかけるようになったからよ!!」


 おっと?


 ここでも俺が悪者になっているのか?


「ともかく、見ての通り我々は、ユイトが魔術師になることを心から認めてはやれない。魔術という危険なものなど無い方がいいとすら思っている。君がたとえ魔術師でも、我々の意見は変わらない。今回アルバイトを持ちかけたのも、普通に働く喜びを知って欲しかったからだ」


 巻き込んですまないね、と父親は言った。


「悪いけど、今日働かせてもらって俺が思った事を言っておく」


 イライラして飛び出したいのは、なにもユイトだけじゃない。


 ひとりの魔術師として。


 そこに生きる意味を見出している者として。


 それだけが、救いだった者として。


 言わずにはいられなかった。


「普通に働く喜び?んなもん、俺たち魔力持ちが魔術を使う喜びに比べたらカスみたいなもんだぜ。任務で行く場所も、出会う人々も、いつも新しい知識で溢れてる。俺たち魔術師を止められるのは、親の一方的な愛情じゃない……死だけだ」


 親もいない、まして一般人の仕事もした事ない俺が言うのもなんだけど。


 魔術師になれない奴らが相手なのだから、別にいいかなとか、ズルい事を考えていて。


 だから後悔はしていない。


 きっとユイトも、同じ事を言うだろうから。


「夕食の礼は必ず返す。ユイトは俺に任せて、魔力のない奴は黙ってろよ」


 唖然とする二人をそのままに、俺はユイトを追って家を出た。


 悲しいのは涙を流せる母親や、言いたいことが言える父親だけじゃない。


 血を分け、育ててもらった両親に理解してもらえないユイトの方だ。


 ユイトの家を出て、魔力感知でユイトの魔力を追う。飛び出していった割に、案外近いところにいる事がわかった。


 フェリルは、中央に行政機関が集中していて、そこから放射状に広がる街だ。企業が集まる地区は東に位置していて、この辺りは計算された効率の良さみたいなのを感じる住宅が連なっている。


 その住宅街の、均等に配置された街頭の明かりが届かない水路の橋の真ん中に、ボーッと突っ立っているユイトを見つけた。


「ごめんな、レオ。嫌な思いさせたよな」


 日が暮れても暑い夏の空気に、ジメジメしたユイトの言葉がさらにウザい。


「協会で、散々野良だなんだと言われて来た俺が、今更あんなことで落ち込むと思うか?」

「……それもそうか」


 ハハッとユイトの空笑が耳に残る。


 魔術師という生き方を完全に否定する両親のもとで、魔力を持って産まれたユイトはさぞツライ思いをして来ただろう。


「魔術は芸術だって、俺の血の繋がらない姉が言ってた」


 イリーナには全て話してやったし、もう誰に知られたっていいやと思った。


 ユイトは何も言わず、ただ水路に映る月を見ている。


「なのにさ、音楽や絵と違って、なかなか受け入れては貰えないよな」


 魔術を生活に取り入れておいて、それでも人を殺せる力だと言って魔術師に理解を示さない人間も多い。


 ヴィレムスは閉鎖的な集落で、魔術自体に触れる機会が少なかったからまだいいけど、魔術で発展したフェリルに住んでいてもそう言う奴はいる。


 それがとても悲しい。


「おれ、このまま両親に反対され続けるのかな」

「さあな。つか、んなこと気にするな。俺たちには俺たちにしかわからないこともある。逆にお前の両親もそうだろ」

「……そう、なんだけどさ」


 ユイトは俯いたまま、俺に言う。


「本当の親がいないレオが羨ましい。好きなように生きられる、レオが羨ましい」


 ……俺がキレると思っただろ?


 そんな事ではキレません。俺は心が広いクズなんだぜ。


「んじゃあ、お前も全部捨ててみる?」

「は?」


 グダグダ悩むくらいなら、全部捨ててしまえ。


「好きにしたいのなら好きにすればいいだろ。俺みたいに」

「簡単に言ってくれるけど、現実的じゃない」

「現実的とかそうじゃないとか言って迷っていると、魔力はちゃんとコントロールできないぜ。お前の心を反映するからな。死にたくないのなら迷うな。決められないなら受け入れろ」


 精神の揺らぎは魔力コントロールに影響する。


 自分で自分の事を決められないような奴には、魔術師なんて向いていない。


「……ごめん」


 どうやら酷い事を言った自覚はあるようだ。


 そんな俺も、酷な事を言っているなとは思ってる。一応。


「別に。俺が特級に戻ったら、散々こき使ってやるからいい」

「マジかよ」


 そう言いながら、ユイトはいつもの笑顔を見せる。少し頭が冷えたみたいでなにより。


 両親を捨てて魔術師になるのも、そのまま受け入れて魔術師になるのも、どうせ悩むのだから、もうそういうものだと思った方が楽だと俺は思う。


 どうにもならない事なんて、生きてりゃいっぱいあるんだ。


 ユイトがどうしようが、先輩魔術師として面倒くらいは見てやるぜ。


 なんて思っている俺は、学院に入ってから少しお節介になったようだ。

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