第72話 初めてのアルバイト②
☆
まあそういうわけで、俺はユイトに付き合って、夏休みの間短期でアルバイトをすることになった。
学院は長期休暇の間、届け出ればアルバイトができる。
普段少ない仕送りで生活している学院生にとって、または、実家が裕福ではない学院生にとって貴重なお小遣い稼ぎ期間なのだ。
「申請書、ちゃんと受理しますね。君たちなら成績も良いし、アルバイトしても問題ないですね」
職員室で、担任に申請書を提出すると、担任は笑顔でそう言った。
俺はまだ、この事態を受け入れるのに抵抗があったが、何事も経験だと思う事にした。
魔術と同じで、知らないことを知る良い機会だと無理矢理自分を納得させる。
「レオじゃねぇか、どうした?」
そこに、最悪な事にバリスがやってきた。
「バリスさん、レオくんとユイトくんが夏休みの間アルバイトをすることにしたそうです。学院生の間に色々やってみるのは良い事ですよね!」
などと、担任が全く悪気なく言う。
「……アルバイト?お前が?」
バリスのキョトンとした顔。その顔は徐々にニヤニヤしたものに変わり、挙句には腹を抱えて笑い出した。
職員室にいた他の教員が、何事かとこちらへ視線を向ける。
「笑うな!!」
「ブファッ!これが笑わずにいられるかよ!?おま、お前が……アルバイトって…ブブッ!!」
バリスは楽しそうだが、逆に俺の精神は氷のように冷え切った。
「決めた。俺のアルバイトはバリスの暗殺だ。だれか依頼してくれ」
「お、おい、レオ…」
魔剣を召喚した俺を、慌ててユイトが腕を掴んで止める。バリスは笑うのをやめた。
「ま、まあ、落ち着けよ。バカにしたわけじゃねぇ」
「そうか。ならいいけど」
魔剣を消すと、バリスとユイト、担任までもがホッとした顔をした。
「それで、なんのバイトするんだよ?」
バリスが興味深げに聞いてくるが、俺も知らない。
「両親のいる製薬会社で、清掃と雑用のアルバイトを募集してて…それに誘われてるんです」
ユイトがため息混じりに言った。
「清掃と、雑用……」
ブフッと、吹き出したのはバリスだ。
俺はもう怒る気にもなれなかった。
清掃でも雑用でも、もうなんでも好きにしてくれという気分だった。
翌日、俺はユイトに連れられて学院宿舎を出た。
ちなみに、俺がアルバイトするってピニョに言ったら、あいつ物凄い涙目で喜んだ。
『レオ様がああああっ、更生なさいましたですううううっ』ってめちゃくちゃ失礼じゃね?
まあ確かに、ずっとクズだなんだと言われ、プライドもクソもなくただただ任務をこなしては遊んでいた俺だから、真面目に働くという挑戦に多少ヤル気がないわけでもない。
「あー、緊張してきた」
目的地に向かう途中、ユイトがポツリと言った。心無しか青い顔をしている。
「緊張?」
「んー。おれ、大人の中に入って働くの初めてだからさ」
なるほど。
「レオは慣れてるかもしれないけど、社会に出るってビビるよな」
んなこと考えたこともなかった。
「緊張感は大事だが、考えすぎると失敗する。気楽にいけよ」
「レオ……案外良いこと言うな」
そりゃあ、俺は協会魔術師として普通に働いていたし、ユイトよりも色々経験している。
そんな俺の経験から、大事なことをユイトに教えてやる。
「稼いだ金を何に使うか考えていれば、案外一日早く終わる」
「フムフム」
「俺はいつも、帰ったらどこの飲み屋に行こうかなって考えていた。お気に入りの子が出勤の日だといいなとか」
「……レオってクソ野郎だな。そんなんに国の税金が使われてるって思うと非常に残念」
はああああっと盛大なため息。
んでも大事な事だよな?
人生には楽しみがないと。そうだろ?
そうこうしていると、アルバイト先である製薬会社についた。フェリルの中心部に近いそこには、様々な企業がオフィスを構えている、その中のひとつだ。
デカイ看板に、『クラウフェルト製薬』と書かれていた。
正門にはバリス並みの筋肉質な警備員が二人。魔力は無い。警棒で武装しているだけであり、魔術師からすると心許ないなと思う。
その警備員に学生証を見せて要件を伝え、しばらく待つと中へ入ることができた。
建物は近代的なガラス張りの四角い無機質な感じで、地上五階、地下三階と結構広い。地上階は普通にオフィスとして機能している。地下は研究施設となっている。
眩しいくらいの太陽光を取り入れるロビーに入ると、受付横のソファが並んだスペースから男が一人、こちらへ近付いてきた。
「アルバイトの学院生さんかな?」
グレーのビジネススーツを着た男は、銀縁の眼鏡の奥の優しげな目を細めて、柔和な表情で笑いかけてくる。歳はまだ若そうだ。
「はいっ、よ、よろしくお願いします!」
ガチガチに緊張しながら、ユイトがペコペコと頭を下げると、相手は笑って答えた。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。僕は人事部のマース・メイエルです。アルバイト期間中は、僕になんでも聞いてくださいね」
その後、軽く自己紹介を済ませて移動する。
「うちは医薬品を作っている会社だって知ってるかな?」
優しさを通り越して、まるで子ども扱いだなと思いながらマースの質問に答える。
「もちろんだ。科学によって生体に反応を起こし、異常を抑える医薬品を作っている。魔力のあるなしに関わらず、万人が使用できるものとして重宝されているものだ」
魔術には限界がある。こと医療の分野においては、俺たち魔術師に出来ることは少ない。
単純な切り傷程度ならば、即座に治すこともできる。詠唱の中には、心身を癒すものもある。が、これはかなり専門的な技術を必要とする。
国内最高峰の医療系魔術師が特級にいるが、いつもなかなか人が育たないと嘆いていた。
そういうこともあり、国民のほとんどは科学を利用した薬に頼る。
協会本部の売店でも、毎年新人が入る時期には、胃薬が売り切れるという事態が起こるくらいだ。
「僕たちの作るものは、だれでも平等に使用できることがモットーなんですよ」
少し引っかかる言い方だった。
俺たちは学院生であり、将来は魔術師になる。そんな俺たちには、まるで魔術が不平等なものであると言われている気がしないでもない。
「どんな薬を作っているんですか?」
ユイトの質問に、マースが「そうですねぇ」と言って答える。
「胃薬とか頭痛薬とか風邪薬なんかの、民間の人が気軽に使えるものから、医療の現場で使われる強い鎮静効果のあるものや、麻酔薬なんかも扱っているよ」
そう言いながら、マースが最初に案内したのは更衣室だった。
「君たち、その学院の制服は目立つから、せめて上だけでもロッカーにしまっておいてくれるかな」
申し訳ないね、とマースに促され、言われた通りにする。
「なあ、なんか雰囲気的に、おれたち歓迎されてないみたいだけど、おれの気のせいかな」
マースが聞いていないことを確認して、ユイトが小さな声で言った。
「いや、気のせいじゃない。が、気にするな」
気にしても仕方がない。
世間の風潮として、一部の人間は、魔術師に反感を持っている。
誰にでも使えない力を独占している、なんて事を思っている人間が一定数いる事は仕方がない。
そして多分、この製薬会社もそんな考えにより運営されている。
ここまで来る間にすれ違った社員の顔を見れば明らかで、皆一様に怪訝な顔をしていた。
あからさまではないにしろ、気にしても仕方がないのだから無視しておくのが一番だ。
「じゃあ、君たちの仕事場所を案内するね」
と、マースの後について建物内を移動。向かったのは最上階のフロアだ。建物のロビーからこの最上階までは吹き抜けになっていて、見下ろすと結構な高さだった。
「二人にはこのフロアで清掃と雑用をやってもらう。清掃は空いた時間にでいいんだけど、結構忙しいフロアだから沢山仕事を頼まれるかもしれないから覚悟してね」
ニコリと笑うマースの人の良い笑顔のせいで、この時の俺たちは完全に騙された。アルバイトちょろいぜと思っていた。
フロアはパーテーションで仕切られた区画がいくつかあり、奥は個室となっている。多分偉い奴がいる。
マースがフロアの何人かに声をかけると、そいつらはひとつ頷いて、俺とユイトを見てニッコリした。
「じゃあ、僕は一階の人事部にいるから、後はここの人たちにの指示に従ってね」
手を振りながら去っていくマース。
「ねぇ、早速なんだけどちょっといいかしら?」
「はい?」
話しかけて来たのは、パンツスーツの痩身の女だ。いかにもなキャリアウーマンという感じで、俺の周りにはあまりいないタイプだ。
「この資料、番号順にして30部組んでくれる?」
「は、はいっ」
ユイトが渡された紙の束を見て唖然とした。
「君はこっちで、資料の整理してくれる?日付順に閉じてくれたらいいわ」
と、引っ張られていった角の棚には、ぐちゃぐちゃに突っ込まれた紙の束とファイルがあった。
「それ、終わり次第お茶汲みとトイレ掃除よろしくね」
アルバイトってこんな感じなんですか、世間のみなさん。
俺はすでにめげそうです。
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