第70話 記憶の枷⑧


 ふと目が覚めたイリーナは、自分がテーブルに突っ伏したまま寝ていたことに気付いて慌てた。


 窓の外はまだ薄暗く、朝と言うにはまだ早い。


 正面の椅子には、シエルが静かな寝息を立てている。魔族でもこうして無防備な寝顔を見せるのかと思うと、なんだか不思議な気分になるイリーナだ。


「人間と変わらないのね」


 気品すら感じるシエルの寝顔を見つめながらポツリと呟くと、その長いまつ毛がピクリと震えた。慌てて目を逸らす。よかった、目を覚ましたわけではなかった、と胸を撫で下ろす。


 おばあさんは唯一のソファを占領して、同じように眠っているようだった。


 部屋の奥へ視線を向ける。もともとおばあさんの寝室だが、そこにはレオが眠っている。魔族を倒した後、ひと段落ついた瞬間に倒れてしまったのだ。


 封魔で縛られているのにもかかわらず、あの時レオは固有魔術を使った。いつもレオの使う魔術は、歌うような美しい完全詠唱のものばかりだ。ガサツで粗野な性格をしているくせに、どうしてあんなに綺麗な詠唱ができるのだろうとイリーナは不思議でならない。


 しかし、今回見た固有魔術には、荒々しい圧倒的な力を感じた。その後に使用した魔術も同じだ。


 まるで、「俺を見ろ!特級魔術師の俺を見ろ!」と、必死になっているような、そんな荒々しさがあった。


 いったい誰に見せつけたかったのだろう。


 と、それとなく寝室の方へ視線を向ける。


 ドアが開いていた。


「……レオ?」


 不思議に思い、感覚を研ぎ澄ませる。獣化の影響で鋭くなった嗅覚が、レオがいないことをイリーナに伝える。


 どこに行ってしまったのかと、その甘く本能を刺激する匂いを追って、イリーナはソッと立ち上がる。


 どうやら外へ行ってしまったようだ。まだ回復していないはずであり、ましてこんな早朝にどこへ?と、気になったイリーナは、迷わず家を飛び出した。


 家の裏から山の中へと続く細い道を早歩きで進む。


 レオの甘い香りは、その先へと続いていた。険しくはないが薄暗い。木の根や飛び出した岩に躓きながら歩を進める。


 しばらくすると、少し開けた場所に出た。


 ポッカリ穴を開けたように、そこだけ木々の屋根がなくなっていて空が見えた。その先は崖になっていて、眼下にうっすらと川が流れているのが見渡せる。


「イリーナ?」


 名を呼ばれて振り返れば、白いシャツに制服のズボンだけの格好をしたレオがいた。手にはどこで摘んできたのか、白い花を数本持っている。


「良かった。動けるようになったのね」


 死んだように眠ったままのレオを見ていたからか、その声を聞いて少し安心した。


 だが、剥き出しの肌にはまだ封魔のアザが色濃く残り、それが彼を人間とは違う別の生き物のように見せている。


「悪いな…お前にはいつも、ダッセェとこばっか見せてる」


 照れたように笑うレオにつられて、イリーナも薄く微笑む。


「今更でしょ。それに、格好よかったよ。あたしもあんな風に強くなりたい。特級魔術師になりたいって強く思った」


 素直な気持ちを言葉にする。イリーナは、本当にそう感じた。


「何言ってんだ?俺がカッコいいのは当たり前だろ」


 レオが憎たらしい笑みを浮かべてぶち壊すような事を言うが、今だけは心広く受け止める。また話す事ができた喜びの方が大きいからだ。


「何をしていたの?」


 目が覚めてすぐに、こんから山の中にいるのだから、何か重要な事なのだろうと思う。


 しかし、レオの返答は予想していないものだった。


「アイリーンに会いに」

「え…?」


 何度も聞かされた名前。


 魔族が襲ってきても、集落の住人が慌てていても、一切姿を見せなかった固有持ちのその人にやっと会えるのかと、イリーナは少し期待した。


 『金獅子の魔術師』として国内で名を知らぬものはない、歴代最強といわれる特級魔術師に、勝てないと言わしめる女性。


 黒い長い髪が美しいとレオは言った。歳上の女性なのだから、まだ子どもの自分とは違う魅力に溢れているのだろう。なにせ、クズで女遊びの激しいレオが、その人の話をする時だけは、年相応の男の子の顔をするのだ。


 気にならないわけがなかった。


「久しぶりだな、ねぇちゃん」


 レオが崖の淵へと歩く。そっと、手に持った花を置く後ろ姿に、イリーナは信じられない思いだった。わかってしまったのだ。


「そんな……」

「ビックリした?」


 振り返ったレオは、やっぱり憎たらしい笑顔で。


 イリーナの目に涙が溢れた。


「一応ここはアイリーンの墓なんだ。前はもう少し、土も盛り上がっていたんだが」


 やれやれとレオが見下ろす地面は、たしかに少し色味が違う。墓標も何もないから、そこがそうであると知っているものにしかわからないだろう。


「亡くなってるなんて、思わなかった」


 おかしいと思ってはいた。


 魔族がどうとか言う以前に、弟弟子であるレオが久しぶりに帰って来たというのに、一切姿を見せないなんて事があるのだろうかと。


「アイリーンが死んだのは6年前だ。悲惨な想像をしているのかもしれないところ悪いが、アイリーンが死んだのは病気が原因だ」


 確かにイリーナは、魔族にでも襲われたのかと考えていた。


「魔族や魔獣に襲われたのなら、俺がなんとでもできたんだが、流石の俺も病気には敵わなかった」


 淡々と話すレオに、ただ耳を傾けることしかできない。


「アイリーンには固有魔術があって、その能力は〈全知〉と言った。っても全部わかるわけじゃなくて、知りたい事やそうでない事にかかわらず、突然わかってしまうって言ってた。まあでも、俺の知る限りアイリーンほど知識のある奴はいない」

「とんでもない能力ね…嫌なこともわかっちゃうんでしょ?」


 必死に涙が流れないように堪えながら、イリーナは平静を装って言う。


「そうだ。例えば俺が将来、魔族と手を組むようになるとか、多くの魔族と闘う事になるとか……自分の死が近いこととかな」


 魔術師であるレオが、魔族であるシエルと手を組んでいるのは、アイリーンの予言があったからだった。魔族でも受け入れてしまえるほど、アイリーンの言葉を信用している証だ。


「この集落も、アイリーンの能力で守って来た。アイリーンが危険を察知して、俺がそれを排除する。今回もそれと同じだ。ヴィレムスの平和を守ると約束したから」

「おばあさんは知ってたのね」

「そうみたいだな。あのババア、やっぱり妖怪なのかもしれない」


 ハハッと笑うレオは、どこか疲れたように肩を落としている。


「勝負してるって言ってたのは…?」


 レオが勝てない勝負とは何か。それは単純に興味がある。


「お前もちっさい時にやったろ?『ねぇママ、これ知ってる?』って。俺とアイリーンの勝負は、知識の量だ。アイリーンの知らない事を言ったら俺の勝ち。まあ、固有の能力とかもあって、俺が勝ったことは一度もないけど」


 今のレオの魔術に対する知識の深さは、もともと単純な勝負から始まっているようだった。


 しかし、全部わかるわけじゃないのだから、アイリーンとて必死に勉強していたに違いない。努力も込みでレオに優っていたのだから、アイリーンは生きていればそうとう優秀な魔術師になっていたはずだ。


「もしかして、いつもレオが言っている、『魔術は芸術だ』ってやつも、その人が?」

「そ。詠唱も円環構築も、魔力コントロールも全部、アイリーンがその意味を教えてくれた。正直ザルサスなんかよりよっぽどわかりやすかった」


 そう言って、レオはその時の事を話してくれた。


 レオがこの集落へやって来たのは6歳の頃だった。アイリーンはその時18歳で、ザルサスの弟子としてすでに魔術を学んでいた。


 弟弟子としてレオはアイリーンと共に魔術の使い方を学ぶが、固有の能力があるからと真面目に学ばないレオに、ある時アイリーンが言ったそうだ。


『魔術は芸術と同じ。自分勝手に使うものではなく、誰かを守り幸せにするもの』と。


 そんな優しいアイリーンに、徐々に心を許したレオは、彼女との勝負に負けないためというのもあり、努力を重ねた。


「特級魔術師になろうと思ったのは、アイリーンが死んでからだ。その頃シエルと出会って、2年かけて協会に入った。特級になれば、アイリーンよりたくさんのことが知れると思ったし、実際色々わかったけど、それでも俺は多分、アイリーンには勝てない」


 死んでしまったから、と、呟く声が聞こえた。


 そこまで話して、レオはひとつため息を吐く。


「〈地に咲きし花、新緑の蒼葉の囁き、星界の海、降り注ぐ陽光の駕籠の元、魂なき者に永遠の平穏を与えよ〉」


 思わずうっとりする歌うような詠唱は、ナターリアに古くから伝わる死者を想うものだ。しかしそこに、悲しい響きはなかった。


 明るくなりはじめた空や、静かに佇む木々の間に、淡く輝く光の球がゆらゆらと舞う。


 力のある者の詠唱は、奇跡を起こすと言われている。


 幻想的なその光は、夏にいっとき舞う蛍のように儚く舞って、やがて消えた。


「さてと、辛気臭い話は終わりにしよう……って、お前ほんと泣き虫だよな」


 ちょうど地平線に顔を出した朝日を背に、振り返ったレオが笑う。


「女の子泣かせた責任とってね」

「どんな責任だよ……」


 と、笑いながら近付いてきたレオが、ポンポンと優しくイリーナの頭を撫でる。


「ちょ、やめてよ!?」

「は?女子はこれが好きなんだろ?」

「うわっ、計算でやってんの?信じらんない!」

「でもこれで大抵の女は落とせる」


 せっかくの詠唱の余韻が台無しだと、イリーナは思う。なんでこんなやつがモテるのか、とも思う。


「最低。でも、確かに嫌じゃないよ。あんたの手は優しくて好き」


 そう言えば、レオは一瞬動きを止めてイリーナを見た。戸惑ったような表情に、今度はイリーナがニヤリと笑う番だった。


「嘘よ!あたしがあんたみたいなクズ好きになるわけないでしょ!!」


 んべぇ、と舌を出して笑う。


「は?別にお前に好かれようがどうしようがどうでもいいが」

「そう?ちょっと焦った顔してたよ?レオでもそんな顔するのね!」


 お前なあ!と、怒り出すレオから逃げるように、イリーナは来た道を戻る。


 いつも大人ぶっている元特級魔術師も、自分の前では子どもみたいな態度を取る。イリーナはそれがとても、嬉しかった。


「そういや、俺どれだけ寝てた?」


 家に戻ると、玄関の前でレオが聞いてきた。


「えっと、丸二日かな」

「じゃあここに来て五日目の朝ってことだよな」


 ニヤニヤとして言うレオに、イリーナは首を傾げる。何を企んでいるのだろうと、次の言葉を待つ。


「明日、実力テストだな。ま、俺はまた一位取れるけど、イリーナは……お疲れ」


 サッと爽やかに片手をあげるレオ。


 逆にイリーナは、サッと血の気が引く思いだった。


「ああああああっ!?!?ど、どどど、どうしよう!?」

「どうしようって、俺は言ったよな?」


 ドヤァとイリーナを見るレオの顔を、思いっきり殴りたくなる。


「教えて欲しいなら、俺の時間を金で買えよ」


 わざとらしく右掌を差し出してくるレオに、イリーナは涙目で叫んだ。


「このッ、クズ野郎おおおお!!!!」







 アイリーンの墓参りを、実に四年ぶりに済ませて、その日の昼にはヴィレムスを出ることになった。


 イリーナがテストがどうのこうの言っているのもあるが、あまり長居したい場所でもない。


 何かあるたびにババアに小突かれるのはごめんだ。


「本当にすまない」


 見送りに来た住人は、ほんの数人だったが、その中でもグイルはとても落ち込んでいた。


「気にするなって言ってるだろ」

「でも、」

「パパ!」


 執念く謝るグイルの言葉を遮ったのは、厳ついコイツに似合わないくらい可愛らしい顔の息子だ。


「シュウ、邪魔しちゃダメ」

「んー?」


 トコトコと歩き回るシュウを母親が宥める。


「グイルに息子って、マジで笑えるんだが」

「お前だってもう少ししたら結婚とかするようになる」


 少し笑顔を取り戻したグイルは、足に縋り付くシュウの頭を大きな手で撫で回す。


「俺にはムリ。大多数と遊ぶ方が楽だ」

「クズ」


 イリーナが一言呟いたが無視しておく。


「それに、魔術師は結婚しない奴が多い。いつ死ぬかもわからんし、常に何かを探究する俺たちに、家族は邪魔なだけだからな」


 フェリルの初婚年齢の平均は、地方の街よりも高い。魔術師が多く住んでいる事が要因のひとつだ。


 それに伴って、フェリルの合計特殊出生率も低い。まあ、田舎は他にする事がないんだろうな、とどうでもいい事を考えた。


「寂しい職業だな」

「米作ってるよりかは退屈しない」


 フン、とグイルが鼻を鳴らす。


「にーに、抱っこ」


 その時、辿々しく歩くシュウが俺の足に抱きついて来た。


「抱っこ?この俺に抱っこしろなんて、贅沢な奴だな」

「え、あんた抱っこできるの?」

「それくらいできる!!」


 イリーナは俺をなんだと思ってるんだ?


「よっこいせ」


 片腕に尻を乗せるようにして、シュウを抱き上げる。意外に重い。あと、バランスの悪い肉付きの身体は、意外と抱き心地が良い。


「「似合わない」」


 そんな俺を見て、イリーナとシエルの声が被った。


「うっせぇよ!つか、この『金獅子の魔術師』様が抱っこしてやったんだから、立派な大人になれよ。クソみたいなことしてたら、俺が鉄拳制裁してやるからな」

「シュウくん、こんなクズな人間になっちゃダメだよ?人生終わるよ?」


 酷いけど言ってることは正しい。


 シュウは無邪気に笑い、俺の髪を引っ張って楽しそうだ。


 少しして降ろしてやり、今度はババアに視線を向ける。


 ババアは不機嫌そうに鋭い眼光で俺を睨んでいた。


「じゃあ、元気でな、ばぁちゃん」

「わしが生きとるうちにまた来なさい」

「絶対嫌だ」


 そもそも、しばらく死にそうになさそうだし。


「んじゃ、帰るか」


 そう言ってシエルを見る。


 頷いて答えたシエルの腕に触れ、俺たちはあっさりとヴィレムスを後にした。


 次に来るときには、俺はもっと知識を得てアイリーンに勝つ。


 それは俺を戒めるための枷だ。


 もう勝つことはできないけれど、負け続けるのはシャクだ。俺はその勝負のために努力し続けなければならない。


 アイリーンはもしかすると、俺を堕落させないためにそんな勝負を仕掛け、努力させ続けるためにあえて決着をつけないまま死んだのかもしれない。


 まったく、酷いねぇちゃんだぜ。

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