第68話 記憶の枷⑥
★
ヴィレムスに来て二日目。昨晩の戦闘の所為で疲れていたイリーナは、思いの外ぐっすり眠ってしまったことに焦った。
階下からはレオと、ザルサスの母であるおばあさんの声が聞こえてくる。
シエルの気配はしなかった。獣化の影響で、シエルの魔族っぽい匂いを嗅ぎ分けられるイリーナは、内心で顔を合わせなくてすんでホッとした。
「お前さん、いつになったらアイリーンに会いに行くんだ?」
おばあさんの声には、呆れたような響きがある。
「さあ。そのうちな」
「意気地無しだね全く。お前が行けば、あの子は喜ぶよ」
「ねぇよそんなこと」
「特級魔術師になったんだろ?」
「ばぁちゃんが広めてんだろ。あんまし言うなよな。一応機密なんだからさ」
「こんな閉鎖的なとこで、機密もクソもないよ!!大体、お前の力のことはここの住人みんなが知っておる」
カチャカチャという食器が触れる音と、水が流れる音が混ざる。レオが洗い物でもしているのがわかるが、似合わなさすぎて面白いなとイリーナは思った。
「あん時はただ、この力を使う自分が普通だったし、できない奴らを見下していたが……俺はガキだったなってわかったよ」
「今でも十分ガキだろう」
「そりゃばぁちゃんに比べたらな。妖怪には勝てない」
パシッ
「イッテ!?何だよ、あんたら親子で杖を武器にしやがって!!」
「……まだアイリーンとの勝負を続けておるのか」
おばあさんがそう言うと、一瞬レオの動きが止まった。しばらくして、何事もなかったかのように洗い物を再開した音が聞こえてくる。
「そ。勝てない勝負なんかすんじゃなかったよ。あいつに会いに行ったら、また勝ち負けを競わなきゃなんなくなるだろ」
「もう十分、お前さんの勝ちだとわしは思うがな」
レオは何も答えず、ただ自分の仕事を黙って続けている。
イリーナは、そのアイリーンという女性が気になっていた。レオが勝てないと言うその女性は、魔族に狙われるほど強力な固有魔術を持っている。
それなのになぜこんな山奥の集落に住んでいるのだろう?
多くの魔術師は、自身に魔力があることを知った時、学院に入って協会魔術師になることを選ぶ。
学院の学費は無料で、魔力さえ有れば入れる。確かに危険な職業ではあるが、だからこそ収入は安泰だ。
強力な固有魔術を持っているのなら尚更、協会へ入る方がいいはずだ。
もうひとつ気になるのは、そのアイリーンという女性とレオの勝負についてだった。
あの『金獅子の魔術師』と勝負など、イリーナには到底考えられないが、アイリーンは未だにその勝負を続けていて、さらにはレオに勝っているのだという。
それも、封魔で力を抑えられる前の、本来のレオに。
勝負にも色々あるが、カードゲームでだってレオには勝てそうにないなとイリーナは思った。
なぜならレオはクズで、平気な顔でイカサマでもなんでもするからだ。
そういう人間と渡り合っていけるアイリーンは凄い。
と、若干的外れな感慨に耽っていたイリーナだが、家のドアをノックする音で思考を中断した。
★
☆
ドンドンドアを叩きやがるのは誰だと開けたら、グイルが息を切らせて立っていた。
その後ろには何人かの人間がいる。かつて魔力持ちの俺とやり合った、グイルの取り巻きたちだ。
「なんだ?」
みんな青い顔をしている。
「レオ、た、助けてくれ!!」
「はあ?」
顔を見るなり、グイルは俺の肩を掴んで叫んだ。
「シュウが魔族に連れて行かれた!」
魔族?
昨日の襲撃にキレて直接手を出して来たのか。それならそれで構わないが……
「シュウって誰だ?」
この小さい集落の中、たった50人くらいしか住んでいないのだ。俺の知らない人間はいない。
「息子だ……」
「息子!?」
4年帰っていない間に、悪ガキだったグイルが結婚しているというのも驚きだが、息子がいるとはさらに驚いた。
「まだ二歳なんだよ…お願いだ、レオ。息子を助けてくれ!お前は凄い力が使えるだろ!?」
途端に、俺の中で何かが冷めていった。
お前はその凄い力をよく知らないで、散々俺に突っかかって来たくせにと。今だって魔術師がどんなもんかも知らず、ただ関わらないようにとでも考えていたくせに、いざとなれば縋り付いてくるなんて虫のいい話だ。
「助けに行こう、レオ」
いつのまにか背後にいたイリーナが言った。相変わらず正義感の塊みたいな表情で、自分がただの学院生だということを、時たま失念する。そしてそれはまさに今もだ。
「わかってるよ」
昔の俺なら、なんでこんなやつのためにと思ってたかもしれない。
それを変えてくれたのはアイリーンだった。力のあるものは周りを助けなければならないなどと、偽善もいいところだ。
俺たちが育ったこの集落で、アイリーンを裏切るようなマネはできない。
「魔族はなんか言ってたか?」
「え、いや、特には何も……」
グイルは視線を泳がせながらそう答える。
「そっか、まあいい。イリーナ、ちゃんと援護しろよ」
「わかってるわよ」
昨日の戦闘で、イリーナの実力もわかった。いつのまにか戦闘に臆することもなくなったようだ。熊の魔獣を倒してから、イリーナはちゃんと成長している。
それが少し嬉しい。イリーナには言わないが。
「〈第七の瞳、全能なる瞳、余すことなく映し出せ:遠視〉」
詠唱と共に、円環構築が完了。それは俺を中心にして、グイルたちをすり抜けて広がっていく。
「うわっ」
「ひっ!?」
集落の人間は、魔術に触れる機会が少ない。だから俺の構築した円環を見て、驚いて情けのない声を上げている。
「川の上流の、滝にいるな。シエルが先に向かってるようだ」
「あたしたちも行こ」
「ああ」
家を出る前にグイルと視線を合わせる。
「心配するな。魔術師は万人を救うためにある。お前の息子は、俺が無傷で連れて帰るよ」
「……すまない」
グイルは必死だ。それもそうだろう。家族が危険に晒されれば、誰だってそうだ。
だから俺は黙って魔族を追う。たとえグイルの目に、迷いや恐怖、安心感が浮かんでいても。
「〈転移〉」
イリーナの手を掴み、無詠唱で発動した〈転移〉は、封魔の呪いを刺激することなく目的地へ俺たちを運んだ。
☆
目的の滝がある場所から、少し下ったあたりに降り立った。
あたりに濃厚な魔族の魔力を感じ取ることができる。ひとつは慣れ親しんだシエルのものだが、他にもあと二つ。
相手の魔族は二人組だ。
「はやくあの人の子どもを助けないと」
生き急いでいるイリーナだが、戦闘前に偵察するのは基本中の基本だ。
「イリーナは戦闘能力はあがったが、冷静さはマイナスのままだな」
「うるさいわね!あんたみたいに、ずっとニヤニヤしてられる方がおかしいのよ」
「……心外だ。別にニヤニヤしてるつもりはないのに」
と言いつつ、心当たりがないわけでもない。
俺はどうも、危機的状況に陥るほど笑えてしまう、頭がおかしいと言われても仕方がない変なクセを持っている。
「とにかく落ち着けよ。急がなくとも、本当は子どもなんていない」
そういうと、イリーナは一瞬ピタッと動きを止めた。
「……どういうこと?」
「だから、魔族は子どもを攫ってない。俺はさっき〈遠視〉を使っただろ」
〈遠視〉は、任意の範囲を映像として脳内に情報を送り込む。それで魔族を見つけたのだから、当然その周囲の映像も把握している。
「じゃあ、あの人はなんでそんな嘘を言ったのよ!?」
イリーナはお怒りだ。グイルは嘘をついて、俺たちを敵の前に放り込んだのだから当然か。
「多分、グイルには本当に子どもがいて、いう通りにしないと殺すとか言われたんだろ。子どもを拐われたと言えば俺たちは動く。でも実際には、魔族はそんな面倒なことをしなかった」
「そんなこと……」
「魔族の目的は当初から変わっていない。固有の力を持つものが必ず子どもを助けにくると踏んで、そうしたんだろう」
昨日魔獣を襲撃したから、魔族たちはそれなりに準備をしているはずだ。
罠を張って誘き出したつもりなのかもしれない。
だが、相手はこの俺だ。
考えが甘すぎるぜ。
「どうすんの?」
「俺にまかせろ」
このヴィレムスに来ることを決めた日の内に、ダミアンから小瓶に入った薬をいくつかもらっておいた。
それを制服のポケットから取り出す。
「何よ、それ…不気味な色…」
イリーナが不審な顔で見つめる中、俺はそれを一本飲み干す。相変わらず味はしない。今度イチゴ味でもつけてくれるように提案しようかな。
周囲の魔力を感知。
魔族は滝の下にいる。そこまでの距離は100メートルも無いが、あっちは俺たちに気付いていない。子どもを拐ったことにしているからか、いきなり攻撃されたりしないと思い込んでいるようだ。
滝までの木々の間には、昨晩倒したのと同じ魔獣が潜んでいる。それとプラスで、足止め用の罠を仕掛けているようだ。
正直言って、ものすごく雑い。
魔力感知さえできれば回避可能なものばかりだし、それにあぐらをかいているのだ。たいした奴じゃないな。
「行くぞ」
「え?」
イリーナは戸惑ったが、無視して歩き出すと後をついてきた。
隠れている方がバカらしくなってきた。
「そういえば、イリーナは特級になって俺を超えるんだよな?」
「そうよ。それがどうしたの?」
「今日は調子が良いから、特別に特級の俺を見せてやるよ」
「は?」
ニヤリと笑って、俺は魔力を練り上げる。
本当は、この地でアイリーンに見せたかったのかもしれない。俺の方が勝ったぜと言いたかったのかもしれない。
国内最高峰の協会で、たった12人しか選ばれない特級魔術師になった俺を、見て欲しかったのかもしれない。
まあ、クビになったけどな。
「〈解術〉」
歩きながら片手をあげる。流れる魔力があたり一帯の魔術的な罠を全て破壊する。
「っ、今のって、リアに教えてた…?」
「そう。俺くらいになると、広範囲の魔術的な仕掛け全部壊せるんだぜ」
イリーナの声が震えている。でもそれは恐怖じゃなくて興奮だ。魔術師は未知の力をもとめる好奇心の塊だ。イリーナもまたそんな魔術師の一面を確かに持っている。
「んじゃあ突撃しますか!」
「突撃って、」
「〈吹き飛ばせ〉!!」
俺が言うと、前方の針葉樹が突風でもって薙ぎ倒される。それは強力な風の渦を巻き起こし、木々を巻き込みながら滝へ突っ込んだ。滝壺から水柱が上がるのが見える。
「無茶苦茶な……」
「それが特級魔術師なんだぜ」
本当に不思議なんだが、こんな魔力を使ってるのに身体が楽だった。
ダミアンは天才かもしない。
「誰だああああっ!?!?」
滝壺の方から、怒りに満ちた怒鳴り声が聞こえた。女の声だ。
「いきなり何すんだああああ!!出てこいクソやろおおおおおお!!」
滝の上空へ飛び上がった魔族の女は、キョロキョロと辺りを見渡す。その結果、無事に俺の姿を発見した。
「貴様ァ!!いきなりなんてことしゃがんだ!?」
「ずいぶんな言いようだが、先に手を出してきたのはお前の方だろ」
「っ、貴様がここの固有持ちか!?」
今までの怒りはどこへやら、魔族の女は高笑いを始めた。
「そうか。少々作戦は狂ってしまったが……見つけたぞ、固有持ち!!大人しく我に喰われるのだ!!」
俺は確信した。
この魔族の女はアホだ。
「ぶっ潰して挽肉にして、我が美味しく戴いてやる!!」
魔族の女が片手を振る。強力な魔力が周囲に干渉し、山肌が隆起する。それはガガガガッと地鳴りを伴って、俺たちの方へ押し寄せた。
「レオ!」
「問題ない。〈空絶〉」
展開した空気の防壁が、隆起した地面を押しとどめる。俺とイリーナが立つ地面だけがキレイに残り、周りの景色が一変した。針葉樹の立ち並んでいた山は、茶色い地肌が剥き出しとなる。
「なっ!?貴様ァ……流石は固有持ちではあるな……」
なんだか感心したようにひとつ頷く魔族の女。
「なんかあいつ、ちょっと可愛げあるな」
「あんたは女ならなんでもいいのね、変態」
そういうつもりはないのだが、イリーナの冷たい視線が痛い。
「僕もレオの好みはよくわからないよ」
「シエル!」
やれやれと首を振りながら現れたのはシエルだ。
「どこに行っていたんだよ?」
「もう一人の魔族を追っていた。途中で逃げられたけど」
そう話している最中に、上空の魔族の女の元にその魔族が合流した。
「ミュラ!ヤバいよ!あれ、ブランケンハイムのシエルだ!」
強気なキツい顔の女魔族とは対照的な、気弱でおどおどした男の魔族だ。可哀想なくらいに怯えている。
「ブランケンハイム…?ハッ!!あの!?」
「そうだよぉ〜もうやめようよぉ〜」
「うるさいっ!我はやめぬ!!あやつを喰ってやるのだ!!」
ムリだよ〜と、男の魔族が言う。
それを無視して、女魔族が右手を振り上げる。その動作に合わせて浮き上がった岩が空中で一度静止。
「ブランケンハイムもろとも死ね!!」
振り下ろした右手とともに、高速落下を始める岩。
「〈業火でもって、焼き払え:炎撃〉」
それを四級魔術でもって全て焼き払う。岩をも溶かす灼熱の業火だ。単純な構造の四級魔術でも、この俺が使用すれば最大の効果を発揮する。
「んなっ!?そんなバカな!!」
「ヒィィイ!?」
驚いて声を上げる魔族たちが、業火から逃れるように側方に退避。
が、そこには、イリーナを抱えたシエルが迫る。
「〈真空、一閃の刃、顕現せよ:風刃〉!!」
短刀に纏わせた風の刃を、肉薄した女魔族へ突き出すイリーナ。同時に、もうひとりの魔族へ〈黒炎〉を叩き込むシエル。
「クソがああああっ!!」
怒りに任せて叫ぶ魔族の身体が、無惨にも斬り裂かれる。
ジェネシスの部下だと言う割に、えらくあっさりと倒せてしまった。
まあ、魔族って言ってもピンからキリまでいるわけだし、シエルのように強い魔族は少ない。それでも、魔術師たちは魔族に遅れをとっていることは否めない。
今回の魔族でも、頭があれば十分脅威だ。逆に、アホだからジェネシスに切られたのかもしれない……というのは考えすぎか?
「ちょっと!!変なとこ触らないでよ!!」
「触ってないし触りたくもない!!」
すぐ真上からシエルとイリーナの声が聞こえてそっちを見れば、無造作に抱えられたイリーナがシエルの腕を振り解き、ぴょんっと着地。翻ったスカートを押さえるのを忘れない。
「また派手にやったね」
俺の隣に降り立ったシエルが、あたりの惨状を見回して言った。
というのも、整然と立ち並んでいた針葉樹林はキレイさっぱり刈り倒され、深く抉れた地面が剥き出しになった山肌は、巨大なドラゴンが寝転がって暴れたみたいになっていた。
「こんな事ばっかりやってたら、そりゃ協会にクレーム来るわよ……」
イリーナが呆れて言う。
でも仕方なくない?
大体、8割は魔族がやったんだから、俺は悪くなくない?
「自分は悪くないぞって顔してるの、バレバレなんだからね」
「えっ?ウソだ」
イリーナの指摘に、表情を改める。深刻そうな顔にしておこう。
「あいつら、ヴィレムスの固有持ちのことなんにも知らずに来たみたいだな。俺の顔も知らないようだった」
自慢ではないが、俺は魔族の間では結構有名だ。それだけ魔族を相手にしてきたからだ。人間の間では顔も知られていないのに。
「その程度の魔族だったってことだよ。僕も知らない奴らだったし」
「魔族にも色々あるのね…大変そう」
変なところで感心したように声を上げるイリーナに、俺もシエルも思わず吹き出した。
「ちょっと、なんで笑うのよ?」
「いや……イリーナが変なこと言うから」
「だ、だって、そう思っちゃったんだもん」
それに、と続ける。
「知らない事ばっかりだなって思っちゃった。魔族のこともだけど、レオの力とか産まれ育った場所とか、全部ひっくるめてね。でも少し知れたのが、素直に嬉しい」
ニッと笑うイリーナは、俺には少し眩しい。純粋な好奇心と、新しいことを知っていく喜びなんかを、そういえば俺はしばらく忘れていた。
「さてと、魔族は倒したし、あとは魔獣の残党を片付けてしまおう」
シエルがそう言って、辺りに視線を巡らせる。
隆起した岩に押しつぶされた魔獣もいるが、逃れたやつらがヴィレムスに向かえば大変だ。
「多く倒した方が勝ちな」
「いいよ。まあ、魔族の僕には勝てないだろうけど」
「おいおい、俺を誰だと思ってんだ?」
「クビになった元特級魔術師」
「……お前負けたら土下座しろよ」
同時に、中指を立てて睨み合う。
「え、ちょっと、何よあんたたち!」
イリーナが戸惑って言うが、その声が合図となった。
俺とシエルは別々の方へ走りだす。置いてけぼりをくらったイリーナが、「いい加減にしなあさいよ!!」と叫ぶ声が風に乗って辺りに響いた。
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