第67話 記憶の枷⑤


 ババアは俺たちが用を済ませる間、二階の空き部屋を提供してくれる事になった。


 もともと俺が使っていた部屋で、ザルサス少年の部屋でもあったところだ。


 俺たちがいる間、ババアは食事を俺に任せた。昔ここで世話になっていた時は、それは俺の仕事だったから別に苦ではない。


 基本的にこの集落では自給自足が前提で、夏の間に狩りと農業をして、冬は寒すぎるので家に篭る。


 ちょうど今の時期は、田んぼの水の張り具合の確認と、野生の動物を狩って時間を潰す。フェリルの都会的な流れるような生活とも、イリーナの故郷の活気あふれる生活とも違う。


「ねぇ、結局何しにきたのよ?」


 狩りをして来ると言って、再び山へ入った俺たち三人だが、イリーナが不安そうな顔をしだした。


「簡単に言うと魔族退治だ」


 針葉樹の立ち並ぶ木陰で立ち止まり、シエルと眼を合わせる。


「魔族退治って?ここに魔族が現れるの?」


 シエルは俺に似せて色を変えた瞳を、鋭く辺りへと向ける。魔力が流れ、辺りを覆うのが感覚的にわかった。


「そう。だから俺たちは、この集落を守るために来た。仮にも世話になったところだからな」

「ここにレオが、ザルサス様と住んでいたのはわかったけど……さっきおばあさんが言ってた、アイリーンって?」


 シエルが軽く頷いた。目線で示す先は、山を降った方向だった。そっちには、山から流れる湧き水が寄り集まってできた川と、寒々とした平原がある。


「アイリーンはザクサスの娘だ……っても血の繋がりは無いけど。アイリーンには才能があったから、ザルサスが引き取って育てていた。実の娘みたいにな。俺はその弟弟子として引き取られた」


 イリーナはなんとも言えない表情をした。


 そういう顔をされるくらいには、俺の境遇は複雑だ。それは認めよう。


「ザルサス様は、どうしてそんな……」

「アイリーンには固有魔術があった。俺にも。ザルサスはそういった才能を、無駄にしたく無いと思ったんだろ」


「アイリーンさんもここにいるの?」


 またシエルが魔力を練る。今度は少し硬く仰々しい感じの魔力だった。


「ああ。いるよ」

「どんな人?」


 フッと肩の力を抜いたシエルが、首を捻ってから澄ました顔で俺を見た。僅かに、ポキッと音がした。


「綺麗な黒い髪の色白の女だ。清楚な容姿のクセに、性格は大胆で口うるさい」

「そうなんだ……会ってみたいな」


 なんでそんなことを思うのかは知らないが、イリーナは楽しそうだ。


 これから魔族が襲って来るってのに。


「そのうち会わせてやるよ」


 ニコニコしているイリーナに、俺も同じように笑う。


「それより、今日の獲物を捕まえよう。僕はレオと長い付き合いだけど、手料理は食べたことがない」

「お前も食うのかよ」

「人間のフリをしなくちゃいけないからね」


 それもそうだ。


「〈第七の瞳、全能なる瞳、余すことなく映し出せ:遠視〉」


 俺の詠唱は、周囲2キロくらいの範囲を脳内に映し出す。


 狩りには不誠実かもしれないが、生憎俺たちには時間がないんだ。


 魔術を行使して、なんの苦労もなく兎を二匹捕まえた。その場で皮剥と血抜きをしてしまう。ナイフを持ってきてよかったな、とか、どうでもいいことを考えていた。


 昔ここに住んでいた頃、俺の生活の大半は魔力でなんとかなっていた。


 狩りも、捕まえた動物の処理も、解体も料理も、全部。一度アイリーンがやって見せてくれた事はなんでも魔力で再現できた。


 そんな俺にアイリーンは、自分でやらなければ意味ないの、と言って怒った。それから、俺は何度か自分でやったけど、アイリーンの見ていないところでは魔力を使い続けた。


 我ながら酷い弟弟子だと思う。


 集落に帰るとちょうど昼前で、点在する家々の煙突から煙が出ていた。


 ババアの家に戻る途中、すれ違った男が俺を見て眉をしかめる。


「レオか?」


 とりあえず目があったから話しかけた、というような態度だった。


「お前、老けたな」

「チッ!そら4年もたてばな」


 農業と厳しい自然の中で鍛えた、がっしりした体躯の若い男だ。茶色い短髪で、北部の険しい顔をしている。


 四つ年上のそいつは、グイルというガキ大将だった男で、ここに住んでいた頃は、俺はコイツと何度も喧嘩した。


 もちろん固有魔術を操る俺が負けるわけはない。


「特級魔術師になったんだろ」


 グイルは特に興味なさそうに言うと、俺の制服を見て不思議な顔をした。それもそうで、俺はこの集落を出る時に、協会魔術師になることが決まっていた。


 にも関わらず、今は学院の制服を着ている。ナターリアに住むもので、学院の制服と協会魔術師のローブを知らない奴は残念ながらいない。


「元魔術師だ。クビになったんだよ」


 正直にそう言うと、グイルは盛大な笑い声を上げた。


「クビって、さすがレオだな!村の厄介者は、協会でも厄介だったみたいだ」

「村の厄介者はお前だっただろ」

「レオの方だ!」


 睨み付けてくるグイルだが、ふと視線を逸らす。


「お前が魔術師になるとは思わなかった」


 ポツリと溢したグイルの一言。


 俺はそれに肩を竦めて何も答えずにまた歩き出す。グイルとすれ違う。お互いに、また目が合うことは無かった。


「今の人となんかあったの?」


 イリーナは相変わらずズケズケと聞いてくる。


 それに答えたのはシエルだった。


「こういう閉鎖的な所では、魔力持ちは無条件で忌み嫌われるんだ」

「どうしてよ?」


 ピンときていないようで、イリーナは険しい顔で聞き返す。心なしか歩調が遅くなる。


「普通の人には出来ないことができるからだ。人間は自分と違うものを嫌うでしょう?特に子どもの頃は、自分が理解できないものに対して攻撃する」


 シエルの言う通り、この狭い集落では魔力や魔術について理解が進んでいない。


 何か異質なものとしてだけ捉えられ、特にそれは子どもたちの間で誤った理解を生む。


 大人が誰も、ちゃんと説明しないからだ。いや、大人ですら魔力についての知識はあまりないここで、子どもに説明できる奴なんていない。


 俺やアイリーンは、理解できないものとして忌み嫌われていたが、そうやって子どもの頃には理解できなかったものを、大人になって知ったグイルは、今度は逆に付かず離れずを装う。


 大人になって見える世界が少し広がると、俺やアイリーンみたいな力を持つものが如何に貴重で、ほかの街ではどう扱われているかを知る。


 黒髪ばかり産まれる所に、急に金髪が産まれたら間違いなくハブられる。


 しかし、他の地域では逆に金髪がチヤホヤされているのを知ると、途端に自分たちが間違っていたんじゃないかと思う。


 魔力持ちと、そうでない人の関係も似たようなものだ。


 常識や価値観は自分だけで完結してはいけない。当たり前のことだけど、ヴィレムスのような閉鎖空間ではそれも難しい。


「イリーナが知らないだけで、魔力を持っているからと優遇されるばかりじゃないんだぜ」


 そういった境遇から抜け出すために、魔力持ちは職業としての魔術師を目指す奴が多い。


 協会魔術師というライセンスカードを持っていれば、他人から認められるからだ。


「さてイリーナ。俺はそれなりに忙しい。ついて来たのならお前も働け」

「……仕方ないわね」


 勝手について来ておいて、仕方ないわねとは何事か?


 ババアの家に戻り、食事の用意を始める俺を、イリーナが変な目で見ていたけど面倒だったので無視した。










 深夜、ババアの家を抜け出した俺たち三人は、険しい山道を駆け抜ける。


「昼に索敵して場所はわかったけど、結構な大群で笑えてくるよ」


 走りながらシエルが言った。


 狩りの際に、シエルは魔力でこの辺り一帯を探り、魔族が集まる場所を割り出した。ついでにヴィレムス一帯に魔術的な簡易結界を張り巡らせていた。


 もし魔族や魔獣が侵入した場合、その結界が知らせてくれるように。


 広範囲の魔術を連続で使用しても涼しい顔をしているシエルが、正直羨ましかった。


「川沿いに密集している。少し叩いておくか」


 山を降りると、俺の魔力感知でも、その嫌な気配を感じることができた。魔族ほど力はないようだが、魔獣にしては変な魔力だ。


「叩くって、このまま突っ込むの?」


 魔族であるシエルと、〈強化〉で身体能力を底上げした俺の足に平然とついてくるイリーナが言った。


「嫌ならその辺に隠れておけよ。お前に期待なんてしてないから」

「っ!あたしだってちゃんと頑張って鍛えてきたんだからね!?」

「なら頑張れ」


 そう言ってすぐに川が見えて来た。川幅は結構広く、手前側に黒い影が月明かりに照らされて蠢いているのがわかった。


 俺は〈黒雷〉を手に、より一層スピードを上げて急接近する。


 シエルは一度地面を強く蹴り、空へ飛び上がって詰めた。


 そのシエルが、上空から特大の火球を魔獣の群れへ叩き落とす。川面がキラキラと輝き、魔獣たちが断末魔の悲鳴を轟かせる。


「〈静謐の棺、眠るは獅子の鼓動、目覚めるは双黒の刃、血の誓いの元、我が命に応じよ:黒雷〉」


 詠唱に応えた〈黒雷〉が黒い稲妻を伴って怪しく光る。


 直後、魔獣の群れに突っ込んだ。


 その魔獣たちは、まるで人間のような姿形をしていた。身長は180センチを超えるくらいあり、胴体は妙に細長い。肌は灰色でのっぺりしていて、顔のある部分には黒い穴が三つあるだけだ。


 ドロドロはしていないが、東部の時に見た魔獣と魔力の性質も含めて似ている。


 数が多いから、適当に〈黒雷〉を振るうだけで手足を切り落とすことができるが、まるで痛みを感じないかのように、そいつらは平然と向かって来た。


「〈紫電の檻、地に縫い止めよ:雷縛〉」


 バチチッ


 電流が周囲を流れ、それに触れた魔獣が動きを止める。高電流を流したつもりだったが、少し魔力が足りなかったようだ。


「〈真空、一閃の刃、顕現せよ:風刃〉!!」


 イリーナの詠唱が聞こえ、そちらへ視線を向けると、少し離れたところで猫耳が見えた。獣化が安定してできるようになったようだ。


 短刀に風の刃を纏わせ殺傷力を高めたそれを、流れるような身のこなしで振るう。


 あれ?あいつあんな強かったか?


「何よ!?あたしだって鍛えてるの!!」


 俺の視線に気付いたイリーナが、憤慨して怒鳴った。


「見直したぜ、イリーナ!」


 素直に言うと、イリーナはフンッとそっぽを向く。ただ、尻尾がなんだか嬉しそうに揺れる。


「お喋りしてないであと少し削るよ」


 俺の斜め上に浮いたシエルが呆れて言う。


「わかってるよ!〈静謐の棺、眠るは獅子の鼓動、目覚めるは双黒の刃、血の誓いの元、その力を示せ:紫電黒波〉」


 魔剣を地に突き立て、その力を解放する詠唱を唱える。〈紫電黒波〉は、激しい落雷の音を立てて辺り一面を黒い稲妻で覆った。


 シエルが咄嗟にイリーナを抱えて空へ飛び上がる。


「レオ!!やりすぎだよ!!」

「悪りぃ、ついやっちまった」


 魔獣の大群は殆どが黒コゲで、プスプスと嫌な匂いを放つ煙を上げて転がっている。


「封魔は?」


 険しい顔で怒っているのがはっきりわかるシエルだが、それでも一応心配はしてくれているようだ。


「大丈夫そうだ……今日はなんか調子がいい」

「そうは言うけど、しっかり痣は広がっている。あまり過信しない方がいいよ」


 言われて袖をめくり腕を見る。


 確かに、肘関節あたりまで痣があった。シエルは多分、首に広がった痣を見たのだろう。


「あんた変よ?いつもなら転げ回ってるのに」

「転げ回ってるつもりはないんだが……確かに不思議だ」


 ダミアンとの実験の作用かもしれない。まあ、それならそれで逆に有難いが。


「残りの魔獣は引いたみたいだね。これで全部だとは思わないけど。魔族本人が出て来てくれるのが一番ありがたいのに」

「これで怒って出てくるだろ」


 集まっていた魔獣は散り散りになって逃げて行った。倒した数は半分くらいで、結構な戦力を削ったはずだ。


「終わったんなら降ろしてよ」

「言われなくてもそうする」

「きゃあっ!?」


 空中に避難していたシエルが、抱えていたイリーナを投げた。


 そういうことをするから、シエルはモテないんだぞ!!


 降って来たイリーナをお姫様抱っこというやつでキャッチする。


「あ、ありがと…」


 俺の腕の中で、顔を赤くしたイリーナが小さな声で礼を言う。猫耳がしおしおと垂れ、尻尾が足を支える俺の腕に絡んでくる。


 あれ?ちょっと可愛いぞ?


「何よ?」

「いや、リアにも猫耳があったらなぁって考えてブホッ!?」

「このクズ野郎!!」

「んてことすんだよ!?顔面パンチはダメだろ!!俺の唯一の高評価ポイントなのに!!」

「知らない!あんたの顔なんか見たくない!」


 そういうこというやつは捨てても問題ないと判断して、俺はイリーナを落としてやった。


 イリーナは身軽に着地して睨んでくる。


「痴話喧嘩はやめにして、今日のところは戻ろう」


 シエルの呆れた表情がなんともイラッとする。


「そうだな。また明日も来るだろうし」

「その魔族って、なんでヴィレムスを狙ってるのよ?」


 今更だが、イリーナには言っていなかったと気付いた。


「魔族の狙いはアイリーンだ。アイリーンの特別な力を食うためにヴィレムスを狙ってる。ついでに人間も捕獲して食料にするらしい」

「そんなに強い人なんだ」

「まあな。俺もアイリーンには勝てないぜ」

「えっ!?」


 ウソだ?とイリーナの目が言っているが、俺はそれにちょっとだけ笑う。


 勝てないのは本当だ。俺はいつも、アイリーンには勝てない。これからも。

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