第59話 模擬戦⑨


 協会の外に設置されたベンチのひとつに、深く腰をかけたままどれくらいの時間が経っただろうか。


 ダミアンは掌で弄んでいた小瓶を眺め、それから深くため息をつく。


 見上げた空はすでに暗く、僅かに瞬く星の少なさが、明日の天気を物語っているようだった。


「なぁ、あんた何考えてんの?」


 ふと声をかけられ、ダミアンはそちらへ視線を向ける。


 白金の長い髪が美しく、まるで作られた人形のような容姿のペトロがいた。


 その表情には、疑惑や不審ではなくただ純粋な興味だけが色濃くうかんでいる。


「僕は……別に、なにも考えていませんよ」


 ダミアンは薄く微笑を浮かべて、ペトロに向き合うと答えた。作られたという意味では、ダミアンのその微笑も、どこか定型的に貼り付けられたような雰囲気がある。


「俺はさぁ、別にレオがどうなろうが興味ないんだよね。俺が興味を持てるのは、そいつが持ってる隠したい情報だけ」

「固有魔術がいい獲物ですね」

「そうさ。その通りだ。あとは、そいつの産まれた環境とか、隠したい過去とか…スパイスは引き立てるだけじゃつまらない。ちゃんと当ててやらないと」


 ペトロは出来すぎた作り物みたいな顔で、歪んだ醜悪な笑顔を浮かべる。


「恐ろしい人ですね」

「人じゃないさ。俺たちは魔術師だろ?それこそ、自分の野望に忠実な、腹の中真っ黒な、な」

「間違いないですね」


 魔術師に、素直で正直な人間などいない。皆がそれぞれ、腹の中で牙を剥く蛇のような存在である。


 それをわざわざ確かめ合うような行為に、はたして何の意味があるのか。


「俺はわかってんだよな。あの魔族、最初からレオにぶつけようとしていたんだろ。俺はただ偶然その場に居合わせただけだ」


 ペトロの眼は、まっすぐダミアンのそれを捉えて離さない。


 まるで人形に填められた、ガラスのような瞳だ。


「ハハ、勘違いしているようですけど、僕はレオンハルトさんの敵ではないんですよ」

「そういう奴ほど怪しいんだぜ」

「本当に、僕はレオンハルトさんと敵対したい訳じゃないんですよ」


 ダミアンは相変わらず微笑を浮かべたまま、はっきりと告げる。


「どちらかというと、僕はレオンハルトさんを応援しているんです」

「応援?んじゃあなんだ、あいつは誰かと駆けっこでもしてるって言うのかよ?」


 ペトロがバカにしたように笑う。


「勝ち負けがあると言えば、駆けっこみたいなものかもしれませんね」


 ただし、走者は彼らであっても、月桂樹の冠を被るのは彼らではない。


 ただ走らされているだけだ。魔術師の大好きな賭けに使う犬や豚のように。ケツを叩かれ、決められたコースを走る。勝てばいい飯が与えられ、負ければ殺処分となりその日の主人のディナーになる。


「気にいらねぇ」


 吐き捨てるようにペトロが言う。


「俺の知らねぇ情報があるってのが、死ぬほど気にいらねぇ」

「そうですか。でも、もう遅いですよ。今からベットしたのでは、ズルになりますから」


 すでに始まっている。走らされる犬は、産まれた時からそうなる運命だった。賭けに参加した者は、産まれた瞬間からベットしている。その成長を込みで、彼らは賭けをしているのだ。


「まあいいや。今俺が知ってる情報と照らし合わせれば、あんたらが何やってんのかは自ずとわかるってもんよ。まあしかし……レオはつくづく可哀想な奴だな」


 全く感情を反映させずに言って、ペトロはその場から去って行く。最後に、ペトロは振り返りもせずに言う。


「残念だったな。俺を巻き込んでレオに殺させる気だったみたいだが、あいつは俺を殺しはしない。疑いもしない。なんでかってぇと俺らはあんたより長い付き合いだからだ。俺がやろうと思えば、あいつに全部伝えることもできるんだぜ」


 じゃあな、とペトロは協会の建物の角に消えていった。


 その見えなくなった後姿に、ダミアンはアハハと笑う。


「まったく、困ったことになった」


 どこまで知っているのかわからないペトロを、上手くいけば排除できると思っていた。


 だが、思いの外レオとペトロは信頼関係を築いているようだった。


 そのせいで、ペトロを排除するどころか、要らぬ危険因子として残すことになってしまった。


 ダミアンはまた空を見上げる。


 今は別の事を考えよう。ペトロがどうしようが、もう何も変えることはできないのだ。


 自分にできることは、レースから追い出されようとしている犬を、どんな手を使ってもコースに戻す為に尽力することだけだ。


 簡単に排除されないように。


 支配する者のディナーになってしまわないように。


 ずっと手に持っていた小瓶が、チャプンと音を立てた。


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