第58話 模擬戦⑧


 ひと思いに流し込む。味は無かった。喉を伝う液体を飲みこみ、瓶を投げ捨てる。


「さて、やるか」


 ダミアンが満足そうにうなずいた。


「くれぐれも無茶はしないでください。ほんの少しの効果しかありませんから」

「わかった」


 身体に目立った変化は無いが、まあいい。


 ふう、と一息ついて、俺はまた魔族に向かって走った。


 捕まえることが目的だから、黒雷は必要ないと思って途中で投げ捨てる。


 魔族は、向かってくる俺を真っ直ぐ見ながら、また何かを呟いている。


「れれれ?」

「さっきからキモいんだよ!!」


 飛び蹴りで頭を狙う。俺の足は魔族の頭部をすり抜け、かたや魔族は空中の俺を狙って腕を振る。その腕を両手でしっかり掴んだ。


「っ、ぐぅ!」


 衝撃波をモロに喰らう。叩きつけるような空気が、剥き出しの皮膚や制服を破る。


「れ、れ、お」


 魔族は俺の意図に気付いて、自身の腕ごと地面に叩きつける。背中を打ち付けた俺は、肺を圧迫されて一瞬呼吸が止まり、ついでに捕まえた腕も離してしまう。


「クソっ」


 すぐさま体を起こし、横に転がった。俺がいた場所を、魔族の足が踏み抜く。衝撃波で地面が陥没し、砂や砂利が飛び散った。


「んの、ジッとしてろ!」


 痛む身体を叱咤して、すぐさま魔族に追いすがる。衝撃波を放ち後ずさる魔族の腕を再度捕まえた。


 今度は離しはしない。


 連続で放たれる衝撃波で、掴んだ腕の皮膚が裂け血が吹き飛ぶのも構わず、俺は叫んだ。


「いい加減に、〈消えろ〉!!」


 急速に魔力が消費される感覚。それは俺の封魔というカセも無視して、魔族を上回るのに必要な分の魔力を容赦なく奪う。


 背筋に氷を流したような、どうしようもない悪寒が走った。ヤバい。ただヤバいとだけ思う。


「れれ、レオ……」


 魔族は俺の魔力をまともに食らって、腕から順に弾け飛ぶ。俺が消えろと言ったから、魔族は本当に破裂して消滅してしまった。


 残ったのは、のっぺりした不気味なマスクをつけた頭部だけだ。


「はぁっ、はぁっ、うぐ……」


 固有魔術を使ったはずだが、ダミアンのくれた薬のおかげか、そこまでのダメージは感じない。


 いつものように心臓は痛いし、血管や内臓が燃えるような感覚は確かにあるが、死んではいない。


「レオンハルトさん!!」

「レオ!!」


 ダミアンとペトロが駆け寄ってくる。


「大丈夫かよお前!?今の、お前の固有だよなぁ!?」

「はぁ…そうだ…思ったより大丈夫みたいだ……」


 ペトロが皮膚の裂けた血だらけの俺の両手を見て顔を歪める。


「あんなの出来んなら、最初からやっちゃえばよかったじゃねぇか」


 と言われても、


「確実に仕留めるには、直接叩き込むしかなかった。避けられでもしたら二度は無理だと思ったからな…でも、案外固有使っても死なないみたいだ」


 封魔によるカセがあるから、固有なんて使ったら確実に死ぬと思っていた。


 それでも、今回ばかりはこの魔族を倒さなければと思った。レリシアの仇だから。


「よかった…レオンハルトさんが死ななくて」

「ダミアンがくれた薬のお陰だ」

「……それは良かったです」


 ホッと息を吐くダミアンを他所に、俺は気になっていた魔族のマスクに視線を向ける。


「それにしても、こいつ、なんでこんなマスク付けてるんだ?」

「さあ…取ってみます?」


 そう言うと、ダミアンがそっとマスクに手をかける。


 ゆっくりとまるでハンカチでもめくるみたいにして、ダミアンがマスクを取った。


「なんだ、顔まで縫合痕だらけじゃねぇか。キモいなぁ」


 ペトロがうぇぇと言って眉を吊り上げる。


 魔族の顔は確かにグロい縫合痕でいっぱいだった。


 ただ、そんなことより。


 こいつは……


 俺が前に倒した、あの魔族だった。


 そうわかると、こいつがずっと呟いていたのは確かに俺の名前だし、透過能力を持っているのも頷ける。


 だが、俺は確実にこいつを倒した。それも、こいつが魔術を使う瞬間の隙をついて、今みたいにそれを上回る魔力でもって。あの時は確か、燃え尽きろとか言って燃やした筈だ。


「どうしました、レオンハルトさん?」


 何も言わない俺を、心配そうな顔でダミアンが覗き込む。


「いや……なんでもない」


 シエルに伝えたほうが良さそうだ。魔族に、何かおかしなことが起こっている。


「ともかく、レオンハルトさんは早く傷をなんとかしないとですね」

「そうだな。俺グロくてもう見てらんねぇ」


 オエッと言うペトロに、俺は失礼な奴だなと言おうとした。


 けど、言葉が出る前に、またドクンと心臓が弾けそうなほど脈打った。


「っっっっ、い、」

「!?」


 ダミアンが慌てて何か言った。


 だけど、俺の耳には何も聞こえない。変わりに、キーンと高い耳鳴りがして、頭が痛かった。呼吸とともに、ドバドバと血が溢れて溺れそうだ。


 地面に手をつくと、そこにはやっぱり封魔の痣が禍々しい跡を刻んでいて……


 今度こそ死んだな。


 なんて思った。


 ダミアンのくれた薬は、確かに効果を発揮していたけど、それはただ遅らせるためだけだったようだ。


 もし生きていたらクレームでも言ってやる。


 そう考えながら、俺は自分で作った血溜まりの中に倒れた。







 駆け付けたイリーナが見たのは、広場の中央あたりで血塗れで倒れているレオの姿だった。


 昼食時、学生の校内一時待機と謎の放送が流れ、それを聞いた学生達が戸惑っていると、売店に並んでいたイリーナたちのすぐそばを、血相を変えたバリスが駆けて行った。


「あたし、バリス教官に何があったか聞いてくる」

「え?」

「ダメだよ、イリ。学生は待機って…」


 ユイトとリアが止めるのも構わず、イリーナは走った。


 全力で駆け、バリスに追いついたのは広場までの道を半分ほど行ったところだった。


「バリス教官!」

「っ!?なんだ、イリーナか。学生は校内で待機のはずだ」

「わ、わかってます!でも、レオがまだ来てません…何かあったんですか?」

「お前には関係ない。学生は首を突っ込むな」


 ピシャリと言い切られ、イリーナは一瞬口を噤む。


 しかしそれで諦めないのがイリーナだ。


「あたしはレオの友達として、心配だから聞いてるんです!」

「だから、それが余計なんだ!あいつは今は学生だが、ここを出ればお前が気軽に話しかけられるような魔術師じゃないんだ。協会に入りたいなら、余計な事はしないことだ」


 それを聞いて、少し悲しい気分になる。これでは確かに、レオが頼れる人なんて作ることができないではないか。


「その時はいいんです!あたしが、絶対にレオに追いついて見せますから!!」


 意地だ。レオを特別だと言って世間から隔離してしまうような世界に、彼を一人にはしない。


「ったく、お前ほんと強情だな」

「それはレオにも言われました」


 そう答えると、バリスはひとつ舌打ちをしてからまた走り出した。


 その後を追うイリーナだが、今度は怒鳴られなかった。


「今、広場でレオが魔族と闘っている。その魔族は、多分レリシアを殺した奴だ」

「そんなっ!?」


 だから、バリスも焦っているのだろう。追いかける背中にただよう焦燥感が、イリーナにもわかった。


「仮にも特級を二人も殺した奴だ、レオも無事では済まない。お前はまた、死にかけのあいつを見ても平気なのか」


 それを言われると、かなり苦しいところではある。思えばいつも、イリーナが駆けつける頃には、戦闘はすでに終わっていて、死にかけのレオが倒れている。


「平気じゃないです…悔しい」

「悔しい?」

「……あたしも一緒に戦えない事が…レオを支えてあげられない事が悔しい。特級魔術師だからとか、学生だからと言われたらそれまでですけど、あたしはレオを助けたい」


 それはレオの秘密をたくさん知った、イリーナの決意のひとつだ。


 だから特級魔術師になる。辛い思いをするのが、レオだけじゃなくてもいいように。


「お前……気に入った。必ず、オレがお前を特級にしてやる」

「え?」


 バリスはイリーナの指導をしてくれると聞いている。だが、特級にすると言われると、また心構えが違ってくるような気がする。


 それでも、イリーナは嬉しかった。


「お前がレオを支えてやれ。それだけの強さを手に入れろ。オレができるのは、獣化のコントロールだけだ。あとはお前が、どう強くなりたいかイメージしろ」

「はい!」


 魔術はイメージ。たとえそれは、固有魔術でも同じだ。むしろ固有魔術は、その人がどんな強さを手に入れたいかで大きく変化していくものでもある。


 そのことをイリーナはまだ知らないが、ただただ期待に胸を膨らませる。


 そして、広場へとたどり着く。


 周囲に漂うのは、濃厚な魔力の残滓と血臭。


 それは嗅覚の良いイリーナに、事態の深刻さを伝えるには十分だった。


「レオの…血の匂い」

「っ、あいつ!また無茶しやがったな」


 勢いのまま広場へ駆け込む。


「っ!!レオ!!!!」


 制服が血で汚れるのも構わず、イリーナは倒れたレオの身体に触れる。


 多くの切り傷がつくその頬に触れる。


 冷たい。まるで、死んだ人のそれのように。


「レオ!?」

「やめなさい。動かさないほうがいい」


 イリーナを止めたのはダミアンだ。いかにもデスクワークの似合いそうな、大人しそうな青年。一度あったきりだが、その顔は朧げに覚えている。


「レオっ、死んじゃったの!?」

「まだ息はある。ただ、早く治療しないとどうなるか」

「なら早くしなさいよ!!」

「今ペトロが転移で協会の医療班を呼びに行った。そろそろ戻ってくる」


 取り乱すイリーナだが、ダミアンは冷静だった。


「ダミアン…なんでレオを止めなかった?お前だってレオが封魔で縛られてんの知ってんだろーがよぉ!?」

「レオンハルトさんが自分で決めたんです。僕は一応止めましたよ。でも、レリシアさんの仇ですから」

「っぐ」


 イリーナはレオから聞いて3人の関係を知っていた。殺伐とした協会の中で、戦友のような大切な関係だったと聞いた。


 レオの思いを、止めるなんてことは出来ない。


「だからって…死んだら意味ねぇだろーが」

「大丈夫ですよ、レオンハルトさんは死にません」


 ダミアンは強くはっきりと言い切った。


 今のレオの状態を見て、どうしてそう言い切れるのかとイリーナは不思議に思った。


 しかし、そう願いたい気持ちは同じだ。


「レオ……」


 傷だらけで血に濡れる手を握る。頬よりもさらに冷たい。これだけ出血していれば、それも仕方のないことだが。


 そこで、ふと思い出す。


 そういえば、こういう時にいつも現れるというシエルが来ていない。


「バリス、教官」


 イリーナの小さな声に、バリスはその考えていることを悟る。


 が、ダミアンがいる以上そのことを口に出すわけにもいかない。そもそも、ダミアンがいるからシエルが出てこれないのでは、と思った時だ。


「お待たせしました!!」


 協会の医療班がペトロの転移で現れた。四人の医療系魔術師だ。


「今すぐ応急処置を!!」

「脈が浅い。低血圧状態が続くとマズい」

「〈神の息吹、大海の青、極寒に咲く華、灼熱の地の蒼葉、その命の儚さを知る者よ、我らの声に応えて示せ〉」


 魔術師が詠唱を行う。それは医療系魔術師にしかできない特別な歌だ。


「ペトロ様、今のうちにもう一度転移を」

「はいよー」


 ペトロの無詠唱の〈転移〉で、レオを取り囲む医療班とペトロの姿が消える。


「僕たちも行きましょう」


 ダミアンがそう言って、同じく〈転移〉を発動させる。


 イリーナの視界が、ぐにゃりと歪んだ。


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