第60話 ピニョのデート回①
★
「イリーナ!!集中しろ!!」
バリスが怒鳴るのに反応して、イリーナはスッと身を引き締める。
感覚が鋭敏で、とてもひとつのことに集中できそうにない自身の身体を、どうにかしようと拳を握りしめる。
「お前、今何を考えてる?どうせレオの事だろ?」
ビクッと肩が震えた。その拍子に、限界まで高めた魔力が霧散する。そのせいで、せっかく安定していた獣化が解ける。
「あああああっ!!」
「うっせーな!嘆いてんのはオレのほうだ!!」
バリスがはぁ、とため息を吐いた。
「んなに気にしても仕方ないだろ」
「はい……」
そうは言うが、バリスだって気になって仕方ないクセに、とイリーナは心の中で呟く。
その証拠に、模擬戦があったあの日から一週間、ずっとソワソワしているのはイリーナだけじゃない。
「ともかく、お前は感情に振り回されすぎだ。だから魔力コントロールがうまくいかない」
バリスの指摘に、イリーナはまたもハッとする。前にレオにも同じことを言われた。
「勘弁してくれ。泣くならどっか行け」
イリーナの瞳に浮かぶ水滴を認めたバリスが、ため息混じりにそう言う。しかし、イリーナはその場を動こうとはしなかった。
どっか行けと言われて、素直にそうするほどガキではない。自分にだって意地があるし、負けるものかと思う。
『お前ほんと強情だよな』
そう言った彼の声を、もう一週間も聞いていない。
「あーもう、わかった!今日はこれで終わりだ!明日はちゃんと、気持ち切り替えて来いよ?」
「はい!」
元気よく返事を返し、イリーナは走ってその部屋を出る。そこは協会本部三階の、バリスの仕事部屋だった。
模擬戦の日からずっと、イリーナはバリスの元で魔力コントロールの指導を受けている。
感情に左右されやすく、獣化の影響で鋭敏になる感覚をコントロールするためだ。
それをマスターしないと、自分はまたレオの強烈な魔力に翻弄されて、気が付けば彼の胸に頬を擦り寄せてしまうのだ。
カツカツと硬い床を踏んで一階へ向かう。協会の一階は広いロビーと食堂、その反対側の端に医務室がある。
イリーナはロビーの端にある売店で飲み物と軽く小腹を満たすためのサンドイッチを買った。卵だけのシンプルなもので、それがイリーナのお気に入りだ。
その足で、今度は協会内の寂れた一角へと向かう。
医務室のプレートがかけられた扉の前。小さく深呼吸をしたイリーナは、ガラガラと引き戸を開けてその部屋へと足を踏み入れる。
この一週間、毎日放課後に来ているが、それでもこのシンプルすぎる、薬品くさい部屋には慣れない。
部屋の一番奥。窓側のそのベッドには、もう一週間も目を覚さないレオがいる。
あの日、ダミアンの転移で協会へとやってきたイリーナは、協会の医療魔術師がイリーナにはよくわからない技術や機械類を使ってレオの治療をするのをただただ黙って見ていた。
医療班の誰かが、慌てる声や必死に指示を出す声を、ただただ少し離れた所から見ていた。
レオの状態は、極めて深刻だと言う話だった。
折れた肋骨が肺を損傷し呼吸不全となっている。さらに、その他の内臓の損傷による内部出血がさらにその他の臓器を圧迫していると、結局イリーナにはよくわからない状態により、レオは死にかけているということだった。
「もー、いつまで寝てんの、あんた」
レオのベッドの側に用意された丸椅子に座って、イリーナは眠ったままのその顔を見つめる。
その横顔はまだ青白いままだが、元来持って生まれた造形の美しさは変わらない。閉じられた目蓋を飾るまつ毛は金色で長く、スッと通った鼻筋や無駄のない頬と顎のラインは、女の子ならばだれでも胸がドキドキしてしまうのもわかる。
「なんだか、引っ叩いてやりたくなるよね、あんたって」
そんなこと、本人に直接は言えないが、イリーナの目にはなんとも憎たらしく映るのだ。
はぁ。と、ため息を吐くのは何度目だろう。
特に何も用事はないのだが、バリスの指導終わりは毎日ここへ寄っている。それで、売店で買ったタマゴサンドを食べて帰る。
お見舞いもクソもない。むしろ、レオが起きていたら嫌がらせかと言われそうな行為だ。
もしそう言われたら、嫌がらせよと答えてやるのだ。だってレオには心配ばかりかけさせられているのだから、それくらいの事は問題ないだろう。
「あーぁ、タマゴサンド美味しいのに。食べられないって可哀想」
いつしか独り言も、恥ずかしくないような変な慣れもあった。点滴の針で生かされているような人間に向かって、なんという嫌味だろうと自分でも思う。
まあでも、誰も聞いてはいないのだから、セーフだ。
「なら食わせろよ」
パクッとタマゴサンドを咥えたまま、イリーナは首を傾げた。
幻聴か?あまりに独り言が多いせいで、ついに返事が聞こえてしまうようになったのだろうか?
「フハッ!なんて顔してんだよ…身内でも死んだか?」
「レオ……?」
深い海を思わせる蒼い瞳が、真っ直ぐイリーナを見ていた。
「俺以外にここに誰がいるんだよ。つか、お前卵くさい」
「レオ!!」
思わず身体が勝手に動いた。タマゴサンドとか、もうどうでもよかった。
ギュッとレオの身体を抱きしめる。久しぶりに、ちゃんとレオの身体に触れた気がする。出血のせいで血の気の引いた冷たい肌ではない。
「イッテェな…病人は優しくしろって、言われなかったのか」
「ごめんっ!!」
パッとレオから離れる。
「まあいいけど……模擬戦、どうなった?」
「そんなの、どうでもいいでしょ」
目が覚めて一番にそんな事を気にするのだ。レオはクズだと言われているけど、本当のところはイリーナにもわからない。
「どうでもいいことなんて、この世にはひとつもないんだぜ」
久しぶりに見た、レオの不敵な笑いだった。
「模擬戦は無くなっちゃったの。広場で色々あったし…バリス教官も忙しくて」
「ああそう。ならいいや」
レオはそう言って、静かに目を閉じた。すぐに、それは静かな寝息に変わる。
その寝顔は、とても優しいものだった。
★
☆
医療班の主任のモルトウが俺の腕に刺さった点滴の針を容赦なく抜いた。
「もう。君ねぇ、ちょっとは身体に気を付けようとか思ってくれないかな」
モルトウは人の良さそうな表情の年配の魔術師で、蓄えた髭がさらに老けて見せている。
「気をつけてはいるんだが、周りがそれを許してはくれないんだ」
「そう言っていると、そのうちポックリと死んでしまうよ」
「ポックリって……」
酷くない?
こんなにしぶとく生きてる俺に対して、ポックリって酷くない?
「君はとても幸運だね。どうしてそんな怪我で生きていられるのか、不思議でならないよ」
「そりゃ俺も不思議だよ?今回はマジで死んだと思ったもんね」
「普通は、そう思う前に控えてくれるといいんだけどね」
ともあれ、俺は本日無事に医務室を出られることになった。
実に二週間ちょいという、長い長い床上生活だった。
「帰れるからと無理はしちゃダメだぞ?本来なら二ヶ月は安静にしてほしいところではあるんだ」
「わかってるよ。俺は昔から頑丈だから大丈夫だって」
なんて言ったが、本当はめちゃくちゃしんどい。魔術的に回復を速めていても、それでも約二週間も動けなかった。
協会魔術師として任務に出ていた頃は、酷い怪我は必ずシエルが修復してくれた。
だからこうして、医務室の世話になるのは学院に通うようになってからだ。
「じゃあ、気を付けて帰るように」
「はいよ。〈転移〉」
「あっ!!ちょ、」
モルトウの声が途中で聞こえなくなる。まったく、〈転移〉くらいで死にはしないのに。それに歩くより楽だ。
「はぁあああ、疲れた。いろんな意味で」
学院宿舎の自室へ帰ると、真っ先にベッドへダイブ。
しようと思ったけど、せっかく外に出られたんだから、と悪い誘惑にかられて遊びに行こうかなとか思っているとドアが開いた。
「レレレレオ様ああああああああっ!!!!」
パタパタパタパタ、ヒシッ
「ピニョは!レオ様が!無事に帰ってきて下さって!良かったですうううう!」
そんなピニョのおさげの頭をポンポンしてやる。
「そういやお前、俺の着替えとか色々面倒だったろ?サンキュな」
「それがピニョの役目ですから!」
えへん、と威張るピニョだ。抱きついたまま俺を見上げるピニョの瞳が潤んでいる。
「んー、そんな忠実なピニョに、褒美をやろう」
たまには、ピニョに付き合ってやるのもいいかと下僕思いの俺は思う。
やってもらって当たり前と思っていては、主従関係は成立しない。たまに飴と鞭の飴をやらないと。
と、ピニョを見ると、惚けたような顔で俺を見つめていた。
「ホントです?」
「ああ。なんか欲しいもんとかある?」
俺は今ある手持ちの現金を脳内で計算した。
……よし、あんまりない。
「じゃあ…ピニョは、約束通りデートしたいです」
「デート?」
そんな約束したっけ?
「そうです!……もしかしてレオ様、お忘れです?」
「あー、いや?俺が女の子との約束を忘れるわけないだろ?」
「ですよね。レオ様は任務の予定は忘れがちですが、飲み屋の女の誕生日とおねだりされたプレゼントは忘れないですもんね」
「お、おお。それは大事なイベントだからな」
ジトーッとした眼は、見なかったことにしよう。
「ではレオ様、今から行きましょうです」
「今から?俺、病み上がりなんだが」
「大丈夫です。ピニョがずっと、レオ様の手を握っていますから!!」
なるほど一理ある。
「わかった」
俺が頷くと、ピニョは嬉しそうにニッコリ笑った。
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