第53話 模擬戦③


 バリスが止めるのを無視して俺は走った。協会のロビーを抜け、関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアを開け放ち、その先にある地下への階段を駆け下りる。


 鉄の扉を思いっきり押し開ける。


 血臭がした。それはとても濃厚な、血の匂いだった。


「っ!!!!」


 地下牢には数人の魔術師がいた。


「レ、レオンハルト様っ」


 ひとりの魔術師が俺に気付いた。


「なあっ!?何があったんだ!?」

「それは……」


 魔術師の胸ぐらを掴んで詰め寄る。これでも元特級だ。俺を知っているその魔術師は、ヒッと息を飲んで言葉をのみこんだ。


「答えろよ……」

「っ、あ、あの、」

「レオ!やめてやれ!」


 追いついたバリスが、俺の肩を掴んで引いた。そのせいで、魔術師を掴んでいた手が離れる。バランスをなくしたそいつは、フラフラしながら体勢を整えた。


「バリス…何があったんだ?」

「気付いたのは二時間前だ。定期の見回りに向かった魔術師が発見した時には、すでに手遅れだった」


 レリシアとアイザックは、犯罪を犯したとして協会に囚われていた。だが、その犯罪は公にはなっていない。特級魔術師が元特級魔術師を狙うなんてこと、世間に知られてはいけないからだ。


 だからずっとこの協会地下牢に監禁されていた。


 その地下牢には今、ただただ血溜まりだけが残っている。


 レリシアがいた牢も、アイザックがいた牢も。


「なんで…?」

「それをお前に解析してもらいたい」


 ハッとして入り口へ視線を向ければ、ザルサスがいた。表情は硬い。それは俺がよく知っている、怒りを隠すザルサスの顔だ。


 その少し後ろに、確か解析班のエイシもいる。


「……だから俺を呼んだんだな」


 当事者とはいえ、ザルサスが部外者を呼ぶわけがない。今の俺はただの学院生だ。それでも俺に、やらせたいことがあったのだ。


「そうだ。お前なら誰よりも多くを解析できる」

「わかった」


「あの、自分も解析参加していいっすか?」


 エイシがザルサスの隣で言った。


「別に問題ない。やるのなら、俺に合わせろよ」


 協会の地下牢へ入れるのは魔術師の中でも、ザルサスに任命されたものだけだ。


 そこへ入り込んで、特級魔術師を二人も殺めてしまえるのは、相当慣れた人物だと言える。


 レリシアもアイザックも捕まってから魔術を使えないように抑制されていたが、それでも簡単なことではない。


「〈映せ、万物の記憶、精霊の瞳、真なるものの知をもって晒せ:天眼〉」


 俺が唱えた詠唱に、無理矢理そわせるようなエイシの魔力が不快だった。邪魔をするなと無意識に魔力を注ぐ。エイシが強すぎる俺の魔力に、一瞬怯んだのがわかった。


 脳裏にレリシアが見えた。地下牢の狭い檻の中、少しやつれているが、キリッとした表情は変わらない。向かいの牢にはアイザックがいる。後悔と悔しさ、多分、俺に対する怒りを凝縮したような表情で、備え付けの簡易ベッド座っていた。


 遡った時間は約一日。必要のなさそうな所を飛ばす。定期の見張りが何度か現れる様子が早送りで流れていく。


 何も変化はない。


 あと少しだ、という時にそれは起こった。


 二人とも、突然苦しみ出したのだ。


 地下牢には誰もきていない。レリシアとアイザックだけだ。なのに、突然口から大量の血を撒き散らし、その場に倒れた。


 だいぶ後に、定期の見張りが来て、慌てて地下牢を飛び出していく。


 目を開ける。レリシアとアイザックがいた地下牢には、血痕だけが存在感を放っていた。


「誰も来てない」

「どういうことだ!?」


 バリスが詰め寄って来て、俺がさっきしたみたいに、胸ぐらを掴んでくる。


「だから、何もないっていってるだろ!!」


 叫んだ瞬間、またあの痛みが心臓を殴りつけるみたいに襲って来た。バリスが手を離すと、そのまま地下牢の床に両手をついてしまう。


「はっ、はぁ…クソ!マジで何も見えなかったんだって……入ったのは見回りだけだし、他の感覚にも気になるところは無かった。魔力を使った痕跡もなかった!!」


 〈天眼〉は、任意の場所の任意の時間遡った情報を、様々な感覚として得ることができる魔術だ。魔力だけじゃなく、五感全てで視ることができる。


 繊細な魔力コントロールと魔力量が必要な魔術で、だからザルサスは俺を呼んだ。たとえ封魔によって身体を蝕まれてでもやれということだ。


 解析班に任せていると丸一日かかる作業を、俺の技術なら数分で済む。


 エイシは解析班の中でも優秀な人材だが、俺の魔力に合わせる事に精一杯だったようで、呼吸を荒くして脂汗をかいていた。


 その〈天眼〉の精度を限界まで上げで、それでもなにも見つからなかった。


「じゃあ誰が二人を殺したんだよ!?」

「俺に聞くな!俺は神でもなんでもないんだぜ!わかるわけないだろ!!」


 簡単に言えば口封じだ。


 二人が何も話さなくても、生かしておくのにはリスクがあると判断した何者かが手を下した。


 そいつはこの俺にも気付かれることなく、二人を同時に殺した。


「クソッ!!」


 バリスが吐き捨てるように言って地下牢を出て行く。


「レオンハルトさん、一度外に出ましょう」


 そう言ってダミアンが俺の腕を取った。されるがままに地下牢を出ようと歩く。


 ザルサスとすれ違った時、その握りしめた拳が震えている事に気付いたが、何か言えるほど俺も強くはなかった。








「どうぞ」


 ダミアンは協会内の売店で買ったテイクアウトのコーヒーをレオに手渡した。


 血臭が強く残る陰惨な地下牢から彼を連れ出し、建物の外に設置されているベンチへと座らせた。


「……サンキューな」

「いえ」


 そのコーヒーを受け取ったレオの手は白く、〈天眼〉によってどれほど消耗したのかが一目瞭然だぅた。


 レオの隣に腰を下ろし、ダミアンはふと思う。


 ダミアンはレオがどれほど凄い魔術師かを知っている。その苛烈な魔術と莫大な魔力量、繊細でいて大胆な技術は全魔術師の頂点だと誰しもが認めざるを得ない。


 最年少にして歴代最強。


 そんな彼が、たかが〈天眼〉を一時使用しただけでここまで消耗している姿は、いち魔術師として残念でならない。


「クソッ」


 レオの声には深い怒りがこもっている。


 少し前まで学院で、同級生と楽しげに剣を交えていた姿を思い起こす。歴代最強の魔術師も、歳相応の顔をするのだと知った。


 それが今は、近付くもの全てを焼き尽くすような眼をしている。この激しい二面性が、レオという若い魔術師を特級たらしめているのかもしれないと、ダミアンは思った。


「レオンハルトさん、二人はなぜ殺されたんでしょう」

「知らねぇよ」


 ダミアンとて特級魔術師だ。全てを知らされていなくとも、自らそれを知るための情報網を持っている。


 レリシアとアイザックがレオを狙い、失敗したということはわかっているし、ダミアンがわかっていて聞いている事も、レオは理解しているはずだ。


 その上で、レオは知らないと言ってはぐらかす。


 彼が他の特級魔術師を信用していない証拠だ。


「犯人を必ず探し出して見せます。特級魔術師として」


 ただの慰めであり、新参者のダミアンにそんな力はない。だが、何か言わなければならないと思った。


「犯人?お前が?」

「はい」

「無理だろ」


 辛辣な物言いだが、『金獅子の魔術師』が無理だというのなら、ダミアンひとりには無理なのだろう。


「では、僕を手伝ってください」

「は?」

「あなたが協力してくれるのなら、僕にもできます」

「フハッ!面白い事を言う。俺は部外者だぜ?手伝うもなにもないだろう」

「レリシアさんの仇を取りたくはないんですか」


 ビクッとレオの肩が震えた。


「仇、ねぇ。お前が何を考えているかは知らんが、仇をとってやるほど、レリシアとは仲も良くない」

「それならどうして、そんなに悲しい顔をしているんです?」


 レオの手が震えている。顔を見なくても、それが悲しみを堪えているとわかってしまう。


「アホか。悲しいわけないだろ。俺は魔術師だ。他人の死は腐るほど見てきた。その俺が、たかが特級のひとりやふたり死んで悲しいわけないだろ」


 こんなにも悲痛な言葉を、最強の魔術師が吐くのを、一体どれほどの人が知っているのだろう。


 今彼をひとりにしてはいけない。


 そんな焦燥感が、ダミアンにはあった。


「そうですね」


 彼はひとりでも、どんな手を使っても犯人を探し出そうとするだろう。


 ひとりにしてはいけない。


「雨が降りそうですね」


 俯いたままのレオの隣で、ダミアンは空を見上げる。


 雲ひとつない青い空が、そろそろ夏だと告げている。


 レオの頬を一筋流れる涙に、ダミアンは気付かないフリをした。









 模擬戦三日前。


 あと少しで本日の全ての授業が終わる。クラスメイトたちは、それぞれに模擬戦までの時間を過ごしていて、放課後は魔術の練習をしたりと忙しい。


 そんな浮足だった雰囲気の中、イリーナの気分は暗く沈んでいた。


 特級魔術師が二人、何者かに殺された。


 昨日レオを呼びにやってきたバリスが言っていた。世間にはまだ公表されておらず、そもそも真実が告げられるかもわからないが、イリーナ、リア、ユイトは完全に巻き込まれる形で、公にされない部分を少し知ってしまっている。


 口封じだ、と思った。


 レオを狙っていた魔術師が二人も死んだのだ。それは完全に口を封じられたということだろう。


 血相を変えて走り出したレオを、何も言えず、追いかけることも出来なかったイリーナだが、せめて学院ではレオに何か言わなければと思っていた。


 たが、それは思っていたほど簡単ではない。


 両腕を枕に、机に突っ伏したまま動かないレオの背中は、「俺に触れるな」と言われているようで、だから結局、一日なにも出来ないまま終わろうとしていた。


 授業終わりのチャイムがなる。


 クラスメイトたちが、ガヤガヤと楽しげに教室を出て行く。しばらくして、レオが立ち上がった。


「レオ?」

「悪い。今日はお前らの相手をしてやれない」


 ポツリと言って、レオが教室を出て行く。その背を見ながら、ユイトがため息を吐き出した。


「あいつ怖えよ……今日、話しかけたら殺されそうだと思った」


 冗談めかしているが、イリーナもリアも似たような感覚だったためになにも言えない。


「レリシアさん…結局、なんでレオを狙ったんだろう」

「……そんな風には見えなかったのにね」


 レリシアとはほんの少し話した程度だ。でも、レオとレリシアのやり取りには、少なからず心を許している感じがあったのを覚えている。


「おれらには何もできないんだな」


 ユイトの言葉は冷め切っているが、イリーナもリアも同じような気分だ。


 結局、魔術師の卵でしかない自分たちと、元とはいえ特級魔術師だったレオの間には、けっして超えられない壁のようなものがあるのだ。


 その壁はとても大きく、きっと冷たく分厚い氷でできている。


 でも、と、イリーナは思う。


「あたしは放って置けない。たとえレオが迷惑だと言っても、せっかく友達になれたのに……何もしないなんてできない」


 きっとものすごく嫌な顔をされるだろう。


 冷たく突き放され、ただの学院生のお前には関係ないと言われるかもしれない。いや、絶対にそう言う。


 レオは良い意味でも悪い意味でも本音を言う。そこを、彼をあまり知らない人はクズだと言うけれど、辛辣な言葉も、本気でこちらのことを思って言っているとわかるのだ。


「あたし、ちゃんと話してみる」


 イリーナは決めた。


 同じ歳の友人として、何かしてあげられることがあるのなら、それは自分の役目だと思った。


「じゃあ、イリーナに任せた。おれはまだ死にたくない」

「アハハ、私もイリが適任だと思う」


 ユイトとリアが笑う。その笑顔に、少しだけ勇気を貰えたような気がした。


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