第50話 イリーナの覚悟⑧


「〈天の神、地の神、命の神、英知の神、我に勇気と力を与えよ〉!!ねーちゃん!!」


 初めて聞く詠唱。同時に目の前に飛び込んできた弟の姿。


 迫る熊の魔獣と自身の間に滑り込むカミル。


 弟が、魔力の無い弟が危ない。


 助けなければ!!と思った瞬間だった。


 さっきより身体が軽かった。感覚が、魔道具の強化だけではなく、本当に自分のもののような気分になった。


 こんなに気分が高揚し、迷いがないなど、今までに一度も味わったことがない。


「カミル!伏せて!」

「っ、ねーちゃん!?」


 短剣を片手に、カミルを飛び越える。視線は魔獣を捉えて離さず、一度地面に着地。瞬時に再度跳躍。


「カミルに触らないでっ!!!!」


 迷わず振り切った短剣が、熊の巨体についた大きな頭を斬り落とした。


 ギャオオオと叫ぶ魔獣の声は、気道と声帯を切断されて途切れ、転がった頭を追うようにどうっと地面に倒れる。


「はぁ、はぁ、んっ……ん?」


 荒い呼吸を抑えるように生唾を飲み込み、ふと気付いた。


 近くにとても、大きな魔力を感じた。


 それはまるで暖かい太陽の日差しのようで、ポカポカ陽気に照らされている気分だ。心地の良い眩しさで、少し目を覆いたくなるけれど、追いかけたくもさせる大きな太陽だ。あの光の下でお昼寝でもしたら最高。なんだか甘い匂いすら漂ってくる気さえした。


 この甘い匂いは、例えるなら焼き菓子とか焼き立てのパンとか、落ち着くようなそんな幸せな香りだ。


「イリ?」


 リアの戸惑った声に名を呼ばれ、それに気付いてはいた。


 だけど今は、親友の声に応えるよりも、暖かく甘い匂いの方が気になった。


 その金色の大きな魔力に触れたい。


 太陽の様な心地の良い魔力に包まれて、甘い匂いを嗅ぎながら眠ったら、きっととても幸せになれる。


 そんな考えに囚われているイリーナは、自身の行動に気付いてはいなかった。


 フラフラと歩み寄り、白いシャツを掴む。その胸に、顔を押し付ける様にして深呼吸。やっぱり甘い香りだ、とイリーナが満足そうに吐息を漏らす。


「……イリーナ?」


 名前を呼ばれる。戸惑ったような声だ。何がそんなに、戸惑うことがあるのかとイリーナは顔を上げた。


 見上げた先、少し高い所にある輝く金の髪と深いけれど鮮やかな蒼い瞳が視界に飛び込んできた。


「あっ!!ご、ごめんっ!!!!」


 気付いて、慌てて手を離す。


 遅れて、ものすごい羞恥がこみ上げてきた。が、時すでに遅しだ。


「そのっ、えっと、な、なんだかとってもいい香りがして!!それで、無意識にそのっ、」

「いや、それは別にいいんだが……お前、そっちの方が似合うな」


 レオは、特に気にした様子も、顔を赤らめて照れるなんて事もなく、ただただ興味深そうに呟いた。


「に、似合う?何が?」

「これ」


 えっ?と戸惑うイリーナの方へ、徐に手を伸ばしたレオ。その手がイリーナの頭の上へと向かい……


「ヒャウンッ!?」


 敏感なそこに触れられ、思わず変な声が出た。そのままキュッと摘まれ、イリーナはあわあわと視線を彷徨わせる。


「お前の獣化の能力は、猫化だったんだな」

「へ?」

「ほら、触ってみろよ。フワフワしてるぜ」


 慌てて両手を頭の上へ持っていき、それを確認する。


「え、えええええっ!?」

「良かったな。変な動物じゃなくて」


 アハハと無邪気に笑うレオに対し、イリーナはまだ現実が受け入れられない。


「ねーちゃん!?ど、どうなってるの?」


 カミルもまた戸惑いを隠せずにいた。その近くにいたユイトとリアも、だ。


「イリーナ…獣化の固有魔術を持ってたんだな」

「イリ!すごいっ!!」


 ユイトもリアも、魔術師を目指すだけあってそういった固有魔術が存在することは知っていた。だから、それが同級生に現れたことには驚いていたが、カミル程の驚きはない。


「はー、長かった。どうすれば獣化の能力が開花するか悩んでいたが、カミルのお陰だな」


 レオがやれやれと首を振る。


「カミルのお陰?」

「そう。お前と魔獣の間に飛び込んでった時にした詠唱」


 そう言われて、そういえばカミルが何かを唱えていた事を思い出した。ただ、あれは詠唱文のみで魔術名のないものだ。


 本来はそれだけで力を発揮することはないし、ましてカミルには、詠唱に必要な魔力が無い。


「お前はあいつの姉なのに気付いてないみたいだが、カミルには最初から魔力はある。ただ、協会に入れる魔術師に慣れるかはわからんが」

「ウソ……カミルに、魔力が?」

「ああ。お前の危機に魔力が反応したんだ。だからあの詠唱がしっかり作用した」


 カミルを見やれば、不思議そうな顔をしてこちらを伺っている。


「でも、あの詠唱だけじゃ何も起こらないはずよ!前に授業で、詠唱だけで力を発揮する魔術師は少ないって…」

「それは違う。詠唱で力を発揮するのは、なにも魔力量やコントロールだけじゃない。思いやイメージが詠唱の力を発揮することだってある。カミルはお前を助けたい一心だった。その思いに、詠唱は応えたんだ」


 カミル自身の力を呼び起こすのではなく、カミルの魔力に反応して、イリーナの力を呼び起こした。


「弟に感謝しろよ。カミルだから、お前の能力を呼び覚ますことができたんだ」


 話がよくわからなかった。カミルに実は魔力があった事や、そのおかげで獣化の能力が目覚めた事。一度に色々起こりすぎて、イリーナは混乱したまま固まった。


「ねーちゃん、なんの話?」


 無邪気なカミルがイリーナの手を握る。


「あたしもまだよくわからない……でも、カミル、ありがとう!!」


 そう言って弟の身体を抱きしめる。


「ねーちゃん!!なんだよ、急に!?」

「なんでもない。良かった、カミルが無事で」


 照れ臭そうに顔を赤らめるカミルを、イリーナはしばらく抱きしめたまま動かなかった。








 獣化して魔獣を倒したイリーナは、白くフワフワした猫耳としなやかな尻尾をはやしていた。


 やけに似合うな、と思って耳を触ったが、あんなに顔を赤くするとは思わなかった。


 少し、可愛いなどと思ってしまった。そんな俺は多分ケモ耳プレイもイケる。新しい発見だ。フェリルに帰ったらそういうお店でも探そうかな。


「レオにーちゃん!!!!」

「ん?」

「ちゃんと聞いてる?」

「あー、悪い。ちょっと今後の楽しみについて考えていた」


 災難に見舞われたピクニックの翌日、連休三日目。


 俺は自身の魔力に気付いたカミルに、初歩的な魔力コントロールを教えていた。


 もちろん善意からではない。暇つぶしだ。イリーナたちは揃ってどこかへ出かけて行ったが、俺は面倒で残ることにしたのだ。


「レオにーちゃんも本当はみんなと遊びに行きたかったよね」


 イリーナの家のリビングで、俺と並んでソファに座るカミルが、シュンとした顔で呟いた。


「そんな事はない。魔術師は基本的にインドア派なんだ。俺も小さい頃は師匠の書斎に篭って外に出なかったこともある」

「レオにーちゃん、昨日と言ってることが真逆だよ……」

「ん?俺なんか喋ったっけ?」


 カミルがはぁ、と大きなため息をつく。失礼な奴だ。


「そんなことより、早く僕でもできる魔術教えてよ!」


 カミルはさっきからそればっかり言う。


「イヤだ。まずは魔力コントロールからだ。お前は自分の不注意で家を燃やしたくはないだろ?」

「うっ、それはそうだけど……」


 やれやれ。


「魔術は芸術だ。ただ出来るのと、上手に出来るのだったらお前はどっちがいい?」

「そりゃ、上手な方がいいよ」

「だろ?どんな楽器も掻き鳴らすだけじゃただの騒音だ。魔術も同じ。どうせやるなら、上手くやらないとな」


 ムスッとしたままだが、カミルは一応納得したようだった。


「んじゃ、さっき言ったやつやれ」

「はーい」


 カミルが魔力を体内で練り上げようとする。眉間にシワがよって、まるでトイレに座っているみたいだ。


「おい!こんなところで漏らすなよ!」

「だって、どうしても力んじゃうんだもん」


 やれやれ。


「ちょっと手かせ」


 カミルが差し出した手に、俺の手を合わせる。


「魔力は力任せに練るもんじゃない。そんなことしていたら、どんなに魔力量があってもすぐにバテてしまう」


 合わせた掌から、俺の魔力を少し流す。それはカミルの腕から全身に広がり、魔力の塊を見つける。


「まず、感覚を覚える。それを何度も何度繰り返して、自分のものにする」

「うん…にーちゃんの魔力は、キラキラしてる」


 顔を輝かせて言われても、別に嬉しくも何ともない。


「人それぞれに魔力の質が違うからな」

「そうなんだ」

「ムダ口叩いてないで覚えろよ。一回しかやらないぞ」


 カミルが姿勢を正し、集中したのがわかった。


「魔力はこうやって練る。魔術を使うときには、一度ここで止める。詠唱と属性変換は同時だ」


 そう言いながら、カミルの魔力の性質を探っていた俺は、思わず笑ってしまった。


「どうしたの?」

「いや、面白いなと思って」


 首を傾げるカミルだ。


「お前、やっぱり普通の魔術師にはなれないな」

「え?」


 途端にカミルの魔力がスッと引っ込んだ。カタツムリが殻に篭ったみたいだ。


「どうして、そんな事を言うの?」


 悲しげに呟くカミルだが、別に悲しませようと思ったわけではない。


「カミルの魔力には、俺やイリーナみたいな強さは無い。でも、詠唱の力を引き出せる力がある」

「どういうこと?」

「んー、俺が教えた詠唱あるだろ?」


 カミルはコクンとひとつ頷く。


「あれはただの詠唱で、魔術と言えるものでもないんだが、お前はそれに力を与えることができた。そういうことができる魔術師はとても少ない」


 あの時イリーナには適当に言ったが、本来できないことをカミルはやった。


 古の詠唱を唱えていた、まだ魔術師という職業がない時代の技だ。魔術名の無い時代の、本物の魔術師の力だ。


「一種の固有魔術と言えるものだ。カミルは魔道具を作る魔術師になる方が向いている」

「僕、固有魔術ができるの?」

「努力すればな。詠唱によるエンチャントは難しいが、カミルにはその才能がある」


 カミルは驚きと嬉しさが無い混ぜになった、複雑な表情を浮かべていた。


「じゃあ、僕が一生懸命頑張れば、ねーちゃんの魔道具を作ってあげられるんだよね?」

「そうなるな」

「にーちゃんのも?」

「ああ。そのためには、魔力コントロールを人一倍練習して、詠唱文をめちゃくちゃ覚えなきゃならんがな」


 そう言ってニヤリと笑ってやれば、カミルも嬉しそうに微笑んだ。


 まさか、姉弟でこんなに違う魔力を持つとは思わなかった。それに、どちらも固有魔術だ。


 魔力持ちは自然発生的に産まれるが、こんな奇跡みたいな組み合わせを目にしたのは初めてだ。


 魔術は本当に、知れば知るほど謎ばかりが増えていく。


「よーし!僕、頑張るから!楽しみにしてて!」

「言っておくが、俺の魔道具に対する拘りは人一倍強いからな。対応してくれないのなら容赦なくクレームをつけてやる」

「任せてよ!」


 カミルを育てるのなら、学院は不向きだ。魔術名に囚われた力が支配するような魔術は、カミルの能力には合わない。


 俺に出来ることがあるとすれば、良い師匠を紹介してやることくらいだが、さて、誰が適任だろうか。


 俺でも教えてやれるが、弟子を取るほど暇では無いから、カミルには黙っておこう。







 夕方、俺たちはフェリル行きの魔導式自動車に乗ってイリーナとリアの故郷を離れた。


 最後にチャズたちがやたらと礼を言ったり話しかけてきたりして鬱陶しかった。


 なんでも俺の転移に惚れたとかなんとか、アホな事を言っていた。


 転移なんてだれでも出来るのに、ガキの考えている事はよくわからん。


 カミルは必死に涙を堪えていて、まるで今生の別れのような顔をしていた。また来ると約束し、頭を撫でてやると少し落ち着いた。


 そんな感じで、色々あった三日間の休暇を終え、明日からまた学院生活だと気持ちを切り替える。


 夕陽が麦畑を黄金色に染めていて、それは少し寂しさを感じさせるものだった。


「レオ、ありがとう」

「なんの事だ?」


 帰り道、隣に座るイリーナが突然言った。


「カミルのこと。なんだかとても、嬉しそうだった」

「ああ、それか」


 カミルの固有魔術については、イリーナにだけ話した。最初は驚いていたようだが、今では自分の事のように嬉しそうだ。


「カミルはイリーナの魔道具を作るんだと張り切っていた。後何年かかるかなんて考えもしないで」

「フフ、あたしには、レオにーちゃんの魔道具を作るって言ってたよ」

「ガラクタじゃない事を祈ろう」


 さすがに必要ない、と本人に言うほど俺はクズではない。本当はいらないけど。俺もできるし。


「あんたが教えてやったら、とても喜ぶと思うなぁ。どうせできるんでしょ?詠唱によるエンチャント」

「……特級に戻ったら、考えないこともない」


 そう答えると、イリーナが心底驚いた顔をした。


「意外……」

「うるさい。魔術師協会の規定にあるだろ。『後続を育てるのもまた義務である』って」

「ふーん。今は協会魔術師じゃないのに、そんなこと考えてたんだ」


 ニヤニヤされるとイライラする。


「まあいいや。あたしも頑張ろ。本当はカミルに嫌な思いをさせたくなくて、だから強くなってカミルが揶揄われないようにと思ってたけど、これからはちゃんとあたしはあたしに向き合うことにする」


 イリーナはこれから、獣化の能力について学ぶ事が沢山ある筈だ。固有魔術は特別だが、その分の負担は必ずある。


「あたしは強くなりたい。あんたと同じ、特級になる」

「なれば良いだろ、勝手に」

「これは覚悟のために自分に言い聞かせてるの!それで、あんたばっかり傷付かないようにするの」


 あー、そうですか。また、変なこと考えてるな、こいつ。


「あんたより強くなるからね!!」

「死んでも無理だろ」


 と、言いながらも、俺たちはクスクスと笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る