第49話 イリーナの覚悟⑦
★
魔獣がいるという方向だけ聞いて、イリーナはユイトとリアと共に走り出した。
丘の向こうには金色の麦畑があり、その裾に雑木林が広がっている。
魔獣はどうやら、その雑木林の方向にいるらしかった。
これだけ広範囲の魔力感知ができるのに、レオは一切動こうとしない。
正直見損なった、というのがイリーナの思いだった。
魔術師は魔獣や魔族に苦しめられている人をこそ救うためにあるのだ。それを、学院生だからと見て見ぬ振りなんてイリーナにはできない。
救いがあるとしたら、リアもユイトも、自分と同じ思いでいてくれたことか。
「イリ、私は防御に専念する。イリとユイトは攻撃に集中して」
「わかってる。おれが魔術で援護するから、イリーナが攻撃してくれ」
「わかった」
三人での連携は、レオのおかげで慣れている。だが、今魔道具を持っているのはイリーナだけだった。
単純に持ち運びに適した短剣だから、イリーナは常日頃から身につけることができるという、それだけの理由だった。
「あっ!」
丘を駆け下りるイリーナが声を上げる。
風向きもあるが、少し近付いたこともあって、その臭いを確かにイリーナの鋭い嗅覚がとらえた。例えるなら何日もたった生肉の腐ったような、吐き気を催す臭いだ。
「あっちよ!嫌な臭いがする」
臭い?と、顔を顰めるユイトだ。そういえば、ユイトとリアには、自分が獣化の固有魔術を持っているかもしれないことを、まだ話していなかった。
いや、そもそも、固有魔術は秘匿されるべきであるとされているから、言ってはいけないのかもしれない。
「あたしにはわかるの!ついてきて!」
そんな言い方しかできないが、それでも二人はちゃんとイリーナについてきた。
雑木林は目と鼻の先だ。木々の生茂るところに入ったら、連携は格段にとりにくくなる。
だが、三人ともそれなりに信頼関係を築いてきた。
ほとんど毎日訓練を共にした。そんな自信が、三人を勇気付ける。
「うわあああっ!!」
前方から叫び声がした。
「チャズ!?」
「イリーナだっ!た、助けてっ」
大声で泣きながら走り寄ってきたのは、弟のカミルをいつも揶揄う少年たちだ。いや、正しくは揶揄うつもりはないのだろう。
わかってはいるけれど、時たま辛そうな顔をする弟を知っているから、イリーナはチャズ達をあまり好きにはなれないでいた。
「ま、魔獣がっ!!」
「しっかりしなさいよ!あんたも魔力を持ってる男の子でしょ!」
泣きじゃくる少年に、きつい言葉しかかけてやれない自分が、いかに小さな存在かを噛みしめながら、イリーナは当たりの様子を伺う。
「イリ!」
リアが叫ぶと同時に、完全詠唱で〈空絶〉を放った。イリーナの前に空気を遮断する防壁ができ、そこにバァンと何かがぶつかる。
「熊!?」
けむくじゃらの巨体は、魔族の魔力によって硬く尖り、獰猛な獣の牙とギラつく目がこちらを見据える。
「〈風撃〉!」
怯んだ所にユイトの〈風撃〉が襲う。しかし、歪に強化された体毛は、ユイトの魔術をものともしない。
「あんたたちは下がって!」
イリーナは少年たちの前に立つと、魔獣化した熊と向き合う。熊の背後は雑木林、イリーナたちの後ろは麦畑で、助けを呼ぶには町までの距離が遠い。
そもそも、助けなど頼めない。
イリーナの町には、魔獣を倒せる魔術師はいない。今、ここにいる自分たちを除いては。
もしここでこの魔獣をとりにがしでもすれば、町はたちまち大混乱となる。あげくにそれは、非力な弟にまで危害を及ぼすかもしれない。
健気で可愛い弟は、姉である自分を信じている。
魔力のない自分の代わりに、姉であるイリーナが夢を叶えるだろうと信じている。
羨ましい。妬ましい。
弟がどれだけそう思ったかわからない。それでも、いつも気丈に、応援してくれるのだ。
イリーナはそんな弟の為に、かならず夢を叶えて見せる。
協会魔術師になって、自分の強さを見つける。
弟が嫌なことを言われないくらいすごい魔術師になる。
だから、こんなところで魔獣一匹に引けを取るわけにはいかない。
たとえそれが、自分よりも大きく素早い魔獣であっても。
任務体験の時には、レオの前で無様に泣いてしまった。
思い出すだけで悔しい。
今回は、そんなことにはならない。絶対に。
「ユイト!援護頼むね!!」
「まかせろ!」
志を同じくする仲間と共に。
イリーナは、短剣を抜いて走り出した。
★
雑木林から出てきたその魔獣は、でっかい熊のナリをしていた。
「に、にーちゃん…あれ、ねーちゃんたち大丈夫かな」
カミルが丘の上から心配そうに眺めて言った。
「心配ない。ただの魔獣だ。まあ、ちょっと大きくて素早いところが難点だが」
「え?なら助けに行こうよ」
そう言われてもなぁ。
「俺みたいな魔術師にはならないと、全否定されたばかりなんだが」
そんな俺が助けに行ってもなぁ。
「にーちゃんが一番強いんだろ?なんで行かないんだよ!?」
「ピニョも助けに行った方がいいと思いますです」
ピニョまでそんなことを言う。
「俺が出て行ってあの魔獣をさっと倒したら、イリーナたちはなにも成長しない。さっきも模擬戦がどうとか言っていたが、俺を相手にしておいて自信がつかないのなら魔獣でも倒したほうがいいだろ」
拗ねているわけではないよ?
そう話している間も、イリーナたちは熊の魔獣を相手に苦戦している。
基本的な連携ができているから怪我はしていないが、決定打となる攻撃を出すには、まだ勇気が足りないようだ。
「ねーちゃん……」
カミルがギュッと拳を握る。
自分にも魔力があったら、と考えているのだろう。
「ま、本当にヤバかったら、俺が転移で飛んでってすぐに倒すよ。俺も別に、あいつらに大怪我させたいわけじゃない」
最初からそうするつもりだった。ただ、あの程度の魔獣も倒せないなら、俺が訓練してやってる価値もないと判断するが。
「でも、僕はねーちゃんが心配だ。僕には何もできないけれど、せめて声が聞こえるところで、僕はねーちゃんを応援する!!」
は?と思った時には遅かった。
カミルが走り出し、丘を下って行った。
「レオ様…行ってしまいましたですよ?」
「ったく、俺の周りはアホばっかりだな」
やれやれ。
まあでも、勇気をもって行動に移せる人間が少ないことは知っている。
俺の周りのヤツはアホばかりだが、しっかり行動に移せるヤツらで良かった。
それが蛮勇となるかどうかは、結果論でしかない。
「ピニョはお留守番な。荷物見とけよ」
「へっ!?な、ヒドイです!!」
「うるさい。〈天の理、地の理、我らを阻むものなし:転移〉」
レオ様ああああと叫ぶピニョを無視して、俺は転移を使った。目標地点は、チャズの横らへんでいいや。
瞬きひとつのくらいで、転移が完了する。
「ひゃっ!?え、てん、い?」
すぐそばでチャズが驚いて尻餅をついた。あと二人の少年も、すっかり怯えている。魔獣じゃなくて、いきなり現れた俺に。
「よくわかったな。これが一級魔術空間系の〈転移〉だ。テストに出るぞ!多分!」
そう言って正面を向く。ちょうど、熊の魔獣に吹き飛ばされたイリーナが、地面に転がったところだった。
小さく呻き声を上げるイリーナが、急いで顔を上げる。熊の魔獣は、それをチャンスと取ったようで、獰猛な爪のついた前足を振り上げてイリーナへと襲いかかる。
ユイトもリアも、連続で魔術を使ったせいで体力に限界が来たようだ。
あれ?割とピンチなんじゃね?と思った時だった。
「〈天の神、地の神、命の神、英知の神、我に勇気と力を与えよ〉!!ねーちゃん!!」
カミルが、俺の教えた詠唱を唱えてイリーナの前へ飛び出し、熊の魔獣から庇うようにして立った。
しかも、詠唱文のみのその言葉には、しっかりと魔力がこもっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます