第48話 イリーナの覚悟⑥


 早朝に目が覚めた俺は、腰に違和感を感じてため息を吐き出した。


 がっしりと腕を回し、背中に頬を押しつけてふにゃふにゃ気持ち良さそうな寝息をたてているそいつは、もちろんピニョだ。


 暑苦しい。そろそろ季節を考えて欲しい。


 ピニョはいつも俺のベッドに潜り込んでくるが、総じて邪魔だ。


 巻きついた腕を外し、おもっきし押しやる。ドシャッと床に落ちるピニョ。


 それでも全く起きる気配はない。ドラゴンとして、そんなんでいいのかといつも思う。野生に戻したら生きられないんじゃないか?


 適当に着替えを済ませて部屋を出ると、一階のキッチンから笑い声がした。この天使を思わせる可愛いらしい声はリアだ。


 そう思って、一目散にキッチンへ向かう。


「リアッ、ちょ、卵くらい割れるようになりなよ!?」

「あうっ、また殻がはいっちゃった」


 と言いつつ、二人とも楽しそうに笑っている。


「あ、レオ。おはよ!」

「おはよーレオ」

「おう…お前ら楽しそうだな」


 キッチンに揃えられた材料を見るに、サンドイッチでも作ろうとしているのがわかる。


「起きたんならあんたも手伝ってよ。リアがいると進まないの」

「マジか、俺はてっきりお前の方が料理出来なそうと思っていたんだが」

「失礼ね!これでも、一応弟のご飯とか作ってたんだからね!!」


 なるほど、エプロン姿が様になっているわけだ。


「私も頑張ってるのに、全然上手くならないの」


 リアが眉尻を下げて恥ずかしそうに笑う。


「問題ない。俺はリアにそんな危険な事はさせないぜ。家政婦でも雇うか、毎日外食でもいい。それくらいの財力は保って見せる」


 特級に復職したら余裕だ。


「バカなこと言ってんじゃないわよ!」


 イリーナが手にしていた卵を投げつけて来た。


「おわっ、危な!食いもん粗末にすんじゃねぇよ!」

「ならリアが全部ダメにする前にかわりなさいよ」


 確かに。このままでは卵だけじゃなくて、他の食材もダメになりそうだ。


「しゃあねぇなぁもう」


 言われた通り、俺はリアと変わることにした。が、そんな俺に、イリーナが不審な顔をする。


「ちょっと、あんた料理できるの?」

「多少な。野良魔術師は師匠の身の回りの世話もさせられるんだよ。ザルサスはそういうのホントうるさくて、何度も逃げようかと思ったほどだ」


 あのジジイ、弟子を召使だと思ってやんの。


「待ってよ……ザルサスって、協会の?」


 イリーナが手にした卵を取り落としそうになった。


 そういや、俺はこの話をしていなかったな。


「そう。ザルサスは俺の育ての親で、魔術の師匠でもある。ま、俺の方がザルサスの力をすぐに超えてしまったから、実際はただの召使みたいなもんだったけど」


 そう言うと、イリーナもリアもやれやれみたいな顔をした。


「知らなかった」

「協会では結構有名な話だぞ。金獅子がザルサスの弟子だってことはな。それが俺のことだと知ってる奴は少ないけど」


 というわけで、俺とイリーナでサンドイッチ作りを再開。リアはそれを、ニコニコして見ていた。


 途中、リアが気を遣って入れてくれたコーヒーは、泥水みたいに不味かった。









 昼前には無事にピクニックへ出かけることができた。向かったのは町外れの小高い丘の上で、そこから町の田畑が見渡せる。


 天気もよく、風も程よく吹いているから快適なピクニックになりそうだ。


 ピクニックが好きなやつからすれば、だが。


「なあ、もう草が生えてりゃどこでも一緒じゃないか?」


 俺がそう言うと、イリーナとリアが同時に振り返って俺を見下ろす。


「そんなわけないでしょ!!あの木の下が一番景色がいいの!!」


 と言って、指を刺す先は丘の天辺で、そこには、どうしてそうなった?と思うようなデカイ木が一本ある。


「昔から、ピクニックはあそこでするって決めてるの。ね、イリ?」

「そうよ。年一回はあそこに行かなきゃ気が済まないの」


 どういう強迫観念だ?と思うが、大人しく従うしか無さそうだ。


 普段転移ばかりしているからか、俺は歩くのが好きではない。面倒くさい。正直、今までの人生でこんなに歩いたのは初めてかもしれない……というのは冗談だ。


「あー、しんどい」


 そう言うと、俺の後ろを歩いていたユイトが怒り出した。


「荷物一個も持ってない奴が言うことじゃねえだろ!?」


 ハアハア言いながら怒鳴るユイトは、昨日から荷物持ちとして真価を発揮している。


「ちゃんとジャンケンしただろ」

「ぐぬうっ」


 三回戦やって俺が先に二勝したのだ。これは正当な権利である。


「それに俺のかわりにピニョが頑張ってるだろ。ユイトはちっさい女の子が頑張ってんのに文句ばっか言うのか?とんでもない野郎だな」


 ユイトの後ろでは、せっせとピニョが足を動かしている。荷物の入った籠を抱えていて前が見えているのかわからない。


「その言葉そっくりお前に返すよ!!なんだよ、ピニョちゃんに全部持たせて自分は手ぶらで、その上文句言いながら歩きやがってほんとクズだよなレオは!!」

「ピニョは俺の一部だ。したがってあれは俺が間接的に荷物を運んでいるのと同じだ」

「クズすぎてもうなにも言えねぇ」

「ピニョがレオ様の一部!?ハワワワワっ、嬉しいです……」


 なんか聞こえたけど無視しておこう。


 せっせと足を動かし、やっと丘を登り切った。でっかい木の下はちょうどいい影ができていて、真上の太陽の光が木漏れ日を落とす。


 カミルが元気に駆けていき、そのデカイ木の枝を掴んで器用に登り出した。


「レオにーちゃん!にーちゃんも登ってみる?」

「いやだ」

「えー」


 そんな猿みたいなことするか!!


「じゃああんたも手伝う?」


 と、イリーナが俺にシートを渡そうとする。


「いやだ」


 木に登ることを選んだ。


 まるで登ってくれというように、その木は枝がクネクネしていて、いい感じに凸凹している。


 というか、そういやイリーナも木に登っているところを見たが、これは遺伝か?


「にーちゃんって、木にも登れるんだね」

「当たり前だ。俺も小さい頃はそれなりに木に登ったり川に飛び込んだりもしたさ」

「へー。魔術師になる人って、そういう事しないと思ってた。ねーちゃんが変なんだと……」

「そんなわけないだろ。みんなガキの頃はあったんだから。お前のねーちゃんが変なのは認めるけど」


 木の中腹あたりまで登ると、迫り出した太い幹の上から町が一望できた。


 中々にいい眺めだ。


 風が木の葉を揺らし、その度にサワサワと心地の良い音が耳をくすぐる。


 丘の下の田畑を、風が吹き抜ける。広がる麦畑が黄金の海のようだ。


 そんな田舎の風景の中、目障りなものが視界に入った。


「チャズたちだ」


 カミルも気付いたようで、その方向を悲しげというか、羨ましそうに見た。


「昨日の奴らか」

「うん。魔術の練習かな」


 麦畑の端、雑木林と接するあたりで、昨日カミルに絡んできた子どもたちが集まっていた。三人とも何もない空間に火を出そうと必死なようで、拙い魔力の残滓がここまで漂っていた。


「〈火炎〉、がやりたいらしいな」

「なんでわかるの?」

「感覚的に、火のイメージがある。初歩的な魔術だし、扱いが簡単だ」


 魔力残滓は、意識していないと残ってしまう。指紋みたいなものだ。


 それと同じくらい、拙い魔術ほど魔力から情報を垂れ流しにしていて、なんの属性変換をしているかがわかってしまう。


 魔力供給の遅延を無くすのは、そう言った情報を垂れ流さないようにするという意味もあるのだが、今はどうでもいいや。


「すごいや。あんなに離れていてもわかるんだ」

「俺くらいになると、感知できる距離もひろいんだよ」


 俺くらいというのは、もちろん特級魔術師のことだ。


「ねぇ、レオにーちゃん。昨日魔術見せてくれるって約束したよね」

「約束させられたの間違いだ」

「一番得意なの見たい」


 話を聞けよと、文句でも言いたいところだが、見るからに落ち込んでいるカミルに同情してしまった。


 自分はできなくとも、その力を見るだけで満足しようとしている強い少年を、俺は結構気に入っているようだ。


「なら、あいつらが死んでもできそうにないやつ見せてやる」

「固有魔術?」

「アホか。そんなんはポロっとやっちゃダメなんだぞ」


 俺は多分結構悪い顔でニヤついていたと思う。


「俺がやったって言うなよ?」

「う、うん」


 カミルがワクワク8割不安2割みたな顔で頷く。


「〈紫電の雷、黒雷の咆哮、天より下されん:雷双破

〉」


 俺が唱えた詠唱が円環を構築する。その場所は、魔術の練習をするチャズたちの頭上だ。


 お天気で、まったく天候が変わりそうにない空の下。突然雷が鳴った。それも、チャズたちの真上で。


 蜘蛛の子を散らすように、麦畑に逃げていくチャズ達が見える。


「アッハハ!すっごい!!」

「だろ。これは一級魔術雷系統の〈雷双破〉だ。お前のねーちゃんでもできないやつな」


 と、ドヤ顔しているが、俺は必死に痛みに耐えていた。少し距離が離れていたから、結構魔力を消費してしまった。


 規模や距離、範囲を考慮して魔術を使うのは、実は昔から俺の苦手なところだ。だから魔力量が制限されている今、そのコントロールに苦戦している。


 これは内緒にしてくれよ?俺にだって苦手はあるんだ。


「もっかい!もっかい!」

「待て、ちょい休憩。次はこっから、イリーナに水でもかけようか」

「ねーちゃん怒るよ」

「それが面白いッタ!?」

「聞こえとるわ!!」


 下から石が飛んできて、俺のおでこに当たった。ナイスコントールだった。割と高低差があるのに。


「くだらないこと言ってないでお昼にしよ!」

「はーい!」


 カミルがせっせと木から降りようと、枝に足と手を這わせる。


 それを尻目に、俺は木から飛び降りる。


「にーちゃんズルイ!」

「鍛えればお前もできるぞ!!」

「ムリだよ…」


 それもそうか。俺は昔から、ひとより身体能力が高い。魔族並みだと言われたこともあるが、あそこまでめちゃくちゃなわけでもない。普通に人間だ。


 俺がくだらない事をやっている間に、木の下ではきっちりと準備が整っていた。


 大きめのシートの上には、朝から俺とイリーナが作ったサンドイッチや、飲み物が用意されている。あとお菓子。


「うわぁ、豪華だね!」


 カミルが顔を輝かせ、イリーナがえへんと威張る。


「朝から頑張ったのよ。レオと」


 ユイトがギョッとした顔で俺をみた。


「お、お前…そんな特技がっ!?」

「うるさい。特技でもなんでもない。生活に必要だっただけだ」


 だから味は知らん。


「負けた……」

「そもそも勝負になってないだろ。俺(元特級)とお前(学院生)では」


 顔を覆ったユイトなんて放っておいて、俺たちはシートに座って食事を始めた。


 時たまガリっとした感触がしたのは、多分リアの割った卵の所為だ。俺はリアを絶対に台所に立たせないと決めた。


「そういえば、連休が終わったら他クラスと合同の模擬戦があるよね」

「そういやそんな話あったな。協会の偉い人がみに来るやつだろ」


 俺は黙ってそれを聞いていたが、ユイトやイリーナの意気込みはめちゃくちゃ伝わってきた。


 なんでも、その模擬試合で協会の偉い人にアピールして、コビを売ろう……じゃなくて、少しでも覚えてもらおうという話だった。


「優秀な人は、協会に入るのも優遇してもらえるんだって。一年目だからって、気を抜いちゃダメなんだからね」

「俺に言われてもなぁ」


 俺は特級に戻れるし。その時まで生きていたら、だけど。


「お前らならそれなりに優秀な成績残せんじゃないか。仮にもこの俺が、ほぼ毎日訓練してるんだ」

「そうかな……」


 自信なさげな三人だ。


「実戦経験が無いと不安か?」

「うっ」


 しゅんとする三人に、俺はため息が出た。


「80人いるやつの殆どがこの間の任務体験で初めて魔獣を見たような奴らだぞ。他のクラスにどんな奴がいるかは知らんが、この俺と特訓してるんだから負けるわけないだろ」


 リアは後方支援系だから論外だが、イリーナとユイトは魔獣を倒せる実力はあると俺は思っている。


「はあ。まあいい。模擬試合で自分がどのレベルか知れる。そういう意味ではいい経験になるんじゃないか」


 所詮は学院のお遊びみたいな試合だ。実力を確かめ合って、士気をあげようとかそういう感じの。


「俺が協会の偉い奴だったら、だが」


 お節介かもしれないし、俺は特級のころからそんなイベントがあるなんて知らなかったからアレだけど。


「簡単に試合に勝つような奴は選ばない」

「え?」


 三人が三人とも、意外、という顔をした。


「強い人が目立つんじゃないの?」

「そりゃ目立つけど、俺たちは魔術師だぜ」


 そんなん、決まってるだろ。


「自分より目立ちそうな奴を、わざわざ選ぶわけないだろ」


 強い奴が入ってくるってことは、自分の階級を脅かすような奴が増えるって事だろ?


 そんな奴を優遇するわけないだろ。


「時々思うけど、魔術師ってみんなアンタみたいなクズなの?」

「クズじゃなくて腹黒いんだよ」


 腹黒さでいうと、俺はまだまだ可愛い方だ。


 微妙な空気は一瞬で、爽やかな風と輝く太陽の光がそれらをきれいにどっかやった。


 昼食が終わる頃、満腹の腹を抱えてシートに転がっていると、またもわずかに魔力の残滓が漂ってきた。


 拙いがゆえに、それは強く風に漂う。


「チッ、あいつらまたやってるな」


 そう呟くと、カミルがその方向へ顔を向ける。木の上ほどちゃんとは見えないが、多分三人とも揃っている。


「なんの話?」


 イリーナとユイト、リアもその方向へ顔を向ける。


「カミルの学校の魔術クラスの奴らが、昼前から魔術の練習をしてる」


 そう言うと、イリーナがうんざりした顔をして、リアがアハハと、悲しげに笑った。


「チャズ達ね」

「ああ。昨日、学校の前であった。イリーナ信者だった」

「やめてよ。あいつら、いつもカミルの、」


 と言いかけて、イリーナは押し黙った。カミルは、イリーナによく似た活発な瞳を、優しげに悲しげにして姉を見た。


「ねーちゃん、僕はねーちゃんが頑張ってるから大丈夫だよ。だから、チャズ達を悪く言わないで」


 例えば魔術が、練習すれば誰でも等しく使えるようなものだったら、できない奴を嘲笑うのは簡単だっただろう。


 誰でもできるのだからと、諦めることも簡単だっただろう。


 でもそうじゃない。


 どれだけ望んでも、できないものにはできない。


 奇跡を起こすと言われているけど、魔術は時に残酷な現実を突きつけてくる。


 それが、魔力を持っているかどうかという、才能という確たる差だ。


 これでも俺は、自分が矛盾の多いことを考えていることを自覚している。


 努力は美徳だが、それさえ許されない人もいる。


「ま、まあほら、今日は楽しいピクニックだろ?そういう話はまたにしよう、な?」

「私、このサンドイッチの具、きにいったなぁ。私でも作れるかな?」


 などと場を取り繕おうとするユイトとリアだ。


「ピニョ、なんか面白いことやれ」

「あひ!?む、むちゃぶりですよレオ様!!」

「できないなら今日からこの木がお前の家だ」

「あわわわ、ど、どうしましょう!?」


 慌てるピニョがシートの凹凸に躓いてすっ転ぶ。


 まったくダメなドラゴンだ。


 あひいい、と変な声を上げて転げ回るピニョに、なんとなく場が和んだ。


 が、それは一瞬だった。


「ん?」

「どうしたの、レオ」


 首を傾げる俺に、イリーナも同じように首を傾げる。


「魔獣かな……」

「え?」 


 僅かだが、あの歪な生物と魔族の魔力が混ざったようなイヤな感じがした。


「どこだ?」


 ユイトがキョロキョロと辺りを見回すが、残念ながらかなり遠い。


「あっちだ。遠いから関係ないだろ」

「そんなっ、魔獣がいるなら倒さなきゃ」

「そうだぞ、レオ。おれたちはこれでも学院生なんだ」


 学院生と魔術師は違う。と、思ったけれど、ちょうど模擬戦の話もあったし、ならばと思った。


「ならお前らで倒してくればいいだろ。俺は知らん」


 そう言うと、イリーナがサッと立ち上がる。それに続いて、ユイトとリアも倣う。


「じゃああんたはそこで座ってればいいわ。あたしは、そんな魔術師になんてならないから」


 俺を睨むイリーナの瞳は、強く鋭く、俺が今までにみたどんな魔術師よりも格好良かった。

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