第45話 イリーナの覚悟③
宿舎の自室で着替えを済ませてたところに、いつもの如く突然シエルが現れた。
「やあ」
「シエル……どうした?ご機嫌ナナメか?」
いつもの通りニコニコしているが、若干頬が引きつっている。
「少しね」
「ジェレシスのことか?」
「まあ、そうだよ。僕はあいつを好きになれそうもない」
「俺も同感だ」
何せあいつは、初対面で俺の右腕を力任せに引き千切り、挙句にその腕をちょっと齧って、シエルに渡したのだ。
そんなやつを好きになれるわけもない。
「あいつについて何かわかったのか?」
そう問うと、シエルはまたピクピクと頬を動かした。
「何も。お手上げだよ」
「ハハッ、お前でもお手上げなことあるんだな」
「そういう君はどうなんだ?何か進展はあったの?」
今度は俺がため息を吐く番だ。
「俺も特に進展はない。まあ、この間の東部の件からも、俺がルイーゼに嫌われていることは明確だけど」
「アッハハ、君はどこにいても敵を作るね!!」
「なんでかなあ?」
「クズだからだよ」
「うるせえょ!俺なんかまだソフトなクズだ!」
プククと笑うシエルが本当にウザい。しばいてもいいかな。
「俺なんか死んでもなんも変わらんと思うんだがなあ……」
「君が死んで喜ぶのは、間違いなく魔族だよ。それか、君になにかとんでもない秘密があって、それを隠したいとか」
「なんだよそれ。そんなわけないだろ」
シエルにしては面白い発想だ。
「ザルサスが白だったから、さらに上の奴が魔族と繋がってるって事になる。その魔族は、最近出てきたジェレシスか、もしくは貴族の誰かだろ。そもそもなんで手を組んだんだ?」
本気で俺が邪魔ってわけでもないよな?
「この間の東部のことは、正直言うと貴族は関係ないんだ。ジェレシスが勝手にやったって事になってる。貴族は君にあの城を取られてから、取り返すのは簡単だと放っておいた。特に重要な城でもない。それが、僕はどうしても気になるんだ」
金属の城は、確かに特に重要なものがあるわけでもなかった。一応最初に奪った時に全て確認した。特級としての魔力感知にひっかからない隠し扉など存在しない。多分。
「本当に何もなかったんだよね?」
「知らん。そう思うなら、シエルが見に行けばいい」
「無理だよ!この前君が取り返したばかりなのに!」
確かに。
「わかった。暇があったら見に行ってやるから、今日はもう帰れ」
「そうするよ。疲れてるみたいだしね」
シエルにはバレバレのようだ。
というのも、東部以来体調は万全ではない。
あれだけ魔術を使ったから、封魔の呪いがずっと身体の中を蝕んでいる。
徐々に落ち着いてはいるが、学院でバレないようにするのが精一杯だった。
また熱でも出せば周りのやつがうるさいし、このところはちゃんと休むようにしている。
「じゃあ、また」
シエルがスッと消える。便利で羨ましい。
次の休みにでもまた東部へ行くか……
いや、そういや次の休みはピクニックとか言ってたな。
まあ、時間はまだある。
たまにはガキらしく遊んでもいいよな。
そう考えているうちに、いつのまにか夢の世界へ旅立っていた。
いつも通りの授業中。
今日は詠唱の効果についての授業だった。
詠唱につかう単語がこれでもかと書かれた分厚い教科書を枕にうつらうつらしていると、ピシッと細長い棒のようなもので頭を叩かれた。
「痛っ」
「ゴホン。レオンハルトさん、授業中ですよ」
顔を上げると、指示棒を持った太ったおばちゃん教師がいた。
余程紫色が好きなのか、ピチピチのタイトスカートもブラウスもジャケットも全部紫色で統一してる奇抜なファッションセンスを持った教師だ。白髪染めまで紫色なのだから、こいつは多分前世は紫の塗料だったんだと俺は思っている。
担任の先生が欠席のための代理の教師で、時たまやってくるこのおばちゃんを、クラスメイト全員が嫌っている。
「しっかり聞いていないと、ペケを付けますよ」
「はあ?」
このおばちゃん教師は、学生を注意する時かならずペケをつけると言って脅す。
ペケってなんだ?
「あなた、学年一位の成績なんでしょう?でも、授業態度はダントツで最下位ですよ。欠席も遅刻も多いそうですし」
それを言われると、俺としてはどうしようもない。
「すみません!レオはその、体調が悪くて休んでたんです!仕方ないじゃないですか」
イリーナがサッと手を挙げて俺をかばう。俺がどんたけ酷い目にあっているか知っているからだ。
「ではあなたは、協会正規の魔術師になってもそんなことがいえるんですか?任務では、魔術師の助けを待つ人々が多くいるのですよ。それを自身の体調がどうとか言って蔑ろにするのですか?」
おばちゃん教師の口撃に、イリーナは押し黙った。確かに、協会規則に「自身の幸福より万人のそれを優先すべし」というものがあるが、そんなもの誰も守っちゃいない。
リリルやジャスがいい例だ。
あいつらは四級で満足し、結構な頻度二日酔いで死んでる。
高ランクになると報酬が良くなるが、二人とも夜遊び分の稼ぎで満足するような人種だ。
そういう奴が俺の知る限り両手の指で足りないくらいいる。
「文句を言っていないで、しっかり授業を聞きなさい。いいですね!?」
「……はい」
押し黙るイリーナだが、その目はまだ少し怒っていた。
「それでは授業に戻ります。みなさん、魔術を使う時に詠唱をしますが、詠唱は魔術を使う為だけのものではありません」
おばちゃん教師が言っているのは、葬儀で唱える故人を偲ぶための詠唱や、ナターリア祭で唱える詠唱など、魔力の有無にかかわらず、その言葉自体に力があるとされ伝承されてきたものの事だ。
「では、人々はなぜ効果を発揮しない詠唱を唱えるのだと思いますか?」
おばちゃん教師が、ピシリと指示棒をさした先には、ギャルのエナがいた。
「え、うち?」
「あなたに聞いています」
「えーっとぉ、なんとなく?」
エナが苦笑いで答えると、おばちゃん教師が盛大なため息を吐き出した。
「昔は魔力の存在が明確化していなかった。魔力のあるものと無いもので、明確な区切りがなかった。詠唱に使用する文字は、神と言葉を交わすためのもとされていて、信仰神に語りかけるため人々は詠唱を唱えた。その中に魔力を持つものがいた場合、詠唱は魔力に反応して効果を発揮する。それが今も残る詠唱の始まりだ」
という、一般的な解説を俺はエナの代わりにしてやった。
「それで、今の魔術師という制度ができると、魔力のあるものとないもので差ができた。だが、詠唱だけは人々の願いや思いのために残った。今でも力のある魔術師が唱えると、力を発揮する詠唱は沢山ある」
魔術師という職業がなかった時代、魔力をもつものはとても苦労しただろうと思う。
今でこそ魔力という力が認められていて、初等教育にもそのカリキュラムが組まれているが、それはわりと最近の話だ。
「意外によく知っているようですね」
おばちゃん教師は、たいして感心した様子もなく言った。
ザルサスは古の詠唱文から教える超古典的な魔術師だったから、俺にとっては当然の知識だ。
「まあな」
「あなたは力を発揮すると言いましたが、現在でも残る詠唱文に、力を与えられる魔術師はそういません」
確かに、今の魔術師のレベルではできない者の方が多い。魔術名のある魔術は、体系化された万人に使いやすいものになったが、詠唱の本来の力は発揮されない。
魔術は素晴らしい技術だけど、繁栄と衰退を同時に迎えた、儚いものでもある。
それが顕著なのが魔道具だ。
詠唱自体に効果を持たせて道具に付与する技術は、現在では数人の魔術師が継承している程度で、今ある魔道具は使い古しを修繕したものばかりだ。
もしくは質の悪い粗悪品。
「先生は間違ってるぜ。詠唱も魔力にも変化はない。変わったのは人の方だ。魔術名のある定型文に魔力をそわせようとしている。それが今の魔術師だ」
おばちゃん教師は、ピクッと頬を動かした。
「それは当然です。魔力を魔術にするには、その定型文が一番、詠唱の力を得られるのですよ」
「それが間違ってる。詠唱に込めるのは魔力だけじゃない。イメージや思いだ。今の魔術師のレベルが低いのは、詠唱や魔術名任せの魔術を使うからだ」
昔の人は、詠唱を唱えるとその効果に大きな期待を抱いた。死んだ人は幸せに天国に行ける。国はますます繁栄する。そういうイメージを膨らませていた。
今の人は違う。唱えても何もおこらない。自分にはそんな力はない。そう思っているから、はなからなにも起こらない。
魔術師たちもそうで、〈火炎弾〉は〈火炎弾〉だし、〈水波〉は〈水波〉。なぜなら詠唱が効果を定めた魔術名だから。もちろんイメージの力次第で、効果は千差万別となるが。
俺はそんな魔術は美しくないと思う。
「ではあなたは、魔術名のない魔術を使うことができるのですか?」
詠唱に魔力をのせて、イメージのみで効果を発揮する。それは、俺にもできる。
ただ、莫大な魔力を消費する。
以前、指先に火を灯すのを見せたが、詠唱自体に魔力を流し効果を出すのは、さらに難しい技術だからだ。
「できるぜ。〈清白の蒼、黎明の時、「レオ、ダメ!!」
プッツンと魔力供給が止まり、その分の魔力が無駄になった。
「イリーナ!なんなんだよお前!ちょっと前から俺の邪魔ばっかしやがってマジでそのうち泣かすぞ!!」
クラス中がシーンとした。思いの外真剣に怒鳴ってしまったからだが、俺は本当にキレていた。
「だって……」
イリーナが何か言いたそうにしているが、一切聞く耳を持たなかった。
「俺はな、魔術を極める為だけに生きてきた!それを邪魔するなら、お前でも許さないからな!!」
腹が立った。
俺の生きる意味は、魔術を極める事だった。
それは昔の約束とか、ザルサスの教えのためだとか、そういう俺を形作ってきたもの全てに誓った事だった。
だから、途中で止められる事ほど腹の立つことはなかった。
とても大人気ないというか、まあ、頭に血が昇っていて、あまり冷静ではなかった。
ガンッと机を蹴って立ち上がる。そのまま、教室を出た。
後から思い出すととても恥ずかしいけど、俺にもこういう、年相応の一面があるという事で大目に見てくれると嬉しい。
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