第44話 イリーナの覚悟②



 イリーナは涙の筋を作りながら宿舎に駆け込んだ。どたどたと中へ入ると、一階の玄関横にある談話室から出てきた人物とぶつかってしまった。


「きゃあっ」

「いったぁ」


 制服の袖口で涙を拭いながら顔を上げると、ぶつかった相手は同じクラスのギャルのひとり、ミコだった。


「ご、ごめんミコちゃん」

「いやうちこそちゃんと見てなかった…って、どしたの?」


 泣いているイリーナにギョッとする。


「なんでもないの。ちょっと、」

「誰よ?」

「へ?」


 思いの外ドスの効いた声音のミコに、イリーナの涙がスッと止まる。


「イリーナ泣かしたん誰よ?男?締めちゃる!」

「えっ、ちょ、大丈夫だからね!?」


 ミコが本気で心配してるのがわかる。しかし、男と聞かれると、途端に気恥ずかしさに襲われるイリーナだ。


 勝手に泣いていたのだが、それでも男の所為かと問われたらその通りである。


「どしたのミコ?」


 ひょこっと談話室から顔を出したエナが、首を傾げながらイリーナの顔を見た。


「なに?修羅場ったの?」

「しゅ、修羅場ではないよ!!違うの。ちょっとね…同じ人間なのに、どうしてこんなに違うのかなって考えちゃって……」


 イリーナのその悩みを、ミコとエナに本当の意味では話せない。レオの機密に触れるからだ。


「うちらで良かったら話聞くよ?」

「ちょうど菓子パやってんの!イリーナもおいでよ!」


「え?菓子パ?」


 有無を言わさないギャル二人に引っ張られ、談話室の一角のソファに座らされる。


 テーブルの上には、イリーナでも驚く程のお菓子の山があった。子どもの頃ならば飛んで喜ぶところだが、体型を気にする年頃であるために、素直に喜ぶことができない。


「どーぞ!好きなん食べなよ」

「あ、ありがと」


 食べたい。でも、ちょっとした罪悪感を感じないこともない。


 迷っていると、ミコが言った。


「あれっしょ、レオちんのことっしょ?」


 ビクッとイリーナの肩が震える。図星だからだ。


「う、うん……」

「やっぱりねっ!何されたの?」

「何されたって言うか…話してくれないっていうか……」


 そもそも、二週間前に急に居なくなったと思った時からイリーナは納得していないのだ。


 学院に来ない。次の日も来ない。満を辞してバリスに事情を聞きにいったが、任務に行っているとしか答えてもらえず、結局あの手紙がなんだったのかもわからず、三日目の夕方に帰ってきたと思ったら、朝から飲み歩いたのかフラフラと学院宿舎に帰ってきた所に遭遇した。


 任務について詳しく話してくれないのは仕方がない。イリーナはまだ学院一年目であり、正式な魔術師ではないし、レオはクビになったとは言え特級魔術師だった。


 だから、イリーナにはわからないことがあっても仕方ないと理解している。


「男ってほんと大事な話してくんないよね」


 イリーナの心のうちを読んだかのように、エナが呟く。それからパクッとチョコ菓子を口に入れた。


「それなー!飲み行くなら行くっていやいいのに」

「女のいる店で飲んでたってそんなん別に気にしないのに!」

「後から言うからキレてんだって、ねぇ!!」


 あれ?と、イリーナは内心首を傾げる。


「えっと、ふたりともなんの話してたの?」


 興味本位で、一応尋ねてみる。


「カレシだよ!」

「そ!うちらレオちんの友達の協会魔術師と付き合ってんの」


 イリーナの頭が真っ白になった。彼氏がいるのは、まあちょっと羨ましいとは思う。だが、それが協会魔術師ということは、結構歳上なわけで。いいのか?と、思わないこともなかった。


 それともうひとつ。


「レオの友達?」

「そ。前に紹介してって話になってさ、協会案内してもらったの」

「そん時に知り合ったんだけど、もともとレオって協会魔術師だったじゃん?うちらのカレシ、そんときの友達なの」

「へ、へえー」


 レオにも友達がいたんだ、と失礼な事を考えるイリーナだ。


「だからさ、イリーナがレオちんと付き合ったら、トリプルデート出来るね!」

「……なっ、ないないないない、絶対ない!」


 なぜ自分がレオと付き合うという話になるのだろう?確かにさっき泣いていたのはレオの事が原因だが、それと、付き合うという話は関係がない。


「あれ?イリーナはレオちんが好きなんじゃないの?」

「泣いてんのもその事が原因じゃないの?」

「ち、違うよ!別に、あたしはあんなヤツ好きでもなんでもないもん」


 と言ってから、チクリと胸を刺すものがある事にも気付いた。


「んでもいい感じじゃん。リアに遠慮してんの?」

「それも違うわよ!リアが可哀想よ!」

「リアがレオちんを本気で好きならどうする?」


 エナの言葉に、またチクリと胸が痛くなる。


「あたしらから言わせてもらうとさ、ああいうクズな男って、とりあえず可愛い女にはいい顔しておいてさ、本命には絶対に素直になんないんだよ」


「はぁ」

「そだよ、イリーナ。そんで、一番話さなきゃなんない相手には、絶対話さないの。飲み屋の女にはベラベラ話すくせに、大事な人には何も言わないんだよ」


 少しドキリとした。確かにレオは自分には何も話してくれないし、リアみたいに褒めてもくれない。というより、リアの方が可愛いのは確かだ。だから、自分は言われないと思っていた。


「好きな相手にこそ、なんでもないフリしちゃうんだから男って勝手だよねー!!」

「それにうちらの好きな相手、クズだもん。余計だよねー」


 クズとわかっていて付き合っている二人が、なんだか大人の女性に見えた。同い年なのに、だ。


「顔がいいってのもズルいよねー」

「それなー!」

「ほんと完全にルイ友だよね」

「わかる!」


 ルイ友?と、首を傾げるイリーナに、ギャル二人は言う。


「だってレオちんの紹介だよ?クズに決まってんじゃん」

「類は友を呼ぶって言ったヤツマジ天才」


 イリーナは、なるほど、と納得してしまった。


「そんなクズに恋してしまったうちらマジヤベェ!」

「ってことで、イリーナもほら、仲間の印にはよ菓子食え!」

「えっ、ちょ、ブガッ!?」


 無理矢理口にチョコ菓子を突っ込まれる。


 甘いチョコの味と、楽しいクラスメイトのおかげで、イリーナはいつのまにか泣いていた事も忘れていた。


 少しの罪悪感は、おしゃべりの中に綺麗に消えてしまう。


 そんなイリーナを、談話室の入り口の影で見ていたリアは、クスリと小さく笑う。


 どうやって仲間に入れてもらおうかな?と、考えながら、リアはニコニコと笑うのだった。








 という、女子たちの楽しい会話の一方で……


 レオのもとには、シエルが訪れていた。


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