第36話 憧れ⑤


 朝、レオに言った自分の言葉が気不味くて、教室でどうやって話そうかと悩んでいたユイトだが、そんなレオは思いの外あっさりしていた。


「ミコちーん、その後どうよ?」

「レオちんおはー!それがさぁ聞いてよぉ」


 レオは教室に入ってくるなり、クラスメイトのギャル二人と楽しくお喋りを始めた。


 なんでもない、ただの思春期の男女の話だ。つまりは、ミコが好きな相手がどうだ、とかそういった話。


 ユイトは理想と現実の乖離に、戸惑いながらも、それでもこれが普通なんだと思う。


 『金獅子の魔術師』とて、ユイトと同じ人間だ。


 食事もするし着替えもするし眠くもなる。風邪だってひく。


 それが同じ歳の男子なら、さしてユイト自身と変わらない。


 勝手に憧れて、勝手に思っていたのと違ったと戸惑っているのはユイトの方だ。


 だから、キルシュのあの目が気になった。


 まるでスーパーヒーローにやっと会えたかのような、輝く瞳だった。


 その気持ちはとてもよくわかる。ユイト自身、何も知らなければ特級魔術師に同じような眼を向ける。


 憧れが強すぎるキルシュが、レオが本当はどんな奴か知ったらがっかりするだろう。実は『金獅子の魔術師』で、協会をクビになるような奴だと知ったら落ち込みそうだ。


 しかしそれは、ただの杞憂だ。


 なぜならキルシュは、レオが金獅子だと知りはしない。国家機密だから。


 早く目を覚ました方がいいぞ、と、隣のクラスのキルシュに念を送ることくらいしか、ユイトにできることは無かった。








 放課後、ぐったりしたピニョを抱えて宿舎への道を歩いていた。


 一日中鞄にくっついていたバカなピニョは、疲れ果てて鞄から取れたのだ。


「家に帰るまでが学院だぞ。ピニョは失格だ」

「ふえぇ、レオ様は鬼です」

「その辺に捨てないだけマシだろ?」

「はいです……」


 ピニョは超回復の固有魔術を持ったドラゴンだ。その身体に触れているだけで少し体調が良い。大きめの猫くらいの重さで、抱き心地もなかなかだ。


「レ、レオ様…それ以上ギュッとされると、ピニョは幸せ過ぎて死んでしまいますです」

「たしかこの辺にゴミ箱があったなぁ」

「うひゃあああっ、捨てないでくださいです!!」


 ゴミ箱を探しながら歩いていると、訓練用の広場が目に入った。


「あ」

「ご、ゴミ箱発見ですか!?」

「ちげぇよ。あれキルシュだ」


 ふぇ?と、ピニョが首を回す。俺の見ている先にはキルシュがいて、なんだか尋常じゃないほど荒れた魔力を練り上げていた。


「あー、煮詰まってんな、あれは」

「ですね。全体的に不安定です。かわいそうですが、あまり才能もないみたいですね」


 ピニョはなかなかキツい毒を吐いた。まあ、俺もそう感じてしまったのは内緒だ。


「ただ努力は認める。才能があっても努力をしない奴はクソだからな」

「レオ様のことですか?」

「お前マジで捨てるからな」

「あうっ、口が滑りましたです!ホントはそんなこと思ってないです!」


 とか言うピニョはどうでもいいが、俺はまた、少しのお節介を焼く事にした。


「もう少し肩の力を抜けよ。力任せじゃ魔力は練れないぞー」


 キルシュの側に立って声をかける。集中していたようで、キルシュはビクッと肩を震わせ、それから眼鏡を直した。


「レ、レオくん……」

「水系が得意なのか?」

「う、うん」


 なるほど。広場が水浸しなのはそれか。


「自主的に練習するのはいい事だ。魔術は反復練習が大事だからな。が…不完全な魔術を連発するのはムダな行為だ」


 変なクセでもつけば、直すのは難しい。


「ムダ、だよね…僕なんかがいくら練習したって、君みたいにはなれないから」

「は?アホか。お前は俺じゃないんだから、俺みたいにはなれんだろ。それより、自分が出来ることから完璧にしていけばいい」


 キルシュが唇を噛んで俯く。


「出来ること…?僕には何ができるんだろう……」

「んなことは自分で考えろよ。お前は俺じゃないように、俺もお前じゃないからな」


 完全にお通夜だ。ズーンと、暗雲がキルシュの上に立ち込めているようだ。


「はあ。よし、お前手を出せ」

「え?」

「いいから、手」


 俺が右手を出して、掌を上にする。そこに、恐る恐るキルシュが手を重ねる。


「これはあくまで、俺のイメージだからな。お前はその感覚だけ掴めばいい」


 キルシュの手が震えている。魔術の使いすぎで疲れているのか、緊張しているのかは知らんが。


「〈大地を抉り、岩をも砕け:水弾〉」


 水系統は静けさと荒さの両方のイメージが必要だ。例えるなら女。高いボトルを入れるとめちゃくちゃ優しいのに、給料日前に安酒を頼むとキレる。そんな感じ。


 キルシュにわかりやすいように、詠唱と円環構築をあえてゆっくりした。ゆっくりといっても、魔力供給は途切れさせない。


「な?わかっただろ?」


 俺が作った水弾は、やっぱりちっさい水鉄砲みたいなもんだったけど(痛いのは嫌だからだ)、キルシュはそれでも目を輝かせて喜んだ。


「すごい!レオくんの魔力の流れがわかったよ!まるで芸術だね!」

「そ、魔術は芸術なんだぜ」


 どんな音楽も、ただ掻き鳴らせばいいわけじゃない。絵も描き殴ればいいわけじゃない。それと同じで、魔術だってただやればいいわけじゃない。


「魔力は一種の才能。キルシュは持ってんだから、大事に扱えよ」


 そう言って笑ってやれば、キルシュも今までの暗い顔から一変して笑顔になった。


「うん。ありがとう。でも、レオくんはもっと凄い魔力を持ってるのに、なんで使わないの?」


 ゾクっと、背中が泡立った。


「何のことだ?」

「僕は知ってる。君が『金獅子の魔術師』だって。なのに、どうしてその力を使わないの?先輩に絡まれた時だって、怪我をする前に倒せたはずだよね。昨日の授業もそうだ。どうしてあれだけの魔術で倒れたの?」


 キルシュは知っていたんだな、と、冷静に考えて、言うべき言葉を探す。別に知られていたのは問題ではない。いくら協会が秘匿していても、偶然はあり得るからだ。


 だが、それよりこの執着のような「どうして?」に、なんて答えていいのかわからなかった。


 そういえば、ユイトが言っていた。


 キルシュは俺に憧れている。そして今わかったが、キルシュが憧れているのは、金獅子としての俺だ。


「お前が金獅子にどんな理想を抱いているのかは知らんが、俺は俺だ。今は事情があってあまり力を使えない」

「そんなの、本物の君じゃない。僕は見たんだ。君が魔獣の大群を一瞬で消し去るところを。あんな風になりたいと、思っていたのに……」


 随分と勝手な事をと思った。俺は今の状態を、嫌々ながら受け入れているのに。


「僕は本物の君が見たい。本物の君に、僕を見てほしい」

「キルシュ…?」


 キルシュがポケットから何かを取り出す。それは小さなお菓子のようなもので、僅かに甘い嫌な匂いがした。


「僕が君に、本当の自分を取り戻させてあげるね」


 そう言って取り出したものを飲み込んだ。オドオドした自信のなさそうなキルシュはどこにもいない。


 目の前のキルシュは、ただ暗い笑顔で、俺を見ている。


「レオ様っ、キルシュ様の魔力が!?」


 ピニョが叫んだ。俺にもわかる。無理矢理底上げされたような、歪んだ魔力がキルシュを取り巻いている。


「んだよ、俺は襲われに学院に通ってるわけじゃないのに」


 これなら協会で任務に行っているのと変わらない。いや、力を封じられていなかっただけ、任務の方がマシだ。


「レオくん、僕の本気を見て。本当の君を見せて!!」


 訳のわからない事をいいながら、キルシュが水弾を無詠唱で撃ち込んだ。人の頭くらいの大きさの水の塊が高速で飛んできて地面を抉った。


「おわっ!?ちょ、キルシュ!やめろ!」


 走って避けるが、水弾は連続で的確に俺を狙ってくる。


「〈神速、剛魔の鎧、降りしこの身に、疾く変われ:強化〉!!」


 逃げながら強化の魔術をかける。速さは倍以上になり、一発や二発当たっても死にはしないが、そのかわり封魔の力が俺の身体を蝕む。


 飲み込んだ吸気に血の味が混ざる。


「〈大気を貫き爆ぜろ:雷撃〉」


 広場を逃げ回りながら、雷撃を放って目眩しにする。水弾をばら撒いていたキルシュが一瞬目を閉じた。


「キルシュ!ふざけた事やってないで、目を覚ませ!!」


 キルシュの背後へ回り込み、拳を振り抜く。まさか剣で斬りつける訳にはいかない。


 そして見た。キルシュの制服から覗く肌に、俺と同じような痣があるのを。


「っ!?」

「〈水絶〉!!」


 拳が届く前、キルシュと俺の間に水の壁ができる。


 パシャっと拳が水に触れる。殺しきれなかった衝撃が、ダメージとなって右腕に返ってくる。すぐに後方へ跳んで離れると、上方から降ってきた水弾が目の前の地面を抉って弾けた。


「レオくんは僕に、本当の君すら見せてくれないんだね」

「何か勘違いしているようだけどな、俺だって全力出したいんだぜ!!」


 このもどかしい感じ、お腹痛いのにうんこが出ないみたいでめっちゃ不快。


「じゃあ全力出せるようにしてあげる」


 キルシュが静かに、そしてハッキリと唱える。


「〈鎮る水面、清流の流れ、洗い清めよ:水波〉!!」


 円環から大量の波が押し寄せ、その規模はなかなかにでかい。


「ヤベッ、ピニョ逃げろ!」

「はいです!」


 少し離れたところでハラハラと様子を見ていたピニョが空中に逃げる。


「アホか!俺も連れてけっ」


 と言う声は虚しくも届いていない。


 水波の波に足を取られる。マズいと思った時には遅かった。


「〈流れを止めよ:止水〉」


 キルシュが2つ目の魔術を使用。荒れ狂う海原のような水波がピタリと動きを止める。俺を水中に閉じ込めたまま。


「ゴホッ!!」

「レオ様あああっ!!」


 自分だけ逃げたくせにピニョが悲痛な叫び声をあげる。クソが。


「レオくんは強いから。僕の魔術程度じゃ死にはしないよね」


 これは……普通に死ぬが。息ができないのに死なない奴はいない。


「レオ様あああ」


 ピニョが俺を囲む水の檻の周りをパタパタと飛ぶ。鬱陶しい事この上なかった。


 呼吸を止めて出来るだけ簡単に抜け出せる方法を考える。が、今まで全てにおいて力押しだった俺に、他人の魔術を簡単に破る方法は、ない。わけでもないが。


 水中で詠唱はムリ。必然的に無詠唱、魔術名無しで力を使わなければならない。そうなると、魔力消費量が格段に上がる。


 俺はそれをしても、生きていられるか?


 どのみちこのままでは窒息死するが、気が変わったキルシュが魔力供給を止め、魔術を解いてくれるかもしれない。


 いやそんな事はないか。なんだかキルシュ、変だし。


 やっぱり力押しで出るか。


 この水波と止水を破るには、なんの系統でもいいが、倍くらいの魔力を込めた魔術を行使する必要がある。得体の知れない薬のせいで魔力量のあがったキルシュの魔力から逆算すると、俺に必要な魔力量はレリシアを上回った時以上だ。


 やるか?


 と、迷っているとキルシュの元へ駆け寄る影が見えた。ユイトだ。


「キルシュ!何やってんだよ!?」


 水中にくぐもったユイトの声が聞こえる。


「ユイトくん。僕、レオくんに本来の自分に戻って欲しくて」

「はあ?何言ってんだよ、レオはレオだ」


 ユイトが戸惑ったようにこっちを見た。そして、キルシュに向き直るとその頬を引っ叩いた。一瞬、供給される魔力が揺らぐ。


「キルシュの理想をレオに押し付けるな!!」


 ポカンとユイトを見るキルシュ。を見る俺はそろそろ限界だ。


「ガハッ」


 大きな気泡が水中へ逃げる。苦しい。今まで色んな目に遭ってきたが、溺れるのは初めてだ。


「いい加減にしろよ、キルシュ。レオにどんな期待してるか知らないが、あいつはお前が思っているほど立派な奴じゃないぞ」

「知ってる。だってレオは、魔族と仲良しなんだ。そんなの『金獅子の魔術師』じゃない。目を覚ますのはレオの方だ!!」


 シエルの事までバレてるのか。


「『金獅子の魔術師』がレオなんじゃない。レオの一部が金獅子なんだ。キルシュ、だからお前は間違ってる」

「うるさあああああいっ!!」


 キルシュがキレた。


 んで俺もキレた。もう我慢の限界。息ができない。


 イメージだけで魔力を属性変換する。死ぬほど繰り返し、ボロボロになるまで何度でもやった雷の魔術だ。


 バチチッ、と俺の周りの水分が弾ける。それは瞬時に広がり、水の牢獄を凄まじい電撃で消し飛ばす。近くにいたピニョだけではなく、ユイトもキルシュも目を庇うように腕を上げた。


「ゲホッ、ガハッ…はあっ、はっ」


 目一杯酸素を吸うのと、水分を吐き出すのとでかなり苦しかった。広がった痣が内臓を、筋肉を、骨を締め付けるような痛みをもたらす。


 吐き出した水は真っ赤に染まり、俺は少しめまいがした。


「レオ様!」


 急いで飛んでくるピニョを、とりあえずグーパンチで弾き飛ばす。


「ふんぎゅう!?レ、レオ様っ、ヒドイです」


 ヒドイのはどっちだよ、と思うが声にならなかった。


「どいつも…こいつも、俺をコケにしやがって……」


 ふらつく足を叱咤して立ち上がる。それからキルシュに向かって歩く。


 途中で倒れそうになるが、なんとか耐えてキルシュの前に立った。


「わけのわかんねぇこと言う前に、自分自身を見直しやがれ!!」


 イラついた感情のまま、振り抜いた拳がキルシュの頬を捕らえる……


 ……前に、満身創痍の俺は何もないところで躓いて転んだ。


「レオ!!」


 ユイトが慌てて駆け寄ってくるが、そのまま何も聞こえなくなった。

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