第35話 憧れ④



 学院が終わり、まだ日が暮れるには遠い時間。


 通りかかった学院内の医務室。漏れてきた声は、レオのものだ。


「お前さぁ、ひょこっと学院にまで現れて大丈夫なのかよ?」

「大丈夫。僕は結構優秀なんだ」

「いやそれはわかってるけどさ」


 もうひとつ、若い男の声がする。レオの声が粗野で荒いのに対し、もうひとつの声は優しく柔和だ。


「君やっぱり、限界近いんじゃない?」

「は?」

「前はこんなに反動出なかったでしょ。風邪にしては、大分酷いんじゃないかな」


 優しい声の主は、言葉の内容とは真逆で、全く心配している様子は窺えない。


「んなもん寝てりゃ治るって」

「そうは言っても、僕言っただろ?君がピンチの時はわかるって」

「俺はお前のピンチの時なんかわからんぞ」

「それは僕がピンチにはならないからだよ」


 なんだそれ、とレオがため息を吐き出す。


「でも本当に気をつけてくれよ。僕の魔族の力は、やっぱり人間の君には強すぎる」


 魔族?


「っても、なあ……」

「人の細胞には再生回数に限界があるんだってこと、ちゃんと自覚して欲しい」

「……わかったよ」

「それと、封魔の痛みも抑えられるけど、あくまで痛みだけだからね。治るわけじゃない。無理すると、本当に死ぬよ」

「わかったわかった!もーよーわかりやした!!」


 一体何の話なのだろう?


 レオは、魔族と友達なのだろうか。


 二人の会話の様子は、とても親し気に聞こえた。


 強くて素晴らしい魔術師なのに、魔族と親しくしているなんて信じられなかった。


 それに、あの時見た彼の力は、今日の授業で見せた力と比べても遠く及ばない。


 彼はどうしてしまったのだろう。


 憧れてやまない彼は、どこへ行ってしまったのだろう。


 わからない。


 わからないけれど、こんな彼は、あの時憧れた強い彼ではない。


 こんなのは間違っている。


 こっちを見てほしいのは、強くてカッコいい『金獅子の魔術師』だ。


 こんな学院で、くだらない授業で倒れるような弱い彼など見たくはなかった。


 いつのまにか走り出していた。


 現実から逃げるように、失望から逃げるように。


 外へ走り出る。茜色の空に浮かぶオレンジの太陽。その光を受けて浮かぶ人影にぶつかる。


「ご、ごめんなさい」


 ズレた眼鏡を直しながら謝ると、その人影が笑った。


「君はレオが羨ましいんだね」

「え?」


 羨ましい?


 それは考えた事がなかった。ただただ憧れていただけで、彼のようになりたいと妬ましく思ったことはない筈だ。


「とてつもない力を使う彼が羨ましい。魔族と対等に話せる彼が羨ましい。正体を隠し、それでも友人に囲まれている彼が羨ましい」


 違う。自分にだって友達はいる。それに、ただ彼の視界に入りたいだけで、友達になりたいとは思っていない。魔族や力は関係ない。


「もし君が、彼に認識してほしいのなら、私が力をかそう。これを一粒、飲むだけでいい。今までにない力を発揮できるはずだ」


 男はそう言ってタブレットを手渡してきた。なんでもないお菓子のようなそれは、甘く魅惑的な香りがした。







「レオ様っ、本日はピニョも学院に同行しますです」


 制服を着終えたところに、学生鞄を持ったピニョがよくわからない事を言い出した。


「えーっと、空耳か」

「空耳ではございませんです」

「俺は今日からお前の声は聞こえなくなったんだ。悪いなピニョ」

「聞こえてるですよ!!」


 急に何を言い出すかと思えば、こいつはバカなのか?


「どうやってついてくるつもりなんだ?」

「ストラップです!!」

「……ああ、なるほど」


 一日中鞄にくっついていられるのか謎だ。検証してやろう。


「いいぜ。そのかわり絶対動くなよ」

「わかりましたです!!」


 と言うわけで、俺は鞄にピニョをくっつけたまま学院へ向かった。


 途中でユイトと合流する。ユイトは俺の鞄を眺め、複雑な顔をした。


「それ……やけにリアルだな」

「ピニョだ。今日一日ストラップになるそうだ」

「マジか……」


 ニヤっと笑って答えると、ユイトの頬が引きつった。


「そ…それより、体調はもういいのか?」

「まあまあ。熱は下がったし、ピニョのお陰で支障はない」

「そっか。今日の授業は全部教室だけど、無理はするなよ」


 ユイトは案外心配性だ。


「大丈夫だって。それに昨日シエルが来てさ、魔術使った分の不調は治してくれたし」

「っ、それって、また魔族の力で無理矢理身体を治したって事だよな?」

「そうだが……どうした?」


 ユイトの表情が強張った。なんか変だ。


「いや…なんでもない」


 無理矢理言葉を飲み込んだみたいで、少し気になった。が、それ以上話してはくれなさそうだ。


 変なの、と思っていると、目の前に見覚えのある姿があった。


「眼鏡くんだ」


 昨日ぶつかった眼鏡の学生がいた。脅かすつもりはなかったが、


「やっほ!」

「わあっ!?」


 めちゃくちゃびびられた。そんなに俺のこと嫌いか。


「昨日はごめんな。眼鏡壊しちゃって」

「いえ、それは直して貰ったし……」


 オドオドと下を向く眼鏡くんは、昨日よりどこか緊張しているように感じた。


「だよな。つか、俺が壊したわけじゃないのに、なんで直したんだ?」

「間接的にレオが壊したんだよ!」


 ユイトがそんな事を言う。


 えー?俺が悪いの?


「まあいっか」

「いいのかよ!?」


 俺が直したんだから、イリーナから修理代を取るべきだと思い直し、俺は話題を変えた。


「俺はレオンハルト。レオとでも呼んでくれ。お前は?」

「キルシュです…」

「そか。2組だよな?」

「えっ、なんで知ってるんですか?」


 何でと言われてもなぁ。


「昨日午後の授業一緒だったろ?俺、こう見えて人の顔覚えんの得意なんだぜ」


 金貸してくれそうな顔は特にな!そして一回借りたやつの顔は忘れます。


「覚えててくれたんだ……」


 えぇ、なんかめっちゃ笑顔なんだけど。キャバのねーちゃん二回目に指名した時より純粋な笑顔なんだけど。


「ま、まあ、そりゃあんだけ至近距離で見つめたわけだし……」


 なんだか少し気まずい。普段、俺はあまり人の表情とか気にしないけど、キルシュの笑顔が怖い。


「キルシュ、おれはユイト。こっちもよろしくな」


 ユイトが優等生面で爽やかに言った。


「よ、よろしく」


 キルシュは答えはしたが、どこかぎこちない。ずっと俺を気にしているようで、視線が泳いでいる。


 んだよ、この反応。


 まあ、昨日のこともあるし変な反応されるのも仕方ないか。


「ぼ、僕図書室寄ってから行くね」

「ん、じゃまたな!」


 まるで逃げるように、キルシュが走っていってしまう。


「なんだ?」


 変なの、と思っていたが、ユイトにため息をつかれた。


「レオはさ、誰かに憧れた事あるか?」


 憧れ。それは、理想とするものに強く心を惹かれる事。


「ねぇな。理想は超えるもんだろ?超えたらそれは俺以下の何にもならない。それに俺に理想だと思わせるもんなんてこの世にねぇよ」


 そう言うと、ユイトはとても悲しい顔をした。


「だからお前は、最強の魔術師なんだな」

「は?」


 よくわからん。


「そう言うユイトにはあんのかよ、憧れてる奴とか」


 軽い気持ちだった。それに、先にそんな話題を振ったのはユイトの方だ。


 だから俺は、特に何も考えていなかった。


「いたよ。おれの憧れは特級魔術師で、歴代最強って言われてて。誰もその本当の姿を知らない、そんな最強の魔術師」


 え?と、思った時には遅かった。


「お、おお?」

「ま、おれの憧れた魔術師は、どうやらただのクズだったみたいだけどな」


 ハハッと、軽く笑うから、どんな反応をしていいのかわからなかった。


 時たまユイトが見せるヨソヨソしい反応は、ここから来ているのかと気付いた。


「俺は、」 

「別に怒ってるわけでも、幻滅してるわけでもない。『金獅子の魔術師』という存在は、おれたち普通の魔術師や、なにもしらない一般人が勝手に作り上げたもので、レオ自身の事じゃなかったんだなって気付いてさ」


 ユイトの言う通り、俺はただ単に能力に見合った階級と任務、報酬を与えられただけで、『金獅子の魔術師』だなんだと祭り上げてくれと頼んだ覚えはない。


 みんなが勝手に呼び名をつけて、偶像崇拝しているだけだ。


 だが、俺は今初めて、特級魔術師であることの意味がわかった。


 憧れている。ああなりたいと、思われている対象なんだとわかった。


「キルシュの目は、憧れている目だ。お前と言う存在にな。学院一年目であんだけ目立ってたら、そりゃ何人かはレオみたいになりたいと思うだろ」


 でも俺は、俺自身を辞めることはできない。


「バカだな、みんな。俺はそういうんじゃねぇよ。憧れるんなら、他のもんにしろよ」

「レオ」

「うるさいな。ユイトもわかるだろ?俺がそんな人間じゃないって。魔術師協会歴代最強?笑うぜ。その魔術師はな、裏で魔族と契約して協会にタテついて、挙句に素行不良でクビになるようなやつなんだぜ」


 そしてそのうち、あっけなく死ぬようなやつなんだ。


 魔術は芸術。強いからすごいとか、特級だからとか、そういうものじゃない。


 それに俺のこの、血で汚れた不純な魔力なんて憧れを抱かれるようなものではない。


「それでも、レオが『金獅子の魔術師』であることにかわりはない」


 ユイトはそう言うと、さっさと校舎へ歩いてった。


 なんと言っていいかわからなくて、その場で立ち尽くす俺はかなりダサい。


「ピニョは、ユイト様の言うことも、レオ様の思いもわかりますです」


 不意に鞄のストラップが喋った。


「は?」

「レオ様はクズって言われてますけど、それを含めて全てがレオ様なんですよ。だからユイト様は、レオ様のお友達なのです」


 はあ。ピニョは俺のことなんもわかってないな。なんかいいこと言った風にしてまとめようとしているようだ。中身のない事を言うな。


「あのさ、ピニョ。お前勘違いしてる」


 ピニョはあくまで身動きしないが、俺は言ってやった。


「憧れ?アホか。凡人が憧れられるほど、俺は普通の魔術師じゃねぇんだよ!才能の差もわからんやつが、勝手に俺に憧れたり変なあだ名つけたりしやがって。俺はその、有名人の称号を利用できないんだよ!!」


 俺が特級ですと言えたら、飲み屋のねーちゃんは確実にサービスしてくれるし、ワンチャンあったという場面はいくらでもあった。


 『金獅子の魔術師』だと名乗れたら、俺は副業でも始めるね。金獅子お守りとか作って売るね。


 みんな俺にどんなイメージを持っているか知らんが、俺は昔から俺だし、変わったつもりもない。


 従って他人の印象など俺の知ったこっちゃない。


 金獅子はこうだ、と思っているのなら、それはお前らの思い込みだ。


「勝手に理想の金獅子でも思い描いてろ。そんなことばっかり考えてるやつはな、はなから強くはなれねぇんだよ」


 憧れるんなら行動しろ。そうなりたいなら自分がどうすりゃいいか考えろ。


 他人にはなれないのだから、努力して超えてしまえ。


 というのが、俺の意見なのだが……ダメかな?

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