第35話 憧れ④
★
学院が終わり、まだ日が暮れるには遠い時間。
通りかかった学院内の医務室。漏れてきた声は、レオのものだ。
「お前さぁ、ひょこっと学院にまで現れて大丈夫なのかよ?」
「大丈夫。僕は結構優秀なんだ」
「いやそれはわかってるけどさ」
もうひとつ、若い男の声がする。レオの声が粗野で荒いのに対し、もうひとつの声は優しく柔和だ。
「君やっぱり、限界近いんじゃない?」
「は?」
「前はこんなに反動出なかったでしょ。風邪にしては、大分酷いんじゃないかな」
優しい声の主は、言葉の内容とは真逆で、全く心配している様子は窺えない。
「んなもん寝てりゃ治るって」
「そうは言っても、僕言っただろ?君がピンチの時はわかるって」
「俺はお前のピンチの時なんかわからんぞ」
「それは僕がピンチにはならないからだよ」
なんだそれ、とレオがため息を吐き出す。
「でも本当に気をつけてくれよ。僕の魔族の力は、やっぱり人間の君には強すぎる」
魔族?
「っても、なあ……」
「人の細胞には再生回数に限界があるんだってこと、ちゃんと自覚して欲しい」
「……わかったよ」
「それと、封魔の痛みも抑えられるけど、あくまで痛みだけだからね。治るわけじゃない。無理すると、本当に死ぬよ」
「わかったわかった!もーよーわかりやした!!」
一体何の話なのだろう?
レオは、魔族と友達なのだろうか。
二人の会話の様子は、とても親し気に聞こえた。
強くて素晴らしい魔術師なのに、魔族と親しくしているなんて信じられなかった。
それに、あの時見た彼の力は、今日の授業で見せた力と比べても遠く及ばない。
彼はどうしてしまったのだろう。
憧れてやまない彼は、どこへ行ってしまったのだろう。
わからない。
わからないけれど、こんな彼は、あの時憧れた強い彼ではない。
こんなのは間違っている。
こっちを見てほしいのは、強くてカッコいい『金獅子の魔術師』だ。
こんな学院で、くだらない授業で倒れるような弱い彼など見たくはなかった。
いつのまにか走り出していた。
現実から逃げるように、失望から逃げるように。
外へ走り出る。茜色の空に浮かぶオレンジの太陽。その光を受けて浮かぶ人影にぶつかる。
「ご、ごめんなさい」
ズレた眼鏡を直しながら謝ると、その人影が笑った。
「君はレオが羨ましいんだね」
「え?」
羨ましい?
それは考えた事がなかった。ただただ憧れていただけで、彼のようになりたいと妬ましく思ったことはない筈だ。
「とてつもない力を使う彼が羨ましい。魔族と対等に話せる彼が羨ましい。正体を隠し、それでも友人に囲まれている彼が羨ましい」
違う。自分にだって友達はいる。それに、ただ彼の視界に入りたいだけで、友達になりたいとは思っていない。魔族や力は関係ない。
「もし君が、彼に認識してほしいのなら、私が力をかそう。これを一粒、飲むだけでいい。今までにない力を発揮できるはずだ」
男はそう言ってタブレットを手渡してきた。なんでもないお菓子のようなそれは、甘く魅惑的な香りがした。
★
「レオ様っ、本日はピニョも学院に同行しますです」
制服を着終えたところに、学生鞄を持ったピニョがよくわからない事を言い出した。
「えーっと、空耳か」
「空耳ではございませんです」
「俺は今日からお前の声は聞こえなくなったんだ。悪いなピニョ」
「聞こえてるですよ!!」
急に何を言い出すかと思えば、こいつはバカなのか?
「どうやってついてくるつもりなんだ?」
「ストラップです!!」
「……ああ、なるほど」
一日中鞄にくっついていられるのか謎だ。検証してやろう。
「いいぜ。そのかわり絶対動くなよ」
「わかりましたです!!」
と言うわけで、俺は鞄にピニョをくっつけたまま学院へ向かった。
途中でユイトと合流する。ユイトは俺の鞄を眺め、複雑な顔をした。
「それ……やけにリアルだな」
「ピニョだ。今日一日ストラップになるそうだ」
「マジか……」
ニヤっと笑って答えると、ユイトの頬が引きつった。
「そ…それより、体調はもういいのか?」
「まあまあ。熱は下がったし、ピニョのお陰で支障はない」
「そっか。今日の授業は全部教室だけど、無理はするなよ」
ユイトは案外心配性だ。
「大丈夫だって。それに昨日シエルが来てさ、魔術使った分の不調は治してくれたし」
「っ、それって、また魔族の力で無理矢理身体を治したって事だよな?」
「そうだが……どうした?」
ユイトの表情が強張った。なんか変だ。
「いや…なんでもない」
無理矢理言葉を飲み込んだみたいで、少し気になった。が、それ以上話してはくれなさそうだ。
変なの、と思っていると、目の前に見覚えのある姿があった。
「眼鏡くんだ」
昨日ぶつかった眼鏡の学生がいた。脅かすつもりはなかったが、
「やっほ!」
「わあっ!?」
めちゃくちゃびびられた。そんなに俺のこと嫌いか。
「昨日はごめんな。眼鏡壊しちゃって」
「いえ、それは直して貰ったし……」
オドオドと下を向く眼鏡くんは、昨日よりどこか緊張しているように感じた。
「だよな。つか、俺が壊したわけじゃないのに、なんで直したんだ?」
「間接的にレオが壊したんだよ!」
ユイトがそんな事を言う。
えー?俺が悪いの?
「まあいっか」
「いいのかよ!?」
俺が直したんだから、イリーナから修理代を取るべきだと思い直し、俺は話題を変えた。
「俺はレオンハルト。レオとでも呼んでくれ。お前は?」
「キルシュです…」
「そか。2組だよな?」
「えっ、なんで知ってるんですか?」
何でと言われてもなぁ。
「昨日午後の授業一緒だったろ?俺、こう見えて人の顔覚えんの得意なんだぜ」
金貸してくれそうな顔は特にな!そして一回借りたやつの顔は忘れます。
「覚えててくれたんだ……」
えぇ、なんかめっちゃ笑顔なんだけど。キャバのねーちゃん二回目に指名した時より純粋な笑顔なんだけど。
「ま、まあ、そりゃあんだけ至近距離で見つめたわけだし……」
なんだか少し気まずい。普段、俺はあまり人の表情とか気にしないけど、キルシュの笑顔が怖い。
「キルシュ、おれはユイト。こっちもよろしくな」
ユイトが優等生面で爽やかに言った。
「よ、よろしく」
キルシュは答えはしたが、どこかぎこちない。ずっと俺を気にしているようで、視線が泳いでいる。
んだよ、この反応。
まあ、昨日のこともあるし変な反応されるのも仕方ないか。
「ぼ、僕図書室寄ってから行くね」
「ん、じゃまたな!」
まるで逃げるように、キルシュが走っていってしまう。
「なんだ?」
変なの、と思っていたが、ユイトにため息をつかれた。
「レオはさ、誰かに憧れた事あるか?」
憧れ。それは、理想とするものに強く心を惹かれる事。
「ねぇな。理想は超えるもんだろ?超えたらそれは俺以下の何にもならない。それに俺に理想だと思わせるもんなんてこの世にねぇよ」
そう言うと、ユイトはとても悲しい顔をした。
「だからお前は、最強の魔術師なんだな」
「は?」
よくわからん。
「そう言うユイトにはあんのかよ、憧れてる奴とか」
軽い気持ちだった。それに、先にそんな話題を振ったのはユイトの方だ。
だから俺は、特に何も考えていなかった。
「いたよ。おれの憧れは特級魔術師で、歴代最強って言われてて。誰もその本当の姿を知らない、そんな最強の魔術師」
え?と、思った時には遅かった。
「お、おお?」
「ま、おれの憧れた魔術師は、どうやらただのクズだったみたいだけどな」
ハハッと、軽く笑うから、どんな反応をしていいのかわからなかった。
時たまユイトが見せるヨソヨソしい反応は、ここから来ているのかと気付いた。
「俺は、」
「別に怒ってるわけでも、幻滅してるわけでもない。『金獅子の魔術師』という存在は、おれたち普通の魔術師や、なにもしらない一般人が勝手に作り上げたもので、レオ自身の事じゃなかったんだなって気付いてさ」
ユイトの言う通り、俺はただ単に能力に見合った階級と任務、報酬を与えられただけで、『金獅子の魔術師』だなんだと祭り上げてくれと頼んだ覚えはない。
みんなが勝手に呼び名をつけて、偶像崇拝しているだけだ。
だが、俺は今初めて、特級魔術師であることの意味がわかった。
憧れている。ああなりたいと、思われている対象なんだとわかった。
「キルシュの目は、憧れている目だ。お前と言う存在にな。学院一年目であんだけ目立ってたら、そりゃ何人かはレオみたいになりたいと思うだろ」
でも俺は、俺自身を辞めることはできない。
「バカだな、みんな。俺はそういうんじゃねぇよ。憧れるんなら、他のもんにしろよ」
「レオ」
「うるさいな。ユイトもわかるだろ?俺がそんな人間じゃないって。魔術師協会歴代最強?笑うぜ。その魔術師はな、裏で魔族と契約して協会にタテついて、挙句に素行不良でクビになるようなやつなんだぜ」
そしてそのうち、あっけなく死ぬようなやつなんだ。
魔術は芸術。強いからすごいとか、特級だからとか、そういうものじゃない。
それに俺のこの、血で汚れた不純な魔力なんて憧れを抱かれるようなものではない。
「それでも、レオが『金獅子の魔術師』であることにかわりはない」
ユイトはそう言うと、さっさと校舎へ歩いてった。
なんと言っていいかわからなくて、その場で立ち尽くす俺はかなりダサい。
「ピニョは、ユイト様の言うことも、レオ様の思いもわかりますです」
不意に鞄のストラップが喋った。
「は?」
「レオ様はクズって言われてますけど、それを含めて全てがレオ様なんですよ。だからユイト様は、レオ様のお友達なのです」
はあ。ピニョは俺のことなんもわかってないな。なんかいいこと言った風にしてまとめようとしているようだ。中身のない事を言うな。
「あのさ、ピニョ。お前勘違いしてる」
ピニョはあくまで身動きしないが、俺は言ってやった。
「憧れ?アホか。凡人が憧れられるほど、俺は普通の魔術師じゃねぇんだよ!才能の差もわからんやつが、勝手に俺に憧れたり変なあだ名つけたりしやがって。俺はその、有名人の称号を利用できないんだよ!!」
俺が特級ですと言えたら、飲み屋のねーちゃんは確実にサービスしてくれるし、ワンチャンあったという場面はいくらでもあった。
『金獅子の魔術師』だと名乗れたら、俺は副業でも始めるね。金獅子お守りとか作って売るね。
みんな俺にどんなイメージを持っているか知らんが、俺は昔から俺だし、変わったつもりもない。
従って他人の印象など俺の知ったこっちゃない。
金獅子はこうだ、と思っているのなら、それはお前らの思い込みだ。
「勝手に理想の金獅子でも思い描いてろ。そんなことばっかり考えてるやつはな、はなから強くはなれねぇんだよ」
憧れるんなら行動しろ。そうなりたいなら自分がどうすりゃいいか考えろ。
他人にはなれないのだから、努力して超えてしまえ。
というのが、俺の意見なのだが……ダメかな?
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