第22話 双黒の剣①



 乾いた平野に、死の匂いがした。


 風下にいるせいか、はたまた匂いが強すぎるのか。


 殺戮の痕跡はあまりにも色濃く空気中を漂っていて……


 興味を持った。


 誰だ?


 こんな所で、随分と暴れたみたいだが。


 そうしてまるで、引き寄せられるようにその場所へと辿り着く。


 小さな町。人口100人にも満たないであろう、石造りの建物が整然と並ぶ、普通の町である。


 住人の姿は見当たらず、その替わりに至るところに魔獣の死骸が転がっている。夥しいほどの骸達は、一体どうしたらそうなるのかと言うほどグチャグチャだ。


 高熱に晒されて表面がドロドロに溶け出したもの。


 内側から膨張し、目玉を飛び出させて破裂したもの。


 原型を留められないほど、切り刻まれたもの。


 見ていてあまり気持ちの良いものではない。それでも、眼を離せずにはいられなかった。


 魔術によって作られたそれらの死骸には、魔力の残滓のようなものが残る。それが、全て同一人物によるものだと、強く物語っていた。


「やれやれ、どこの魔族かな?」


 こんな事ができるのだから、それはきっと名のある魔族に違いない。正直、姿を見られるのは避けた方が身のためだが、しかし、好奇心が冷静な判断を鈍らせる。


「兄様、あまり近付かない方がいいと思います」


 幼い妹は、まるで機械のように言う。妹はいつも冷静で、自分なんかより余程魔族らしい。


「大丈夫だよ。少し覗いてみるだけだから」


 そう答えて、めぼしい場所へと視線を移す。


 町を抜けた先、何もない荒野へと続く街道沿い。そこは確か、大きな湖があったはずだ。


「兄様はいつも、好奇心優先で痛い目にあいます」

「あはは!それは辛辣な意見だけど、否定はできないな」


 妹の言う通り、自身の好奇心によって、今までにどれほど痛い目にあったかは自分が一番よく知っている。


 だが、そこへ行かなければならないという、一種の強迫観念のようなものに囚われていた。もう遅い。こうなれば、自分で自分は止められない。


「少しだけだから、ね?そうだ、後で何か甘いものでも買ってあげるから」

「むう。兄様はズルイです」


 妹は可愛らしく頬を膨らましているが、甘いものに釣られたようで、それ以上は何も言わなくなった。


 街道沿いを暫く歩き、湖へと辿り着く。


 頭上に輝く丸い月が湖面に照らされ、美しい自然の風景が広がるその傍に。


 残酷にも積み上げられた死体の山があった。


 強い血臭はこの死体の山から放たれたものだ。町の住人だったのか、手足をもがれ、生きたまま噛み砕かれる恐怖と痛みに歪んだ表情の死体たち。


 その死体の山の麓に、月と同じく輝きを放つ金の髪が揺れているのが見えた。


 少年だ。


 今の自分と同じくらいの年頃の、痩せた少年。


 月を見上げたまま微動だにしないその少年へ、ゆっくりと近付く。


「あの町の生き残りかな?」


 気が付いた時には遅く、無意識のうちに話しかけてしまっていた。いや、実際は話したいと思ったから近付いたのか。


「いや。俺には関係のない町だ」


 少年特有の高く澄んだ声に似合わず、感情の希薄さが不気味だった。


「ならどうして、こんな所にいるんだい?」

「魔獣を狩ってた。手遅れだったが」


 信じられなかった。こんな人間の少年が、あの町の魔獣を殲滅したというのか?


「君はその歳で、才能に溢れているんだね」


 褒めたつもりだった。あの数の魔獣を、たった一人で倒してしまったのなら、それは紛れもなく天才だ。しかも、使用できる魔術に際限が無い。未だかつて、そんな人間など聞いたこともない。


「才能、な。魔力はひとつの才能だと、俺を養っているジジイはいつも言う。無いより有る方がいいとも言う」

「それはそうだ。無い者にはできない事ができるんだから」


 少年を養っているという人物は正しい。持って生まれたものが優れている方が生き残る事ができる。


 それはどんな種族も同じだ。


「でも俺は、町の人を助ける事ができなかった。才能だなんだと言うが、なすべき事が出来ないのならあってもなくても同じだ」


 類稀なる才能を持っていても、この少年は自身の無力感と戦っているようだった。


 自分と同じだと思った。


 飾り立てるように添えられた名と、中身のない自分自身。


 似ているのは、年格好だけではないようだ。


「〈地に咲きし花、新緑の蒼葉の囁き、星界の海、降り注ぐ陽光の駕籠の元、魂なき者に永遠の平穏を与えよ〉」


 それはまるで、天界からの使いが歌う悲しい葬送の歌だった。一般的に葬儀の際に謳われる決まりのような詠唱だ。魔力のある無しに関係なく、誰かの葬儀にはこれを唱える。しかし、力のある魔術師がそれを謳うと奇跡が起こる、または、死んだ人が幸せに天国へ行けると言われている。


 その言い伝え通り、少年が詠唱を終えると同時に、乱雑に積まれた死体の山から輝く光の粒が湧き起こり、それはフラフラと揺れながら天高く登っていった。


 幻想的な光景だった。


「俺にはこれくらいしか、してやれる事が無い」


 しばらくして、光の粒子が消える頃に少年は言った。


 徐に立ち上がり、火炎の詠唱でもって死体の山に火をつける。


「ごめん。俺がもう少し早く来ていたら…もっと強かったら、あんたたちは死ななかったのかもしれないな」


 言葉の内容とは裏腹に、少年には相変わらず感情が無かった。


 そんな彼に、いつしか興味以上のものを感じている自分がいる。


 彼と一緒ならば、この世界を変えられるかもしれない。


 別々の種族だが、そんなことはどうでもいい。


「君は魔族が嫌い?」


 思わず訊ねる声は、いつになく弾んでいる。


「あんたは魔族だろ?なんでそんなこと聞くんだよ」


 少年は怪訝な顔でこちらを見た。それは、その少年が見せる、はじめての感情表現だった。


「僕は魔族が嫌いだ。いなくなればいいと思ってる。でも、僕にはまだそんな力はない」

「ハハッ、あんた魔族なのに魔族が嫌いなんてかわってるな」

「よく言われるよ…でも、僕は真剣だ」

「……」


 少年は僕の目を見て、笑うのをやめた。


「何が言いたい?」


 問う声はうってかわって真剣そのものだった。


「僕を手伝って欲しい。君の才能で、僕たち魔族と人間を救う手伝いをして欲しい」

「本気か?」


 そう、僕は至って真面目だった。


 だから、少年に大切な物をあげることにした。それが僕の一番の誠意だったからだ。


「君は強い。でも、もっと強くなれる。その為の武器を、僕があげるよ。それで魔族を倒し、さらに強くなって欲しい。まあ、僕を手伝ってくれるのなら、だけど」


 少年は少しも悩まなかった。


「いいぜ。強くなれるのなら、俺はお前と手を組んでも」

「即答だね」

「そりゃ変な魔族だなと思ってるけど……お前の眼は真っ直ぐだ」

「あはは!変な人間!」

「お前に言われたくないよ、変な魔族」


 それから僕は、魔力を使って剣を出した。空間魔術は魔族の得意分野だ。


 剣は二本ある。二つとも、魔族だけが使える特殊な剣で、僕はその一本を少年に渡す。


「これは僕の大切な分身みたいなものなんだけど、君にひとつ貸してあげる。双黒の剣と言うんだ」

「これが魔剣ってやつか」


 僕が渡した剣を手に取り、興味深そうに見つめる少年の顔は年相応のものだった。


「腕を出して」

「ん」


 少年がシャツの袖をめくり上げた。


「これは契約だ。魔剣は戦うほど強くなる。そしてこの剣は二つで一つ。君がその剣で強くなれば、僕も強くなる。逆もまたしかり、ね」

「なるほど」


 同じように僕も腕を出す。剥き出しの肌を、少年が持つ剣の刃にそわす。鋭い刃は触れただけで皮膚を薄く切った。剣先に血が垂れる。


「同じようにしてくれるかな」


 そう言えば、少年は躊躇いなく自身の腕を、僕の剣の刃に当てた。少年の血が黒い刃の上を伝う。


「〈静謐の棺、眠るは獅子の鼓動、目覚めるは双黒の刃、血の誓いをもって、蓋世の力を手に入れん〉」


 血の契約。魔族と魔術師が交わしたのは、これが初めてかもしれない。


「これで二本の剣の所有権を共有した。それは君のものだ」

「わかった」


 少年は金の髪を揺らし、剣を一振りする。空気を切り裂く鋭い音がする。魔術だけではなく、剣の腕もたつらしい。


「自己紹介が遅れたけど、僕はシエル。こっちは妹のヨエルだ」

「俺はレオンハルト。レオとでも呼んでくれ」


 初めて出会った人間の少年は、月明かりの下で僕に笑いかける。それはとても、ふてぶてしい笑顔だった。


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