第8話 さよならを覆す最高の方法:彼の話

 おおとり敦史あつしは、幕が閉じた後、共演者との挨拶もそこそこに、差し入れコーナーから飲み物だけもらって楽屋に戻った。今日は、幼馴染に渡したチケットの公演日だったのだ。

 ドタキャンでもなければ彼女が必ず楽屋に来るよう、友人たちにも会場スタッフにも生暖かい目で見られつつ根回しをしたのだが、はて、この会場はそんなに広かったろうか、と思い始めたところで、近づいてくる足音が、恐らく三人分。

 やっとか、と腰を上げれば、開いたドアから男性三人の姿が視界に入る。

「んでさー、お、鴻さんお疲れっした」

垣内かきうちさん、工藤さん、権田ごんださん、お疲れさまでした」

 そういえばそうだった、とひとりごちて、三人に挨拶をする。舞台の上でも三人組を演じていた彼らは、劇場にいる間は同じように三人で動いていることが多い。とは言え、今回の会場の楽屋は狭い代わりに十分な部屋数があったため、多くても一部屋につき二人まで、と割り振られているので垣内だけが敦史と同室で、他の二人は隣の部屋だった。

 パフォーマンスに関わる人間の労働環境に対しても、パーソナルスペースの確保による居心地の良さや、モチベーションの向上が期待されるようになった昨今、広さや部屋数にもよるが、端役であっても少なくとも3席分を一人で使うことが増えているらしい、とは、垣内から聞きかじった話だ。たしかにグループで番組に出演するときの楽屋は全員が無理やり一部屋に詰め込まれるのでなかなかカオスな状態になるのが常だった。短時間、あるいはその日だけだからあまり気にならないが、公演期間中あの環境はたしかにちょっと……、と思って、今回の楽屋の環境に感謝をしたのは記憶に新しい。

 しかし、困ったな、とも思う。垣内には今日客人が来るかもしれない、とは伝えてあったが、ここでそのまま話してもいいものか。

 今更ながらに頭に浮かんだ不安を見越したように、垣内が鏡越しに笑う。敦史より一回り上の共演者は、ふふふ、と音が漏れそうな笑みを浮かべていた。

「お客さん、まだ来てないんだ。幼馴染だっけ?」

「あ、はい。一応メンバーで今日来てくれるって言ってたのがいたんで、案内頼んだんですけど……」

「で、会場アナウンスもしたわけだ」

「はい……」

 会場アナウンスを頼んだことも、しっかり知られているらしい。この分だと、面と向かっては何も言われていないが、共演者は皆知っているのかもしれない。

 やりすぎたかなー、と頭を抱えてみせれば、たまにあるから気にしない、と返ってきて、それはそれで気になってしまう。

「そこまでしないと逃げちゃうような子なの」

「そう、ですね。テレビとか出させてもらうようになってから、距離を置きたがられてて、いつもは俺が会いに行く側で。だから今日も、そもそも会場に入ってきてくれないかも、って思ってたんですけど、受付から、きた、っては、きいたんで」

「しっかり捕まえたいんだ」

「まぁ、そう、ですね。やっと向こうから来てくれたんで」

「いいねぇ。青いねぇ」

 にやにや、と音が出そうな笑みを浮かべた先輩は、これだけ話しながらの間に粗方の始末を終えたらしい。脱いだ衣装をハンガーにかけて、丁寧に伸ばしている。

 横に並ぶ自分の衣装は、慌てて着替えたせいであまり綺麗な状態ではない。やっぱりあれはちょっと、と立ち上がって垣内の隣に並ぶ。

「垣内さんもまだ十分若いでしょう」

「お、いいこと言ってくれるね。じゃぁ、人生の先輩からひとつだけ」

「……はい」

「何があっても、絶対捕まえて、離さないこと。じゃないと、さよならも言えずにお別れになっちまうよ」

 こちらを見ずに言い切った横顔は、静かな諦念を浮かべているように見えて、これは誰かからの伝聞や金言ではなく、垣内の経験からの言葉なのだと腑に落ちた。

 垣内ほどではないが、先ほどよりは整った衣装から手を放し、垣内に向き直る。

「肝に銘じておきます」

「いい表情カオだ。ほら、やっときたんじゃない?」

「あーつし、入るよー」

「俺は先に帰るから、しっかりがっしり、捕まえな」

「……はい」

 どうぞ、と言いながらドアノブを開けてくれた垣内の向こう側に音羽の姿を見つけて、敦史はほっと、息を吐いた。

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さよならを覆す最高の方法 ritsuca @zx1683

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