第5話 きみの物語になりたい : 彼女の話
昼休み、お弁当のお供にとスマホ開いたネットニュースの片隅に、彼の名前。よくある、と言えばよくある下世話なゴシップらしき見出しは、けれど彼には珍しかったように思う。有名税とは言うけれど、ただの知人と呼ぶには近い距離の人間のその手の話は、好きな芸能人のそれを見かける以上に、じわりとダメージが広がる感覚がする。
(……やめよ)
ネットニュースを開いていたアプリを落として、そのまま画面を消す。 せっかく公園の日当たりのいいベンチ席に座ることができたのだ。空でも眺めて食べるとしよう。
今日のお弁当は新作のカレー弁当。最近話題になっている映画最新作コラボメニューのそれは、端的に言って色がヤバい。ヤバいが、カレーと聞いては挑戦せねばならないような心地になってしまったので買ってきた次第。にしても、色がヤバい。
クリアな蓋から見える赤紫色のルーに若干怯みながら蓋を取り、いただきます、と手を合わせる。続けてスプーンでひとすくい。
(お、これはこれで)
悪くないな、と食べ進むうち、あっという間にカレーは空に。セットのスープも飲み干して、ごちそうさまでした、と手を合わせてから空になった容器をしまう。食料品の買い出しはともかく、行きがけに買って、昼食後には会社かどこかのゴミ箱に捨てる弁当にはエコバッグは使わないほうがいい、とここ数ヶ月で学んだ。環境には優しくないことこのうえないので、生分解性プラスチックがレジ袋の資材としてばかすか使えるくらいに値下がりしてくれればいいのに、というのが最近のひそかな願いだ。
ほとんど凪いでいると言って差し支えないほどの風のおかげか、食べ始めた頃と雲の位置も形もさほど変わっていない。陽射しだけでからっからに乾くにはまだ早い季節だろうけれども、洗濯物を外干ししてから家を出てくればよかったな、と思いながらぐっと身体を丸めて、伸ばす。
でもやっぱり今日は帰ったらもう少し普通の色のカレーを作ろう。
職場に戻りながら、そう考えていた。
(さて、今日はこの立派な新じゃがを主役にしようではないか)
玉ねぎを炒めてトマト缶を投入。帰りがけに買ってきた玉ねぎは飴色になって、トマトの赤も飲み込んで深めのフライパンの中はどろりとしてきている。むふふ、と口角が無意識に上がった。
鼻歌を歌いながら換気扇は最大。微かに聴こえるチャイムの音に、おや? と思う。宅配便の到着予定も、来客予定もないはずなので、聞き間違いだろう。と、木べらを無心に動かしていれば、もう一度。二度三度四度――
「はいっ、どちら様でしょう!?」
只管繰り返されるチャイムに、火を止めてインターホンのパネル中央の応答ボタンを押す。後付でとりつけた画面には、ドアの前に立つ男が一人。やけに白い。
『あー、えっと、僕です。
「あつし……あつ、え、」
『うん、僕。開けてくれる?』
「あ、はい、ちょっとお待ちを……?」
敦史と名乗る人物に、心当たりはある。同じような話し方をする人間にも。ただ、いつもこんな風に普通には訪れないはずなのだ。
ガチャリと鍵を開けて、そっとドアノブを握る。そろりとドアを開ければ、ここ数年で見慣れた顔が、へにゃりと笑う。どうやら勘違いでもなんでもなく、いつもはピンポンを鳴らしたり鍵を開けることもなく部屋の中に現れてはいつの間にか姿を消している彼だったらしい、ということにほんのりと安堵して、どうぞ、と手振りで示しながら彼女は問う。
「こんばんは? ……その服、仕事中なのでは?」
「こんばんは、ありがとう。お邪魔します。ええと、仕事中ではない、です。でも、あー……、カレー、僕の分、ある?」
「……ない」
「あ、ある顔だね。僕も食べたい。じゃあ、その前にこれ」
どうぞ、と渡された紙袋を受け取れば、随分と中身のバランスに偏りがあるらしく、重くはないが、持ち手の中心を持ったつもりが袋が傾いてしまう。そしてやはり袋も白い。
スーツのジャケットも中のシャツもズボンも靴もすべて白、極めつけに紙袋も真っ白。誰かに見つかったりしなかったのだろうか。と首を傾げながら紙袋の中を覗き見る。中身もすべて白かった。境目がよくわからなくなりそうな白の奔流に、目が眩みそうになる。
靴を脱いで数歩、広くもないワンルームを勝手知ったるとばかりに進み、彼は既にベッドに腰かけている。きて、と隣を叩かれ、まぁコンロの火は消してあるのだし、いいか、と彼女も腰を下ろした。
「開けて。あと、今日は仕事帰りにマネージャーさんに『親戚に届け物をするので』って言ってここまで送ってもらったからたぶん大丈夫」
「……どこが? それはそれで問題では?」
「遠くの親戚より近くの幼馴染、でしょう」
いいからいいから、と促す目に根負けして、じゃあ、と紙袋の封を切る。封を開けてもわかりにくいものはわかりにくいままで、結局手探りで取り出すことにした。
紙袋の内側を上の方から撫でていけば、かさり、と触れるものがひとつ。
「何かが違うような……と、封筒?」
「うん、もう一つ」
まぁ、せいぜいA4用紙1枚程度しか入っていなさそうな封筒1通で紙袋が傾くこともあるまいし、そうだよね、と頷いて、先ほどよりもう少し下まで手を伸ばす。
指先に触れたものを取り出してみれば、小さな箱がひとつ。
「うん? あ、これ、か……え……」
「貸して――うん、似合うだろうな、と思ってた。やっぱり似合うね」
これまでにないほどに近づいていた彼の熱が、離れる。
ふふ、と頷いた彼の手から離れるのは、ネックレス。ゴールドの細い鎖に通されているのは、シルバーに、薄紅色から青紫色までグラデーションする切れ込みの入ったリング。
「こ、れは、どういう……」
「これ、今度僕が出る舞台のチケット。できれば初演の日に、来てほしい。僕の初めての舞台だから。それで、これも着けてきてくれると、とても嬉しい」
封筒から出して見せたチケットをしまいながら、ところで、カレー食べようよ、と彼が言う。
できあがったカレーは、これまでになく辛く仕上がった。
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